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766: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-05-18 19:07:58




……ギデオンさん、まずはウェンディゴを、……!?

 ( 二つの資料を照らし合わせて。声も無く項垂れてしまった相棒に寄り添うと、その目を真っ直ぐに覗き込む。"ネズベタ市"に"フンツェルマン"工具店、それらの単語には、ギデオンから少々の注釈をいただいたものの、ビビとて今のこの状況が最悪なものであるということは正しく理解している。しかし……いや、だからこそだろうか。ギデオンの苦悩とは裏腹に、改めて──やはり数日後の儀式は絶対に止めなければ、とビビの心は決まっていた。みすみすあの優しい少年を魔獣になどしない。将来、可愛い姉妹達に酷い罪を背負わせない。彼、彼女らには自由な世界を生きる権利があって、未だに信じ難いフィオラの罪は、今の大人世代で精算されねばならない。そう大きなエメラルドを真っ直ぐに煌めかせて──まずはウェンディゴを、『倒しに行きましょう!』と、ぎゅっと拳を握りかけた瞬間だった。外から聞こえてきた物音に、相棒によって考えるより早く用具入れに押し込まれると。外から聞こえてきた会話の内容に目を見開くこととなるのだった。
「首尾はどうだ、冒険者たちの誘導は上手くいったか」まずそう口を開いた男は、この数日間レクターの調査に振り回され……もとい、付き添っていた村の青年だ。「大方な。今頃、地下洞窟で"冒険"中じゃないか──……ただ、あの若い女ともう一人……ギデオン・ノース、といったか。ああ、昨晩イシュマを殴ったやつだ。あの二人の姿が見当たらない」そう答えた男の方も何度か姿を見た覚えがあるが、どうやら男達は用具入れの侵入者に気づいたわけではないらしい。さっさと必要な物を手に入れて、不用心に離れて行こうとする背中に──しかし、ビビら二人の表情は晴れない。今、誘導って……地下洞窟……? そう小さく頭を動かして、ギデオンと目を合わせると、相棒の顔色を見るにビビの聞き間違いでは無さそうだ。続いて「レクターもいい加減うるさいが……アイツは何時でも構わない。まずは冒険者の方を仕留めるんだ」そう耳にしたその瞬間。「極力女の方には見られるなよ、泣かれると萎える」「そういえばあの年増の方は随分うまく──」と。扉の閉まる音と共に続いたそれは、全くもって耳に入らずに。未だ用具入れの中、真っ青な顔色で掻き消えてしまいそうな呟きをポツリと。 )

…………私、地下洞窟の入口を探してきます。
ギデオンさんは、どこか、安全なところに……




767: ギデオン・ノース [×]
2024-05-19 22:16:53




──馬鹿を言うな。
おまえを一人にするわけがないだろう。

(相棒の無謀な提案を、鋭い小声でぴしゃりと遮り。腕のなかで震える娘、その大きなエメラルドを、今ばかりはきつく睨みつける。そんな薄情なことは言ってくれるな、悪手中の悪手でしかないだろう。そう言い含めようとしたところで、しかしふと……何か思い至ったように、その険しい表情をほどいて。
暗く狭い、箱の中。一瞬、考え込むような沈黙を差し挟んだギデオンは、しかしその口から不意に、温かい息を零した。次いで何をするのかと思えば、元々腕のなかにいるヴィヴィアンを、そっと間近に抱き寄せる始末だ。そうしてまずは、“大丈夫だ”、と体温で伝え。相手の恐れを宥めるように、後頭部を撫で下ろしてから。小さな旋毛にキスを落としたその唇を、相手の耳元に寄せていき……「約束しただろう、」と、低く弱々しい声で囁く。──それは半ば、自分自身にも言い聞かせるための台詞。あの夜明けの病室で味わった、恐怖、祈り、安堵、敗北。もう決して、同じ過ちを繰り返すわけにいかない。故に、こいねがうようにして、今度は優しく相手の瞳を覗き込み。)

お互い、二度と会えなくなりかねない真似はしない。……あのとき、そう決めたよな。
だから、絶対に──ふたりとも、必ず無事で、この村を脱出しよう。
……そのための作戦を立てないと。





768: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-05-21 13:04:54




っでも……!!
う、…………そう、ですよね。ごめんなさい。

 ( ギデオンの鋭い睨んだ視線に、勢い余って言い募るも、そっと優しく抱き寄せられて、穏やかな口調で語りかけられれば。はっと目を見開いたのは、自分がいつかのギデオンと同じことをしようとしていたことに気づいたためで。もはやもうフィオラははっきりと、こちらに害を加え始めた。幸いと言うべきかどうか、ビビは彼らに脅威としても認識されていない故に、ならば自分が──と思う気持ちは、決して動揺から来るそれだけではなかったのだが。何より大切なギデオンを守りたい、その気持ちがためだけに、仲間の救出の可能性を下げる発言をしてしまった。そしてそれはギデオンの冒険者としての矜恃を傷つけるものだったと、分厚く硬い胸板にしょんぼりと小さく額を預ければ。覚悟を決めるかのように、ぎゅううっと一度強く抱き締めてから、すっかりいつもの様子で勢いよく顔を上げ。 )

はいっ! 絶対全員で……ふたりで、おうちに帰りましょうね。

 ( そう言い募る途中でぴょこりと小さく背伸びして、その唇へ短く甘く吸いつくと。えへへ、と小さくはにかんで、最後にもう一度軽いハグを。そうして、外の安全を確認しながら、ゆっくりと一歩踏み出すと──目的はこれ以上の被害者を出さずに、フィオラの蛮行を止めること。ならば最前の行動は──そう真剣に悩む振りをして、さり気なく口元を隠すのは、治療室の約束をギデオンが覚えていてくれたことが嬉しくて、場違いに緩んでしまう表情を隠しているつもりで。 )

──まずはやっぱり地下洞窟を見つけたいところですけど、私達が勘づいたって知られるのは良くない、ですよね?
夕方の……ラポトには参加した方が良いでしょうか。




769: ギデオン・ノース [×]
2024-05-25 15:51:21




(吹雪のベールが覆い隠す陸の孤島に閉じ込められ、仲間たちは皆敵の術中。そんな状況に、先ほどまでは重苦しい絶望感さえ漂っていたはずだ。しかし今はどうだろう。ヴィヴィアンと今一度抱き合い、元気になったその表情を眺めるだけで、己の胸の内にみるみる希望が湧き上がってくるのを感じる。それは不思議なようでいて、しかし思えば納得するものでもあった。戦闘職である自分に対し、相棒の役職はヒーラーだ。彼女の無邪気な明るさは、いつだって味方を癒し、悪しきものを力強く薙ぎ払ってくれる。
現に今、「そうだな……」と。箱の中から外に出て、周囲の製薬設備を眺め渡したギデオンは、その横顔を随分と前向きなそれに変えていた。相棒の問いに立ち止まり、顎に手を添えながら、真剣に思案する。窓から差し込む日の光は、先ほどよりいくらか弱い──夕刻が近づいている。儀式までそう時間がない、夜を迎えれば洞窟組の救援も困難になる、しかし慎重さは必要だ。)

全面的に欠席するのは、間違いなく悪手だろう。だが、ラポトはおそらく、この村独自のやりかたの儀式だ。そうなると、宗教的な理由にかこつけて何を強いられるかもしれない。諸々の用意だって、いつも村がしている以上、何かを盛られても気づけない可能性がある。
だから……タイミングを読んで遮ってくれる“協力者”が、必要になるだろうな。

(──ギデオンとヴィヴィアンが、最終的に目指すもの。それはこのフィオラ村、ひいてはヴァランガ峡谷を、無事に脱出することだ。
これが自分たちふたりだけなら、きっとそう難しくはなかった。しかし今回は状況が違う。共にクエストに臨む仲間たちと、守るべき一般人の同行者が味方にいる。そうして頭数が多ければ多いほど、意思の統一が難しくなり、動きも目立ち易くなる……何においても危険度が跳ね上がる。それでも見捨てるわけにはいかない、必ず一緒に助かってみせる、それが冒険者として当然の考えというものだ。
それに、かれら身内だけではない。村の子どもらもまた、救いたい対象だった。大人たちがどんな悪事に手を出しているにせよ、まだ無邪気なあの子たちに、親世代の罪を背負わせる道理などあるだろうか。それにヴィヴィアンの推察どおり、数日後に控える別の“儀式”で、“ウェンディゴ・エディ”を退ける目的で、あの少年が魔獣化の薬を飲まされてしまうのだとしたら。何も知らぬ子どもたちが、ある日突然、忌まわしい因習の犠牲になっているのだとしたら……。それはやはり、知ってしまった責任のある立場として、絶対に食い止めてやるべきことだ。
村を出た後の危険のことを考えても、ウェンディゴを先に倒しておく選択肢は有効だ。少なくとも、子どもたちを儀式から遠ざけられる確率が上がるだろう。彼らをすぐに連れ出すのは正直なところ厳しいが、だが敵はあの魔物だけでない……いつ刺されるかわからない恐ろしさだけで言えば、今いるフィオラ村の人々のほうが、ギデオンには遥かに恐ろしい。故に手を入れるなら、まずは村のほうからだ。
──そこでギデオンが提案したのは、真っ先にこのフィオラ村の弱点を突くような作戦だった。フィオラ村はおそらく、顧客である貴族に命じられるからというだけではなく、自分たち自身の意志で、この峡谷にとどまっている。それはおそらく、例の“花”が、そしてその蜜を採る蜂が、この土地に根付いているからだ。だとすれば、“花”と“蜂”に何かトラブルが起きたとき、村はよそ者どころじゃなくなる。それに、あの“骨の結界”。あれが崩れればウェンディゴが入り込みやすくなるという話であるから、もしそれが乱されたと聞き知ったなら、その修繕に奔走することになるだろう。故に、上手く虚実を織り交ぜれば、自分たちの動きやすいように村を操ることができる。
しかしこの多面的な情報戦は、ギデオンとヴィヴィアンだけでは到底手が足りない、という問題がある。離れ離れになればなんとかなるかもしれないが、それでは互いを守れない。村に残っている冒険者としてはエデルミラがいるだろうが、ギデオンは今の時点で、彼女を戦力から除外していた。一応、身内ではある……が、正直なところ、信頼はできない。この村に来てからというもの、彼女は様子がおかしかった。それに昨夜のクルトとの会話や、先ほどの村人たちが口走っていた件もある。もしかしたら、冒険者たちがあっという間にバラバラに分かれてしまったことさえ、報告を受ける彼女の側に作為があった可能性は否めない。
だから自分たちには、どうしても別の協力者が必要だ。特に、村からの信頼を既に勝ち取っているような。──例えばその賑やかさで、村人たちすら呆然とさせ、全く警戒されないような。)

……まずは、レクターを探しに行こう。あいつも薄々、この村の発展の仕方がおかしいことは察しているはずだ。





770: ギデオン・ノース [×]
2024-05-25 16:13:59




(吹雪のベールが覆い隠す陸の孤島に閉じ込められ、仲間たちは皆敵の術中。そんな状況に、先ほどまでは重苦しい絶望感さえ漂っていたはずだ。しかし今はどうだろう。ヴィヴィアンと今一度抱き合い、元気になったその表情を眺めるだけで、己の胸の内にみるみる希望が湧き上がってくるのを感じる。それは不思議なようでいて、しかし思えば納得するものでもあった。戦闘職である自分に対し、相棒の役職はヒーラーだ。彼女の無邪気な明るさは、いつだって味方を癒し、悪しきものを力強く薙ぎ払ってくれる。
現に今、「そうだな……」と。箱の中から外に出て、周囲の製薬設備を眺め渡したギデオンは、その横顔を随分と前向きなそれに変えていた。相棒の問いに立ち止まり、顎に手を添えながら、真剣に思案する。窓から差し込む日の光は、先ほどよりいくらか弱い──夕刻が近づいている。儀式までそう時間がない、夜を迎えれば洞窟組の救援も困難になる、しかし慎重さは必要だ。)

全面的に欠席するのは、間違いなく悪手だろう。だが、ラポトはおそらく、この村独自のやりかたの儀式だ。そうなると、宗教的な理由にかこつけて何を強いられるかもしれない。諸々の用意だって、いつも村がしている以上、何かを盛られても気づけない可能性がある。
だから……タイミングを読んで遮ってくれる“協力者”が、必要になるだろうな。

(──ギデオンとヴィヴィアンが、最終的に目指すもの。それはこのフィオラ村、ひいてはヴァランガ峡谷を、無事に脱出することだ。
これが自分たちふたりだけなら、きっとそう難しくはなかった。しかし今回は状況が違う。共にクエストに臨む仲間たちと、守るべき一般人の同行者が味方にいる。そうして頭数が多ければ多いほど、意思の統一が難しくなり、動きも目立ち易くなる……何においても危険度が跳ね上がる。それでも見捨てるわけにはいかない、必ず一緒に助かってみせる、それが冒険者として当然の考えというものだ。
それに、かれら身内だけではない。村の子どもらもまた、救いたい対象だった。大人たちがどんな悪事に手を出しているにせよ、まだ無邪気なあの子たちに、親世代の罪を背負わせる道理などあるだろうか。それにヴィヴィアンの推察どおり、数日後に控える別の“儀式”で、“ウェンディゴ・エディ”を退ける目的で、あの少年が魔獣化の薬を飲まされてしまうのだとしたら。何も知らぬ子どもたちが、ある日突然、忌まわしい因習の犠牲になっているのだとしたら……。それはやはり、知ってしまった責任のある立場として、絶対に食い止めてやるべきことだ。
村を出た後の危険のことを考えても、ウェンディゴを先に倒しておく選択肢は有効だ。少なくとも、子どもたちを儀式から遠ざけられる確率が上がるだろう。彼らをすぐに連れ出すのは正直なところ厳しいが、村にとっての脅威を先に排除しておけば、次に村に踏み込むまでの間、子どもたちの運命はおそらく保留されるだろう。しかし、ギデオンたちにとっての敵は、何もあの魔物だけでない……いつ刺されるかわからない恐ろしさだけで言えば、今そばにいるフィオラ村の人々のほうが、己には遥かに恐ろしい。故に手を入れるなら、まずは村のほうからだ。
──そこでギデオンが提案したのは、真っ先にこのフィオラ村の弱点を突くような作戦だった。フィオラ村はおそらく、顧客である貴族に命じられるからというだけではなく、自分たち自身の意志で、この峡谷にとどまっている。それはおそらく、例の“花”が、そしてその蜜を採る蜂が、この土地に根付いているからだ。だとすれば、“花”と“蜂”に何かトラブルが起きたとき、村はよそ者どころじゃなくなる。それに、あの“骨の結界”。あれが崩れればウェンディゴが入り込みやすくなるという話であるから、もしそれが乱されたと聞き知ったなら、その修繕に奔走することになるだろう。故に、上手く虚実を織り交ぜれば、自分たちの動きやすいように村を操ることができる。
しかしこの多面的な情報戦は、ギデオンとヴィヴィアンだけでは到底手が足りない、という問題がある。離れ離れになればなんとかなるかもしれないが、それでは互いを守れない。村に残っている冒険者としてはエデルミラがいるだろうが、ギデオンは今の時点で、彼女を戦力から除外していた。一応、身内ではある……が、正直なところ、信頼はできない。この村に来てからというもの、彼女は様子がおかしかった。それに昨夜のクルトとの会話や、先ほどの村人たちが口走っていた件もある。もしかしたら、冒険者たちがあっという間にバラバラに分かれてしまったことさえ、報告を受ける彼女の側に作為があった可能性は否めない。
だから自分たちには、どうしても別の協力者が必要だ。特に、村からの信頼を既に勝ち取っているような。──例えばその賑やかさで、村人たちすら呆然とさせ、全く警戒されないような。)

……まずは、レクターを探しに行こう。あいつも内心、この村がおかしいことに気がついているはずだ。





771: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-06-02 09:03:18




──はいっ!

 ( それはただでさえ行動の読めない村民を、さらに撹乱するという危険な作戦。しかしそんな大胆な作戦も、この人が言うならできるのだろう。そんな信頼溢れる瞳を輝かせ、ぴんとたった赤い耳を元気に震わせ頷き、村の方へと探し歩けば。儀式の直前とはいえ、先程も村の男達が訪れたばかりだ。悪いことに村からこちら側には、この隠された養蜂場以外にめぼしいものは何も無く、ここで見つかれば言い訳ができない。故に二人が村から養蜂場への最短ルートを避けるように、村への帰路を少し遠回りしても尚。その聞きなれた大音声のお陰で、話題の相手はすぐに見つかり。
そうして戻った小屋へと軽い防音魔法を施し、養蜂場で見聞きしたそれを伝えると、さしもの名物教授も流石に驚いた様子を隠せない様子で。しかし、ふと何か逡巡した様子で唇を噛むと「……なら、こちらはお役にたちそうでしょうか」と、広げてくれたのは"採掘場"の名を冠した──「地下洞窟の地図じゃないですか!?」そんなビビの声には誇らしそうに胸を張るくせして、ギデオンがそれを覗き込もうとすれば居心地悪そうにそわつくのだから難儀な御仁だ。「ひっ、いやまあお二人のお話を聞く限り、巧妙に嘘をつかれてる可能性ははぁっ、でも一応こうなる前に聞いたものですよ……」と時折。具体的にはギデオンが身動きする度、声を裏返していたものだから。ギデオンがその作戦を発した途端、とうとうフリーズしたかの如く動かなくなってしまった教授に、まさか仕事中のギデオンの生声に感極まってしまったかと心配したビビは悪くないはずだ。とはいえ、これでも一応この分野では無視できない影響力を誇るレクター教授は。(決して推しのご尊顔の良さにうち震えていただけではなく、)いくら複数の村民達が犯罪に手を染めてるとはいえ。おそらく無関係な村民達も代々大切にして来た、結界への信頼を揺るがすような大それた行為に息を飲んでいたらしい。「……でも、それしか、ないんですね」と苦しそうに頷いてくれたレクターに、ギデオンと視線を合わせて頷き合うと。夕方の儀式に向け小屋の外から声がかかったのは、大方の作戦を共有し終わったその時だった。 )




772: ギデオン・ノース [×]
2024-06-03 07:42:11




(村の地下洞窟の地図。それは願ってもみなかった、他の冒険者仲間たちを捜し出すための道しるべだ。しかもレクター教授は何と、こんな状況に陥る前から、村の最長老の老婆に聞き込みをして作ったという。先方の記憶力の信憑性やら、当時の状況と変わっている可能性やら、そういった問題はあるにせよ。少なくとも、今のフィオラ村を動かしている世代の恣意に汚染されていない情報……そう捉えられることだけは、この上ない僥倖で。
小屋の外に出る直前、ぽん、とレクターの肩に手をやる。そうして、びくっと縮こまった大男の目をまっすぐに覗き込み、「よくやってくれた」と、熱を込めて囁いておく。それはギデオンなりの──“推し”やら何やらといった文化に、てんで疎い朴念仁の──真心からの労いだったが。はたしてレクター教授ときたら、先ほどまでは深刻に張りつめていたその顔を、途端にぼわっと薔薇色に染める始末だ。……出てきた三人を見た村人が、非常に露骨な困惑顔を晒していたのは、主にそのせいだろう。まあそれはそれで、彼と一緒にギデオンたちも、今までの話し合いを深く突っ込まれずに済むことに繋がってくれたのだが。このレクターという男、つくづく珍妙な幸運をもたらしてくれるものである。)

(……しかしながら。その後の三人、そして後から合流したレクターの助手たちを待ち受けていたものは、そんな愉快な時間ではなかった。寧ろ、このフィオラ村でこれまで眺めてきたなかで、最も忌まわしく悍ましい──最悪の因習だ。

フィオラ村の祝祭第三夜の儀式、“ラポト”。それはまず、村の家々を、松明を掲げた参列者が練り歩くことに始まった。何をするのかと思ったら、その家々のいずれかに住む年老いた三人の男女を、輿に乗せて運び出すのだ。苔むした岩のような老婆、枯れ木のように痩せた老爺、そして古木のような農夫。最後のひとりは、今朝方ギデオンとヴィヴィアンが世話になった、あの農夫の老人である。彼らは皆、何か薬でも飲んだかのように、痺れて動けない様子をしている。……この時点でレクターは、「まさか」と小さく口走ったが。確信が持てないために、何も言いだせなかった様子だ。
輿を担いだ村人たちは、更に山道を練り歩き、フィオラ村を見渡せる崖の麓の辺りまで来た。ここでほとんどの村人は待機し、輿を担ぐ者たちだけが、崖の上まで登っていく。傾いていく熱した鉄球のような夕陽、その嫌に真っ赤な日差しが、不気味に山肌を照りつけて。崖上の人々の様子、そしてその真下で待ち構える、斧やこん棒を構えた男たちの様子を、ぎらぎらと浮かび上がらせる。

ここに来て、ようやくギデオンも、今から何が行われるのかを本能的に察してしまった。今更この場を離れられない──「ヴィヴィアン、」と、無性音で隣の相棒に呼びかける。そうして、答えを待たず、その顔を見ずに、相手を横から引き寄せて、“それ”を直接見てしまわぬよう、己の胸元に抱こうとしたのと。三人の老人が、崖上から次々に軽々と放り投げられ、あっという間に重力に吸い込まれていき──見るも無残に地面へとぶつかったのが、ほとんど同時のことだった。
それからの光景を、ギデオンは血走った目で見つめ続けた。──散らばって尚不気味に蠢く、まだ死にきれない老人たち。その周囲に、各々道具を掲げた男たちが群がり、それを一斉に振り下ろしていく。生々しい音の数々。周囲の村人たちの間で、まだ年若い者が息をのむ気配。「目を逸らすな」「いつかはおまえたちも、俺だってああなるんだぞ」と、幾つか鋭い囁きが起こる。……やがて、頭に黒布を巻いた中年の女性が近づいた。もはや残骸でしかない老人たちの頭部に、手に持った鍋の中身を塗り付けていく。何かと思えば、今朝がた煮ていた、モロコシ粥の残りのようだ。あれはたしか、日中出かけていた村人たちが、儀式の一環だと言って、魔獣用の罠の餌に供えていたのではなかったか。
──棄老文化。それは、各々詳細こそ違えど、世界各地に存在している、人類共通の恐ろしい儀式である。しかしいずれの類型でも、本来ならば、食うに困った貧しい村が、仕方なく口減らしを図るために行うだけのもののはずだ。今や富んだトランフォード、そうでなくとも年中農作物の獲れるフィオラ村で、わざわざ老人を殺す意味など、いったいどこにあるというのか。……そして、それだけではない。後から聞いた話によれば、ここまでの単なる老人殺しであれば、民俗学者のレクターも、知識としては聞き覚えがあるようなものだったらしい。しかし、フィオラ村が異常なのは、更にここから先だった。

静まり返った参列者たち、やがてそのなかから、幾人かの女性たちが進み出る。何かと思えば、その服を脱ぎ、恥らいもなく上裸を晒していく。それも、皆で美しく、声をより合わせて歌いながら。<はなをなふみそ、はなをなふみそ、あかきもちづきたくよさり>……。子どもたちが歌っていたそれよりもどこか暗い、不気味な調べのなかで。女たちはひとりずつ列になり、頭に黒布を巻いている、あの中年女の前に立つ。そうして、何が始まるのかと思えば。その中年女が、老爺ふたりの遺体に近づき、躊躇いなくその手を突っ込み。掌を血に染めたかと思えば、順番に待つ女の腹に、どんどん塗り付けはじめたのだ。──適当に、ではない。それはまるで、そっとするほど真っ赤な、見覚えのある“花”の形にそっくりだった。それを見下ろした女たちは、だれもが心底嬉しそうに微笑み、また参列者たちのなかへ戻っていく。よくよく見れば、彼女たちのほとんどが、少し、あるいは明らかに、腹が大きくなっているのが、松明の灯りでわかった。多くは妊娠しているのか。──殺された老人の血で、胎の赤子を祝福するのか。
隣にいるヴィヴィアンを、ギデオンは絶対に絶対に離そうとしなかった。周囲の村人たちから、まるで促すような嫌な視線を感じ取りはしていたものの。それでも決して譲らぬと、その全身が放つ気配で、無言の気迫で拒み続けた。──『ヤヤがなくては、意味がない』。そこで殺された老人が、今朝がたギデオンに言っていた、あの妙な台詞を思いだす。『あれはおまえの雌鶏だろう。良い卵を産みそうだ、産めるだけ産ませておきなさい』。……こういうことだったのか、と遅まきながら理解して、悍ましさに腸が煮えそうになる。
察するに。ラポトというのは、元は棄老に始まったはずが、今では老人の輪廻転生をもたらすための儀式になっていったのだろう。それも、この男尊女卑が当たり前のフィオラ村では、男だけに限る話。血を塗りたくる係の女は、ともに殺されたはずの老婆を、まるで省みる気配がない。ともかく、殺された老爺たちの血は、今生きている女たちの腹に、フィオラ村にとって神聖な“花”の形で纏わりつく。そうして、その胎内の“卵”に宿る、と信じられているようだった。老いた体を壊して捨て去り、赤子の体に乗り移ることで、再びフィオラの男になる。実際に、そんなことを祈るような歌が、あちこちから上がっている。──冗談じゃない。そんな悍ましい儀式のなかに、己のヴィヴィアンを連ねさせるものか。その輪廻転生はどうせただの信仰だろう、それでもそんな不気味なものに、彼女を巻き込ませるものか。

