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698: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2023-12-19 13:29:37




…………、

 ( この場で改めて言うまでもなく、ビビはあまり犬という動物が得意では無い。その上、相手が好き好んでなった訳でもない姿を、笑ったり喜んだりしたら悪いと思う気持ちは確かにありはするのだが。此方を見つけた瞬間、嬉しそうに尻尾を振り出す恋人に絆されない人間が、果たして存在するものだろうか。思えば、緩みそうになる表情をなんとか律して、心做しかいつもよりあどけない様子で、此方へと語りかけてくるギデオンに──うん、どうしたの? と、身を乗り出しかけたこの時点で。この先の展開、ヴィヴィアンが、犬化したギデオンに何をされても強く怒れない命運など決まりきっていたようなものだ。 )

ひゃっ……!?
ギデオンさ、だめっ……こんな人前でっ、

 ( その証拠に、突如強く腕を引かれて、乗り出した身体のバランスを崩し硬い胸板へと飛び込めば。ギデオンによるとんでもない暴挙にさえも、拒絶する声のあまりに説得力のないこと。その聞く方が恥ずかしくなるような甘ったるさに、それまで未だ、二人の体勢に気がついていなかった者たちの視線まで、余計に周囲の関心をかき集めてしまえば。ぺしょんと垂れた素直な耳の形が、完全にトドメとなって、ビビの中で"絶対ギデオンさんを守るモード"のスイッチがONに切り替わる。相手は子供でもなければ、先程まで一人仕事さえしていたという情報など、最早全く意味をなさない。そうか……見た目だけじゃない、こんなところにまで影響があるのか。可哀想に、人間の数千倍とも言われる犬の嗅覚だ、どれだけ辛いだろう。この可愛い恋人を前にして、ぎょっとした目で此方を伺ってくる周囲の視線など、微塵も優先する気にならず。しかし、ヴィヴィアンは構わなくとも、( ビビ関連に至っては既に手遅れ気味ではあるが )ギデオンの名誉には良くなかろうと、「このまま歩ける?」とそっと優しく柱の陰のベンチへと誘導しては。見回してみれば、ギデオンの他にもちらほら同じ状況に陥っている仲間達の姿も垣間見えるが、皆立派な大人なのだ。──それぞれ各自勝手に乗り切るだろうと、ギデオンを前にすると案外ドライな思考を切り替え。未だビビを離したがらない相手にゆっくり向き直ると。もしかすると聴力も敏感になっているのではあるまいかと、金色の頭を優しく撫でながら大きな耳に唇を寄せると、二人にだけ聞こえるような囁き声でそっと伺ってみて、 )

……ギデオンさん、ベンチ、座れます?
匂い、ですよね……、んー、辛いねぇ……。
──午後、どうします? お仕事に影響にある魔法災厄なら、有給でおうち帰れますよ。ここよりは少しマシだと思うんですけど……いっしょに帰る?





699: ギデオン・ノース [×]
2023-12-20 13:41:03




(相手に促されるがまま、死角のベンチに座ったまでは良かったものの。今度はこれ幸いとばかりに、己の膝に相手を乗せ、伸びた爪で傷つけぬよう、その柳腰に手を回し。よりぴったりと密着し、可愛い恋人の甘い香りを存分に吸い込み始める有様だ。──にもかかわらず、ごく優しく注がれる、恋人の問いかけに。三角耳をぴくり、と動かし、僅かに顔を上げ、視線を中空に定めれば。挙げられた提案を、しばしぼんやりと思案する様子を見せた末──目を閉じ、ぴたりと耳を伏せて。相手の肩口に埋めた顔を、如何にも“嫌だ”と言わんばかりに、左右に振って擦り付ける。次いでその喉からも、普段とはやや響きの異なる、どこか獣じみた唸り声を。)

……帰らん。そんなことで半休は使わん。
いざというときのお前の看病とか……一緒に魔導家具を見に行くとか……休日を合わせて小旅行に行くとか……ほかにもっと、有意義な使い道があるだろう。

