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148: 都々 [×]
2016-12-01 01:26:11





「お前には殺しの才能がある」


 報酬を受け取った時に掛けられたお決まりの台詞を思い出し、ブルーノは無意識の内に目を細めた。まだ夕刻だというのに空は茜色を通り越し夜の色に染まっている。唇から漏れた息は白く、いよいよ冬も本番を迎えようとしていた。
 コートの内側へ無造作に押し込んだ紙幣の束が歩くたびに小さく音を立てる。均等に並べられた街灯が点滅し、夜の始まりを知らせるかのように一斉に明かりを灯した。その光から逃げるように表通りから外れ、細い脇道へと足を踏み入れる。
 すると道の端には二人の子供の姿。恐らく兄弟だと判断できる彼らは互いに身を寄せ合いながら薄い毛布に包まり寒さに耐えていた。ろくに食べていないのだろう。痩せ細った彼らは今にも倒れてしまいそうだった。
 ブルーノは一瞬その光景に足を止め、再び進行方向を変えた。曲がる予定だった道へは入らず、震える彼らに向かって真っ直ぐに進む。ブルーノの姿に気付いた子供たちは逃げようとしているのか、慌てて立ち上がろうとするものの手足が冷えて言うことを聞かないらしかった。怯えた様子の二人を前に、ブルーノは無表情のまま手をかざす。
 ぼとり。殴られると瞳を閉じた彼らの耳に届いたのは何かが地面に落ちる音。痛みに襲われる気配は一向やって来ない。ゆっくりと目を開けた彼らの側に男の姿は既になく、足元には乱暴に置かれた札束が転がっていた。


 ブルーノには人を殺める才能があった。それはとても幼い頃から。
 どれだけ記憶を遡っても、父親と呼ばれる存在が彼にはいなかった。忌まわしげに己を睨み付ける母の瞳だけがいつもそこにあり、幼き日の彼にとってはそれが全てだった。美しいブルーグレーの瞳は酷く澄みきっていたと、ブルーノは記憶している。向けられる憎悪すら気のせいだったのではないかと疑ってしまう程に。
 彼の母は娼婦だった。望まない相手との間に生まれた子を彼女が愛することは遂になく、何時しか二人が暮らす家にも帰って来なくなっていった。自宅から母親の持ち物が綺麗に消えていたことを思えば、彼女が自らの意思で息子を置いて出て行ったのだと容易に想像がつく。がらんどうになった部屋の中、待てども待てども開かない扉に、ブルーノはもう二度とあの憎しみの籠った瞳に自分が映ることはないのだと悟った。

 その頃のブルーノはまだ身体も小さく、働きたくとも当然雇い主など見つかるはずがなかった。ゴミを漁って飢えを凌ぎ、額を地面に擦り付けて得たなけなしの金でどうにか生き延びる日々。
 そんな毎日を何度も何度も繰り返した頃、彼は生きていく上で暴力が非常に有効な手段だと知った。__そうだ、己を虐げ、優位に立ってきた人間は何時もそれを振るっていたではないか。自分もそれをすれば良いのだとブルーノは学び、そして恐ろしいスピードで技術を身に着けていった。喧嘩が一方的な暴力へと変わり、やがて人の命を奪う程のものとなったそれを、彼が生業とするまでに然程時間は要しなかった。



 二人の子供から離れたブルーノは少しばかり遠回りする形で帰路についた。彼が向かう先は表通りに並ぶ鮮やかな煉瓦造りの家々とかけ離れた、其処此処に汚れが目立つ古びた薄灰色の建物。元々その色だったのか、年月が経ち変色したのか。どちらにしても良い配色だとは思えなかったが、このひっそりとした裏通りにその淀んだ色合いはよく馴染んでいた。三階建で各階に部屋は三つ、二階の左端が彼に与えられた住処だった。日当たりの悪い位置に建てられたその建造物には温かみもなければ生活感もなかったが、彼曰く雨風を凌いでくれるだけで十分だという。
 足元には煙草の吸い殻やら割れた酒瓶やらが転がり、不衛生なことこの上ない。視線を上げればとても上質とは言えない衣類が建物と建物の間に垂らされた紐に引っ掛けられており、冬の星空を台無しにしてしまっている。ブルーノはそれらに視線を遣り、おや、と足を止めた。自宅の壁にはめ込まれた窓の奥に明かりが見える。家を出た時はきちんと消灯したはず。それは彼以外の誰かが其処にいる証拠だった。
 しかし、彼は特警戒する様子も見せずに建物に辿り着き階段を上がっていく。彼の足音と重なるように一階の部屋から微かに漏れる音楽が、殺伐としたその空間をより異質なものにしていた。その部屋に住んでいるのは筋肉質な腕に趣味の悪いタトゥーを入れた、如何にも人の一人や二人は手に掛けたことがあります、といった風な悪人面の男。彼は顔に似合わずクラシックを心の底から愛していた。あの無骨な手が鍵盤の上を滑らかに動き回り、この美しい音色を生み出しているのだから驚きだ。
 ピアノの音から遠ざかるようにして自室へと向かう。ブルーノがドアノブを握ればいとも簡単に扉は開いた。浅く溜息をつきながら室内へ入り、扉にきちんと鍵を掛ける。吐き出した分の酸素を肺に取り込むと、煙草の匂いに混ざって食欲をそそる香りが彼の鼻孔を擽った。奥の部屋へと向かい、その香りの発生源とそれを食している人物を確認する。
 悠々とした態度でソファーに腰掛けた男が振り向いた。指通りの良さそうな金色の髪が揺れ、やがて男の瞳がブルーノを捉える。そこに映る己の姿を見る前にブルーノはその双眼から視線を外した。それに気付いているのかいないのか、男は唇に弧を描き彼に声を掛ける。
「随分と遅かったじゃないか」
 言葉自体は帰りを待っていたという様な内容だったが、男の声にはそれを心配する色も咎めるような棘もなく、だからブルーノは気付かなかった。男の瞳が寂しげに揺れたこと。男の瞳に映る彼自身が、恐ろしいものから目を逸らすように視線を滑らせたことにも。



  

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