傍にだれかが来た。視線を向ければ、むらおさのクルトである。傍らには蛭女、そして初日にギデオンたちを迎えた、あの十代半ばの双子たち。彼らの肩越しに、鼻が歪んだままの男、イシュマの面も目に入った。砂利を踏む足音がする。方向と距離からして、斧やこん棒を持っていた、儀式の下手人たちだろう。気がつけば日が落ちていた。薄闇が忍び寄り、松明の火がやけに鋭く爆ぜるなか、いつのまにか四方の村人たちにじっと見つめられている。その娘にも参加させろ、その腹に血を塗らせろ。そんな無言の視線の圧が、ギデオンたちにのしかかる。それでもギデオンは、明確な言葉は出さずに、クルトを激しく睨み続けた。十秒か、二十秒か。斧を持ち直すかずかな音がして、思わず魔剣の柄に手をかける。……そのときだ。
「あのお、」と。唐突に、場違いなほど雰囲気の違う、よく通る声が上がった。レクターではない、その助手だ。「あのー、皆さん。今の、聞こえませんでした? 何か、魔物の唸り声……みたいなものが、したような」。
クルトの顔色がさっと変わった。「魔物? どんなだ。どんな声だ?」。辺りに張りつめていた、じっとりと重い緊張感も、突然その湿度を失い、嘘のように引いていく。助手に詰め寄る村人たちに、ほら、と彼が促せば。確かに遠くから、夜気を切り裂くおどろおどろしい唸り声が、ほんのかすかに聞こえてきた。参列者たちが動揺し始める。どうして──まだ準備が──英雄が──まさか、あいつら。
「静かに!」と、クルトが大きな、落ちついた声で呼びかける。今夜はもう日が沈んだが、“骨の守り人”たちは、今から巡回に出掛けること。儀式を急ぐことはない、急いては事を仕損じる。しかし、皆今宵は家から出ぬように。厳重に守りを固め、女子どもは男たちに従いなさい……。

そんなこんなで有耶無耶になり、ラポトはあっさりお開きとなった。慌てた様子で村に戻る人々、その隙を縫うようにして、ちらと助手のほうを見る。一瞬だけこちらを見た助手は、軽く頷きかけてきた。あの会合の場にはいなかったはずだが、やはり狙ってギデオンたちを助けてくれた様子だ。儀式を前に未だ顔色の悪いレクターは、彼が支えてくれるようだった。
ならば、こちらはこちらで、と。ヴィヴィアンの様子を確かめようとしたギデオンに、ふとあの蛭女が近づいてくる。「あら、そう構えないで」……なんだか、嫌に優しい声音だ。「昨晩の事件があって、私たちも学んでいるのよ。よそから来た人に、うちのやり方の無理強いはしない。安心して、私が代わりに皆に言い聞かせてやるわ」。
当然、信じられるわけもないものの。村の中では権力者らしいこの女が、ギデオンとヴィヴィアンを未だじろじろ見る連中を追い払ってくれることは、正直なところにありがたい。故に、今回だけはギデオンも、彼女に合わせて歩いていくことにした。無論その手は、ヴィヴィアンの片手をしっかりと握っている。周囲に目をやる蛭女の目が、時折すうっとそちらを見るが、すぐに他所へと逸らされる。
忌まわしいラポトの跡地を後にして、谷底に戻る道すがら。柔らかなヴィヴィアンの手を、今一度強く握り込む。……震えが起こりそうなのを、奮い立つことで抑えたかったのかもしれない。斧やこん棒を振り上げる村人たち、その凄惨な顔つきが、未だ脳裏にこびりついている。フィオラ村は……この村の人間は、あんなことをしてしまえる連中であることが、ギデオンには恐ろしかった。自分がどうなるか、ではない。──あの残虐さが、ヴィヴィアンに及ぶこと。それを、何より恐れていたのだ。)

(──まだその時でない筈なのに、この谷にウェンディゴが出た、という緊急事態。しかし実のところ、その正体は、ギデオンとヴィヴィアンが仕掛けておいた罠である。
養蜂場から遠回りをして帰るとき、ギデオンが生木を削り、ヴィヴィアンが魔法をかけて、高木に掲げた“嘘笛”。それは野営時の冒険者が、他の魔獣を近寄らせぬよう夜通し吊るしておく、風を受けて鳴く道具だ。ひとつの場所に二日も滞在していれば、夕方の山にどんな風が吹き渡るか、冒険者であるギデオンたちが把握、計算するのは容易い。まさかフィオラ村も、特定の風を受け、時間差でウェンディゴそっくりに鳴く笛があるなどと、夢にも思わないだろう。
そこに後は、ほんの少し後押しをすればいいだけ。事前に打ち合わせているギデオンとレクター、そして後から事情を共有した助手と、重ねるように一芝居打ち、村の周囲の“骨の結界”が乱れているというような噂を、それとなく流しておく。その方向はあまりにも様々で、ひと晩で回りきるのは土台無理な話だ。そう判断したクルトは、翌朝の巡回も計画し始めた様子だった。
これで、今宵から明日の朝にかけて、幾らかこちらに余裕ができた。その間に、ギデオンたちは巡回の薄い方角に出て、地下洞窟の中にいる仲間たちを捜す……その予定、だったのだが。
ここに来て、こちら側の計画も変更すると言いだしたのは、他でもないギデオンだ。自分がもう一度、念には念を重ねて、村人たちの動向を確かめてくる。その間、レクターと助手は、ヴィヴィアンのそばについていてほしい。情報を掴みに行くのは自分だけで充分だ、寧ろ複数人で動いたら怪しまれてしまうだろう、と。
それは結局のところ、己の大事な相棒を、これ以上村人の目に触れさせたくないという、ギデオン自身の深い恐れのせいだった。恐怖は目を曇らせる、判断力を奪ってしまう。少し考えれば、決して彼女から離れない、という昼間の誓いを思いだせたろうに。事態を安全に動かすためには、自分が多少の危険を呑めばいい、と。──そんな無謀を推し進めた結果、ギデオンは自らの身で、その過ちを思い知ることになったのだ。)

(──鈍痛がする。吐きそうな気分で、それでもぐらぐらと不安定に、己の意識が浮上する。ギデオンは薄目を開けた。石のように起き上がれないまま、霞む目で辺りを見れば。松明に照らされたそこは、ぐるりを杭で閉ざされた、薄暗い牢のような場所だった。
……何故、自分はここにいる。自分はたしか、ヴィヴィアンたちを小屋に待機させてから、村の様子を見に行って……。ああ、そうだ。“具合が悪いというものだから、ラポトのあいだも村に残した、あのエデルミラという女がいない”。そんな話を小耳に挟み、事情を知っているはずのクルトの元に、向かおうとしていたはずだ。そこから、何が……。
ずきり、と鋭い痛みが走る。顔を顰めながら起き上がろうとして、やはり力が動かない。頭をずらせば、後ろの部分が湿っているのが、感触でかろうじてわかっら。……そうだ、あのとき。がつん、といきなり後頭部に衝撃を喰らったのだ。思わずよろめいたその隙に、さらに何かを嗅がされて、そこで意識を落とされてしまった。図られたのか、村人に。だとしたら──だとしたら、ヴィヴィアンは!
胸の奥を恐怖が刺す、今にも飛び出そうと、まずは起き上がろうとする。だがしかし、自由にならない。あのとき嗅がされた薬のせいか、吐き気と頭痛、並のように押し寄せる朦朧とする意識のために、石床に這い蹲ったまま動けない。泡を吹き零しながら、それでももがこうと試みる。時間の感覚がまるでない、ここには窓が見当たらない、あれからどれだけ経った、ヴィヴィアンは、レクターたちは! その焦燥に胃の腑を焼かれる、なのに体が言うことを聞かない。
そうして、手負いの獣じみたギデオン以外は何も動かぬ、この静まり返った空間に。──やがて、こつり、と足音が響いた。)





773: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-06-08 00:42:28




 ( 「──あら、もう起きていらっしゃるの? さすが冒険者様ですわね」そこは昼間に確認した座敷牢とはまた違う、冷たく暗い石牢の中。ぐったりと項垂れたギデオンの前にしゃがみ込んだ女は、その蛭のような唇を歪めて笑った。こんなところに閉じ込めておきながら、手にしているのはお湯を張った小さな手桶に、清潔に見える真っ白なタオル、反対の手には救急箱すらぶら下げて。ずっと欲しかったものが手に入った、そんな満足気な笑みを浮かべると、もしギデオンがその手錠ごと身動きをして、けたたましい金属音を響かせようと全く動じることはなく。相手を見下ろすその視線には、うっとりと慈しみさえ感じさせるだろう。
「その傷、痛むでしょう……丁重にお連れしてって言ったのに」そう色っぽく吐息を漏らして、はじめた手当をギデオンが大人しく受けようと、はたまた荒く拒否しようと。女の顔に浮かぶ表情は、まるで待望のペットに噛まれた子供のように明るく、嬉々とした色に濡れ。「あの可愛らしい方を案じていらっしゃるのでしょう」と嗤うと、続けて──お気づきですわね?と、骨の結界をもって尚、毎年ウェンディゴの襲撃があること。その襲撃を逸らすために"儀式"で"英雄"が作られること。その薬の材料に必要な大量の血液のために、冒険者たちは受け入れられたことなどを、くすくすと上機嫌に語ってみせ。「特に魔力をたっぷり含んだ血液は貴重だわ」と、暗にビビの安全を人質に艶めかしくギデオンにしなだれかかると。「ああ、ごめんなさい! でもきっとそんな恐ろしいことにはなりませんわね。だって、あんなに愛らしい方だもの。血液にしてしまうには惜しいって、誰だってそう思うでしょう?」なんて。目敏く獲物の弱みを見抜き、執念深くとうとう爪をかけた女の敗因は、そんな"愛らしく""可愛らしい"カレトヴルッフのヒーラーを侮ったていたことだった。 )

──ギデオンさん! ご無事ですか!?

 ( 魔法使いにあるまじき。その魔法の杖を女の頚椎へと物理的に振り下ろしたヒーラーが、気を失って倒れる蛭女の肢体を床に横たえる手つきといったら、普段の彼女を知る人間から見れば、些か乱暴……と言うよりは、倒れる相棒を目の前に気遣う余裕もなかったのかもしれない。夕刻の悍ましい儀式の悪意から、相手に庇ってもらった結果。本来ビビが背負うはずだった分まで、相手に多大な精神的負担を負わせていたと気がついたのは、事が起きてしまった後だった。
帰ってこない相棒を探し歩くうち、"所有者"が失せた隙を狙ったイシュマに見つかってしまったのは、今となっては僥倖だった。「あの男なら儀式を見て逃げ出したよ」 だなどと、絶対にありえない嘘でビビを追い詰めた気になって、態々自ら顛末を知っていると白状してくれるなんて有難いことだ。昨晩、眠れずにいたところ、ギデオンが少し分けてくれた魔力の煌めきは、彼がまだ生きていることを力強く示して。それだけで、イシュマを目の前にして再び硬直してしまった身体も、熱く解けていくようだった。──己の身さえ守れない、無能な娘に悦びの表情を隠さない男の腕にすがりつき。「……っせめて、人のいないところで、」と精一杯惨めで可哀想な様子で囁いてやれば。あとは拍子抜けするほど簡単だった。共同生活を主とするフィオラには、人目につかずことにおよべるような場所など殆どない。男が嬉々としてビビを連れ込もうとしたのは、昼間に訪れたばかりの製薬工場の地下フロアで。当然、彼処は彼処で勝手に動いているらしい蛭女とすれ違えば。──彼女がギデオンさんの失踪に関わっているんじゃないか、と思い及んだのはただの女の勘だったが。案の定、囚われの恋人の姿を発見し、それもぐったりと地面に這いつくばらせている蛮行を目にすれば。別部屋のイシュマが睡眠魔法で文字通り"おねんね"しているのに対して、尾行した女への対処が雑なそれになったのは許されたいところだ。
そうして、蛭女を床に打ち捨て、掻き抱いたギデオンごと聖魔法の温かな光で部屋の中を照らし出すと。恐怖、不安、安心それら全てで滲む涙目を堪えて、ふるふると震えながらギデオンの顔を覗き込むと、その手足を拘束する枷に気が付き顔をゆがめて、 )

……逃げましょう、立てま……、…………。
鍵、どこにあるか分かりますか?




774: ギデオン・ノース [×]
2024-06-08 15:43:21




──ヴィ、ヴィアン……

(ギデオンの薄青い目に、ようやく確かな焦点が取り戻されて。見慣れた相手のかんばせを、一瞬ただただ見つめ返すと、問いかけには答えぬまま、掠れた声で呆然とその名を呼ぶ。数秒の静けさ、牢内を照らす火影だけが小さくパチパチと爆ぜる音。やがて追いついてきた情動に、ぐしゃりとその顔を歪めたかと思うと、愛しい恋人の肩口に、己の額を強く強く押し当てる。──ああ、無事だったのか。無事でいてくれたのか。
目を閉じ、引き攣る息を吐いて。普段は広く大きな背中を、今ばかりは情けなく震わせる。そうして、決して都合の良い幻ではなく、現実だと確かめるために、こちらも相手を抱き締めようと両腕を広げかけて。しかしがちゃん、と無粋な金属音に、それは呆気なく阻まれた。動きを止めたギデオンが、今さら気づいて見下ろしたのは、両の手首の太い手錠だ。視線を滑らせていった先、足首のそれぞれにまで、似たようなものを嵌められていた。さらにこちらの鎖は、石床に半分埋まった太い輪っかのようなものに繋がれているらしい……悪意を感じるほど、がっちりと、この村に縫い留めるかのように。
いつもならこんなもの、相棒のヴィヴィアンの誰より強火な攻撃魔法が、簡単に断ち切ってしまえるはず。しかし本人がその気配を見せず、鍵の在り処を尋ねるということは、と。拘束具の表面を確かめたギデオンも、遅れてその材質に気づき、忌まわしそうに悪態をついた。──絶魔鉄! 特殊な鉱石から精錬される、魔法を通さない金属だ。フィオラ村ではこんなものまで生産していたというのか……これを断つ道具は、人外の魔族が作った特殊な道具でなければならないはずだ。無論そんなものは辺りを見回しても見当たらないし、かといって、鍵の在り処をギデオンは知らなう。さっと視線を向けた先、そこにはあの蛭女が気絶したままでいるものの。仮に自由のきくヴィヴィアンがその全身を検めたところで、この牢を開けた鍵ひとつしか見つからないことだろう。万一ギデオンに奪われて、逃がすことのないようにするためだ。
ちゃりり、と鎖を鳴らしながら、己の態勢を立て直し。短く鋭い深呼吸をひとつ、精神と思考を落ち着けて、状況を打破する手を冷静に考える。そうして、不意に腰元の手袋を、繋がれたままの手で器用に解いたかと思えば。中から掻くように取り出したのは……いつぞやの船上でヴィヴィアンがくれた、深い藍色の包みの中身だ。魔法陣を編み込まれた純白の貝殻は、ギデオンが倒れたときに少しひび割れてしまっていたが。それでもそのおかげで、そこからヴィヴィアンの聖の魔素が流れ出し……そうして目覚めさせてくれた分、今は空になっていた。今度はそこに、己の得意の雷魔法を器用に注ぎ込んでいく。効果自体は僅かなもの、しかし相性の良いヴィヴィアンの魔素に少しでも促されれば、途端に派手に増幅されて再生されることだろう。もう一度それを包みに入れ、相手のほうに転がすと。相棒の目を真剣に見つめたギデオンの瞳には、先ほどまでとは全く違う、力強い光があった。)

……ヴィヴィアン、悪い。この錠の鍵と、俺の魔剣を探し出してくれ。いざとなったらこれを使っうんだ。袋越しでも、おまえの魔素には間違いなく反応するだろう。





775: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-06-10 18:27:19




──……助けに来るのが遅くなってしまってごめんなさい。
もう大丈夫ですからね!

 ( あんな儀式を見せつけられたその直後、こんなに乱暴な方法で拉致されて、どれだけ恐ろしい想いをしただろう。そう伝わってくる切ない震えをごくごく自然な意味でとらえると。相手の代わりにもう一度、広げた腕で広い背中全体を撫でさすり、最後にもう一度胸の空気が抜けるほど強くぎゅうぅっと力強く抱きしめる。それからゆっくりと身体を起こしながら、そっと相手の様子を覗き込む表情は、頼もしい相棒、愛しい恋人の無事な姿を目の前にして。これ以上なく分かりやすいほど輝いて、未だ予断を許さぬ状況に、安易な笑みこそ浮かべぬものの、キラキラと素直な使命感に燃えていた。
そうして、なにやらギデオンが腰の袋をごそごそやるのを、容赦なく隣の蛭女の衣服をひっくり返しながら振り返れば。自分の方が身動きとれぬ様をして、身を守るのに有効な術をこちらに寄こしてこようとするギデオンに一度は強く抵抗して。それでも、遠征の荷物の隙間にでもねじ込んでもらえればと贈った玩具が、他でもない相手の懐から出てきた時点で、心底嬉しく思ってしまったビビにはそもそもが分の悪い勝負だ。最終的に──お前が使うんだから意味があるんだろう、俺が使ったって威力が出ないといった趣旨の完全な正論に押し切られて、複雑な表情で藍色の包みを受け取れば。「すぐに戻ります」と、未だ気を失っている女を担ぎ上げ、しぶしぶその場を離れたかと思うと、それこそ玩具を投げてもらった大型犬の如き速度で舞い戻ってきたのは、製薬工場となっている上階に人の気配を感じたためで。ぐったりと項垂れている女の身柄は、早々にイシュマと同じ部屋に押し込んで、外から軽くバリケードで塞いでおく。そうして、ふたつの探し物のうち魔剣なんて目立つもの、この短時間で処分できているわけがなく、慣れ親しんだ魔素を辿ればたちまちガラクタの奥に押し込まれていたのを発見できたのはよかったが、しかし、問題はごくごく小さな鍵の方で。ひとつの部屋に、ふたつのドレッサー、みっつのテーブルに、キャビネットはよっつほどひっくり返したところで。焦って周囲を見渡したビビの視界に映ったそれは、鮮やかなオレンジ色が可愛らしい、しかし、その存在感は全く可愛らしくない手斧だった。──昔どこかで聞いたことがある気がする。学院で受けた授業中の与太話の類だっただろうか。絶魔鉄は非常に取り扱いの難しい、加工するには特殊な道具を必要とする鉱物で、それ故に。鍵のような複雑な構造を作るのは難しいのだと。だから絶魔鉄の手錠で拘束されたら、(別の物質で構成されているはずの)鍵穴を狙えよ──なんて、そんな機会があるものか笑ったのはいつのことだったか。 )

……ギデオンさん、これは“鍵”です。いいですね?





776: ギデオン・ノース [×]
2024-06-12 05:02:29




…………………、

(……ずりり、ずり……、ずりりり。何か重たい金属を引きずる音、それを何の気なしに振り返ったギデオンは、しかしその精悍な面差しを、一気に真顔へ陥らせた。相手がどこまでも凛と言い放つ台詞にも、「……」と無言しか返さずに。その薄青い双眸は、物騒な“それ”をガン見である。
──斧、斧か。そう来たか。いやたしかに、非常用として建物や船に備え付けるそれを、“マスターキー”と呼ぶことには呼ぶだろうが……と。そんな生産性のない独り言が、脳裏をぐるぐる駆け巡るのを、いったい誰が咎められよう。
己の状態を今一度見下ろす。両脚の枷はまだいい、鎖が随分長いから、最悪の場合はそれを引きずって歩くことになるだけだろう。──問題は、両手首の手錠。鎖が極端に短い上、その鎖が、石床の輪と繋がった長い鉄棒に接続されてしまっている。おそらくは、牢内での行動を制限するためのものだ。鉄棒の角度は好きなように変えられても、その長さより遠くへは行くことができない仕様。つまり、ここから脱出するには……ただでさえ短い手錠の鎖、その鉄の棒とも繋がった部分を、正確に、寸分違わず、破壊する必要がある。仮に万が一、斧を振り下ろす先がほんの少しでもずれてしまえば。そこにあるのは当然……ギデオン自身の、素肌の手首だ。
──それでも、迷っている暇はない。思考停止、もとい思考を切り替えて、「まず足から頼む」と相棒に促す。鎖を最大限伸ばし、そこに刃先が振り下ろされれば、派手な金属音とともに、すぐさま片脚が自由になることだろう。次はもう片方を──と、その寸前で。しかし不意に掌を掲げ、相棒に“待った”をかける。相手を見たギデオンのこめかみには、わかりやすぎるほどにだらだら冷や汗が伝っていた。
……指示した場所と、斧のは先が振り下ろされた場所、それが大きくずれている気がするのを、はたして看過していいものだろうか。今はまだ予行演習、ならば“本番”前にできるだけ精度を上げさせたいとばかりに。冷静さを取り繕った硬い声音で、相棒に再度指示を出して。)

……ヴィヴィアン。こっちの鎖も、今のと同じ長さのところで打ってみてくれないか。
ああ、そうだ、その位置……“同じところ”を、正確に、そうだ。





777: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-06-12 14:50:57




同じ長さ……ですね、わかりました……

 ( キィン──!! と再び派手な金属音が響いて。今度の一撃は、なんと見事に右脚の鍵を貫いて、パカリと無傷でギデオンの脚を解放してみせる。しかし、二人の浮かべる表情が真っ青に浮かない色をしているのは、目安にしたはずの左の鎖は凡そ10cmはたっぷり残っているからだ。こちらはこちらで、走って鎖が揺れようと幅の広い足枷がすね当てになり、揺れる鎖の衝撃から守ってくれる中々どうして絶妙なバランスではあるのだが──「け、結果オーライということで……」と、冷や汗を拭うヴィヴィアンの、その斧の握り方はまだ悪くない。寧ろ意外なことに剣術の経験を感じさせる綺麗なフォームがあるからこそ、その誤差ですんでいるというべきか。しかし、絶望するべきは一朝一夕でどうにもならない、打撃武器を使うには純粋な腕力、筋力の不足で。斧を振りあげれば、その重さで後ろによろめき、そのまま振り下ろせば後は重力に従うだけで、軌道の微調整などままならない。──やはり本物の鍵を探してくるべきか。もしくは、イシュマに見つかる直前に、コンタクトが取れた仲間たちの中に手先の器用なハーフフットがいたような……。そう顔を上げかけたその瞬間。階上で何か重いものが激しく叩きつけられる轟音が響いたかと思うと、高く響いた悲鳴にギデオンと顔を見合わせて。 )

……!?
わ、わたし様子を見てきま……




778: ギデオン・ノース [×]
2024-06-14 15:52:58




──いや、駄目だ! こっちを先にやってくれ。

(不穏な天井を見上げていた青い目をさっと戻し、相手の言葉を鋭く遮る。松明に照らされたその横顔が必死なのは、もはや覚悟を決めたからだ。今ここには、ギデオンが知る限り最も腕利きのヒーラーがいる。ならば仮に事故が起きても、どうということはないだろう。
故に、畳みかけるように。「ひとりで勝手に動いた俺が、結局はこのざまだ。尚更、お前を独りでは……」行かせられない、と囁きかけた、その刹那。──しかし、今度は足元から。惨く突き上げるような衝撃が、いきなりふたりに襲い掛かって。
ごごごごご、と唸りを上げる、まるで大地が制御を失ったかのような大地震。その真っ只中のギデオンは、繋がれた手を咄嗟に伸ばすと、ヴィヴィアンを両腕の輪の中に庇い込んんで。鉄の縛めの忌々しさに呻き声をあげながら、それでも相手を守るように、彼女ごと地面に伏せる。……その合間にも、上階の人々の悲鳴と、“何か”が暴れ狂う気配は、ますます酷さを増すようだ。
翻弄されるだけの時間は、たっぷり数十秒ほども続いていただろうか。それがようやく収まってからも、未だ辺りへの警戒で、しばらく防御魔法の準備を漲らせていたものの。ひとまずは問題ない、と見て取ると、ようやくそれを解きながら、両の腕の肘を立て、真下の相棒を見下ろして。……は、は、と荒いままの息。その真剣な横顔には、窮地を潜り抜けたばかりの強張った色が差している。だというのに、こちらを見上げる大きなエメラルドを見た途端、勝手に箍が外れたらしく。前触れもなく首を屈めて、相手の唇を獣のようにさっと食んでは、またすぐに引き離し、その目を再び覗き込み。)

──……、怪我は、ないか。






779: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-06-15 09:36:15




っ!? ……な、ないでしゅっ、ありがとうございます、もう離して!!!