(「それに、若い奴らも頑張って残ってる。なのに年輩の俺が帰るなんてのは……」云々。まったく、理性が残っているんだかいないんだか。体面のことにちゃんと考えが及ぶのであれば、もっと他に気にすべき部分があるだろうに。そこのところは一向に改善する気配のないまま、相手に深く顔を寄せ。ベンチの座椅子と背もたれの間の隙間に垂らした尾を、ゆらゆら、ゆらゆら、大きく振り続けていた、その時だ。
「まったく、寝惚けた真似をしおって……」と、呆れた声を投げかける者がいた。奥の医務室から出てきたらしい、ギルド専属のドクターである。手には何やら食べ物の匂いがする盆らしきものを持っていて、ギデオンは一瞬ぴくりとそちらを見たが、“ヴィヴィアンに比べれば取るに足りん”とでも言わんばかりに、また相手の首元に己の顔を埋めてしまった。それに再び溜息をつきながら、老爺は相手に向き直り、「これを食わせろ」と、気になる盆の中身の披露を。──どうやら、柔らかく煮潰した干し肉を、苦い薬草を混ぜ込んで団子にしたものらしい。「こいつはな、鋭くなり過ぎた嗅覚を鈍くする作用がある。反対に、体表変貌の促進……まあ、偽の毛皮が生えやすくなるって副作用があり得るんだが、臭い酔いに比べりゃあマシだろう。どのみちどっちも、即日か数日以内に消え失せる症状だ。だからビビ、こいつをそのアホタレに食わせて、いい加減目を覚まさせてやれ。わしは他の奴らを見てくる」……そう言って、薬包紙に乗せた肉団子を、相手の掌の上に委ね。今回ばかりはいつもの野次馬でなく、純粋な心配からふたりの様子を覗き見ていた冒険者たちを、「ほれほれ、散れ暇人ども」と、追い払いに行くだろう。)





700: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2023-12-20 18:11:07




──そっかぁ、そしたら一緒に頑張りましょう!
私も協力しますから……で、も! ギデオンさんの不調だって、"そんなこと"じゃありませんから、本当に辛かったらちゃんと言うこと!

 ( ぺたりと倒れたヒコーキ耳に、くしゅくしゅと押し付けられる凹凸の深い顔面。グルグルと身体に響く唸り声すら愛おしくて、寄せられた頭に此方も頬を擦り付けると。ぎゅっと強く抱き締め返して、頭、項、そして周りとは少し質感の違う毛が生えた耳の付け根をクシクシと柔らかく撫でてやる。こんな時まで責任感溢れるところも、非常に魅力的ではあるのだが、無理は絶対にして欲しくない。そう心配そうな表情で、よしよしと相手に言い聞かせ──いいですね? と、青い目と目を合わせ、頷かせようとしたその矢先。協力すると言ったからには、まずはこの鋭い嗅覚だけでもどうにかしてやらねばと対策を考えていたところへ、背後からかかった呆れ声に振り返れば。今日も今日とてだるそうに、尖った顎を突き出す年嵩の魔法医が目に写って。その言葉が、目先の辛さを軽減してやりたいばかりに、患者の拘束から抜け出せない位置に収まった自分に言われているような気がして、気まずそうに首を縮めながら、ホカホカと湿った薬包紙を両手で受け取ると。魔法にかかって犬化した彼らが、まず鋭敏になった嗅覚に苦しむなど、自分は今ギデオンに訴えられて初めて気づいたというのに、この魔法医の経験豊富で、ぶっきらぼうながら患者思いなところが、魔法医として尊敬し、「格好良い、大好き……」なのだと、お礼とともに呟けば。「……上司、上司としてだってハッキリ言わんかい」と、相変わらず人の好意に嫌そうな顔をしてくれる御仁だ。不機嫌そうにそそくさと離れていく細い背中に、──そんなパパじゃないんだから。ギデオンさんだってこんなことじゃ怒らないのに、とクスクス笑って振り返れば。愛しい相手の辛さを減らせる嬉しさに、満面の笑みを浮かべて、まだ暖かい薬包紙ごと、その10cmほど下に零さないよう手を添えると、ギデオンの前に肉団子を差し出して。 )