 ( グラグラと激しく揺れる大地に、あっとギデオンを庇おうとして、反対に自分が強く引き倒されてしまえば。自由に動けないギデオンの上に何かが崩れてきたらと思うと気が気でなくて、せめて両腕を廻してギデオンの後頭部を強く抱き締める。そうして強い揺れが収まると、まずはギデオンの無事の確認と──なんで、ここで自分が庇っちゃうんですか!? と。相手が大事だからこそ、自分のことを大事にしてください、そう強く強くお願いするつもりでいた言葉は──突如、近づいてきた唇に全て飲み込まれてしまって。出口を薄い唇に覆われて、すっかり行き場を失ってしまった感情は、ギデオンさんが無事でよかった。好き。だめ、怒らなくちゃ……でも、とっても格好良かった、大好き、すき、と。甘くだらしなく蕩け出していき。その上、奪うなら奪うでゆっくり味わってくれればまだ良いものを、当然この緊急事態にすぐさま身体を離されて、うっとりと潤んだエメラルドに、その首まで上気せあがった顔色をバッチリはっきり見られてしまえば。その後、見事に手錠のど真ん中を射抜いた一撃の鋭さには、明らかな私情も乗っていたに違いない。
そうしてどこかぽこぽこと、場に削ぐわない甘い棘が残った口調で(緊急事態だと言うのに、だからやめて欲しいのだ)「私はあの二人を見てきます、ギデオンさんは脱出経路の確認を」と、自分で築いたバリケードを木端微塵に吹き飛ばせば。その間も頭上のフロアから断続的に轟音が響いてグラグラと地面が揺れる度、どこかの配管が外れたのだろうか。逃げ場のない地下に大量の水が流れ込み、二人の足元に段々と水の膜が張り始めると。大人二人を引きずりながら、相棒の方を確かめて。 )

ギデオンさん……階段は!?




780: ギデオン・ノース [×]
2024-06-18 11:34:02




──駄目だ、崩れた煉瓦で塞がってる!

(相棒の呼ぶ声に、ギデオンのほうもまた、ばしゃばしゃと水を蹴りながら暗い通路を駆け戻る。背後から引き戻して間近に突き合わせたその顔は、深刻に張りつめていて。「周囲の構造まで脆くなっているから、下手に魔法で破れないんだ。それならいっそ、他の天井部分のどこかをぶち抜いてみるほうが……」、と。そう言いながら見上げたはいいが、しかしはたして、この狭い通路のどこを選べばいいというのだろう。相棒が言っていたとおり、ここがあの製薬施設の地下なのであれば、地上にある大掛かりな実験器具が降ってこないとも限らない。もし壁の厚い部分を撃ち崩してしまったら、地上階そのものが崩落してくる恐れもある。とはいえ、このままここに留まっていれば、この足元の水嵩がどんどん増していくばかりだ。耳に届く飛沫の音も、先ほどより明らかに勢いを増している。──時間がない!
策を練ろうと燃えるような目を再び戻したギデオンは、ふとその視線を、相棒が引きずっている村人たちの、気を失った面にとどめて。今や踝の辺りまで来た水をざぶざぶ鳴らして歩み寄ると、相棒からふたりを引き取り、まずは男、ついで女の頬を(こちらばかりは申し訳程度に加減を選んで)、乱暴に二、三はたく。はたして目を覚ましたふたりは、拘束されていたはずのギデオン、そして無抵抗に連れ込まれたはずのヴィヴィアンに見下ろされることで、あからさまに狼狽したが。──先ほど大地震が起きて、この地下フロアの出口が塞がってしまったこと。どこからか配管の水が流れ込み、危険な状態になっていること。それらを相次いで説明すれば、ギデオンたちの反抗に取り合っている場合ではない、と飲み込んでくれたようだ。
「非常用の隠し通路があるの、」と、蛭女が震えながら言った。おそらく水が苦手なのか、じわじわと上がる水面に向ける目に、はっきり恐れが浮かんでいる。「万一の時のために、村の魔導師しか解けない鍵がかかっていて……でも、ここよりも低まったところに。だから、急がないと──通れなくなるわ!」
──かくして四人は、今やあちこちから水が激しく噴き出す地下を、死に物狂いで駆け抜けた。蛭女の先導した先、確かに鉄格子のあるそこは、ほんの少し階段で下る構造になっているせいで、既にかなりの水嵩のようだ。「開けてくれ、早く!」と命じ、先に水に飛び込んだ魔導師イシュマが、必死にぶつぶつやる間。ヴィヴィアンと蛭女を先に扉に近づけ、自分は背後を振り返って、時間稼ぎの魔法を起こす。せいぜい二秒やそこらしか保たぬ、無属性の魔法障壁。それでいい、この数秒の間だけ、こちらに来る水を押し返せるなら。しかし、いよいよ飛沫が派手になったことで、通路の松明の幾つかが次々にかき消され、地下通路の視界が不安定になりはじめた。明かりがなくなれば命とりだ──頼む、早く、一秒でも早く!
そうして、ついにがしゃんと扉が開き。イシュマ、蛭女が我先に滑り込み、次にヴィヴィアンを行かせようとしたところで──再びがしゃん、と。無情な音を立てて閉まり、魔法の錠が自動的にかかった扉を、一瞬呆然と見つめてしまう。次にその奥に目を向ければ……そこにはその鼻柱同様に顔全体を歪めて嗤う、イシュマの醜い面があった。「……何を、してる……開けてくれ、」と。体の奥が凍てつくような怒りに震えながら言い募れば。「いやなに、気を利かせてやろうと思ったまでだ」と、イシュマが厭らしいとぼけ面で返す。「おまえたち、相手とだけ番いたいって言うんだろう? そこの女、そう、おまえだよ。おまえも他の男なんざ、お構いなしだっていうんだろう? なら、この際お望みどおりにしてやるさ。──せいぜいここで、最後の“愛の夜”を楽しんでいけばいい!」
──激しい怒りで叫びながら、思わず雷魔法を叩きつけようとして。しかし水に浸かったこの状況では、ギデオンのその必殺技は、自分はおろか、ヴィヴィアンまでをも巻き込みかねないことに気づくと、ぎりぎりで制御してしまう。高笑いするイシュマの声。剥き出しの悪辣な笑みを、最後にこちらに差し向けてから、蛭女の肘の辺りを掴み、我先に通路の奥へと逃げだしはじめた。蛭女は何度か、動揺した様子でこちらと扉を振り返ったものの……高い水嵩に蒼白な顔で慄き、何も考えられないような様子だ。
──かくしていなくなった、フィオラ村のふたり。残されたギデオンたちの前に立ちはだかるのは、あの連中にしか解き明かせない魔法陣を込められ、無情なまでに閉ざされた、黒々とした鉄格子だ。がしゃん、がしゃしゃん、と。無駄とわかりながら何度もそれを揺さぶって、数秒も経たずにがくりと項垂れたかと思えば。やがて他方を向き、煮える怒りを振り絞るような、激しい罵り声をあげて。)

──畜生、くそったれ!





781: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-06-20 12:56:57




~~~ッ!!

 ( この時ビビが口汚く罵らなかったその理由は、ただ隣のギデオンのように自然と出てくる罵倒の語彙が足りなかったそれだけで。その証拠に、鉄格子を強く揺らすギデオンの手を、怒りのあまりに痛めてしまわぬようそっと優しく絡めとると。一歩鉄格子へと近づいて、「"くそったれ"ーっ!」と、公私共に尊敬慕う相棒の語彙を拝借し、最早とっくに姿の見えなくなった通路に虚しく響かせてみせる。そうして、かけられた魔法錠を解析することごく数秒、「……できなくは無いかもしれないですけど、ここが水没する方が早いです!」と早々に見切りをつけて、ザバザバと水深の浅い方へとステップを昇れば。腰の杖を引き抜いて、短い詠唱とともに耐冷魔法をギデオンから順に施すと。焦りに下唇を噛みながらも相変わらず、天井がダメなら下を抜けば良い! という思考の単純明快なこと。どうもシリアスになりきれない、明るい声で提案したかと思うと。極めつけには、ドドドド……と今もどこかで水の流れる空間に、ぷしゅんっとどこか間の抜けたタイミングで小さくくしゃみの音を響かせて。 )

やっぱり天井を抜きますか?
それとも…………。ッ、レクター教授の地図!
地下の採石場って、この下にも繋がってませんでしたっけ……?




782: ギデオン・ノース [×]
2024-06-23 11:06:57




……!
このフロア、東はどっちだ。地上からはどのくらい下ってきた……!?

(隣の相棒がくるくると繰り出した、あまりに様々な諸々に。それまで深刻な面持ちをしていたはずのギデオンは、しかし虚を突かれた間抜け面を、ポカンと晒す有り様である。
──とはいえ、状況が状況だ。すぐに我に返るなり、冷たさの失せた地下水を掻き分けて、彼女に近づこうとしたところで。しかしフッと、辺りの明度が一段階暗くなり、思わず瞠った目で辺りを見回す。廊下に掲げられた松明が、ひとつ、またひとつと消えていくところだった。地下水の派手な飛沫が、いよいよその高さにまでかかるようになったせいだ。
「時間がない、」と鋭く呟き、相手の背中を押すように動かして、重い水の中をざぶりざぶりと突き進む。その道中、相棒のくれた情報から考察するに。この地下フロアはそのほとんどが、例の地下洞窟の真上にある。そして問題は、その地下の空間がどのくらいの高さなのか、それが全くわからないこと。下手に床に大穴を開ければ、吸い出される水と一緒に、ギデオンたちも真っ逆さまに落下してしまいかねない。真っ暗闇の中で重力に逆らった経験は、一応以前にもないわけではないが……ほんの少しでも間違えば、硬い鍾乳石に叩きつけられる、或いは石柱に貫かれる、そんな最期を遂げてしまうのが関の山。──故に、できるだけ正確な位置で、安全を確保しながら排水を試す必要がある。
そうしていよいよ辿り着いたそこは、先ほどまでギデオンが囚われていた牢だった。既に水嵩は随分と高く、天井すれすれに浮いて泳がねばならないほどになっていたが。しかしここにはちょうど、囚人を拘束するための鎖を繋ぎ留めておく金具が、天井にもついている。かえって今こそ手が届くその取っ手を掴んでいれば、地下水がどっと流れ出る時の勢いを、幾らか耐えきれるはずだ。
「ヴィヴィアン、」と相手を呼び、一瞬その顔を真剣に見つめれば。相手の腰を水中で抱き寄せ、天井の取っ手をがっしりと掴む。と同時に、ついに松明の火が全て地下水に飲み込まれ、辺りが真っ暗に塗り潰された。それでも相手を強く抱きしめ、荒い息を整えながら。またどこかで、どっと壁を破って噴き出した地下水がふたりに迫るその直前に、濡れた耳元に囁いて。)

──……、ヴィヴィアン、やってくれ!





783: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-06-24 01:12:45



~ッ、はい!!

 ( "猫の子と冒険者にとって、自由落下など問題では無い"
そんな冒険者を主人公とした物語の一文に、無邪気に目を輝かせたのは何年前のことだったか。ギデオンの眼差しにこくりと強く頷き、喉を反らして大きく息を吸い込むと。──最悪なのは、中途半端な穴に腕や片脚だけが引っかかり、部屋を満たす水圧に、上にも下にも身動き取れなくなってそこで窒息することだ。故に冷たい水の中、腰に回された腕を支えに杖を構えたヴィヴィアンは、その一撃を全く遠慮しなかったのだが──……ッ、水中じゃ、火属性の魔法は……! そう、真っ直ぐに狙った部屋の隅、放った火炎はその脆くなった床を撃ち抜くどころか、みるみるうちに小さくなって、最後はぷすん、と消えてなくなってしまって。その一撃に肺の酸素を全て使い果たしたビビの表情が、酷く苦しげに歪み出す。
ううん、……一度でダメならもう一度やるまでよ──としかし、顔を上げた先には最早、吸える空気などろくに残っておらず。酸欠の脳みそはいとも簡単に絶望し、軽いパニックを引き起こす。苦しい、怖い、死にたくない……! その一心で、必死にギデオンに縋りつけば、その腕からぽろりと杖を取り落としたのは、この時ばかりは"幸い"といえただろうか。目の前で相棒の得意魔法が掻き消えて、縋りつかれるギデオンにもそのパニックはありありと伝わるだろう。一瞬後の死に直面し、思考停止に陥ったヴィヴィアンを……絶対に、この人は絶対にビビを救ってくれるのだ。刻々とリミットの迫る水瓶の中、どんなやり取りがあったのかは二人にしか分からない。しかし、ギデオンのお陰で少し冷静を取り戻した娘の指先に触れたのは、冷たく硬い──いつか聖夜にも手に触れた相棒の魔剣で。その瞬間、暗い水に満たされた部屋にまるで灯りがともったかのように、鋭い光が一線。二人の視界を照らしたかと思うと、コンマ数秒遅れてドォン!! と激しい雷音が部屋を揺らして──続いたのは激しく水が流れ出す轟音だった。そうして地下洞窟へと繋がる空間へと放り出されたヴィヴィアンは、未だギデオンに抱きしめ抱えられている。そのことをしっかりと確認したあと、酷い酸欠にフッと意識を暗転させた。 )

……ッ、か、はッ…………!!




784: ギデオン・ノース [×]
2024-06-24 21:56:32




(あれから数分後。ギデオンが地下の池からざばりと身を引き上げたとき、先に岸辺に横たえたヴィヴィアンは、既にぐったりと動かなかった。──咄嗟に人工呼吸を施すが、水を吐いたヴィヴィアンは、それでも少し朦朧としてから、すぐに瞼を閉ざしてしまい。ぞっとしながら脈や呼吸を確かめて、しかしすぐに、それらは安定し始めたようだと……ただ体力を奪われて気を失っているだけだとわかって、ようやく小さくひと息をつく。相手の濡れた前髪をそっと目元から除けてやると、辺りを見回す余裕も出てきた。本来なら真っ暗なはずのこの場所は、しかし今も、柔く光る己の魔剣が明々と照らし出している。……ヴィヴィアンの込めた魔力が、今も内部で循環しつづけている証拠だ。
──あの時。杖を失い、激しいパニックに駆られてしまったヴィヴィアンを前に、ギデオンの判断は早かった。一か八か賭けるしかない、ここで溺れ死ぬのをただ待つよりはマシのはずだ、と。ヴィヴィアンを説得し、天井から手を離して、ふたりで真っ暗な水に沈み込んだその瞬間。自分たちふたりの体に、絶縁魔法……雷魔法の対となる無属性の加護を張り巡らせれば、その直後にヴィヴィアンが、ギデオンの抜いた魔剣にありったけのエネルギーを注いだ。元より相性の良いヴィヴィアンの魔素、それが増幅したとなれば、どんなに分厚い石の層も粉々に砕かれるのみ。とはいえ、ドドドド、と迸る大量の水の勢いに引き込まれ、彼女もろとも穴の底へ落ちてゆくのは免れない。──しかしここでも頼りになるのが、ヴィヴィアンの膨大な魔力で強化されたギデオンの剣。思うままにそれを振るえば、激しい魔法が反動をつけ、落下先を意のままに選ばせてくれた。──そうやって狙い定めた、地下の深い池に落ち。石の淵へと這い上がって、今に至るわけである。
ギデオン自身も、荒らげていた息をゆっくりと落ち着けて。今も輝く魔剣を手に取り、辺りを照らすように掲げる。洞窟のあちら側では、上のフロアに溜まっていた地下水が滝のように降り注いでいた。とはいえ、ここは充分に広い。高低差もあるから、ギデオンたちがいるこの場所が、再び水底に沈む……なんてことはないだろう。──ならば次に確かめるべきは、ここに瘴気が溜まっていないかどうか。己の指先を拭ってから、ごく小さな魔法火を灯す。野営時に使うそれは、きちんとした道具や、ヒーラーが用いる魔法ほど正確ではないにせよ、辺りの空気を調べるための簡易的な指標になる。炎の色は濃い橙、特に問題はなさそうだ。ほっとして魔法火を消し、再び隣の相棒を見下ろす。今はまだ耐冷魔法が効いているからいいものの、時間が経てば濡れた衣服で体を冷やしてしまうだろう。火を熾してやりたいが、燃料は持ち合わせていない……辺りに何かないだろうか。
そうして再び魔剣を巡らせ、別の方角を確かめて、はっと鋭く息をのむ。──ふたりの後方、この洞窟の一番高いところに、何か巨大な……壺のような異質なものが、不気味にぶら下がっていた。耳を澄ませばかすかに聞こえる、わんわんとした嫌な音……もしやこれは、無数の羽音か。身構えるギデオンの脳裏に、ふとジョルジュ・ジェロームの手記の一文が蘇る──『この村の飼う特別な蜂は、隣の平屋の地下にある鍾乳洞に巣をつくる習性だそうだ』。そうか、あれがその蜂の巣か。フィオラ村が崇め立てる「花」の蜜、人を魔獣に変える秘薬の材料。それがこんな、真っ暗な闇の中で作られていたというのか。
……ということは、と。一度ヴィヴィアンを振り返ったギデオンは、念の為の防護魔法を彼女に慎重に施してから、剣の温かな灯りを頼りに、ひとり洞窟へ歩み出した。蜂の巣のすぐ真下まで来てみれば、果たして足元の石床はどうだ。真上の蜜が何十年と滴りつづけたせいだろう、血のように真っ赤な、半透明のまだらな層が広がっている。不気味なそれを避けながら、さらに周辺を確かめれば……あった。蜂たちを燻す時に使う燃料、その足しにする藁が、壁際の木箱の中に隠されていた。手で触れてみた限り、幸いほとんど湿気ていない。
それを箱ごと拝借し、ヴィヴィアンのそばへ戻る過程で、ふと魔剣が反応を示した。かたかたと引きつける方を見てみれば、一体なんたる偶然か──あるいは、互いの宿した魔素による必然か。水の流れの溜まったところに、ヴィヴィアンの杖が浮いていた。それも大事に拾い上げると、すぐに戻った池の淵で、まずは彼女を抱き上げる。ここは駄目だ、あの蜂の巣の辺りからあまりにも目につきやすい。万が一のためにと、周囲から隠れた横穴に落ち着いた。
そうして彼女をそっと下ろすと、穴の手前に木箱を置き、魔剣の切っ先でバラバラに砕く。あとは燃やしやすいように整え、己の魔法火を慎重に移すだけ。──ほどなくして、小さな焚き火がパチパチと小気味良く爆ぜ。ふたりの隠れている空間を、ささやかに暖めはじめた。)

(──脱いだ衣服の水気を絞り、そばの手頃な石筍に引っ掛けて。次にヴィヴィアンを抱き起こすと、そのシャツやコルセット、ブーツや脚衣までをも剥ぎ取って、いずれもしっかり絞りきる。恋人同士とは言えど、相手には悪い気もするが、この非常時に風邪をひかせるほうが悪手だ。そうして今度は、下着姿になった相手を、己の胸によりかからせて。床で寝ているよりずっと広範囲の面が、炎の暖気に当たるようにと調整しながら、己の体温も分け与える。
そのひとときの間にも、近くのつらら石から滴っている雫の音のリズムによって、おおよその経過時間を測る。──地下室の異常に気づいた村人が、自分たちの大事な蜂を確かめに来るまで、どのくらいかかるだろう。大回りをして地上のどこかから洞窟に入るはずだから、どんなに厳しく見積っても、二時間ほどにはなるはずだが……。そもそも、ギデオンがあの蛭女の手下どもに倒されてから、どれほどの時が過ぎたのか。レクターは、仲間たちは無事だろうか。儀式はいったい何日後だった、あの少年が秘薬を飲むまであとどのくらいだ。──だが、それでも。たった今死にかけた自分たちとて、今ここで少しでも休み、態勢を立て直さねば、生きてこの谷を出られなくなる。
……はたしてどのくらいの間、そうして過ごしていただろう。ぴちょん、ぴちょんと響く水音を聞き漏らさぬ以外、意識を薄めて休んでいたギデオンは、ふと身動ぎを感じとって、うっそりと下を見た。とうに乾いて温もりを取り戻したヴィヴィアンの身体、そこに少しずつ意識を通いだしたのを感じる。すっかり元気を取り戻した時に気恥ずかしい思いをさせぬように、と、傍に干していた相手のローブを引き寄せ、その身体にそっとかければ。栗毛に軽く唇を触れ、「……目が覚めたか、」と穏やかに呼びかけて。)




785: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-06-26 14:14:44




──……ギデオンさん、はい、ここは……、っ!?

 ( ひゃあぁっ!? と。パチパチと暖かな火だけが爆ぜる空間に、どこか間の抜けた平和な悲鳴が響き渡る。なんで、なんで下着なの!? と、かけられたローブを掻き抱いくことで、かえって白くまろい腹、その豊かな胸部を覆う清廉な白まで際どく覗かせていることを、混乱中の娘は気づかない。そのままの様子で周囲を見渡し、未だ乾かぬ石筍の衣服に、やっと状況を把握すると。「……あ、そっ、か。ご、ごめんなさいっ……びっくり、しちゃって……」と一応、納得はするものの、項垂れる肌が首の根元まで紅いのは、ただ炎に照らされているそのためだけではないだろう。
あれからどれくらい時間が経ったのか。服の乾き次第を見るに、それほど長時間気を失っていたわけでは無さそうだが──火属性の魔法が水に弱いだなんて、魔道学院の一年生だって知っている基礎の基礎だというのに。産まれ持った魔力量にあかして甘く見ていた。あまつさえ簡単にパニックに陥り、大切なギデオンのことまで酷い危険に晒すなんて。そんな情けない自分のことを、背後の相棒はこんなにも優しく気遣ってくれているのに──そんなことを言う権利もなければ、言っている事態でもない。そんなことは分かりきったその上で、心の準備もせずにこうして肌を晒していることが心の底から恥ずかしくて堪らず。そしてまた、それを恥ずかしいと思ってしまう自分も、意識過剰で、幼稚で、本当に恥ずかしくてたまらないのだ。とっくに乾いていた筈の背中を、しっとり羞恥に湿らせて、こんな時に何を思い出しているのかと謗られれば、フィオラの前にビビの自尊心が崩壊してしまうに違いない。故に、酷く赤面しているだろうそれを相手に見られないように、ローブで身体の前面を隠しながら小さく小さく丸まれば。むしろ無防備なうなじや背中を晒すだけになるのも気付かず、小さな膝に赤い顔を埋めて。様々な羞恥に小さく震えながら、今にも消え失せてしまいそうなか細い声を絞り出して、 )

その……さっきのことも、ごめん、なさい…………。
どこか……痛んだりとか、ご気分は…………




786: ギデオン・ノース [×]
2024-06-29 11:21:09




平気だ──と、言いたいところだが。
盛られた毒が、少し厄介な手合いだったみたいでな……悪いが、もう一度診てもらえるか。

(ぱっと慌てふためいて、そろそろ辺りを見回して、しおしおへなへなと真っ赤な羞恥に項垂れて。いつも以上にいじらしい相手の様子をぼんやりと眺めるうちに、思わずふっと、気の抜けたような穏やかな笑みを浮かべてしまう。そうして背後の石壁にもたれ、目を閉じて答える声は、微かに疲れつつ寛いだもの。──実際、さほど深刻ではない。冒険者の常として、念のため程度の報告に努めているだけなのだ。
ヒーラーという職業は、どんな傷でも病でも、たちまち癒せると思われがちだ。しかし実際には、治せるものと治せないもの、治しやすいものと治しにくいものとの別がある。そのなかでも、毒を受けての症状は、比較的に治しにくい……というより、治しづらいもの。これは毒という原因成分が、その種類次第では、一般的な治癒魔法が効きにくいということもあるし。或いは一歩間違えれば、そのケースには不適切な体内作用を安易に活性化させることで、寧ろ重症化を招くリスクも孕んでしまうからである。
故に最初の段階は、浅く広くしか治せぬ代わりに、毒の作用を劇化させることがまずない、万能解毒魔法を施す(たしか、かのシスター・レインが確立させたものであったか)。大抵の毒はそれで治る。しかし強い毒、珍しい毒であった場合は、もちろんそれでは収まらない。しかし一旦は症状の進行を和らげられているはずなので、その間に毒の成分や作用を特定。より適切な治癒魔法なり薬草なりを処方して、寛解に繋げていく……それが昨今の定石なのだ、と。以前ヴィヴィアンに、サリーチェの寝室で微睡みながらそう教わった。
彼女が地下に駆け付けたときにギデオンを包み込んだのも、まずはあのレイン式解毒魔法と、それから通常の治癒魔法だったのだろう。ふたつを同時に施すのは並のヒーラーの業ではないが、少なくともギデオンが後頭部に負っていた傷は、完全に塞がっている。あれでだいぶ和らいだ上、当時はギデオンもアドレナリンが出まくっていたから、もうすっかり良くなったものと思い込んでしまっていた。──しかし今、この地下洞窟でゆっくり落ちついてみればどうだ。村人に盛られた毒は、どうやらまだまだしぶとく残っていたらしい。うっすらと続く吐き気に、ごくごく軽度の意識混濁、びりびり残る手足の痺れ(ヴィヴィアンの杖を拾うとき、少しばかり苦労していた)。試しに己の掌をぼんやりと眺めてみれば、実際指先が白っぽく変色しているのだから、何やら妙な毒である。後は倦怠感があるが、これは一瞬程度であれど、重い水に振り回されたからかもしれない。とはいえどれも、耐えられない、動けないほどではない……ないのだが。「そういうのも、きちんと隠さず報告すること!」「“我慢できる”は、“問題ない”とイコールではないんですよ」と、これも相棒に教わったことだ。
故に瞼を下ろしたまま、それでもきちんと、自分の自覚する症状を説明しては。相手が近づけば大人しく身を委ね、しかしほとんど無意識に、その手や頭に軽く触れ。もはや体に沁み込んだ、いつもの習慣めいた……それよりはしょうしょうぎこちのない手つきで、ごくかすかに撫でる仕草をするだろう。)

……おまえが謝ることなんてない。
寧ろおまえがいてくれたおかげで、あそこから脱出できたんだ……ありがとうな。





787: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-07-02 02:41:50



…………、

 ( ──あ、ごめんなさい、もちろんです、と。自分の症状を教えてくれたギデオンに、それまでの恥じらいぶりはどこへやら。くるりと振り返って、相手の脚の間に膝をつき、首筋の脈や顔色、瞳孔の開きなどをじっと丁寧に確認すれば。とろんと気だるげな視線をこちらに向けて、ぎこちなく触れてくれる相棒の甘言に、涙を耐えがたそうに下唇を噛み。 )

──……こちら、こそ。
私も、ギデオンさんがいなかったら、絶対脱出なんてできませんでした、ありがとうございます。

 ( そうして、欲しい言葉を的確に与えてくれる相棒に、これが自分だったらどう返されるのが嬉しいだろうと。ついまたうっかり謝ってしまいそうになるのを飲みこんで、その冷たい掌を上からそっと包み込み、小さく控えめに頬擦りすれば。大好きな掌に、堪らずちゅう、と丸い唇を押し付けた後、迷いのない手つきで治療を始める娘の表情からは、必要以上の緊迫感や後暗さなどはすっかり消え失せてしまっていた。
解析の結果も、不幸中の幸いと言うべきか。盛られた薬は物理的な身体の動きと、理性の働きを少し鈍らせるためだけの麻酔にも使われる弱いそれらしく。ヴァランガで取れるのだろう珍しい植物の組成こそ慣れないが、これならビビの魔法で一時間もせずに浄化できるだろう。それでも、少しでも効率よく排出させるため、たっぷりと煮立たせたお湯を冷まして飲ませ、指先や耳などの身体の末端に、魔力のめぐりを良くする軟膏を真剣な表情で塗りこめば。最後に再度、最適な治療魔法に杖をふり、胸元や首筋、長く太い指先などをぺたぺたと、ビビの魔素が正常に巡るのを確認すれば。ほっと安心した反動だろう。ぺたりと相手の太腿にお尻をつけると、かすかに小さく震える腕を相手に回して、ぎゅっと強く抱きついて。 )

ごめん、なさい……安心したら、思い出してしまって。
少しだけ、こうさせて……?



788: ギデオン・ノース [×]
2024-07-04 02:17:32




…………。
……“少し”でいいのか?

(相手の声にうっそりと目を覚まし、そちらを見ようと身じろぎをしたものの。未だぼんやりしているギデオンの視界には、鼻先が軽く触れるほど近くに、栗色の小さな頭が深くうずまっているばかり。今のヴィヴィアンがどんな表情を浮かべているのか、それを直接この目で確かめる術はないようだ。……それでも、じかに伝わるその震え、酷くか細いその声を聞けば。今のヴィヴィアンがどんな気分か、ギデオンに何を求めているのか、感じ取るのには充分で。
焚火にちらちら照らされ横顔に、優しい気配を忍ばせながら。一度返事を保留したまま、背後の岩により深く身を預け、相手を軽く抱き直す。そうして、こちらにすっかりもたれかかれるようにしてやりながら、そのさらさらした華奢な背中を、ぽん、ぽん、とあやすこと数度。笑うような吐息と共に、ごく穏やかに喉を鳴らして。──ほとんど素肌同士で密着している今、いつも閨で使う台詞をそのまんま持ち出すのは、いささか不謹慎ではあるだろう。しかし今はあくまでも、ただ労わりを込めたつもりだ。心行くまですがっていい、おまえのおかげでこうして回復しているんだから、そのための俺だろう、とと。そう伝えるつもりで、ポニーテールの毛先に指先を戯れさせたり、背中を大きくさすったりして、相手をゆっくり宥め続けることしばらく。何とはなしに上を見上げ……地上や地下の人間たちの殺し合いなど露知らぬ地下洞窟、その鍾乳石の稀有なきらめきを眺めながら。やはり語るのはどこまでも、何てことのない愛の言葉で。)

──……旅立ってから、もう随分長く発ったような気がするな。
家に帰ったら何を食べたい? ニックの店でテイクアウトしていくのもいいし……普段お前がよく作ってくれてるんだ、俺に作れるものでいいなら、そっちの手もある。





789: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-07-05 22:30:15




 ( 背中を滑る大きな掌、低く震える太い喉。頭上から語りかけられる口調でさえも、その甘く穏やかな文脈は、明らかにビビを励まさんとする文脈にも関わらず──こんなときまで、食べ物の話ばっかりなんだから、と。きっと無意識なのだろう、本気で頼りになる恋人の表情を浮かべた相手の、どうしようもない可愛げに、思わず小さく吹き出せば。いつの間にか震えも止まり、それまで襲われていた恐怖も、すっかりどこかへ消え失せてしまうのだから不思議でならない。そうして、前髪が擦れる音をたて、伏せていた顔をくしゃりとあげれば、未だ少し色の薄い唇にちゅっと小さく吸い付いて。 )

──……ギデオンさんがいい。

 ( そうして、少し冷たい唇に、己の体温を移すよう何度も、何度も丹念に口付けていたその間。たべたいもの、たべたいもの……と素直に思考を巡らせれば、脳内に浮かぶのは、カトブレパスのステーキにチョリソーのポトフ、それからキャベツのミートボールスープ……それら全てを、美味しそうに平らげる恋人の姿ばかりなのだから仕方がない。蜜月の唇が少し離れたその隙に、ぽつりと掠れた吐息を震わせて、「ギデオンさんの、食べたいものがいい」そう回していた腕を地面について、ゆっくりと身体を起こしていきながら、足りなかった言葉を付け足し繰り返すと。相手の頬を両手でそっと包み込み、愛おしそうに微笑んで。 )

ギデオンさんが美味しそうに食べてるところが見たい。ね、いいでしょう? 何が食べたい……?




790: ギデオン・ノース [×]
2024-07-06 10:28:36




…………、

(最初に吸い付かれたその時は、相手の可愛らしい甘えにたっぷり応える気でいたというのに。柔い熱を何度も押し当てられるうちに、相手の背を擦っていたギデオンの手つきは、次第に眠気を帯びるかの如く、緩慢なそれへ成り果てていく。……そして実際、今やどうだ。相手に微笑まれたその時にはもう、目元がぼんやりと寛いで、反応も随分鈍い。最初の愛しい語弊を揶揄う気すら起こせずにいる。ただただ、心地が良いせいだ──相手の温もりに巻かれることが。
故に、相手の指の腹が目元を優しく撫で下ろす仕草に、無言で身を委ねながら。たべたいもの……たべたいもの……と、奇しくも同じ思考回路をとろとろと巡らせて。やがて今度は相手の手をやんわりと取り、その小さな掌の内側に、薄い唇を含ませる。そうして、特に何とはなしに親指の根元のふわふわした丘を食みながら。やがて甘えた小声を吹き込む──「ウルスストロガノフがいい、」と。)

前に……ほら。
ふたりで、グランポートのあの通りを……ぶらついたろ……

(「あの時に看板で見かけて、ずっと気になっていたんだ……ウルス料理が……」と。そうは言ってくれるものの、しかしなかなかの要求である。ウルスという魔牛の一種は、カトブレパスほど強い臭みはないものの。海水で締めると美味くなる、というかなり風変わりな品種で、それ故扱いが難しいのだ。締める際の技術はもちろん、それ以上に、牛と海の二つの風味をバランスよく纏め上げるのが、大層至難の業という。おまけに、当時ふたりで眺めたのは、夏向けのさっぱりしたメニューだったはず。それを、今は冬場だから、体が温まるシチューがいい、なんて、言外に強請ってのけている。──しかしそれでも、ヴィヴィアンならできるだろう、と。或いは自分のためにしてくれるだろう、と。そんな贅沢な信頼と甘えを、ひと息に寄せたものらしい。その後もしばらく、「本場だと、アーケロンの甲羅を器にして食うらしい……」だの、「ショールムの卵で綴じる地方もあるとか……ないとか……」だの。こちらは流石にオプションではなく、以前何気に調べ尽くしていた飽くなき探究心の成果、それをただただ吐き出しているだけなのだが。何にせよ、そういった話を相手がこうして聞いてくれる、それに心底満たされるらしく……ぐるぐると喉を鳴らし続ける有り様で。)





791: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-07-09 00:03:09




んっ、ギデオンさ、擽ったい……!

 ( 普段は悠久の石灰水だけが静かに滴下する地下洞窟に、くすくすと軽やかな笑い声がこだまする。魔法で活性化された免疫が、少しずつ仕事を始めたのだろう。横たわる体躯を大儀そうに弛緩させ、口寂しさに人の掌を食むギデオンの姿は、これ以上なく可愛らしいというのに、そのおねだりの内容は全くもって可愛くないのが彼らしい。それでも、否、それだからこそと言うべきか。ビビの我儘に気を使う事なく、本気で食べたいものを答えてくれた距離感が嬉しくて、自然と満面の笑みを浮かべると。未だ素直にポソポソと、その飽くなき探究心の結果を披露しているギデオンに、思わず愛おしさが爆発し、「……じゃあ、早く帰って練習しなくちゃ」と、そのなだらかな眉間、こめかみ、そして再度唇にそれぞれ深く、小さく唇を落とす。そうして、いつまでもそうしている訳にもいかず、名残惜しそうに身体を起こすと乾いた岩場に膝をつき、引き寄せたローブを今度は相手にかけてやりながら。もう一方の形良い金の頭に添えた手を、そっと自分の膝に導いて。 )

──……そのためにも。
少ししたら起こしますから、今度はギデオンさんが休んでください。




792: ギデオン・ノース [×]
2024-07-15 17:10:55




…………

(本来のギデオンならば……責任感も無謀さも、等しく強いギデオンならば。今この最悪の状況で、これ以上自分のために休む時間をとるなどと、到底考えなかっただろう。地上の魔窟、フィオラ村には、まだ一般の同行者を置いてきたままにしている。頼りのはずの仲間たちも、ほとんどが行方不明で、無事かどうかわかっていない。それに先ほど、ギデオンたちがいた地下牢の真上では妙な異変が起きていた。あれについても未詳のままだ。それに何より──そうだ、あのとき、一度大きな地震があった。今いるここは鍾乳洞、先ほどよりも余程危険な環境と言える。頭上にいくつも連なっている、あの幾つものつらら石……あれがいつ、次の大揺れで崩れ落ちてくることか。
それでも、そんな差し迫った状況下で。それでも己のヴィヴィアンが──ここで休め、と告げたのだ。それだけでギデオンには、一切が充分だった。まるで全身の細胞が彼女に従うかのように、とろりと意識が溶けていき。巡り始めた免疫が、隠れていた疲労感をひとつひとつ抱きとめていく。結局、そういうことだった。ギデオンの体の状態は、ヒーラーである相棒こそが、最も正確に把握している。そして、どんな状況にあろうと……ヴィヴィアンの傍で休息するなら、彼女が大丈夫と言うのなら。その瞬間は世界でいちばん安全なのだと、己も信じきっている。
故に、小声でただ一言、「……助かる、」とだけ呟いたギデオンは、その頭を相棒の膝に委ね、静かな眠りに落ちていった。時間にしておよそ十数分……何も起こらぬ十数分。巨悪を前にした戦士にとって、それがどれほどありがたいひとときであったことだろう。ただ身を休める、それだけのことが──この先に待ち受ける死闘で、どれほど多くの生死を分けたことだろう。)

(それから、数時間ほど後のこと。地上に出たギデオンとヴィヴィアンは、真夜中を迎えたフィオラ村の端に舞い戻り、闇に隠れた建物の上で、じっと“その時”を待っていた。とはいえ今は、自分たちふたりきりで戦っているわけではない。遠く近く、様々な場所で。これまで一緒にやって来た冒険者仲間たちもまた、秘密裏の作戦にあたっている最中である。
──あの後。ふと優しく揺り動かされて目を覚ましたギデオンは、ふたりの元に小さな精霊が訪ねて来たことを知った。しばらく前にヴィヴィアンが火のマナを分け与えた、あの痩せた火の精である。彼女はどうも、飢えを癒してくれたヴィヴィアンに、余程深く感謝したらしい。地下洞窟をさ迷っている仲間たちの元へ次々に導く、という恩返しをしてくれたのだ。
全員ではないにせよ、冒険者たちは再び集い、その結束を改めて固めた。互いにこれまでのいきさつを話し、持っている情報を交換し、諸々を判断すれば、皆の目的はただひとつ──この恐ろしいフィオラ村を、一刻も早く脱出すること。しかし、それには問題があった。まず、まだ合流できていない仲間たちが複数いるという状況。次に、同行者のレクターたちを、未だ村に残していること。それに、自分たちの運命をつゆ知らぬだろう村の子どもらを、決して見捨ててはいけない。最後に何より……この峡谷そのものが、非常に険しい土地であること。ヴァランガは陸の孤島だ。件のウェンディゴ以外にも、凶暴凶悪な大型魔獣が数え切れぬほど跋扈している。下手に措置に飛び出したところで、生きて帰れるとは限らない──そこに迷い込んだのが、冒険者でさえなかったら。
覚悟を決めた顔ぶれによって、部隊が再編制された。仲間を見つける捜索隊、レクターや子どもたちを外へ連れ出す救出隊。物資を確保する回収隊に、各隊を守る護衛隊、それからこれらすべてを助けるための陽動隊だ。このうちギデオンとヴィヴィアンが引き受けたのは、レクターたちと子どもたちを外に連れ出す、最小単位の救出隊。もうしばらくすれば、陽動隊が騒ぎを起こし、フィオラ村の注意を引く手筈となっている。その隙に彼らの元へ駆けつけ、護衛隊と共に脱出する作戦だ。
時は真夜中。空には不気味な黒雲が蔓延り、低く速く流れていた。月明かりは一切ない──しかし代わりに、村のあちこちには、おどろおどろしく燃え盛る大きな松明が据えられている。儀式を前に、フィオラ村は様変わりしていた。清廉な白い家々の並ぶ牧歌的な風景は、今や魔獣の彫り物や、男女の肉体を模した彫像、ヘイズルーンの肋骨などで飾り立てられ、見るだにおぞましい様相である。屋根の上に隠れているギデオンたちの眼下を行くのは、不気味な魔獣面をつけたフィオラ村の大人たちだ。……儀式が間もなく始まろうとしている。子どもたちとレクターたちは、今はあの、厳重に警備された建物の中に──あの不気味なタペストリーとともに、閉じ込められているのだろう。そしていざその時になったなら、あちらのあの舞台に。エディ・フィールドの伝説が演じられていた、あのステージに引きずり出されるはずだ。そばにある“鉄の処女”は、おそらくフンツェルマン工具店から仕入れたミートミンサーに違いない。
レクターと助手たちが、無理やりあれに入れられて、“英雄”の贄とされる前に。惨い宿命を負わせるべきでない子どもたちが、舞台の台座で秘薬を呷らされる前に。──ギデオンが、ヴィヴィアンが、戻ってきた冒険者たちが、かれらを救わなくてはならない。)

……ヴィヴィアン、

(──しかし、そのような状況下でも。相棒を再び危険に晒すことを、恐れていないと言えば嘘だ。
馬鹿げているのは百も承知。ギデオンもヴィヴィアンも、冒険者という職業をしている以上、多少の危険はとうの昔に覚悟している立場である。市民を守るためとなれば、それはなおのこと当然となるし……自分だけ安全圏に下げられるような仕打ちは、寧ろこの上なく忌み嫌うだろう。そうわかっているはずなのに、恐ろしさは打ち消せなかった。今のギデオンは独りではない──故に強く、故に弱い。もしも己の大切な片割れに、取り返しのつかないことが起こったら。その時自分は、後悔せずにいられるだろうか。危険性を知っていながら愚かな思考放棄をしたと、己を呪わずにいられるだろうか。13年前のあのときも、以前の春先のあの時も、ギデオンは実際に判断を間違えたのだ。今回は違う、などという確証がどこにある。
そんな暗い考えを、今一度振り払おうとするかのように。相棒の名を小さく呼び、そっとその手を絡み取る。それ以上何を言うでもなく、相手の顔を見るでもない。依然その目は、地上の成り行きを監視するまま。それでもその手元だけは、相手の温かく柔らかなそれを、今一度……言葉にできぬ祈りを伝えようとするかのように、ただ力強く握って。)





793: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-07-22 18:35:46




ギデオンさん──

 ( 作戦開始を待つ宵闇の中。優しく、というよりは縋るようにと表現する方が近い様子で握られた掌に、自嘲のような笑みが頑なに漏れる。この村に来てからというもの、それなりに強く、頼れるヒーラーのつもりでいた、そんな不遜な自己評価は、あまりにも呆気なく打ち砕かれた。杖を振り上げる訳にいかない相手を前に、じわりじわりと追い詰められていった己の一方で、今はこうしてビビに縋ってくる相手や、ほかの経験豊富な仲間達のなんと頼もしかったことか。──私はまだまだ残念なくらいに未熟だ。それでも、こうして杖をしっかりと握り、すべきことを見据えた時くらいはどうか、 )

──信じてください。

 ( こちらもまた祈るように漏らした掠れ声をかき消すように、作戦開始の鏑矢が響いたその瞬間。ヒーラーとして、相棒として、自らが役に立つことを証明しなければ。そんなどうでも良いことを一心に、この時、誰より大事なギデオンの表情を顧みなかったことを、酷く後悔することになるとは夢にも思っていなかった。
捜索隊が残りの仲間を見つけた合図を皮切りに、陽動隊の爆破が村を──厳密には、儀式がとり行われる舞台から見て、村の方向にある森を揺らす。幾ら悪習の隠れ里といえど、何も知らない子供達にとっては大切な故郷だ。村自体の存続を脅かす権利は冒険者達にはない。あくまで一瞬、儀式に関わる連中の視線を逸らせれば良い。続いて養蜂場の方角、花畑の方角と作戦通りに衝撃音が響いて、焦った村民たちが慌てて儀式を進めんと、"英雄"になる少年を建物から引っ張りだしかけたところを、ひらりと屋根から舞い降りて警備ごと眠らせ、少年、レクターの助手、そしてレクター本人を発見出来たところまでは良かったのだが。まずビビが少年、ギデオンがレクターの縄を解いてやらんと近づくと、最初に硬い縄から開放されたレクターが叫んだのだ。「──ウェンディゴが来ます!!」陽動が陽動でおさまらず、本当に結界が破られてしまった──そうレクターが二の句を次ぐ前に、五人の上に長い角をもった影がさす。ゆうに3mを越す毛むくじゃらの躯体が、助手の縄に手をかけていたギデオンを狙うのを咄嗟に杖で庇おうとして、その杖ごと木製の壁に激しく叩きつけられる。咄嗟に魔法で受身をとった故に大きな損傷は免れたビビの視界に、大きく丸い満月が毒々しいほど輝いて、ウェンディゴ──もとい、フィオラのエディを照らしていた。 )

ギデオンさん危ないッ…………!!




794: ギデオン・ノース [×]
2024-07-26 03:28:43




──……ッ!

(囚われの民俗学者が、何事かを訴えんと必死に唸っていた理由。それは猿轡を外した途端、いつにも増して懸命な大音声で知らしめられて。しかしギデオンが振り向かぬうちに、今度はヴィヴィアンの悲鳴が上がる。レクターのそれよりもさらに緊迫したその声色、瞬時に全てが理解できた。差し迫る敵の威力も、彼女の次の行動も──自分が、何をすべきかも。
身を翻して伸ばした片腕。それは大切な相棒……ではなく、手前にいた村の少年を引っ掴み、ふたりでどっと地面に伏せた。瞬間、鞭のようにしなる巨腕が頭上をぶんと掠めていって、その先にいたヴィヴィアンを襲う。彼女がその杖崎に聖の魔素を集めたことで、目論見通り、闇属性の塊であるウェンディゴの気を引いたのだ。情け容赦ない一撃が、己の相棒を吹き飛ばした。耳に届く破壊音、常人ならば即死だろう。だが、己の相棒ならきっと……こちらが子どもを引き受けたことで、己の魔法を自衛だけに注ぎきれたならきっと。今はそれ以上考えず、湧きあがるものを押し殺して、次の行動へと駆ける。魔物がひとつ挙動を起こした、その隙を逃がす暇はない。ウェンディゴの一撃を逃れたレクターたちの元へ行き、「先に逃げろ!」と怒鳴りながら、子どもを彼らに押し付けた。小屋まで行けば仲間がいる、そこから無事に脱出できる、頼むから先に行ってくれ、俺たちのことを思うなら! そう肩越しに言い捨てて、振り返らずに走り出す。腰の魔剣をすらりと引き抜く、強張った顔で詠唱する、宙へと高く躍り上がる。
異形の怪物が振り向いた。腐った獣のような巨体、ぐぱりと開いた不気味な下顎。真っ暗闇の眼窩ふたつが、ギデオンをぎょろりと見据える。──ヴァランガのウェンディゴ、“エディ・フィールド”の成れの果て。その悍ましく醜い面に、ギデオンは渾身の力で、魔剣の一撃を叩き込んだ。作戦前にヴィヴィアンが掛けてくれた聖魔法と、己自身の雷魔法……ふたつを幾重にも掛け合わせ、ドラゴンすら倒す代物だ。バリバリというすさまじい音とともに、絶叫が谷にこだました。すぐに着地したギデオンは、険しい顔で振り返り、敵の様子を見届ける。……覚悟してはいたものの、流石は200年もフィオラを呪う死に損ないといったところか。今の攻撃程度では、奴を焼き切れはしなかったらしく、地に堕ちた屍もどきが苦悶の声を上げている。
それに構わず、先ほどの破壊で生まれた瓦礫の山を駆け登ると。「ヴィヴィアン、ヴィヴィアン!」と必死に呼びかけ、木材をどけていきながら。やはり無事ではあったらしい相棒の、逆さまで半分埋まっていた上半身を掘り起こす。そのどこかあどけない顔を見た瞬間、安堵でがくりと来そうになったが、緊迫感でどうにか持ちこたえ。大きく息を震わせながら、「逃げるぞ、」と、囁きかけた……しかし、その瞬間だった。
──どこからか、ウェンディゴとは別の呻き声が上がった。だが何故だろう、異形の魔物のそれよりも、はっきりと何かがおかしい。はっと振り返ったギデオンが、ヴィヴィアンを支え起こしながら瓦礫の下を見下ろせば。儀式のためにここに集い、先ほどまではウェンディゴに恐れをなして逃げ惑っていた筈の、フィオラ村の人々が、何故かまたここに戻ってきている。……どうして皆、あんなにぼうっと突っ立って、夜空をまっすぐ見上げているのだ。一様に虚ろな顔が、満月の光を受けて不気味に白く輝くほどだ。なのにその両目も口も、まるで憑かれでもしたかのように、異常に虚ろな様子をしている……。ギデオンも空を見上げた。ヴァランガの満月は、標高が高いせいなのだろうか、圧を感じるほどに大きい。その端にかかっていた薄雲がすっかり消えて、月球の輝きがいよいよ最高に達した途端。──ぐちゃっ、ばきっ、めりめり、と。思わず総毛立つような、受付難い不気味な音が、不意にふたりの耳に届いた。苦しみ悶えるウェンディゴではない、あれの起こす物音ではない。それにまるで注意を向けないフィオラの大人たち、かれらが首を傾げたり、突然激しく痙攣したり、そういった異常な挙動を見せるたびに起こる音だ。──いや、まさかアレは、何だ。人間であるはずの、あいつらの体が、形が……。
もうこれ以上見ていられないと判断し、相棒の方を振り向く。今のギデオンがその顔に浮かべているのは、“ヴィヴィアンを危険に晒した”という先ほどのそれとは違う……全く別次元の、心底覚える恐怖だった。)

……ヴィヴィアン。
ここを、ふたりで。──死に物狂いで、脱出するぞ。





795: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-07-27 16:19:12




──あ、あ……いや、そんな……!!!

 ( 未知の症例を目の前にして、その行為は医療人としての本能だった。どんな情報が治療に繋がるか分からない。その一片の変化も見逃さぬように大きく目を見開いたが故に、あまりに信じ難く悍ましい光景に固まっていたビビを、相棒の声が冷静……とまではいかないが、放心状態から引き戻してくれる。──いま、今、目の前で何が起こった? 確かに得体の知れないところはありつつも、昨日まではごく普通に会話を交わし、共に晩餐についた人間の形が、ビビの目の前でバキバキメキメキボキボキと音をたて──「……ぅ、ぇッ」ギデオンの強い力に腕を引かれながら、先程の光景を思い出してしまって、逆流した胃の腑の中身をビチャビチャと地面に叩きつける。 )

──ダメ!!!
教授たちをッ……さっきの子も! 小屋に行かなくちゃ……!!

 ( 幾らこちらを敵視して悪意に満ちた鉾を向けようと、ただの一般人が警戒モードの冒険者にとって脅威の欠片にもなりはしない。あくまで人間を相手取るつもりだった小屋の配置人数では、レクターらを守って脱出するには心許ない。しかし、本気で焦っているようで、そんな甘いことを言えたのも、ギデオンの背後に守られて、その先にゆらりと蠢く影を目にしていなかったからに違いない。 )

あれ、は……むらおさ……!!
彼なら、何か知って……、…………?





796: ギデオン・ノース [×]
2024-07-28 17:18:31




(人体のメタモルフォーゼ。それ自体は、実は特段珍しい話ではない。たちの悪い妖精、或いはマナに満ち満ちた精霊。そういった人外の手によって、ヒトは案外簡単に変貌を遂げる。ギデオン自身も、以前ピクシーに襲われて犬化したことがあるくらいだし、ヴィヴィアンの父ギルバートがいつまでも若々しいのは、偉大なる精霊の寵愛によるものだ。だが、それと魔獣化は違う。金貨を溶かして鍵に作り変えることはできても、肉を生み出すことはできない。それと同じで、ヒトが魔獣になることも、魔獣がヒトになることも、そのルーツの違いからして、本来完全に有り得ないのだ。
一説によると、魔獣の父祖は、かつて古代世界を滅ぼした四巨人のひとり、“死の巨人”だとされている。その者が一度地上を滅ぼしてから大地に斃れたその骸……その背骨が、やがて今日のカダヴェル山脈として聳え立つようになった。しかしその骨髄は今も尚生きていて、新たな血を造りだし、その一滴一滴が魔獣の命を生んでいる。だから魔獣は皆一様に、深紅の魔核を持っている──。もっともらしいこの論は、無論あくまでも伝承の域を出ない。しかしそれでも、多くの魔獣がカダヴェル山脈を生息地とし、そこから大陸じゅうに広がっていったのは、歴史的な真実だ。それから、普通の動物にはない肉体強度や魔力、不死性、そういったものを生まれ持つのも本当だ。──だからやはり、魔獣というのは、我々とは父祖が異なる生きものであるのだろう。我々と魔獣は、違う血が流れている。我々と魔獣の間には、絶対の垣根が存在する。その一線は、決して揺らぐことがない。
この世界の多くが信じるその常識を、ギデオンも信じていた。だがしかし、それならば。──今目の前をやって来るあの老人、その額に輝く赤は……何なのだ。)

……クルト……
貴、様……

(思わず声が低く震える。ヴィヴィアンを己の背後に庇いながら、それでも目の前の光景を、思わず愕然と見つめてしまう。ふたりは今、村人たちの異変を前に、儀式の祭壇から逃げ出してきたところだった。しかし小屋までまだ遠いうちに、ギデオンが不意に“それ”を見つけ、ふたりで立ち止まったのだ。──小屋へと続く道の向こう、月光に照らされて……痙攣しながら歩んでくる人物。それはこのフィオラ村の長、老人のクルトであった。どういうわけか儀式の場にはいなかった彼は、しかし今、首を直角にぼっきりと傾け、肩や肘を発作的に跳ね上げ、時に上半身を左右にゆらゆら振りながら、ふらふらこちらに歩いてきている。そこに首長など風格などなく、白い礼服は血や泥でぼろぼろだ。