わぁ! 美味しそうですよ、ギデオンさん!
これで楽になるって、良かったですね……お口、空けられますか? ……はい、あーん、




701: ギデオン・ノース [×]
2023-12-21 12:01:12




(相手の朗らかな声かけに、しかしながら。対面するギデオンは、黒い犬耳を真後ろにぴたっと寝かせ、眉間と鼻筋に皴を寄せて──不機嫌な顔を、露骨に真横へ逸らしていた。相手が口元に肉団子を運ぼうにも、唇を堅く結び、目を合わせようにも合わせない。だからといって、何事か尋ねたところで、「…………」とだんまりさえ気込め込んでしまう。──だからこそ、音が目立つ。ぴしゃっ、ぴしゃっ、と。毛筆を強く打ち鳴らすような妙な音に、視線を足元に下げてみれば。それは、先ほどまでご機嫌に揺れていたはずのギデオンの尻尾が、八つ当たりめいたリズムで、床を強く打っている音なのだ。
やがてわふん、と。いったいどこから鳴らしたのか、口を閉じたまま不満げな息を漏らしては。相手が片手に持った団子を無視して、金色の頭を彼女の肩にぐりぐりと擦りつけ。そうして密にかき抱いたまま、ギデオンは動かなくなってしまった。ヴィヴィアンに何か言われても、ぐるるる……と、雷雲にも似た低い唸りを返すのみ。エントランスの方が急に騒がしくなって、クエスト帰りの連中が汗だくで帰還すれば、刺激臭が鼻を刺したのだろう、高い鼻先をヴィヴィアンの髪束の中に、さっと潜り込ませる有り様だ。──そんなに臭いが強いなら、さっさとドクターのくれた薬団子を食べてしまえばよいものを。彼女に再び促され、ようやく少し顔を上げるも。差し出された肉団子を至近距離からじっと眺め、躊躇いがちに口を開ければ……鼻だけでなく、咥内のほうでも、団子に隠された苦い風味を感知してしまったらしい。ぱくん、とあからさまに口を閉ざし、相手の華奢な肩に頭を埋めて、嫌そうな唸り声を響かせる。犬になったベテラン戦士は、どうにもご機嫌斜めのようだ。だがそれは、どちらかといえば──自分自身を気に入らないがゆえなのだ。
ギデオンとて、本当はわかっている。己のこのつまらなぬ嫉妬が、いつぞやの冬の焚火の傍よろしく、すぐに見抜かれてしまうことを。自分の人間として至らぬところが、世界のだれより良く見せたいはずの相手の前で、丸裸になってしまうことを。……とはいえ相手は、当時以上に、ギデオンと親密にしてくれているはずだ。これ以上「愛情表現が足りない」と不満がるのは、それは度が過ぎるというものだろう。それに、それに……四十にもなった男のくせして、若い恋人が他人に向けたちょっとした言葉ひとつで、こんなにも臍を曲げる。それがどれほど幼稚で見苦しい事か、自覚がないわけじゃない。第一、職場でこんな戯れを強いている時点で、全く理性的、常識的と言えないし。なまじ周知の関係である以上、下手すれば、相手も処分に巻き込みかねない。そうだ、全部全部、頭の奥底ではきちんとわかっているのであって──しかし今の、動物的な後退をきたしてしまった精神が。自分の番の言う「格好良い、大好き」が、己の腕の中にありながら他の雄に向けられたこと……それを押し流してくれない。本能的に、相手の首に軽く噛みついて戒めたくなってしまうのを、どうにか人間の理性で抑え込むことに必死で。そうして表に現れるのが、如何にも不機嫌なこの面と、相手を離さぬ大きな体躯。そして、ふわりと逆立ちながら床を打ちまくる尻尾……というわけらしい。)





702: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2023-12-24 14:08:14




ギデオンさん……?
これもそんなに嫌な匂いしますか……?