より近づいてきたクルト、その額には、やはり魔核としか言いようがないものが、間違いなく出現していた。そしてその顔面は、何故かしわくちゃに、脂汗をいっぱいに浮かべながら笑っている有り様で。苦し気な目尻から血の涙が流れた瞬間、「ころしてくれ、」と、絞り出すようにクルトが言った。「ころしてくれ、ころしてくれ……ころしてくれ、」。べしゃり、と老爺が地面に落ちる。倒れるというよりは、己の体を地面に激しく打ち付けるような勢いで、ギデオンは咄嗟にヴィヴィアンの腕を掴み、助けるなと無言で叫んだ。「……だれかが、我々の祝杯に……蜜を……! ああ、絶対に……あの腐れ娘が……」あの穏やかさが嘘のように罵るクルト、その額を見開いた目で見据える。割れて血の噴いたそこは、深紅の石がめきめきと体積を増しはじめていた。「──嫌だ、嫌だ! 英雄になるのは、わしではない……わしの孫たちでもない! そうなるくらいなら、頼む……頼む……、」
──それが、人間クルトの言い残した最期の台詞だった。あまりの有り様に立ち尽くすふたりの前で、老爺の肉体はあっという間にぼこぼこと膨れ上がり、醜いけだものへ変貌していく。──それも、そこらの狼ではない。額に真っ赤な魔核を宿す、見上げるほどに巨大な魔狼だ。)

──ッ、ヴィヴィアン、走れ!

(ほんの一瞬。ゆらりと頭をもたげた獣が、最早人間としての自我を感じぬ、無表情な灰色の目で、こちらを見つめた次の瞬間。──むらおさだった巨大な魔狼は、いきなりこちらに、剣山のような牙の生え並ぶ口をぐばりと晒して噛みついてきた。その喉奥へ反射的に雷魔法を叩き込み、躊躇いなく魔剣を薙いで、生々しい両まなこを一太刀に切りつける。悲鳴を上げたけだものが一歩飛び退り、頭を振り回すその間、相棒の背中を強く押し、いつになく真剣に叫んだ。考える暇も、言い争う暇もない──人から魔獣に堕ちたクルトが、どんな動きをしてくるものか、ギデオンにはまるで読み切れない。故に逃亡が先決だ、そう相棒に伝えようとして。──しかし、物凄い速さで迫ってきた爪音を聞きつけ、はっと振り向いたときだった。突然巨大な満月を背に躍り上がった二頭の獣、互いに瓜二つの……まるで双子のようにそっくりな、若くしなやかな姿の魔狼が。クルトの警戒に全神経をとがらせていたギデオン、その喉元めがけてまっすぐに飛び掛かり。)





797: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-07-31 09:04:51




──ッ!!

 ( 真っ直ぐにこちらへと向かってきた双狼の牙は、既にギデオンの喉笛へと肉薄し、爆破魔法ではギデオンの頭ごと爆破の衝撃に巻き込みかねない。咄嗟に杖に魔素を込めて振り抜けば、クルトが変貌したそれより質量がないことは幸いだった。ギャンッと吹き飛ばされていく一頭に──これならいける、と杖を握り直すも。しかし、すぐさま飛びかかってくるだろうと構えていたもう一頭が、吹き飛ばされた姉狼を庇うように立ち塞がるの目にした途端、絶対に二人で帰るんだ、と息巻いていたビビの心は、その光景に否応がなく揺さぶられて。──なぜ飛びついて来た方が姉の方で、庇った方が弟だと分かったのか。それは、今ならフィオラの"花"の意匠だとわかる、特徴的なブローチをそれぞれ胸元と髪飾りにつけていた、その全く同じ位置に輝く紅い魔核のためでもあるのだが。たった数日、思い出になるほどの交流があった訳でもない。しかし、意図してお互いを寄せて似ているように見せかけて、案外二人を見ていれば、その性格はそうでも無さそうなことはすぐ分かった。村の子供たちからも人気のある、明るく勇ましい姉の方。男尊女卑のこの村で、女性陣の中に交じって仕事をする姿も度々見かけた、おっとりとした弟の方。その面影を目の当たりにしてしまったその瞬間、さきほど姉狼を殴り飛ばした掌がじんと痛んで、身体が動かなくなってしまったビビを助けるのは、やはりギデオンの一声で。
──ヴィヴィアン、と。唯一の肉親である父も含めて、その名でビビを呼ぶのは、かけがえのない相棒で、愛しい恋人でもある相手だけだ。今は焦燥を滲ませつつも、低く凛としたその声に、はっと杖を握り直せば。ぐったりと地に伏せていた姉狼が立ち上がり、三頭の目が此方に向くのを見逃さず、得意の閃光魔法を叩きつけ。 )

ギデオンさん、目を──




798: ギデオン・ノース [×]
2024-08-01 23:08:49




(魔素の高まりが爆ぜるとともに、辺りを満たす一瞬の静寂。そして一拍遅れての、きぃん……と押し寄せる強い耳鳴り。籠手を嵌めた手の甲を、やがて目元からゆっくりと外す。あのやるかやられるかの状況で、ギデオンがそんなにも悠長に自衛していられたのは、偏に相棒への信頼ゆえだ。
──はたして。ギデオンとヴィヴィアンから十歩ほど離れた先、無関心な満月が冷たく見下ろす夜道の上には、三頭のけだものたちが泡を吹いて転がっていた。低木ほどもあろう四肢がぴくぴくしてはいるものの、あの目玉の奥の奥まで、相当派手に喰らったのだろう。これでは当分動けまい……そう、当分、今しばらくは。──今後絶対に、ではない。いつまた動きはじめるのか、数時間後か、数十分後か、それは誰にもわからない。ヴァランガ地方でギデオンたちが見た、あの凶暴な魔獣たち同様、こちらに強い攻撃性を示したこの狼擬きたちが……今後ギデオンを、ヴィヴィアンを、仲間たちを、行きずりの誰かを、再び襲わぬとは限らない。
右手の魔剣を握り直す。小さく、無音で息を吸う。一度目を閉じ、指先まで速やかに無心の感覚を巡らせた。それでいて、「ヴィヴィアン、」と、今度はどこか優しい声で、相棒に呼びかけて。)

今の閃光弾を見て、後ろの森の……余裕のあるどこかの班が、応答信号を打ち上げるはずだ。
……そいつを探していてくれ。

(それだけ静かに言いきれば、後はごくごくいつも通りに、戦士の広い背中を向けて。ざわ、と下草を踏み分けながら、その一帯に歩み寄る。今ギデオンの足元には、無力化された魔獣が三頭。どれもお誂え向きに仰向けなのが、見習い時代に先輩戦士が回してくれた、実習用の低級魔獣にそっくりだ。あれに比べれば随分とでかいが──獣の弱点は、皆同じ。視界にちらつく痙攣を、生の気配を、脅威の兆候と読み替えて。獣の周囲を歩き回り、手頃な場所で立ち止まると、──ずぶり、と。正確な角度、正確な深さで、己の魔剣を沈め込む。
ごく微かな動きだけで、獣の骨格を、内臓を探る。知識どおりだと確信すれば、慣れた動きで前腕を回す。魔狼の動きが明らかに強張るものの、毛皮越しに体重をかけてその身動きを封じ。魔剣の切っ先を掻きまわし、幾つかの太い血管を正確に破る感覚を勝ち取る。後は大きく引き抜くついでに、そのまま魔核を削ぎ落した。獣の口から、ガッ、ハッ、と引き攣れるような呼吸音。手順通りだ──二体目に向かう。こちらは一体目に比べて幾らか小さく、……随分と若く。それだけ内臓や筋肉の跳ね返す力が強い、ということではあるが、そんなもの、ギデオンが身につけてきた二十余年の経験が、一向に意に介さない。すぐに終わらせて三体目。こちらは心臓を崩した後に、完全な別作業として側頭部の魔核を剥ぐ。このとき、心臓を突いた時点で元に戻っていたのだろう目が、こちらをじっと見上げていたような気もしたが、構わずにただ処理を進める。職業上、目を開けたまま盲いる技術は身につけている。光の反射ではなく、手元の感触や物音、臭いで、目前の事象を見るのだ。その感覚に身を委ねながら、片手半剣ではなくレイピアがあれば、などと冷静に考えた。幅広な刀身では、頭の中身は崩せない……念には念を入れたいのだが。
全ての処理は、ほんの二分もかからずに終わったろうか。幸い辺りには下草が豊富なので、魔剣や装備についた汚れを、ゆっくりと念入りに拭った。感覚的な問題ではなく、経験値による染みついた仕草だ。これを怠ると、意外に渇きの遅かった血でいざというときに滑ってしまい、思い通りに動けないなどという事故が起きやすい。だから時間をかけたのだが……いやに、静かな、ひとときだ。遠く聞こえる悲鳴や喧騒、あれは先ほどの儀式の会場で一斉に“湧いた”魔獣たちのものだろう。遠く轟く唸り声はウェンディゴか。あちらがあちらで潰し合ってくれるならいい、こちらはこちらで仲間を揃えて、レクターや子どもたちとすぐにここを出て行かなければ。そんなことを考えながら、皮手袋の内側で、頬にかかった血を拭う。不意に鼻につく血の臭いに、一瞬思考が停止する。
──そこで初めて、ぱぁぁん、と。それまでも数発は打ちあがっていた魔法火が、ひときわ明るく空に打ち上がったのが、初めてギデオンの耳に届いた。今の音、今の色は! と、途端に思考が切り替わり、はっとヴィヴィアンを振り返る。そこには既に、いつも通りのギデオンの顔があった。魔剣を鞘に収めながら、さっと軽快に駆けつける。そうして同じ方角を見上げてから、隣の相手を見下ろして。)

──どこの隊が、何と?





799: ギデオン・ノース [×]
2024-08-01 23:50:19




(魔素の高まりが爆ぜるとともに、辺りを満たす一瞬の静寂。そして一拍遅れての、きぃん……と押し寄せる強い耳鳴り。籠手を嵌めた手の甲を、やがて目元からゆっくりと外す。あのやるかやられるかの状況で、ギデオンがそんなにも悠長に自衛していられたのは、偏に相棒への信頼ゆえだ。
──はたして。ギデオンとヴィヴィアンから十歩ほど離れた先、無関心な満月が冷たく見下ろす夜道の上には、三頭のけだものたちが泡を吹いて転がっていた。低木ほどもあろう四肢がぴくぴくしてはいるものの、あの目玉の奥の奥まで、相当派手に喰らったのだろう。これでは当分動けまい……そう、当分、今しばらくは。──今後絶対に、ではない。いつまた動きはじめるのか、数時間後か、数十分後か、それは誰にもわからない。ヴァランガ地方でギデオンたちが見た、あの凶暴な魔獣たち同様に。こちらに強い攻撃性を示したこの狼擬きたちが……今後ギデオンを、ヴィヴィアンを、仲間たちを、行きずりの誰かを、再び襲わぬとは限らない。
右手の魔剣を握り直す。小さく、無音で息を吸う。一度目を閉じ、指先まで速やかに無心の感覚を巡らせた。それでいて、「ヴィヴィアン、」と、今度はどこか優しい声で、相棒に呼びかけて。)

今の閃光弾を見て、後ろの森の……余裕のあるどこかの班が、応答信号を打ち上げるはずだ。
……そいつを探していてくれ。

(それだけ静かに言いきれば、後はごくごくいつも通りに、戦士の広い背中を向けて。ざわ、と下草を踏み分けながら、その一帯に歩み寄る。今ギデオンの足元には、無力化された魔獣が三頭。どれもお誂え向きに仰向けなのが、見習い時代に先輩戦士が回してくれた、実習用の低級魔獣にそっくりだ。あれに比べれば随分とでかいが──獣の弱点は、皆同じ。視界にちらつく痙攣を、生の気配を、脅威の兆候と読み替えて。獣の周囲を歩き回り、手頃な場所で立ち止まると、──ずぶり、と。正確な角度、正確な深さで、己の魔剣を沈め込む。
ごく微かな動きだけで、獣の骨格を、内臓を探る。知識どおりだと確信すれば、慣れた動きで前腕を回す。魔狼の動きが明らかに強張るものの、毛皮越しに体重をかけてその身動きを封じ。魔剣の切っ先を掻きまわし、幾つかの太い血管を正確に破る感覚を勝ち取る。後は大きく引き抜いてから、脚でごろりと身体を転がし、晒された額の魔核を滑らせるように削ぐ。獣の口から、ガッ、ハッ、と引き攣れるような呼吸音。知識通りだ──二体目に向かう。こちらは一体目に比べて幾らか小さく、……随分と若く。それだけ内臓や筋肉の跳ね返す力が強い、ということではあるが、そんなもの、ギデオンが身につけてきた二十余年の経験が、一向に意に介さない。すぐに終わらせて三体目。こちらも心臓を崩した後に、やはり真横に身体を倒し、側頭部の魔核を削いだ。このとき、心臓を突いた時点で元に戻っていたのだろう目が、こちらをじっと見上げていたような気もしたが、構わずにただ処理を進める。職業上、目を開けたまま盲いる技術は身につけている。光の反射ではなく、手元の感触や物音、臭いで、目前の事象を見るのだ。その感覚に身を委ねながら、片手半剣ではなくレイピアがあれば、などと冷静に考えた。幅広な刀身では、頭の中身は崩せない……念には念を入れたいのだが。
全ての処理は、ほんの二分もかからずに終わったろうか。幸い辺りには下草が豊富なので、魔剣や装備についた汚れを、ゆっくりと念入りに拭った。感覚的な問題ではなく、経験値による染みついた仕草だ。これを怠ると、意外に渇きの遅かった血でいざというときに滑ってしまい、思い通りに動けないなどという事故が起きやすい。だから時間をかけたのだが……いやに、静かな、ひとときだ。遠く聞こえる悲鳴や喧騒、あれは先ほどの儀式の会場で一斉に“湧いた”魔獣たちのものだろう。遠く轟く唸り声はウェンディゴか。あちらがあちらで潰し合ってくれるならいい、こちらはこちらで仲間を揃えて、レクターや子どもたちとすぐにここを出て行かなければ。そんなことを考えながら、皮手袋の内側で、頬にかかった血を拭う。不意に鼻につく噎せ返るような生臭さに、一瞬思考が停止する。
──そこで初めて、ぱぁぁん、と。それまでも数発は打ちあがっていた魔法火が、ひときわ明るく空に打ち上がったのが、初めてギデオンの耳に届いた。今の音、今の色は! と、途端に思考が切り替わり、はっとヴィヴィアンを振り返る。そこには既に、いつも通りのギデオンの顔があった。魔剣を鞘に収めながら、さっと軽快に駆けつける。そうして同じ方角を見上げてから、隣の相手を見下ろして。)

──どこの隊が、何と?





800: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-08-03 00:16:57




 ( 知己の躯を目の前に、同業のギデオンがそうしたように、ビビもまたこの夜に響く鋭い刃物が肉を経つ音の意味をあえて聾唖のようにやり過ごした。ここは危険な敵の陣地で、いつ脅威を取り戻すか分からない今は無力化された大型の魔物が三体。遠方と意思疎通できる魔法を持つビビが連絡、力のあるギデオンが魔物の処理に取り掛かるのは非常に合理的な判断で。 )

現在…………"魔獣"、と交戦中。
負傷者あり。方角は……西の陽動隊です。

 ( 双方夜空を彩り、増援要請を受信すれば。振られた問いかけに所感を挟むと、何か余計なことを言ってしまいそうで、あくまで事務的に努めた返答は何処か少し頑なになる。部隊最大の目標は、護衛対象であるレクターら3名、部隊の全メンバー、それから無事な村民たち──これはもしいるのであれば、だが──全員での脱出だ。調査を主な目的として組んだ少ない人員で、余計なことを考えている暇は無い。一刻も早く、仲間たちの合流すべきだと即座に意見を一致させれば。陽動隊のいる森へと、件の花畑の近くを突っ切ろうとした時だった。
花畑へと通じる斜面の間から、小さく啜り泣く声が聞こえてギデオンと顔を見合わせる。……っ、っく、と微かに震える吐息の出処を探して、警戒しながら低木の間をかきわければ──「あなたたち……! 無事だったのね!」そう声を上げたヴィヴィアンに、わっと泣き声を上げながら飛びついてきたのは、この村に来てから何度もビビを助けてくれた可愛い姉妹の妹の方で。可哀想に、村のあちこちから上がる破壊音に怯え切り、小さな身体を全身ぶるぶると震わせながらすがりついてくる幼い少女は、すっかり憔悴仕切って、小さな手がぎゅう……とビビのローブに皺を作るのが痛ましい。「大丈夫、大丈夫よ……お姉ちゃんたちとっても強いんだから……」一刻も早く安心させてやらねば、と彼女を抱えて立ち上がり、それまで沈黙を保っていた姉の様子も確認しようとしたその瞬間。「あなた達が、村をこわしたの」それまで聞いたことも、見せられたこともない。姉と言えどまだ6つか7つかそこらの幼い少女の瞳と、その声に籠った酷い憎悪にビビの身体がびくりと強ばる。その瞬間、それまで気持ち悪いほど無風だった空間に、ざあっと嫌な風が吹いて、美しく切りそろえられた金の前髪──その間からぎらりと紅い魔核が覗いていた。 )

……っ、




801: ギデオン・ノース [×]
2024-08-05 00:19:22




(──だいきらい。あなたたちみんな、だいきらい。おおうそつきの卑きょう者。
幼い少女がどろどろと吐く、あまりに苛烈な怨嗟の台詞。それを真っ向から向けられたギデオンとヴィヴィアンは、ともに遥かな大人の筈が、根が生えたように動けない。そんな有り様のふたりを前に、幼い少女はなおも続ける。「どうして“エドラ”を連れてきたの。どうして……どうして……“エディのむすめ”を、村に入らせてしまったの」。
突然の思いがけない言葉に、ギデオンの瞳が揺れた。何のことだ、誰のことだ、この子は何を言っている。しかしその狼狽顕わな反応が、ますます気に障ってしまったのだろう。「知らないはずはないでしょ!」と、少女が顔を歪めて叫んだ。
「“エドラ”はわざわいのいみごなの。“エディ”の血を引いてるの。だから生きているだけで、村の守りをこわしてしまうの! それであたしのパパとママは、ちっちゃいころに住んでたおうちを捨ててこなくちゃいけなくなった。だからそのときの“むらおさ”が、赤ん坊だった“エドラ”をころしてくれたはずだった。
なのに“エドラ”が生きてたの。知らんぷりしておとなになって、あなたたちといっしょになって、まるで親切なぼうけんしゃみたいに。でも、“エドラ”は“エドラ”なの。ぜんぶ、ぜんぶ、こわしてしまうの。絶対にあいつのせいよ、あいつを連れてきたあなたたちのせいよ。村に怪物が入ってきたのも、パパやママや、あたしまで、みんなみんなこわれていくのも……!」

──クルトは言っていた。誰かが儀式の祝杯に、魔獣化の秘薬を盛ったと。
──村人は言っていた。ラポトを開催している間に、“あの女”がいなくなったと。

──昨日の村人が言っていた。“あの年増の方は、随分うまくやってくれた”と。
──昨日の仲間たちが言っていた。彼女は随分簡単に、調査に出る許可を出したと。

一昨日のあの真夜中、彼女は随分取り乱していた。
“聞きたいことがあるの”と、クルトに激しく詰め寄りながら。

一昨日のあの夜更け、ギデオンは目撃していた。
その数時間前に、彼女がたったひとり、村の歴史の記された場所にこっそり忍び込んだのを。
己の荷物から取り出した、何ものかを握りしめながら。

思い出せ。あれはなんだった。
月明かりに照らされていたあれは、奇妙な刺繍の縫い込まれたハンカチではなかったか。
あの刺繍、あの紋様は……フィオラの建物に飾られていた、あのタペストリーそっくりだった。
そして、古く、くたびれていて……形見か何かのようだった。

心臓が早鐘を打つ。ギデオンの頑なな理性が叫ぶ。有り得ない。荒唐無稽だ。年代がまるで合わないはずだ。エディ・フィールドが生きていたのは、二百年も昔の話。とっくに死人になっている。
だが、しかし。彼の怨念の権化だというウェンディゴは、その当時から今の今まで、実際に何度も村を襲い続けてきた。月の魔力を得た“英雄”が、何度噛みつき引き裂いても、必ず蘇るその不死性──そうだ、まるで、どこかほかのところにでも心臓があるかのような。
……それが本当だとしたら?

かつてフィオラ村を支配していた、悪逆非道のフィールド家。
その跡取り息子、いかれたエディ・フィールドは、死体の皮を弄んで踊るような男だった。

彼がもし、本人ですら気づかぬうちに……生死の境を曖昧にする禁断の黒魔術を、その身に宿していたとしたら。
ウェンディゴ・エディの本体、心臓、エディ・フィールドの屍が。
未だ白骨化することもなく、どこかに残っているとしたら。

もしもその不滅の死体が、いずれ誰かに見つかったとしたら。
歪んだ性を謳歌する文化に育ったフィオラの娘が、たまたま見つけたとしたら。

山のどこかに横たわる、生きても死んでもいない体と、欲望のまま交わり、孕み。
二百年前のその男の血を、魔力を継いだ、禁忌の娘を産み落としたなら。

その大罪でフィオラを追われた母親が、東へ東へ落ち延びて。
娘を育て、やがては死んで。
名門ギルドがどこも構える併設の孤児院に、彼女が引き取られたとしたら。
かつてのギデオンと同じように、そこで育ち、見習いとなり……やがて冒険者になったなら。

その娘、忌み子エドラの今日の名が、──“エデルミラ”なのだとしたら。)


……──ッ! 伏せろッ!

(──ぎり、ぎり、と引き絞る、殺意に満ちた弦の音。にわかには信じがたい真相気をとられていたギデオンは、しかしその音を聞きつけるなり、我に返って叫びながらヴィヴィアンを内に庇った。途端にびぃん、と矢を放つ音。森の宵闇を切り裂いたそれは、一瞬前までそこにあったヴィヴィアンの顔を貫き損ね。代わりに、ギデオンの纏う鎧を強かに打ち饐えて、その体を容易く倒す。
呪いに強いミスリル鋼は、物理攻撃にも勿論強い。だがそれは、命を奪う一撃を通さないというだけで、衝撃を打ち消すわけではない。ましてや、今ギデオンが食らった弓矢は、実は対ヘイズルーン用の異様な破壊力を持つもの。生身の人体なら文字通りバラバラに砕け散ってしまうほどのそれを、鎧ひとつでどうにか跳ね返したギデオンは、しかし全くダメージを負わないというわけにはいかず。びりびりと、全身が激しく痺れてままならない感触に、それでも相棒とフィオラの幼女を潰さぬよう腕を立てながら、苦し気な呻きを漏らす。
そこに足音も荒く駆けつけたのは、フードを被ったフィオラの男女だ。息を荒げていたそのふたりは、姉妹の名前を口々に叫んだ辺り、ふたりの両親だったのだろう。姉を母親が抱き寄せると同時、弓を背負った父親の方が、動けぬギデオンを蹴り飛ばし。その下にいたヴィヴィアンすらも乱暴に突き飛ばして、彼女の腕に守られていた幼い娘をひったくる。
「よくもうちの子たちを、このよそ者ども、今ここで──!」「そんな場合じゃないでしょう! ああ、この子もやっぱり、早くクルト様にお診せしないと──!」……その言葉を聞いたギデオンは、駄目だ、と必死に伝えようとした。駄目だ。行くな。クルトはもう死んだ、俺が殺した。魔獣に堕ちてしまったからだ──そのトリガーは月光だ。月明かりの下に出たが最後、その子らもきっと同じ運命をたどってしまう。だから頼む、行くな、この森を出るな。闇のなかに隠れていてくれ。ああなってしまわないでくれ……。
ギデオンの必死の思いは、しかし彼らに届かない。再び怯えて泣きはじめた妹の声を最後に、フィオラ村の四人家族が森の向こうへ遠ざかっていく。やがてどこかで、悲鳴、絶叫。辺りの木を薙ぎ倒すような激しい物音がしたかと思うと、魔獣の歪な産声が上がった。それを耳にしてしまった途端、思わず辺りの下草をぐしゃりと掴み、わなわなと顔を俯く。胸に込み上げる苦しさは、血を吐くような罵声となって。)

…………っ、くそ……っ!





802: ギデオン・ノース [×]
2024-08-05 00:34:18




 ( 知己の躯を目の前に、同業のギデオンがそうしたように、ビビもまたこの夜に響く鋭い刃物が肉を経つ音の意味をあえて聾唖のようにやり過ごした。ここは危険な敵の陣地で、いつ脅威を取り戻すか分からない今は無力化された大型の魔物が三体。遠方と意思疎通できる魔法を持つビビが連絡、力のあるギデオンが魔物の処理に取り掛かるのは非常に合理的な判断で。 )

現在…………"魔獣"、と交戦中。
負傷者あり。方角は……西の陽動隊です。

 ( 双方夜空を彩り、増援要請を受信すれば。振られた問いかけに所感を挟むと、何か余計なことを言ってしまいそうで、あくまで事務的に努めた返答は何処か少し頑なになる。部隊最大の目標は、護衛対象であるレクターら3名、部隊の全メンバー、それから無事な村民たち──これはもしいるのであれば、だが──全員での脱出だ。調査を主な目的として組んだ少ない人員で、余計なことを考えている暇は無い。一刻も早く、仲間たちの合流すべきだと即座に意見を一致させれば。陽動隊のいる森へと、件の花畑の近くを突っ切ろうとした時だった。
花畑へと通じる斜面の間から、小さく啜り泣く声が聞こえてギデオンと顔を見合わせる。……っ、っく、と微かに震える吐息の出処を探して、警戒しながら低木の間をかきわければ──「あなたたち……! 無事だったのね!」そう声を上げたヴィヴィアンに、わっと泣き声を上げながら飛びついてきたのは、この村に来てから何度もビビを助けてくれた可愛い姉妹の妹の方で。可哀想に、村のあちこちから上がる破壊音に怯え切り、小さな身体を全身ぶるぶると震わせながらすがりついてくる幼い少女は、すっかり憔悴仕切って、小さな手がぎゅう……とビビのローブに皺を作るのが痛ましい。「大丈夫、大丈夫よ……お姉ちゃんたちとっても強いんだから……」一刻も早く安心させてやらねば、と彼女を抱えて立ち上がり、それまで沈黙を保っていた姉の様子も確認しようとしたその瞬間。「あなた達が、村をこわしたの」それまで聞いたことも、見せられたこともない。姉と言えどまだ6つか7つかそこらの幼い少女の瞳と、その声に籠った酷い憎悪にビビの身体がびくりと強ばる。その瞬間、それまで気持ち悪いほど無風だった空間に、ざあっと嫌な風が吹いて、美しく切りそろえられた金の前髪──その間からぎらりと紅い魔核が覗いていた。 )

……っ、




801: ギデオン・ノース [×]
2024-08-05 00:19:22




(──だいきらい。あなたたちみんな、だいきらい。おおうそつきの卑きょう者。
幼い少女がどろどろと吐く、あまりに苛烈な怨嗟の台詞。それを真っ向から向けられたギデオンとヴィヴィアンは、ともに遥かな大人の筈が、根が生えたように動けない。そんな有り様のふたりを前に、幼い少女はなおも続ける。「どうして“エドラ”を連れてきたの。どうして……どうして……“エディのむすめ”を、村に入らせてしまったの」。
突然の思いがけない言葉に、ギデオンの瞳が揺れた。何のことだ、誰のことだ、この子は何を言っている。しかしその狼狽顕わな反応が、ますます気に障ってしまったのだろう。「知らないはずはないでしょ!」と、少女が顔を歪めて叫んだ。
「“エドラ”はわざわいのいみごなの。“エディ”の血を引いてるの。だから生きているだけで、村の守りをこわしてしまうの! それであたしのパパとママは、ちっちゃいころに住んでたおうちを捨ててこなくちゃいけなくなった。だからそのときの“むらおさ”が、赤ん坊だった“エドラ”をころしてくれたはずだった。
なのに“エドラ”が生きてたの。知らんぷりしておとなになって、あなたたちといっしょになって、まるで親切なぼうけんしゃみたいに。でも、“エドラ”は“エドラ”なの。ぜんぶ、ぜんぶ、こわしてしまうの。絶対にあいつのせいよ、あいつを連れてきたあなたたちのせいよ。村に怪物が入ってきたのも、パパやママや、あたしまで、みんなみんなこわれていくのも……!」

──クルトは言っていた。誰かが儀式の祝杯に、魔獣化の秘薬を盛ったと。
──村人は言っていた。ラポトを開催している間に、“あの女”がいなくなったと。

──昨日の村人が言っていた。“あの年増の方は、随分うまくやってくれた”と。
──昨日の仲間たちが言っていた。彼女は随分簡単に、調査に出る許可を出したと。

一昨日のあの真夜中、彼女は随分取り乱していた。
“聞きたいことがあるの”と、クルトに激しく詰め寄りながら。

一昨日のあの夜更け、ギデオンは目撃していた。
その数時間前に、彼女がたったひとり、村の歴史の記された場所にこっそり忍び込んだのを。
己の荷物から取り出した、何ものかを握りしめながら。

思い出せ。あれはなんだった。
月明かりに照らされていたあれは、奇妙な刺繍の縫い込まれたハンカチではなかったか。
あの刺繍、あの紋様は……フィオラの建物に飾られていた、あのタペストリーそっくりだった。
そして、古く、くたびれていて……形見か何かのようだった。

心臓が早鐘を打つ。ギデオンの頑なな理性が叫ぶ。有り得ない。荒唐無稽だ。年代がまるで合わないはずだ。エディ・フィールドが生きていたのは、二百年も昔の話。とっくに死人になっている。
だが、しかし。彼の怨念の権化だというウェンディゴは、その当時から今の今まで、実際に何度も村を襲い続けてきた。月の魔力を得た“英雄”が、何度噛みつき引き裂いても、必ず蘇るその不死性──そうだ、まるで、どこかほかのところにでも心臓があるかのような。
……それが本当だとしたら?

かつてフィオラ村を支配していた、悪逆非道のフィールド家。
その跡取り息子、いかれたエディ・フィールドは、死体の皮を弄んで踊るような男だった。

彼がもし、本人ですら気づかぬうちに……生死の境を曖昧にする禁断の黒魔術を、その身に宿していたとしたら。
ウェンディゴ・エディの本体、心臓、エディ・フィールドの屍が。
未だ白骨化することもなく、どこかに残っているとしたら。

もしもその不滅の死体が、いずれ誰かに見つかったとしたら。
歪んだ性を謳歌する文化に育ったフィオラの娘が、たまたま見つけたとしたら。

山のどこかに横たわる、生きても死んでもいない体と、欲望のまま交わり、孕み。
二百年前のその男の血を、魔力を継いだ、禁忌の娘を産み落としたなら。

──ギデオンたちが、このヴァランガ峡谷にようやくたどり着いたとき。そこで初めて目にしたのは、打ち捨てられた村の跡だった。
“この村の人々がここで生活をしていたのは、どんなに新しくても数十年前のように思える”。
あの時ギデオンは、そんな感慨を抱いたはずだ。

もしそれが、ほんの四十年ほど前の出来事だったのだとしたら。
“エドラ”が誕生したその時、エディ・フィールドの新しい血が村の内側に生じたことで、村を守る結界が解けてしまったのだとしたら。
生まれながらにウェンディゴを招き入れてしまう、災いの赤子。
その血の源、父親の正体に、村が気がついたのだとしたら。

許されざる大罪……二百年前の狂人の子を産み落とした、という咎でフィオラを追われた母親が、村を飛び出し、東へ東へと落ち延びて。
娘を育て、やがては死んで。
名門ギルドがどこも構える併設の孤児院に、彼女が引き取られたとしたら。
かつてのギデオンと同じように、そこで育ち、見習いとなり……やがて冒険者になったなら。

その娘、忌み子エドラの今日の名が、──“エデルミラ”なのだとしたら。)


……──ッ! 伏せろッ!

(──ぎり、ぎり、と引き絞る、殺意に満ちた弦の音。にわかには信じがたい真相気をとられていたギデオンは、しかしその音を聞きつけるなり、我に返って叫びながらヴィヴィアンを内に庇った。途端にびぃん、と矢を放つ音。森の宵闇を切り裂いたそれは、一瞬前までそこにあったヴィヴィアンの顔を貫き損ね。代わりに、ギデオンの纏う鎧を強かに打ち饐えて、その体を容易く倒す。
呪いに強いミスリル鋼は、物理攻撃にも勿論強い。だがそれは、命を奪う一撃を通さないというだけで、衝撃を打ち消すわけではない。ましてや、今ギデオンが食らった弓矢は、実は対ヘイズルーン用の異様な破壊力を持つもの。生身の人体なら文字通りバラバラに砕け散ってしまうほどのそれを、鎧ひとつでどうにか跳ね返したギデオンは、しかし全くダメージを負わないというわけにはいかず。びりびりと、全身が激しく痺れてままならない感触に、それでも相棒とフィオラの幼女を潰さぬよう腕を立てながら、苦し気な呻きを漏らす。
そこに足音も荒く駆けつけたのは、フードを被ったフィオラの男女だ。息を荒げていたそのふたりは、姉妹の名前を口々に叫んだ辺り、ふたりの両親だったのだろう。姉を母親が抱き寄せると同時、弓を背負った父親の方が、動けぬギデオンを蹴り飛ばし。その下にいたヴィヴィアンすらも乱暴に突き飛ばして、彼女の腕に守られていた幼い娘をひったくる。
「よくもうちの子たちを、このよそ者ども、今ここで──!」「そんな場合じゃないでしょう! ああ、この子もやっぱり、早くクルト様にお診せしないと──!」……その言葉を聞いたギデオンは、駄目だ、と必死に伝えようとした。駄目だ。行くな。クルトはもう死んだ、俺が殺した。魔獣に堕ちてしまったからだ──そのトリガーは月光だ。月明かりの下に出たが最後、その子らもきっと同じ運命をたどってしまう。だから頼む、行くな、この森を出るな。闇のなかに隠れていてくれ。ああなってしまわないでくれ……。
ギデオンの必死の思いは、しかし彼らに届かない。再び怯えて泣きはじめた妹の声を最後に、フィオラ村の四人家族が森の向こうへ遠ざかっていく。やがてどこかで、悲鳴、絶叫。辺りの木を薙ぎ倒すような激しい物音がしたかと思うと、魔獣の歪な産声が上がった。それを耳にしてしまった途端、思わず辺りの下草をぐしゃりと掴み、わなわなと顔を俯く。胸に込み上げる苦しさは、血を吐くような罵声となって。)

…………っ、くそ……っ!





803: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-08-06 12:48:02




ッ、ギデオンさ──うっ、ぐ、

 ( 一体何が起こったというのか。否、本当はビビも分かっている。尊敬出来ると思っていた女性の不審な行動を、その悲しい出自を、それを肯定的に語る少女の歪さを、その少女の口から語られる真相の全てを、脳が理解するのを拒むかのように呆然としていた瞬間だった。重い矢が空気を切り裂く音が響いて、いつの間にかビビに覆いかぶさっていたギデオンが、重力のままに崩れ落ち、どさりと地面に膝をつく。その勢いまま横なぎに吹き飛ばされた相棒に、思わず視線を奪われれば、自分も強く後方へ突き飛ばされて、少女を守るようにして倒れ込んだ先が悪かった。剥き出しの木の根に、こめかみを強かに打ち付けてしまい、目の前の光景が白く黒く明滅し。
──あ、ダメ。連れていかないで……そう腕の中の温もりがひったくられる感触に、ぐらぐらと揺れる視界を無理やりあげれば。以前も話した少女たちの母親と、どうやらその父親らしいシルエットに、打ち付けられたばかりの頭が混乱する。──……あれ、この子達のママなら、何で渡しちゃいけないんだっけ。その一瞬の隙が命取りで。もうそれ以降は、それが一瞬のことだったのか、それともビビの意識が混濁していただけだったのか分からない。遠くで上がった咆哮に、やっと後悔しても全て遅く。「ギデオン、さ……」そう掠れた声で相棒を呼びながら、横たえた身体を起こそうとしても、ぐらりと揺れる視界に吐き気が酷くてままならない。そうして耳の上を流れる温かい液体に、ああ、シャツが汚れちゃう……なんて。最早全滅を待つ二人の前に、"彼女"が現れたのは、そんなどうでも良いことを考えていた時だった。 )

──エデル、ミラ……さん、




804: ギデオン・ノース [×]
2024-08-07 02:57:09




(相棒がふたつの名を呼ぶ。ひとつはか弱く縋るように、ひとつは微かに慄くように。ただそれだけで、ギデオンの苦痛の一切が、恐怖と覚悟に塗り替えられた。──何ひとつ、だれひとり、己の相棒すら守れない。そんな無様な有り様を、これ以上許してなるものか。
腹の底から死力を起こす。骨と臓腑の悲鳴を捻じ伏せ、煮え滾るような血を全身に巡らせる。次の瞬間、相手を庇うようにして振り返りざまに剣を抜き、この場にのうのうと現れた裏切り者へまっすぐに突きつけた。ギデオンの息は未だ荒い。怒りと敵意に燃える眼は、相手を激しく睨みつけ、それだけで射殺さんばかりの勢いだ。しかしそれでも、目の前の女……闇のなかから幽霊のように現れた、満身創痍の女剣士は。その凪いだような無表情、いっそ悟りに至ったような面差しを、ひとかけらも崩さない。
──エデルミラ・サレス。そう名乗っていたこの冒険者を、かつてはギデオンも信頼していた。カレトヴルッフの双璧ギルド・デュランダル、その上層部のたっての人事で、大型クエストの総隊長に任命される。そんな地位を手に入れるのは、並大抵のことではない。ましてや女ともなれば、それだけの功を立てるまでに、どれほど血の滲むような努力を注いできたことだろう。そんな立派な傑物が、ギデオンもまた一目置くほどのベテランが、多数の味方の命を預かっていたこの状況で。──己の悲惨な生い立ちと、それ故の故郷への憎悪。そのために全てを投げ捨て、大量の人体破壊に手を染めた。それこそがギデオンにとって、何より許しがたい罪だった。そもそも彼女の正体が、このフィオラ村の一員であったことだとか……黒魔術により誕生した、禁忌の存在だったことだとか……そんな話はどうでもいい。エデルミラはその心根を、私怨のために腐らせて、皆を道連れにしかけているのだ。
「あなたたちを巻き込むつもりはなかったの」エデルミラはそう白々しく宣いながら、こちらの魔剣をものともせずに、ゆっくりと近づいてきた。当然拒絶すべく、怒りを込めて威嚇する。しかし、「あなたに彼女が治せるの?」と、ヴィヴィアンを見て言われれば──暗に言われた申し出に、思わず一瞬固まってしまう。その間にエデルミラが屈み、宣言通り、ヴィヴィアンの頭に手を添えた。割れた唇が呟くのは、狂った女のそれとは思えないほど穏やかな聖呪文だ。……そう言えば、いつかの旅路で彼女本人から聞いていた。女性としてその必要に迫られることが多いから、本来は専門外の治癒魔法も幾つか身につけているのだと。
──あなたたちは何も悪くない。ヴィヴィアンの傷を癒しながら、エデルミラはそう呟いた。悪いのはこの村だと。フィオラの因習と欲望が、彼女の母親の気を狂わせ、村を出て行って何年も経ってからも、凄惨な死に方を選ばせることになったと。エデルミラがフィオラを憎むのは、つまるところ、幼い頃に自死してしまった母親への愛ゆえだった。母を狂わせ、追放し、離れても尚呪った故郷。そんな仇を討ち取るためなら、死んでも惜しくはないのだと。
「ごめんなさい、ふたりとも……」治療を終えた彼女が、ヴィヴィアンの額をそっと撫で、顔を見せずに立ち上がる。「勝手な生き方をしてごめんなさい。でももう、私にはこれしかない。私自身、もう時間があまり残っていないの。──この谷に来てから、体がずっとおかしかった。今ならその理由がわかる。父が私を欲しているのよ。それに、あの花……あれが皆を、フィオラを狂わせてしまうから。あれを絶やしておかないと。絶滅させてしまわないと……」。
──そうして、最後に微笑んでから、エデルミラはいなくなった。遠く聞こえるウェンディゴの呻き声、おそらくそちらに向かったのだろう。彼女が最後に言い残した、「まだ間に合う人たちがいる」という言葉が気になるが、今ばかりは後回しだ。脅威のいなくなった森のなか、今度こそ相棒を己の腕にかき抱く。そうして、既に傷は塞がっているものの、流れていた血がこびりついた前髪をそっと目許から避けながら、「ヴィヴィアン、」と、祈るような声で相手に優しく呼びかけて。)

ヴィヴィアン、ヴィヴィアン……大丈夫か。





805: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-08-11 17:02:31




ええ……もう、すっかり……。

 ( 初対面のインパクトはレクターのせいで少し薄れてしまったが、今回の依頼でどんなにビビがエデルミラに憧れ、同性としてその能力の高さを尊敬したか。正気を失ってしまって尚、流れ込む魔力の誠実さに、エデルミラの言葉を借りれば──"まだ間に合う"、そう、未練を感じてしまうのは甘いだろうか。 )

──ギデオンさんっ、
エデルミラさんの治療! …………その、とっても丁寧で。なんと、いうか……本当は悪い人じゃ……いいえ、やったことは間違ってる、分かってます。
……でも、勿論お咎めなし……って訳にはいかないでしょうけど、死のうとする人を止めずに行かせるのは、それは……私たちが殺したってこととじゃないですか!

 ( どうして今こんなことになっているのか。村に来てからのビビは、ずっと仲間たちに迷惑をかけ通しで、先程もその腕からみすみす尊い命を取りこぼしたばかりだ。少女を庇っていたのがギデオンだったら、ああも簡単に彼女を奪われはしなかったのではないか。そう暗い眼差しを一瞬、ぎゅっと力強く瞼の奥に閉じ込めたかと思うと。次の瞬間にはキラキラと大きく瞳を見開いて、熱く逞しい腕の中、往生際悪くギデオンに言い募るヴィヴィアンの思考からは、すっかり己の身の安全の考慮など抜け落ちていて。
冒険者として今するべきことは何か。幾ら治療を受けたとはいえ、強く頭を打ったばかりだ。そうでなくとも、ギデオンへ言い募りながら、そ負傷を治療したビビに西の陽動隊を援護し得る余裕は最早なく。であれば、いち早く既定の合流スポットまで向かい、残りの魔力は仲間の治療に専念するのがベターだろう。そんなことは分かった上で、それ以上のベストを目指す権利が自分にあるものか。今回の作戦で一番未熟な自分に、あるわけが無いことも、これが自分に甘い相棒への甘えだということも分かっていたにも関わらず。もうこれ以上"間に合う"命を取りこぼしたくない、その混乱のまま起き上がれば。相手がこちらを見下ろす心配げな表情も。いつも冷静な判断を下す相手の意見に食い下がるための、罪悪感を煽るその言葉が、どれだけギデオンの心を踏みにじるかも、全て見落としてしまっていて。 )

お願い、ギデオンさん。
私達も花畑に、エデルミラさんを追いましょう。





806: ギデオン・ノース [×]
2024-08-12 18:45:26




…………、

(一瞬、思わず声を失う。真顔のまま固まったのは、思考が何ひとつ働かなくなってしまったせいだ。かすかに揺れる薄花で、相手の翡翠をただただ見返す。そこにあるのはきらめきだけ……まっすぐで聖らかな、彼女の澄みきった信念だけ。それの何に衝撃を受けたというのか。考えられない、わからない。
その膠着状態が、思考回路に見切りをつけさせたのだろう。ふ、と不意に視線を外し、一度静かに顔を伏せる。それから再びそちらを見上げたそのとき、そこにはすっかり、いつもの“ベテラン剣士”がいた。少々険しくなった眉間に、引き結んだ一文字の口、この流れなら当然だろう。「おまえはいつも……、」と呟いた、その低い小言の響きで、相手も思い出すだろうか。ふたりが相棒になりはじめたあの頃、まだしょっちゅう無茶ばかりしていた彼女に、ギデオンはよくこの顔をしていた。)

……俺がどんなに、いろいろ頼み込んだって。おまえはきっと、あいつを救いに……行くんだよな。

(呆れながら白旗を上げたとも、或いは相手の望みを聞き届けたとも、どちらともつかないような、複雑ながらも凪いだ声。それを落としながら、武骨な掌を相手に差し出し。彼女がそれを手に取ったならば、共に立ち上がる手助けをして。
そうしてまずは真っ先に、相手の様子を確かめる。ふらつきはないか、ままならないところはないか。それから今度は、その両頬を縫い留めるように包み込んだ。少しばかり土に汚れてしまった柔肌、けれども血色は悪くはない。視線も危うく揺らぐことはなく、瞳は生気に満ちている。……魔力弁で彼女の魔径に軽く触れる。その生き生きとした感触からしても、あの女は本当に、彼女をしっかり治したようだ。
こつん、と額を触れ合わせ。目を閉じて数秒、無言で相手に祈りを伝える。その間もこの森の向こう、花畑のある方角からは、移動したらしいウェンディゴの凄まじい呻き声がしていた。──あそこに行くのは自殺行為だ。エデルミラだってそのつもりだ。そんな場所にヴィヴィアンを? もうこれ以上、危険な目には遭わせたくないというのに。
それでもギデオンの前身は、彼女の決して揺るがぬ意志にどこまでも忠実だ。両手を下ろし、ゆっくりと目を開け、相手の瞳を覗き込む。そうして温かい吐息と共に、こちらからも懇願を。)

次に、おまえが……少しでも怪我をしたら。今度こそ、そこで終わりだ。
そうすると……約束してくれ。





807: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-08-14 13:38:40




…………約束します。
ありがとうギデオンさん、大好きです!

 ( 相手のことをするように、自分のことも大切にする。その約束を決して忘れた訳じゃ無い。しかし、"まだ間に合うかもしれない" そう目の前にぶら下げられた甘い希望に意思が揺らいで、頬に触れた温かな手にはにかんだ娘の声が、寒々しく響いては消えていく。本当に相手が好きならば、ギデオンさんの想いを優先するべきだった。この優しい瞳の震えを、絶対に見落とすべきではなかった。エデルミラさんを助ける方法は、きっとほかにもあったはずだ。そう未来の自分が、何度も後悔することになるとは露知らず。感極まったように相手を抱きしめた腕をそっと離して、腰から提げた杖をひとふりすると、まもなく息を切って花畑へと走り出してしまった。
そうして、黒々とした木々の合間を走る二人に、──林檎のような、桃のような、甘く、噎せ返るように濃密なその香りがその存在を知らしめる。次第に頭上を覆っていた木々が途切れると、ますます香りは強まって、見渡す限りの赤、赤、赤──……視界に映るのは、フィオラの見事な星空と、それをぐるりと切り取る険しいヴァランガ山脈、そして燦然と咲き誇る真っ赤な"花"たち。その危険性を知って尚、天頂にあんぐりと口蓋を開いた満月の下、ほのかに発光するかのような鮮赤に目を奪われると。はっと一瞬遅れて口を塞ぎ、咄嗟にハンカチを生成した水で濡らして相棒にも差し出し、自身はローブのフードを片手で口元へと寄せて。 )

出来るだけ吸わないでください、花粉だけでも何が起こるか…………ッ、

 ( そうして、風が吹くとますます舞い上がる強い香りに目を細め、ぐるりと周囲を見渡した時だった。頭痛がするほど甘美な花の香りの中、むわりと場違いな腐臭が鼻をつく。その身の丈は3mをゆうに超え、最早人間の面影を残すのはその二足歩行のシルエットばかり。その体躯すら骸骨のようにやせ細り、全身から生える長い体毛が、積年の脂と氷に固まってぬらぬらと醜悪に月光を照り返している。ウェンディゴ──もといエディ・フィールドの成れの果て。先程対峙した時よりも、一回り大きくなったかのようなその一撃に咄嗟に横へと飛び退いて、花の花粉に全身を桃色に染めながら振り返れば。──どうやら向こうもこちらを覚えていたらしい。明らかにギデオン目掛け飛びかかってくる知能の高い獣に適切な援護も埒があかず。フィオラの冬空に高らかな詠唱の声音を響かせれば、エディの周辺の花々が勢いよく燃え上がったのは、渾身の炎魔法が弾かれたためで。 )

ギデオンさんッ!!
~~~ッ!! この化物ッ、こっち向きなさいよ!!