 ( それは名実ともに、愛しいこの人の物へとなる前のこと。はっきりとカーティスへの敵愾心を見せつけられた前回とは違い、身も心も疑いようも無いほどお互いの色に染まり合って。尚収まりきらぬ、溢れんばかりの感情を、相手に受け止めて貰っているつもりの今だからこそ、まさか相手がまだそれを過剰どころか、不足に感じているなど、不機嫌の原因に思い至るまで、少々時間がかかってしまう。仕方なく、ぷいとそらされてしまった表情の原因を手元のそれへと結びつけ、小さく尖った鼻先をふんふんと震わせれば。鈍い嗅覚に、羊ベースのブイヨンが程よく香ったところで、やっと。鎖骨に響いた不満げな唸り声に、ギデオンの不機嫌、その原因に気がついて。
そうして、拗ねたように打たれる尻尾にも気づいてしまえば、不遜な態度をとりながらも、ビビをがっちり捉えて離さない高めの体温が、もう心底愛おしくって堪らない。──んっ、ふふ…ふ、と耐えかねたように肩を揺らして、「ごめんなさい、ごめんなさいったら、もう、あんまり可愛いんですもの」と、一層低く響いた唸り声に、此方からも強く相手を抱き締め返すと──さて困った。こんなにも深く愛しているのに、まだ足りないだなんて、どうやって伝えたなら良いだろう。よしよしと丸い背中を撫でながら、「ギデオンさんだけなのに、」と、せめてもの利子に旋毛、生え際、耳の付け根……と唇を寄せて。実際、だんまりの恋人と、手元の肉団子を交互に見遣れば。ほっそりと白い手首に、黄金の肉汁が垂れた瞬間が契機だった。肘まで汚しそうな雫をぺろりと舐めて、「ん、やっぱり美味しいですよ」と青い瞳へ視線を合わせれば、そのままギデオンの唇に吸い付いて、香り高い口腔をたっぷりと堪能させることしばらく。お互いの味しかしなくなった口内にゆっくりと離れて、「──……すごい。牙まで生えてるんだ」と、濡れた唇を楽しげに歪めれば。
この時、迂闊な言質を与えてしまったビビの瞳に映っていたのは、本能のままに此方へ縋る幼気で、守り慈しむべき対象だった。 )

ほら、美味しかったでしょう?
だから残りもちゃんと……そうだ、ご褒美があったら頑張れますか?
なんでもひとつ……私に出来ることですけど、お願い聞いてあげるから、ね、あーんって……




703: ギデオン・ノース [×]
2023-12-25 13:00:10




………………

(獣に成り下がる魔法というのは、かかってしまった本人を随分素直にするらしい。それまでのわかりやすすぎる不機嫌はもちろんのこと──そこから一転。愛しい恋人から存分に、慈愛たっぷりに構って貰えば、それからのギデオンは、いともすんなり大人しくなってしまった。床に当たり散らしていた大きな尻尾は、ふわ……と静かに動かなくなったし。真後ろに倒した耳も、ぴくぴくしながら立ったかと思うと、やがては心地よさそうに、今度は真横に寝転ぶ始末。険で尖っていたはずのアイスブルーの双眸も、長い長い口づけからようやく顔を離した後には、とろりと穏やかに凪いでいて。そしてその眉間にも、鼻梁にも、皴はすっかり見当たらない。寧ろ完全に、あどけなくなったとすら思うような顔つきである。
故に、相手に促されれば。再三差し出された肉団子に、ぴくん、と反応し、しばしぼんやり見つめた末。その(無駄に良い)顔を寄せ、軽くその匂いを嗅いで──そこじゃなかろうに、まずは相手の細い手首をぺろぺろと舐めてから。そのまま相手の掌に顔を付す形で、ギデオンはごく従順に、団子をはぐはぐ喰らいはじめた。その様子は傍から見れば、逞しいベテラン戦士が、膝上に抱えた乙女に餌付けされている光景なのだが……幸いここは柱の陰。故に安心しきった様子で、いつもは見えない犬歯をちらと覗かせながら、ひと欠片も残さず平らげる。そうして口の周りをぺろりと舐めると、ほんのちょっと顔をしかめ、「……確かに美味いが。やはり苦いな、」なんて、子どもっぽい感想を。それから、胃が動き出すまでのもうしばらくは構わんだろうと言わんばかりに、膝上の相手を抱き直し。再び肩口に顔を埋めたその下、ベンチの隙間から見える尻尾は、すっかりゆらゆらと心地よさげ。──いつものギデオンなら即もたげるだろう、不埒な類いの欲望も、しかし。動物化がまだ抜けず、おまけに彼女手ずからものを食べさせてくれた今となっては……何と完全に、純然たる食欲と甘えたさに負けたようで。)

……褒美……褒美は……お前の美味しい料理がいい。
今年のクリスマスは……お前の焼いたチキンが食べたい。ふたりで、家で……ゆっくりしながら。……いいだろう……?





704: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2023-12-26 22:46:38




──……キレイに食べていいこね。苦いのはよく効く証拠ですよ。

 ( 掌に寄せられていた顔が離れて、それまできゃあきゃあと擽ったさに捩っていた身体を正面に戻すと。ピンク色の舌を覗かせたギデオンが、あまりにあどけなく見えたものだから、ついつい向ける眼差しが、言の葉が、それに相応しいものへと変化する。そうして、ビビのお願いに素直に頑張ってくれた恋人の鼻が楽になることを願って、その高い鼻へと労いの唇を軽く落とすと。再び鼻をくっつけてくる甘えたに、彼が正気に戻ったその時に、今日の振る舞いを思い出して不安になることが無いように。願わくば──もっと普段から甘えてもいいのだと、聡明な相手が気づけるように。ビビからも強く暖かく抱きしめ直すと、汚れてしまった手を洗いに行くのはあとにしよう。先程までギデオンが喜んでいた触れ合いを、再びその美しい毛並みや、薄い肌に落としながら、小指側の手の脇で相手の背中を広くさすれば。ゆらゆらと小さく揺れながら、ギデオンのお願いにくすくすとしっとり喉を鳴らして、 )

……チキンがいいの? ふふ、もちろん、いいですよ。
お肉屋さんに行く日は早く起こしてね 一番若くて立派な一羽を丸ごと買わなきゃいけないから。
味付けは……そうだ、お庭のローズマリー、そろそろお家に入れてあげたいんです、霜が降りたら可哀想だから……

 ( そうして二人、途中で色の変わった不格好な柱のその影で、来る冬の支度に何気ない会話を交わすことしばらく。時折、気遣わしげに此方を覗いてきたり、うっかり通りがかってしまった仲間たちに、静かな目配せをしながらも、そろそろ薬も効いてくるだろう頃合に、相手の様子を伺おうと腕の力を緩めれば。家に帰らず頑張ると言ったのは、他でもないギデオンだ。思わずこちらまで癒されることとなった体勢から、名残惜しい体温からそっと身体を起こそうとして。 )

──……ん、そろそろ、お鼻のご調子はいかがですか? お仕事頑張れそうですか?





705: ギデオン・ノース [×]
2023-12-27 17:08:32




ん……ああ、おかげでだいぶ良くなった。
世話を……かけた、な……

(──あれからどれほど長い間、彼女に甘えていたのだろう。語らいとも微睡みともつかぬ、穏やかなひとときを過ごしたのちに。ギデオンはようやく、のっそりと顔を上げた。その面差しは、未だぼんやりと夢うつつではあるものの。目の前にいる恋人が、相も変わらず慈愛に満ちたまなざしをくれていることに気がつけば、幸せそうに口元を緩め。切り替えるように頭を軽く振り、確かめるように辺りを見回す。そうして、いよいよ復帰するべく腰を上げる、その前に。相手の献身的な介抱に対して、当然の礼を伝えようとした──その時だ。
「……!?!?!?、」と。心優しいヒーラー娘を乗せたままの戦士の体が、やけにぎこちなく、あからさまにがたついた。思わず周囲を二度見三度見し、言葉を失したその顔は、間抜けなほど呆然としている。相手の読み通り、ギデオンの嗅覚は、すっかり狂いがなくなったのだが……それでようやく、我を取り戻したらしく。この状況がおかしすぎることに、今更ながら気がついたようだ。
「……ヴィヴィアン。まさか……ここは……ギルド、なのか……?」と。あまりにもな確認に、相手がそうだと答えても、未だ信じられない様子で固まっていたギデオンだが。廊下の向こうからひょいひょいやってきたベテラン仲間の数人が、こちらをちらっと見たものの、さして気にせず──もう見慣れた光景と言わんばかりに──通り過ぎていくのを見れば、嫌でも理解するほかなかった。肉球のついた片手で思わず顔をがっつり覆い、深々と項垂れて。「わ、るい……悪い。本当にすまない……。なあ、あの、俺は……どのくらい……こうして……?」と、心情がありありと滲む呻き声を絞り出す。
──自業自得の社会的恥辱に打ちのめされた衝撃は、それはもう凄まじい。しかしそれ以上に、理性が戻ってきたからこそ、きちんと気がつくものもある。今のこの位置取り、相手の受け答えの様子、朧気ながら残っている記憶の数々。そして何より、さっきのあいつらの様子からして。己の恋人──否、この場合は“相棒”が、きっとこれ以上ない配慮を施してくれたのだ。故に、今一度心の底から、「ありがとう……」と、先ほどより一層しみじみした謝意を述べ。ようやく少し態勢を直し、どうにかいつも通りの自分に戻ろうと言を繰るものの。やはりまともに目を合わせられず、きまり悪そうなその横顔は、らしくもないほど真っ赤な色で。)