808: ギデオン・ノース [×]
2024-08-17 18:49:03




(再び対峙したウェンディゴは、先程よりも明らかにその手強さを増していた。おそらくは、辺りに満ちる闇のマナを吸い上げているせいだろう。すなわち夜明けを迎えぬ限り、ここは奴の独壇場。そう悟ったギデオンが、すんでのところで怪物の爪を躱し、魔剣を構え直したその時。敵の喉元を睨みつけていた薄青い双眸が、はっと大きく見開かれた。──相棒の 炎魔法が弾き飛ばされたその場から、鋭い悲鳴が上がったのだ。
まさかだれかが……エデルミラが伏せていたりでもしたのかと、そう恐れて確かめるも。焼けているのは草花だけで、人の姿は見当たらない。ギデオンが混乱しながら眺めていると、その橙色に輝く破壊は周囲にも広がっていき……それにつられて、絹を裂くような不気味な悲鳴が、ひとつ、またひとつと増えた。──理屈を飛ばして、直感が解をもたらす。断末魔の声を上げているのは、誰かではない……フィオラの“花”だ。
どうやら敵の腐った耳にも、その絶叫は同じく届いてたらしい。そちらをぐるりと振り向くと、鋭い牙の並んだ口を、ぐにゃあと酷く邪悪に歪めた。嗤っている、と気がついたギデオンが、一瞬早くそれに気づいて、すかさず矢のように飛び出すも。怪物はその巨大な手を、月に向かって大きく掲げ──ぐわん、と一気に振り下ろして。)

──……ッ、避けろッ!