……、残りの……仕事に……行ってくる……
帰りは、そうだな……今日の具合だと、おそらく真夜中くらいだろうから。先に食べて……休んでてくれ……





706: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2023-12-29 08:44:24




……?
魔法で状態異常だったんですから、寧ろ頼ってもらわないと困ります。

 ( 相手にかけられた魔法には、記憶を薄れさせるような効果まであったのだろうか。愕然と周囲を見渡すギデオンを、あくまで心配そうな表情で覗き込めば。顔を隠して項垂れてしまった相棒に、ふっと柔らかく笑いかける。このままもっと甘え上手になってくれれば──……なんて、そんなに上手くはいかないか。「(時間も)そんなに長くないですから、落ち込まないでください」と、ぺしょりと垂れてしまった耳に、微笑ましい笑みが漏れそうになるのを必死で堪えて。その硬い膝からぴょこりと降りれば、確かにそろそろ午後の仕事に取り掛かるには丁度良い時間だ。
ビビとてラタトスクの一件について、盛大に街中を騒がせて回った始末sy……もとい報告書を提出せねば、いい加減カウンター越しの視線が痛いし。色んな意味で気乗りしない書類仕事に、午後を頑張る栄養を補給するべく、恋人の完全無比の美貌を拝めば、恥ずかしそうに赤められた頬の破壊力の高いこと。あまりの可愛さに耐えかね元気いっぱい飛びつけば、此方へと差し出されていた頬へとちゅっとリップ音を響かせて。 )

──……こんなに可愛い人置いて寝てろなんて!
美味しいご飯用意して待ってますから、できるだけ早く帰ってきてね?

 ( ぎゅうと相手に抱きついたまま、固い胸板に頬擦りをして、上目遣いにおねだりすれば。待っていると宣言したからには、自分の仕事が長引いてしまっては仕方ない。 今度こそぱっと身体を翻し、何度も何度も相棒の方を振り返っては、手をひらひらと振りながら、自分の仕事へと戻っていって。
そんな数刻の宣言通り、仕事を終えて帰ってきたギデオンを出迎えたのは、まるで帰ってくる時間が分かっていたかのように揺れる白い煙と、赤いエプロンを翻し飛びついてくるヒーラー娘で。 )

ギデオンさん!
おかえりなさい、お疲れ様です。





707: ギデオン・ノース [×]
2023-12-31 03:02:22




──……、

(見事なほど呆気にとられたギデオンが、数瞬の硬直の後、ようやく何かしら言おうとするも。直前の擦りつきから一転、相手はぱっと、跳ねるように体を離し。その妖精の如く軽やかな動きで、頭上の赤い布耳をぴょこぴょこと揺らしては、何度も何度も名残惜し気に振り返りながら、気づけばとっくに立ち去っていた。後に残っているのときたら、犬耳の四十男の、春風に化かされたような間抜け面だけである。
「………」と、再び顔を覆ってから、柔らかいため息をひとつ。脇に置いていた書類を拾って、ようやくベンチから立ち上がった。今はもう、鼻が歪むような思いはしない。ごく普通に、楽に呼吸をしていられる。しかしこれは、何もドクターの薬団子だけでなく。己の可愛い恋人、彼女の温くて柔らかい躰を、存分に抱きしめて過ごせたからなのだろう。無論、それをギルドでやらかしたのが大問題ではあるのだが……過ぎたことは仕方がないから、仕事ぶりで取り返すべく。頭を振り、それまでの雑念をきっぱりと打ち捨てて。ギデオンもまた、午後のロビーの陽だまりのなかへ歩きだすことにした。)