(ヴィヴィアンを己の内側に庇って転がったその背後、派手な火柱が空高く噴き上がる。 ──冬の乾燥しきった大気を、闇で強まった怪物の力で、炎に向かって勢いよく煽りつけたらどうなるか、考えるまでもないことだ。安全地帯に逃げ出そうにも、今やギデオンとヴィヴィアンは、フィオラの花畑の真ん中で、激しい業火に囲まれていた。ウェンディゴが嬉々として巻き起こす嫌な風が、また新たな爆炎を立ち上がらせて行く手を阻む。必然、辺りを震わす花の悲鳴も、数百、数千にものぼり、これだけでも頭が割れそうに痛い……花自体に、おそらく闇の魔素か何かの力が宿っているせいだ。熱風に巻かれ、花の悲鳴に圧をかけられ、その鼻や口から思わず血を垂れ流しながら、それでも瞳だけは真剣に、ヴィヴィアンを強く見据える。それはかつての自己犠牲的な陰りではなく、この場をふたりで切り抜けるための、ひたむきな意志によるもので。)

一瞬でいい、守護魔法をかけてくれ……俺があいつの動きを止める!





809: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-08-27 10:32:06




……っ、!

 ( ──己の判断ミスが今、こうして他でもないギデオンを流血させるに至っている。もろに熱波を喰らったのだろう。鼻や口からの血だけでは無い、ビビを庇い、その凛々しい表情を赤く上気させたギデオンを目の前にして。最早思考するより早い治癒魔法と共に、請われるがまま施した守護魔法は、ただひたすらに相手の無事を祈るもので、決して愛しい人を死地に向かわせるためのものでは無かった。しかしビビがかけた守護魔法を確認するやいなや、真っ直ぐにウェンディゴへと向かっていくギデオンに、やっと自分の判断が間違っていたこと。自分の思い上がりが相手を傷つけたことに気がつけば、全てを投げ出して悲愴に嘆き沈み込みたくなる思考を、今は無理やりにでも振り払う。──後悔している暇などない、自分が招いた事態だからこそ、無事にギデオンさんを帰さなくては。そう構え直した魔法の杖で、相棒に降りかかる火の粉を丁寧に払いながらぐるりと周囲を見渡せば──見つけた! と、激しくとぐろを巻きながら燃え上がる火炎のその奥に、時たまぐらりとよろめきながら満身創痍で赤い波を掻き分けていくエデルミラを発見すると。ギデオンがウェンディゴを討ち漏らすなど微塵も思わぬ素振りで、危険な魔獣のその隣を真っ直ぐに駆け抜けて。 )

エデルミラさん! ……エデルミラさん!!
お願い、こっちを見てください!!

 ( 今はギデオンに集中しているとはいえ、いつウェンディゴの注目がエデルミラに移るか分からない。ギデオンが魔獣の動きを止めてくれた今のうちに、手負いの女を花の影に隠そうとして。しかし何度呼び掛けても反応がない女剣士に、半ば体当たりするかのような勢いで飛びつくも、ギデオンにそうした時よりは劣るとはいえ、鍛え上げられた隙のない体躯は一瞬小さく揺らいだだけで、その歩みを止めてはくれない。それどころか、ビビを認識するような素振りも見せずに、何やらブツブツとよく分からない呪いのようなものを垂れ流しながら歩き続けるエデルミラに、引き摺られるような形でかじりつけば。最悪なタイミングとは重なるもので、「うわああッ!? 火が!!!」「花が……花が!!」「お前らがやったのか!?」と、正気を失った女剣士と、彼女を止められるずにかかりきりになっているヒーラーの前に現れたのは、各々額や首筋、腕などに赤い魔核を携えた村人達で。「だめっ……!」と、無力な自分に思わずあげたその声は、果たしてエデルミラに掛けたのか、それろも噎せ返るような花の香りと満月の下、その肘から何やら仰々しい腕を伸ばした村人達が、その目から次々に正気の光を失ってその姿にかけたものだったか、 )

……だめっ、だめ!! 止まってよぉ!!




810: ギデオン・ノース [×]
2024-08-31 01:59:36




(「駄目だ、止めろ──火の手を止めろ!」
こちらにようやく引き付けた敵に、魔剣を叩き込むこと暫く。必死なその声がギデオンの耳に届いたのは、先にヴィヴィアンの悲痛な叫びを聞きつけ、振り返った時だった。逆巻く炎の向こう側、異状に気づいて駆けつけたらしいフィオラ村の連中が、まだぞくぞくと森の中から現れている。大事な花畑が炎に呑まれる光景を前に、かれらは本気で悲鳴を上げて、もはや他には目もくれない。めいめい水魔法を繰り出そうとして──掲げられたその手はしかし、先着の同類同様、月に向かって固まってしまう。
思わず己の魔剣を下ろしたギデオンの瞳の奥に、あの光景が鮮烈に甦る。歪む肉、軋む骨、閃く牙──理性を失した、獣の白眼。あのとき、人間をやめたクルトは、双子は、どんな本能を晒したろうか。思わぬ窮地に我を忘れ、「逃げろ!」と叫びながら、駆け出そうとしたそのときだ。ゆらりと背後から近づいた巨影が、ギデオンの背面を強かに横殴りにした。がぃん、と強烈な金属音──爪とミスリルが火花を散らし、鎧の戦士が吹っ飛んでいく。その先は業火の渦、ひときわ激しく燃え盛る場所で。どっと叩きつけられるなり、無数の火の粉が激しく夜空へ舞い上がった。……これまではそこからも魔物に斬りかかっていたギデオンは、しかし今回は立ち上がらない。炎のなかで黒々と、呑み込まれたまま動かない。
ウェンディゴが嗤う。巨躯を満月に伸びあがらせて、どろどろと醜く嗤う。
エデルミラが呪う。傍目には理解不能な使命を帯びているかのように、ぶつぶつと何かを呪う。
村人たちは、もう間に合わない。絶叫しながら苦しみ悶え、皆めりめりと歪んでいく。
やがて彼らが成り果てた、フィオラの“英雄”、禁忌の魔獣。その真っ白に濁った眼が、皆ヴィヴィアンをひたと見つめて。
目の前の柔らかな“肉”に、口を開いた──その時だ。)

──ヴィヴィアン……ッ!

(炎の渦のなかから、文字通り雷のように輝く一筋が飛び出した。それはそのまま、ウェンディゴの胸をまっすぐに貫きざま、魔獣の群れに突っ込んで。ヴィヴィアンとエデルミラににじり寄っていた化け物たち、そのおぞましい首を皆、一太刀で撥ね飛ばす。
荒い息を吐きながら相手を振り返ったのは、もはや金色に熱された鎧を纏うギデオンだ。その肌も髪も、焼かれた痕はどこにもない──彼女の護りは効いていた。流石に全てを無効とする万能の魔法ではないから、物理的な衝撃を一瞬喰らっていただけで、未だ尽きてはいなかった。血走ったせいか紫がかったその双眸で、己の相棒をじっと見据える。純白のローブをはためかせ、栗毛を揺らすヴィヴィアンの、何より鮮やかなエメラルド。相棒となって以来、昼も夜も、幾度となく見つめてきた彼女の瞳。
それは不思議と、酷く静かな一瞬だった。向こうではウェンディゴが苦悶にのたうち回っているし、エデルミラは詠唱をやめず、まだ他にもいる村人たちの成れの果ては、唸りながら近づいてきている。炎はごうごうと勢いを増して、森に燃え移る勢いだ。──それでも、静かに口を開いた。彼女にはまっすぐ届くと、確信しきった声だった。)

……俺が“戦う”。絶対にお前たちを守る。
だから、エデルミラを……“治して”くれ。





811: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-09-02 22:42:58




──! ……はいっ!!

 ( 守護魔法の光を煌々と放ち、その鎧を金色に輝かせる相棒に思わず瞳を見開いて。その深い声が雷鳴のように鼓膜を震わせ、信頼に満ちた瞳が此方を射抜くだけで、それまでの絶望が嘘のように晴れていくのだから不思議でならない。何のことはない、この状況を“止める”には少し筋力不足だったかもしれないが、“治す”のは己の得意分野だ。ましてや他でもない相棒に任されたとあっては、それだけでエデルミラに引きずられていた背筋が伸び、熱気に侵されていた呼吸が楽になるようで。
アドレナリン放出で気が大きくなり、暴れる戦士を取り押さえるにはコツがある。それが魔法を使う手合いの場合、まずはその詠唱をとめてやることだ。難しいことはしない、できない。これがお優しい後輩ならばいざ知らず、ビビの場合は物理的にその口へと拳を突っ込んでやるのがやり口だ。相手の唇の動きに耳を傾け、その口が一際大きく開かれる瞬間、振りかぶった拳を相手の下顎目掛けて突き上げる。この時のポイントは、多少の抵抗が入ろうと絶対に拳を開かないこと、でないと指を噛み千切られるからだ。そうして目下の脅威を退ければ、物理アタッカーの場合、次は飛んでくる膝や肘をその辺の硬質な物体──今回は転がっていた補助腕の金具でいなして、相手が自分で繰り出した攻撃の威力で怯んだところを、「えいっ!」と全体重で組み伏せる。そうして繰り出す関節技は少々反則気味な気もするが、力も速度も格上相手に、しかもこれを喰らって尚カレトヴルッフの戦士たちは痛みに失神するまで暴れるのだから此方も手加減していられない。とはいえ、目の前の女剣士の場合はもう少し利口だったらしく。意識を落とす寸前で正気を取り戻したらしい彼女に、「一緒に帰りましょう、エデルミラさん!」と言い募れば。花畑に来てから初めて、話の通じそうな眼の色を浮かべた女剣士に、ついつい気ばかり逸って腕を外すより前にそうしてしまったからだろう。本来曲がる方向とは逆向きにキメられた己の利き腕を見たエデルミラが、「……それは脅迫かしら」と嘯くのを──それもありだな、と少し力を強めてみるも、その女の表情を見て一目で痛みでは支配できぬとわかれば、あっさり開放することにして。
とはいえ、エデルミラの調子が万全だったならば、ビビなど束になったところで適わなかったに違いない。組み伏せられる以前から満身創痍だった女剣士と二人、花の影で肩で息をすること数十秒。当初はビビの剣幕に「それは……」「私だって、」と気圧されていたエデルミラだったが、自分が発動した魔法陣を省みると「いいから逃げて」「あなた達を巻き込みたくはないの」と、再び頑なに首を振り出して。それでも諦めの悪いヴィヴィアンに周囲をぐるりと見渡せば、「貴女が此処に居たらノースさんだって巻き込まれるのよ」と、その言葉で一瞬ビビが怯んだのを見逃さず、隠し持っていた短剣でビビのローブを一際太い花の根に縫い付けてくる早業。そうして、娘が短剣を引き抜こうとする隙に華奢な腕を振り払えば、村民の成れ果てと対峙するギデオンの方へと駆け寄り、「……手伝うわ。だから、早くあの子を連れて逃げて」と。この場で一番強情であるビビの弱点と、そのビビ当人より余程ギデオンの感情を見抜く強かさこそ、彼女がデュランダルの代表としてこの村に来られた証左。しかし、次々と迫りくるかつて村民だった者たちに対し迷いのない剣さばきに、しなやかな身のこなしを一瞬鈍らせたのもまた、力任せに短剣を引き抜き、遥か後方でひっくり返っている、前線の二人より余程非力な娘の叫びで。 )

~~~ッ!! もうやめて!!!
そんな怪我で……ッ、こんな村のためにエデルミラさんが酷い目に合う必要なんかない!!





812: ギデオン・ノース [×]
2024-09-12 03:14:43




(ギデオンの傍にやって来て、再びその剣を“守るため”に振るいはじめた、“治された”女戦士。しかしその肩がびくりと跳ねて、ただただ無言で凍りつく。……何故、どうして。どうして己より若い彼女が、ヴィヴィアン・パチオが、かつての母と……同じ言葉を。

──大好きよ、エドラ。可愛い可愛い、世界でいちばんのたからもの。

温かい母の声が、耳に鮮やかに蘇る。
なんで、どうして、今更そんな。

──母さんのふるさとのために、おまえまで不幸な人生を生きる必要なんかない。
──おまえは広い広い世界を、のびのびと、自由に生きるの。
──古いものに囚われないで。過去の呪いに苦しまないで。
──新しい毎日を、いろんな人と笑って過ごして。それだけが、母さんがおまえに望む、ただひとつのお願いよ。

大好きだった母。世界の全てだった母。どんなに貧しい暮らしでも、自分を全力で愛してくれる母とふたり一緒なら、どこまでだって生きていける。……少女時代のエデルミラは、そう本気で信じていた。
しかしその母は、悪意によって潰された。追放されてもなお続く故郷からの嫌がらせに、心が耐えきれなくなったのだ。母の生まれ故郷は、母が遠くへ出て行って尚、母をしつこく追っていた。部外者を使って何度もこちらを見つけだし、直接的に追い回したり殺しかけたりするだけではない。母が何度職場を移っても、“気狂い売女”と吹聴され、言葉にするのも汚らわしい低俗なビラを振りまかれ。娘のエドラは呪われた子だと、悪魔と番った母親のせいで生れ落ちた存在なのだと、そんな噂が広められ。つい先日まで優しかったはずの町の人々が、自分たち母娘に石を投げるようになった……なんて経験も、数知れない。
そういった日々に苛まれることで、母はやがて、自分自身の存在を咎めるようになったのだろう。自分という罪人が生き永らえている限り、故郷の罰はどこまでも続く。そうすれば娘のエドラまで、こうして一生呪われ続けてしまうのだと。だから、母は命を絶った。もう許してくださいと、そんな叫びを全身の血肉で訴えかけるかのような、最も残酷な方法で。
悪意渦巻くこの世の中に、エデルミラはひとり取り残された。そしてその当の悪意は、まるでそれまでが嘘かのように、エデルミラをあっさりと忘れた。……おそらく彼らの執念は、追放した母の死を以て、ひとつの満足に達したのだろう。幼いエデルミラはどうせどこかで野垂れ死ぬと、そう侮ったのもあるのだろう。
──だからこそ、エデルミラの憎悪はより凄まじいものになった。母との苦しい日々のなかで、母が優しさから隠していたより多くのことを、エデルミラは察していた。だから、母は恨まない。恨もうとするはずがない。胸に沸く悼み悲しみ、それらは全て、どろりと重い憎しみへ。とある商店を名乗る男、引いては取引先を通じて彼に依頼した母の故郷。母を殺すまで止まらなかったかれらへの、決して忘れ得ぬ復讐心へ。
……それでも何度か、その暗い道を外れかけたことはある。母の愛を思い出しては、ただ自分の人生を生きようとしたことはある。名を変えて冒険者になってから、住める街も友人もできたし、結婚を申し込んできた男も、実のところ何人かいた。……けれどもエデルミラの体は、どうしても、どんなに頑張っても、男を受け付られけなかった。“悪魔の子”と詰られてきた幼少期のトラウマが、人と交じり合うことに恐怖心をもたらすのだ。
結局、普通の人生をどうにか生きてみようとしてみたところで、母の故郷が寄越した悪意は、今なおエデルミラを苦しめた。母のあの優しい祈りを忘れきることもできず、しかし陽向の人生に踏み出していくこともできず。きっと自分は、このままこうして苦しみながら生きていくのだろうと、エデルミラはそう思っていた。大好きな母のことを、この世で唯一忘れない存在。そうあることだけを抱きしめて、ひとりで朽ちていくのだろうと。
その矢先に偶然クエストで訪れたのが、このヴァランガ峡谷だ。それはひいては、母を殺した憎き故郷、フィオラ村との邂逅であり。…のより凄まじく極悪な所業の、誰よりも早い発見であり。母を殺しただけに飽き足らず、今なお国じゅうに呪いを広める怪物ども。かれらを今ここで根絶やしにしなければと、そうエデルミラが思いつめたのも、無理のないことだろうに。
──ああ、なのに。どうして今更、母の優しい愛の言葉を、自分にかけてくれた祈りを、思い出してしまうのだろう。
──もう、今更、遅いのに。
──私は母の言いつけに背いて、フィオラのやつらのお望みどおり……“悪魔の子”になったのに。)



(「は、はは……」と。魔獣の返り血に染まりきった女剣士が、涙をぽろぽろ零しながら虚しく笑い始めた途端。ギデオンはすっと真顔になり、その様子を無言で見つめた。──今までの暫くの間、女剣士エデルミラは、“ヴィヴィアンを守る”という共通の目的のもと、正気を取り戻したように見えた。ギデオンと肩を並べての淀みない剣捌き、敵意漲る魔獣どもを……フィオラ村の成れの果てを……次々屠るその姿こそ、何よりもそう実感させてくれたはずだ。彼女はまだ、無辜のだれかを守るために剣を振るえる人間なのだと。闇を切り裂き、活路を拓き、救いに向かう心があると。そう信じていられるのは、一瞬だけだったのか。
しかし、それは少しだけ違った。その顔の絶望に染めながら、それでも孤独な女剣士は、他意なくギデオンに縋りついてきた。「ごめんなさい、」と震え。「ごめんなさい。ごめんなさい。もう、魔法陣は発動してしまったの。だから、ほんとに、もう逃げないと。……だけど、おねがい。──わたしのことも、たすけて……」。
いったい何をした、と鋭い声で尋ねようとしたその途端。足元からの激しい突き上げが、丘の上の三人を襲った。再び起こる巨大な地震、周囲の業火の爆ぜる音を塗り潰すような太い地響き。それに混じって、どこかしかの深いところで、何かがバキバキと砕け散る音。思わず青い目を見開く──この女、こいつ、まさか。フィオラ村を滅ぼすために、地中の魔核を破壊したのか! 
「ヴィヴィアン!」と、エデルミラの腕を掴みながら、相棒の元に駆け寄ろうとしたそのとき。それを唐突に阻んだのは、しかし全く予想外の攻撃だった。いよいよ発動しはじめたエデルミラの魔法陣、そこから伸びる幾筋もの──血の触手。黒魔術ならではの、攻撃的な魔素の機構だ。
どうやら正気に戻る前の彼女は、術者本人を生贄にする術式を組み上げていたらしい。エデルミラの前身は、あっという間に深紅の触手に群がられた。その首も胴もきつく締め上げられたせいか、彼女ががくんと気を失う。振り返ったギデオンが、悪態をつきながら無理やり引き剥がそうとするも。今度はギデオン自身にも触手が殺到し首筋の頸動脈をずぶりと突き刺されてしまう。激痛に顔を歪めながら、それでも唸り声を上げて辺りの触手を斬り払った。ヴィヴィアンの聖の魔素がまだ己の魔剣に宿っている、そう信じたが故の一閃だ。そうして満身創痍のエデルミラを花畑から引き剥がし、血まみれの腕に抱き上げ、もう一度相手の元へ這うように向かおうとしたのと。──先ほど大ダメージを喰らったはずのウェンディゴが、業火の奥から再びその姿を現し、こちらに猛然と襲いかかるのは、どちらが先だったろうか。)





813: ギデオン・ノース [×]
2024-09-12 03:43:34




(ギデオンの傍にやって来て、再びその剣を“守るため”に振るいはじめた、“治された”女戦士。しかしその肩がびくりと跳ねて、ただただ無言で凍りつく。……何故、どうして。どうして己より若い彼女が、ヴィヴィアン・パチオが、かつての母と……同じ言葉を。

──大好きよ、エドラ。可愛い可愛い、世界でいちばんのたからもの。

温かい母の声が、耳に鮮やかに蘇る。
なんで、どうして、今更そんな。

──母さんのふるさとのために、おまえまで不幸な人生を生きる必要なんかない。
──おまえは広い広い世界を、のびのびと、自由に生きるの。
──古いものに囚われないで。過去の呪いに苦しまないで。
──新しい毎日を、いろんな人と笑って過ごして。それだけが、母さんがおまえに望む、ただひとつのお願いよ。

大好きだった母。世界の全てだった母。どんなに貧しい暮らしでも、自分を全力で愛してくれる母とふたり一緒なら、どこまでだって生きていける。……少女時代のエデルミラは、そう本気で信じていた。
しかしその母は、悪意によって潰された。追放されてもなお続く故郷からの嫌がらせに、心が耐えきれなくなったのだ。母の生まれ故郷は、母が遠くへと逃げだして尚、母をしつこく追っていた。部外者を使って何度もこちらを見つけだし、直接的に追い回したり殺しかけたりするだけではない。母が何度職場を移っても、“気狂い売女”と吹聴され、言葉にするのも汚らわしい低俗なビラを振りまかれ。娘のエドラは呪われた子だと、悪魔と番った母親のせいで生れ落ちた存在なのだと、そんな噂が広められ。つい先日まで優しかったはずの町の人々が、自分たち母娘に石を投げるようになった……なんて経験も、数知れない。
そういった日々に苛まれることで、母はやがて、自分自身の存在を咎めるようになったのだろう。自分という罪人が生き永らえている限り、故郷からの罰はいつまでも続く。そうすれば娘のエドラまで、こうして一生呪われ続けてしまうのだと。だから、母は命を絶った。もう許してくださいと、そんな叫びを全身の血肉で訴えかけるかのような、最も残酷な方法で。
悪意渦巻くこの世の中に、エデルミラはひとり取り残された。そしてその当の悪意は……まるでそれまでが嘘かのように、エデルミラをあっさりと忘れた。おそらく彼らの執念は、追放した母の死を以て、ひとつの満足に達したのだろう。幼いエデルミラはどうせどこかで野垂れ死ぬと、そう侮ったのもあるのだろう。
──だからこそ、エデルミラの憎悪はより凄まじいものになった。追われ続ける日々のなかで、母は優しさから多くのことを隠していたが、それでもエデルミラがそれに気づかなかったわけがない。母が自分を身籠ったせいで故郷を追われたらしいことも、自分への愛ゆえに様々な罪悪感に苦しんでいたということも、自分はきちんと知っていた。だから、母は恨まない。恨もうとするはずがない。胸に沸く悼み悲しみ、それらは全て、どろりと重い憎しみへ。とある商店を名乗る男、引いては取引先を通じて彼に依頼した母の故郷。母を殺すまで止まらなかったかれらへの、決して忘れ得ぬ復讐心へ。
……それでも何度か、その暗い道を外れかけたことはある。母の愛を思い出しては、ただ自分の人生を生きようとしたことはある。名を変えて冒険者になってから、住める街も友人もできたし、結婚を申し込んできた男も、実のところ何人かいた。……けれどもエデルミラの体は、どうしても、どんなに頑張っても、男を受け付られけなかった。“悪魔の子”と詰られてきた幼少期のトラウマが、人と交じり合うことに恐怖心をもたらすせいだ。
結局、普通の人生をどうにか生きてみようとしてみたところで、母の故郷が寄越した悪意は、今なおエデルミラを苦しめた。母のあの優しい祈りを忘れきることもできず、しかしかといって、陽向の人生に踏み出していくこともできず。きっと自分は、このままこうして苦しみながら生きていくのだろうと、エデルミラはそう思っていた。大好きな母のことを、この世で唯一忘れない存在。そうあることだけを抱きしめて、ひとりで朽ちていくのだろうと。
その矢先に偶然クエストで訪れたのが、このヴァランガ峡谷だ。それはひいては、母を殺した憎き故郷、フィオラ村との邂逅であり。かれらのより凄まじく極悪な所業の、誰よりも早い発見であり。──そしてまた、自分の異常な父親と、それとまぐわった母の狂気を、知ってしまうことでもあった。
エデルミラの世界は、フィオラ村に来てから粉々に破壊された。村は確かに狂っていたし、様々な罪に手を染めていたが……母も母で、間違いなく異常で、ふしだらで、どうしようもなく罪人だった。たしかに若いころの母は、二百年前に死体を弄んでいた狂人の亡き骸と、黒魔術を通じて番うような女だったのだ。そして自分のなかには、その死体の血が流れている。それもただの死体ではない、異常な人殺しの男の死体、二百年も朽ちない死体だ。そう知ってしまって今、どうしてエデルミラ自身も気が狂わずにいられよう。自分は母の故郷が散々言い続けたとおり、確かにおぞましい忌み子だった。フィオラは悪だ、だが母も悪だ、そしてエデルミラ自身もまた、本当にこの世に生まれてはいけなかった。
……それでも、長年の想いは消えない。村を出てまともな世界を知った母が、自分を愛してくれたのは事実だ。自分がそれを支えにして生きてこられたことも事実だ。母を殺しただけに飽き足らず、今なお国じゅうに呪いを広める怪物ども。悪意の塊樽かれらのことは、今ここで根絶やしにしなければ。
……そして同時に、真相を知った己が、母とのあどけない約束なんぞをかなぐり捨てたくなるのも道理だ。想像以上に悍ましい出自だった自分自身のことすらも、もはや一滴の血も残さず、この地上から消し去らなければ。そう思いつめたのも、きっと無理のない話のはずだ。

──ああ、なのに。どうして今更、母の優しい愛の言葉を、自分にかけてくれたあの祈りの純粋さを、思い出してしまうのだろう。
──もう、今更、遅いのに。
──私は一度、生まれて初めて、母を憎んで。
──そうして、母の故郷のお望みどおり……この手を汚して、“悪魔の子”になったのに。)



(「は、はは……」と。魔獣の帰り血に染まった女剣士が、涙をぽろぽろ零しながら虚しく笑い始めた途端。ギデオンはすっと真顔になり、その様子を無言で見つめた。……今までの暫くの間、女剣士エデルミラは、“ヴィヴィアンを守る”という共通の目的のもと、正気を取り戻したように見えた。ギデオンと肩を並べての淀みない剣捌き、敵意漲る魔獣どもを次々に屠るその姿こそ、何よりもそう実感させてくれたはずだ。彼女はまだ、人を守るために剣を振るえる人間なのだと。闇を切り裂き、活路を開く人間なのだと。そう信じていられるのは、一瞬だけだったのか。
しかし、それはほんの少し違った。その顔の絶望に染めながら、それでも孤独な女剣士は、他意なくギデオンに縋りついてきた。「ごめんなさい、」と震え声。「ごめんなさい。ごめんなさい。もう、魔法陣は発動してしまったの。だから、ほんとに、もう逃げないと。……だけど、おねがい。──わたしも、たすけて……」。
いったい何をした、と鋭い声で尋ねようとしたその途端。足元からの激しい突き上げが、丘の上の三人を襲った。再び起こる巨大な地震、周囲の業火の爆ぜる音を塗り潰すような太い地響き。それに混じって、どこか地下の奥深いところで、何かがバキバキと砕け散る音。思わず青い目を見開く──この女、こいつ、まさか。フィオラ村を滅ぼすために、地中の魔核を破壊したのか! 
「ヴィヴィアン!」と、エデルミラの腕を掴みながら、相棒の元に駆け寄ろうとしたそのとき。それを唐突に阻んだのは、しかし全く予想外の攻撃だった。いよいよ発動しはじめたエデルミラの魔法陣、そこから伸びる幾筋もの──血の触手。黒魔術ならではの、攻撃的な魔素の機構だ。
どうやら正気に戻る前の彼女は、術者本人を生贄にする術式を組み上げていたらしい。エデルミラの前身は、あっという間に深紅の触手に群がられた。その首も胴もきつく締め上げられたせいか、彼女ががくんと気を失う。振り返ったギデオンが、悪態をつきながら無理やり引き剥がそうとするも。今度はギデオン自身にも触手が殺到し首筋の頸動脈をずぶりと突き刺されてしまう。激痛に顔を歪めながら、それでも唸り声を上げて辺りの触手を斬り払った。ヴィヴィアンの聖の魔素がまだ己の魔剣に宿っている、そう信じたが故の一閃だ。そうして満身創痍のエデルミラを花畑から引き剥がし、血まみれの腕に抱き上げ、もう一度相手の元へ這うように向かおうとしたのと。──先ほど大ダメージを喰らったはずのウェンディゴが、業火の奥から再びその姿を現し、こちらに猛然と襲いかかるのは、どちらが先だったろうか。)






814: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-09-17 17:53:22

?
?
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( ──赤い、赤い大地から伸びた黒い腕が女を捉え、その地の底へと引きずり込まんとする悍ましい光景。頭上には怪しい程に明るい月を湛えたその光景は、まるでこの世の終わりの様で。どこか現実味を放棄した鼓膜を、囂々と響く地鳴りが占拠してそれ以外は何も聞こえず、命からがら女を助け出した男を地獄の番人の凶爪が襲う。発動した魔法陣を中心として、花畑の中心にぽっかりと空いた真っ黒な穴は、その奥からはこの地で散った者達の無念の声をもこだまして、もしここに正気を保った者がいたならば、最早今生に救いはないのだと誰もが覚悟したに違いないその瞬間だった。
それまで、剣士らをいいように蹂躙していた血の触手。ギデオンに切り伏せられて怯んでいたそれが、ぴこん! と、再び鎌首を擡げたかと思うと、手負いの剣士の方へとまっすぐに伸び──その隣で、今にもギデオンを嬲り殺そうとしていたウェンディゴの心臓を貫く。酷い腐敗臭の漂う巨体がどうと倒れたその背後、頭上の月まで届きそうなほど溢れ出ていた触手はその身の色をどす黒い赤から、月より眩しく暖かな聖なる魔素の色に染め、ギデオンとの間に立つその娘のシルエットを柔らかく浮かびあがらせるだろう。 )
?
ギデオンさん!!ご無事ですか!!
?
( ウェンディゴを真っ直ぐに貫いたのち、その金色の指でギデオンの傷口を温かく注いでいった触手がしゅるりと戻っていくのと引き換えに、愛しい相棒のもとへと飛び込んできたヒーラー娘が “それ” を見つけたのは、エデルミラに突き立てられたナイフを力任せに引き抜き、勢い余ってひっくり返っていた時だった。不自然なほど密集した花々の根元に隠されるように刻まれた古代魔法、それ自体は世界中にみられる古代人から続く祝福の息吹だが、しかしそこから溢れる魔素の色に、いち早く女剣士の仕業に気がつけば。複雑な古代魔法の解読と、無念を訴える死者の魂への祈りが間に合ったのは紙一重だった。そこに大層な信念も目的もあったわけじゃない。フィオラ、ひいてはヴァランガを雪崩から守っていた古代の魔法は、花畑に撒かれた死者の無念をも繋ぎ止める枷になっていたらしく。悪魔の子によって解放された罪なき魂たちが、彼ら自身も気づかぬまま、今度は自ら人を殺めようとしているのが心底痛ましかっただけ。しかし、彼らを縛り付ける枷から、彼らを唆す装置へと変貌した古代魔法を読み解く傍ら──彼らの魂が無事にロウェバの御許に辿り着けますように、という娘の祈りは無事願い届けられたらしい、エデルミラが捧げた“悪魔の子”としての彼女の人格と同様の供物を対価として。
そうして、花畑の激闘が収まった頃合いに、「おおーい」と響いたのは、先程救援信号を上げていた陽動隊の声だった。どうやら他の隊の救援を受けられたらしく、今度こそ二度と動かなくなったウェンディゴの死体と燃え上がる花畑、そして満身創痍の三人を見て、重戦士の一人が気絶したエデルミラを預かってくれつつも、説明を求めたそうな表情をぐっと押し込めたのは、とうとうフィオラの頭上の冠雪が激しい音を立て崩れ落ち始めたからで。そうして、「逃げろ!!」という怒号に、ビビもまた“対価”を失って少し軽くなった毛先を揺らし駆け出して。 )




815: ギデオン・ノース [×]
2024-09-19 01:51:37




…………、

(その一瞬、その刹那だけ、ギデオンは時を忘れた。この目が見たのはそれほどまでに、神話そのものの光景だ。純白の衣を纏い、金色の野に降り立つ乙女。凛とした顔の彼女、ヴィヴィアン・パチオが駆け抜けるそのそばから、天に幾筋も伸びる血潮が、きらきら瞬き消えていく。フィオラに根を張る悪意から、忌み子エドラの恨みから、百の御魂がついに解き放たれたのだろう。ヴィヴィアンに癒され、治されて、ようやく天に昇っていくのだ。
その荘厳な瞬間から、しかしたちまちギデオンを呼び戻すのも、そのヴィヴィアン本人だった。ほとんど飛びついてきた相棒、そのあまりにも等身大の、いつもどおりが過ぎる仕草に、ぱちくりと目を瞬かせ。反射で背中に手を回しつつ、戦士にしては少々間の抜けた表情で、当惑あらわに見つめ返す。こちらを必死に見上げているのは、本当にさっきの娘か? それともあれは己の幻だったのか……? それでも、相手の肌の温もりをそこかしこから感じ取れば、ふ、と人心地がついてしまうのだから、こちらもどうしようもない。「無事だ」「何ともないよ」と、ローブ越しに優しくさすり、その額に唇を触れると、エメラルドの目を覗き込んで。)

……また、お前に救われたな。

(そんな台詞を吐けたのも──しかし、“それ”が起こるまでのことだった。
……谷底にいた冒険者たちは、全く知る由もない話だが。その少し前、峡谷を見下ろす白銀の嶺のどこかでは、この世のものとは思えぬような断末魔が上がっていた。真っ白い筈の雪さえどこかどす黒く見えるような、地獄の淵じみた不気味な窪地に横たわるその男は……言わずもがな、生ける屍……狂人エディ・フィールドだ。
本体ゆえに安全だったはずの彼をここまで苦しめたのは何か。きっかけは、移し身であるウェンディゴ・エディの心臓の破壊が、浄化された死者の力に破壊されてしまったことだ。これまでこんなためしはない。移し身の被害が本体に及んだことなどないし、フィオラ村が使っていたのは、ヴァランガの月の……赤い狂気の……魔素であって、それなら幾ら喰らおうが、移し身の肉体を灼き切ったようなことはなかった。だが今夜のウェンディゴがぶち込まれたのは、全く別の、清く、温かく、ひた向きな、慈愛に満ちた魔素だ。そしてそれは何よりも、死者を死者として葬るという、ある意味当たり前の力を宿しきっていたわけで。邪な方法で死を退けてきたエディ・フィールドにとって、それがどれほど覿面だったことだろう? 彼の歪んだ黒魔術など、この上なく正道なヴィヴィアンの聖魔法の前に、太刀打ちできるはずもなかったのだ。エディ・フィールドは腐った体をおどろおどろしくのたうち回らせ、されどいつまでも激痛から逃れられずに……やがてはきっと、再び怨みを募らせたに違いない。
ただでさえ昔から不自然に地理を制御されてきた、このヴァランガ峡谷一帯。そこにエデルミラの復讐心が、次いでヴィヴィアンの救いの祈りが刺さり、均衡が大きく崩れた。その矢先に今度はエディの、破壊衝動に満ち満ちた闇の魔素の一撃だ。そうすればきっと、谷底の連中をどうにかできると思ったのだろう。山肌の雪でもけしかけ、やつらさえ死なせられたなら、この苦しみは終わるはずだと。そうすればまた、傷を癒し、移し身を蘇らせ、谷を襲う怪物になれると。……むろん、そんな浅はかな企みが、そう都合よく運ぶなどというわけもなく。
ヴァランガの満月がぞっとしたように照らすなか、“それ”はついに始まった。それまで無様に転げ回っていたどろどろの肉の塊が、巨大な影を感じ取ってびくん、と固まり、とうに両目の溶け落ちた眼窩を夜空に向けた、その途端。ちっぽけなその毛虱を、崩れ落ちてきたヴァランガの白い嶺が、猛然と叩き潰した。圧倒的な汁長を前に、もはや何ものも成す術はない。大自然の無慈悲な威力が全てを引き裂き、粉々にすり潰し、あちこちに千々に蹴散らし、そのまま瞬く間に呑み込んでいく。そのものすごい勢いの力は、そのまま周囲の山肌をもばりばりと巻き込みはじめた。表層の雪だけではない、樅も、岩も、真っ黒な凍土も、まるですべてを剥ぎ落していくかのように。破壊的な白いうねりは、縦にも横にも、幾重にも幾重にも広がっていき──やがて、巨大な雪崩となって、谷底を目指しはじめた。)

……ッ、おまえら、先に行け!!!

(──谷を見下ろすあの山に見えた崩落は、ただの雪けむりなどではない。ほとんどの冒険者たちは、本能的にそう感じ取った。普通の雪崩なら、これまでにもめいめいこの目で見たことがある。だがあれは、それとは違う。もっと恐ろしい……もっと破滅的な何かだ。
皆表情をがらりと変え、口々に逃げろ、逃げろと叫びあいながら、一目散に駆け始めた。フィオラ村に幾らか滞在したことで、ここには雪崩を凌げるような場所がどこにもないことを知っている。例の地下洞窟ならどうにかなるかもしれないが、最寄りの入口は遥かに遠い──結局、あの雪の塊が届かない場所にまで、いち早く逃げるしかない。目指す先はただひとつ、あの元来た隧道だ。あの先、崖の向こう側なら、背後から来る雪崩の勢いはほとんど阻まれてくれるはずだ。
未だ燃え盛る花畑を駆け下り、村の建物がある辺りまでやって来ると、未だ残っていた元村人の魔獣たちが、一斉に襲いかかってきた。しかしそれは、ギデオンとアルマツィアの斧使いが立ちどころに打ち殺し、その背中で仲間に命じる。村の南端にある隧道へ、あと数分で辿り着かなくてはならない。村の家畜でも何でも、今すぐ御して使わねばならない。そのために、それぞれの役割が必要だ、と。──巨大な魔狼がひとつがい、金色の毛をした幼い雌の仔狼が二頭。年老いた雄の魔狼に、それとよく似た腹の大きな雌狼。そのどれもを、今はただ、必死の思いで次々に斬り捨てた。そうしてようやく、仲間が手配した数台の牛車に飛び乗り、村の平坦な道を死に物狂いで駆け抜ける。
しかしその間にも、皆の振り返る遥か北側、あの花畑があった辺りは、既に雪崩に呑み込まれはじめていた。ごうごうと唸る音、ばりばりと砕ける音──宵闇のなか赤々と燃える炎も、元村人たちの亡骸も、忌まわしいウェンディゴの死体も。あの近くにあった養蜂場も、ジョルジュ・ジェロームの死んだ蔵も、……ったいま、皆巨大な雪けむりにかき消えていくところだ。今はまだ遠く見えるあの白い魔の手、しかしあれが、この場所にも届くまで、もはや一、二分もない。
ようやく最後の上り坂に着いた。皆弾かれたように飛び出し、出口めがけて駆け登る。ギデオンもまた、今夜はあちこちで支援しどおしのヴィヴィアンが転んだりしないかと、時にその腕を取りながら、あの細い横穴を必死に目指していたのだが。我先に辿り着いた若い剣士が、どうしてか何も見えない虚空に向かって何度も必死に体当たりしている。そうして、「嘘だ、嘘だろ──なんでだ!」「魔法封印がかかってやがる!」と、絶望の声を上げるのを聞けば、思わず相棒と顔を見合わせて。)





816: ギデオン・ノース [×]
2024-09-19 02:03:17




…………、

(その一瞬、その刹那だけ、ギデオンは時を忘れた。この目が見たのはそれほどまでに、神話そのものの光景だ。純白の衣を纏い、金色の野に降り立つ乙女。凛とした顔の彼女、ヴィヴィアン・パチオが駆け抜けるそのそばから、天に幾筋も伸びる血潮が、きらきら瞬き消えていく。フィオラに根を張る悪意から、忌み子エドラの恨みから、百の御魂がついに解き放たれたのだろう。ヴィヴィアンに癒され、治されて、ようやく天に昇っていくのだ。
その荘厳な瞬間から、しかしたちまちギデオンを呼び戻すのも、そのヴィヴィアン本人だった。ほとんど飛びついてきた相棒、そのあまりにも等身大の、いつもどおりが過ぎる仕草に、ぱちくりと目を瞬かせ。反射で背中に手を回しつつ、戦士にしては少々間の抜けた表情で、当惑あらわに見つめ返す。こちらを必死に見上げているのは、本当にさっきの娘か? それともあれは己の幻だったのか……? それでも、相手の肌の温もりをそこかしこから感じ取れば、ふ、と人心地がついてしまうのだから、こちらもどうしようもない。「無事だ」「何ともないよ」と、ローブ越しに優しくさすり、その額に唇を触れると、エメラルドの目を覗き込んで。)

……また、お前に救われたな。

(そんな台詞を吐けたのも──しかし、“それ”が起こるまでのことだった。
……谷底にいた冒険者たちは、全く知る由もない話だが。その少し前、峡谷を見下ろす白銀の嶺のどこかでは、この世のものとは思えぬような断末魔が上がっていた。真っ白い筈の雪さえどこかどす黒く見えるような、地獄の淵じみた不気味な窪地に横たわるその男は……言わずもがな、生ける屍……狂人エディ・フィールドだ。
本体ゆえに安全だったはずの彼をここまで苦しめたのは何か。きっかけは、移し身であるウェンディゴ・エディの心臓が、浄化された死者の力に破壊されてしまったことだ。これまでこんなためしはない。移し身の被害が本体に及んだことなどないし、フィオラ村が使っていたのは、ヴァランガの月の……赤い狂気の……魔素であって、それなら幾ら喰らおうが、移し身の肉体を灼き切ったようなことはなかった。だが今夜のウェンディゴがぶち込まれたのは、全く別の、清く、温かく、ひた向きな、慈愛に満ちた魔素だ。そしてそれは何よりも、死者を死者として葬るという、ある意味当たり前の力を宿しきっていたわけで。邪な方法で死を退けてきたエディ・フィールドにとって、それがどれほど覿面だったことだろう? 彼の歪んだ黒魔術など、この上なく正道なヴィヴィアンの聖魔法の前に、太刀打ちできるはずもなかったのだ。エディ・フィールドは腐った体をおどろおどろしくのたうち回らせ、されどいつまでも激痛から逃れられずに……やがてはきっと、再び怨みを募らせたに違いない。
ただでさえ昔から不自然に地理を制御されてきた、このヴァランガ峡谷一帯。そこにエデルミラの復讐心が、次いでヴィヴィアンの救いの祈りが刺さり、均衡が大きく崩れた。その矢先に今度はエディの、破壊衝動に満ち満ちた闇の魔素の一撃だ。そうすればきっと、谷底の連中をどうにかできると思ったのだろう。山肌の雪でもけしかけ、やつらさえ死なせられたなら、この苦しみは終わるはずだと。そうすればまた、傷を癒し、移し身を蘇らせ、谷を襲う怪物になれると。……むろん、そんな浅はかな企みが、そう都合よく運ぶなどというわけもなく。
ヴァランガの満月がぞっとしたように照らすなか、“それ”はついに始まった。それまで無様に転げ回っていたどろどろの肉の塊が、巨大な影を感じ取ってびくん、と固まり、とうに両目の溶け落ちた眼窩を夜空に向けた、その途端。ちっぽけなその毛虱を、崩れ落ちてきたヴァランガの白い嶺が、猛然と叩き潰した。圧倒的な質量を前に、もはや何ものも成す術はない。大自然の無慈悲な威力が全てを引き裂き、粉々にすり潰し、あちこちに千々に蹴散らし、そのまま瞬く間に呑み込んでいく。そのものすごい勢いの力は、そのまま周囲の山肌をもばりばりと巻き込みはじめた。表層の雪だけではない、樅も、岩も、真っ黒な凍土も、まるですべてを剥ぎ落していくかのように。破壊的な白いうねりは、縦にも横にも、幾重にも幾重にも広がっていき──やがて、巨大な雪崩となって、谷底を目指しはじめた。)

……ッ、おまえら、手配に回れ!!!

(──谷を見下ろすあの山に見えた崩落は、ただの雪けむりなどではない。ほとんどの冒険者たちは、本能的にそう感じ取った。普通の雪崩なら、これまでにもめいめいこの目で見たことがある。だがあれは、それとは違う。もっと恐ろしい……もっと破滅的な何かだ。
皆表情をがらりと変え、口々に逃げろ、逃げろと叫びあいながら、一目散に駆け始めた。フィオラ村に幾らか滞在したことで、ここには雪崩を凌げるような場所がどこにもないことを知っている。例の地下洞窟ならどうにかなるかもしれないが、最寄りの入口は遥かに遠い──結局、あの雪の塊が届かない場所にまで、いち早く逃げるしかない。目指す先はただひとつ、あの元来た隧道だ。あの先、崖の向こう側なら、背後から来る雪崩の勢いはほとんど阻まれてくれるはずだ。
未だ燃え盛る花畑を駆け下り、村の建物がある辺りまでやって来ると、未だ残っていた元村人の魔獣たちが、一斉に襲いかかってきた。しかしそれは、ギデオンとアルマツィアの斧使いが立ちどころに打ち殺す。その早業に一瞬言葉を失う年若い連中に、丁寧に説明してやる時間も惜しく、怒鳴るような声で命じた。──村の南端にある隧道へ、あと数分で辿り着かなくてはならない。村の家畜でも何でも、今すぐ御して使わねばならない。そのために、それぞれの役割が必要だ、と。──巨大な魔狼がひとつがい、金色の毛をした幼い雌の仔狼が二頭。年老いた雄の魔狼に、それとよく似た腹の大きな雌狼。そのどれもを、今はただ、若い連中や相棒があたっている段取りを信じながら、必死の思いで斬り捨てる。そうしてようやく、出来上がった数台の牛車に飛び乗ると、村の平坦な道を死に物狂いで駆け抜けて。
しかしその間にも、皆の振り返る遥か北側、あの花畑があった辺りは、既に雪崩に呑み込まれはじめていた。ごうごうと唸る音、ばりばりと砕ける音──宵闇のなか赤々と燃える炎も、元村人たちの亡骸も、忌まわしいウェンディゴの死体も。あの近くにあった養蜂場も、ジョルジュ・ジェロームの死んだ蔵も……たったいま、皆巨大な雪けむりにかき消えていくところだ。今はまだ遠く見えるあの白い魔の手、しかしあれがこの場所にも迫りくるまで、もはや一、二分もない。
ようやく最後の上り坂に着いた。皆弾かれたように飛び出し、出口めがけて駆け登る。ギデオンもまた、今夜はあちこちで支援しどおしのヴィヴィアンが転んだりしないかと、時にその腕を取りながら、あの細い横穴を必死に目指していたのだが。我先に辿り着いた若い剣士が、どうしてか何も見えない虚空に向かって何度も必死に体当たりしている。そうして、「嘘だ、嘘だろ──なんでだ!」「魔法封印がかかってやがる!」と、絶望の声を上げるのを聞けば、思わず相棒と顔を見合わせ。)





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