(──さて、それからの数時間。見た目と手元の変化以外は、取り立てて困ることなどなかった。書類仕事の途中に何度か、昼間のヴィヴィアンとの様子を眺めていた野郎どもから、面白おかしく揶揄われる一幕こそあったけれど。あれはどちらかというと、ギデオンの体面を慮っての振る舞いだ。故にギデオンの方もまた、今後1週間ほどは、朝のロビーで飲んだくれている野郎どもをとやかく言わないことにした。……背後の受付カウンターにいるマリアの視線が、既に背中に突き刺さってやまないにしろ。男には男の付き合いというやつがあるのだ、仕方ないだろう……と。そうやって一時の裏切りの道を選んだ──その報い、なのだろうか。
更に時が経ち、夜半過ぎ。ギルドを引き上げたギデオンは、ようやくラメット通りの自宅に帰り着いた……は、いいのだが。ぱたぱたぱた、と可愛らしく駆け寄ってくる足音の主を、しかしいつもの幸せそうな顔で受け止めることはなく。「……ただいま、」と応えてから、帰宅のキスを相手に落とすも、引き上げたその顔は非常に微妙な面持ちである。……またもや、ひと目見てわかるとおりなのだ。
今のギデオンは、愛用しているワインレッドのシャツと、その下に着る薄い肌着を、何故か片腕に引っ掛けているのだが。何かあったのか、とその胸元を確かめてみればどうだ。申し訳程度に羽織っている革の上着、そのすぐ下は……もふもふと柔らかそうな真っ白い犬の毛に、すっかり覆われているではないか。目線を下に下にさげても、臍の下までふさふさしたまま、おそらくはズボンの下、爪先までこうだというのが見てとれることだろう。どうやら、今夜のたった数時間のうちに。ギデオン本来の人肌が、また随分と様変わりしたらしい。
「……美味そうな匂いだな、」と。相手の反応より早く、疲れた声でいつもどおりを装いながら。まずは己の上着を脱いで、玄関先のフックに掛け、相手を伴って家の中へ歩き出す。リビングの灯りにさらけだされたその上半身は、幅広い肩や大きな背中に至るまで、やはり見事にもっふもふである。……それに、よくよく観察すれば。なんとその掌まで、より犬の足先のそれっぽくなったらしい。ギデオン自身もしかめ面で、にぎにぎと片手の動作確認を見下ろしながら、ソファーの辺りで立ち止まれば。シャツと肌着を肘置きにかけ、どっかりと腰を下ろす。そうして背もたれに体を預け、目を閉ざして天井を仰ぎながら、困ったようなぼやき声を。)

……ドクターの説明を、俺はすっかり忘れてたんだが。こんな風になったのは、ピクシーの魔法と、昼間に貰った薬団子の副作用……その両方の影響らしい。
健康上問題はないそうだが……こう、なあ。自分の身体が大きく変わるってのは、結構変な気分なもんだ……





708: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-01-03 09:04:36




……あ、ごめんなさい。
あの時もう一度伝えておけば良かったですね、驚いたでしょう。

 ( あの時、肉団子を食べた前後のギデオンは、確かに記憶を混乱させていた。それまで恋人の帰宅に綻ばせていた表情を、相手の身体に毛が生えた瞬間の動揺を思ってしょんぼりと力なく凹ませれば。ソファの背面に回って、ぐったりとうなだれた頭を抱き締める。そうして、「ドクターが、明日か明後日には治るって」「治らなくても私が治しますから」「だから、怖くないですからね」と、美しい旋毛や耳元に唇を寄せれば。「ちょっと待っててくださいね」と、キッチンに戻って一杯の器を持って引き返したのは、暖かく美味しい食事が、何より相手を力付けると信じ込んでいるからで。普段であれば、仕事帰りに早く食べたいとせっつく相手を、無理やり浴室に追いやるところも、今はまず疲れた相棒を癒してやりたい。そんな、ごくごく当然といった表情で、そのズボンの下までモフモフの膝に腰掛け、もっと座りやすくしろと無言の尻圧で空けたスペースに、ふふん、と満足気におさまれば。相手と同じ高さになった目元を和やかに細めて、器の中身を披露する。丁寧に裏漉しされたキャベツやじゃがいも、そんな優しい色のスープに見え隠れするのはゴロゴロ大きな肉団子。その一口かじれば、じゅわりと溢れ出す肉汁と軟骨の食感がこりこり楽しい団子をすくえば、ふうふうと少し冷ましてから、ギデオンの口へと差し出して。 )

今日は特別、お風呂の前にちょっと味見してくださる?
味覚も敏感になってるだろうから、普段より薄味にしてみたんですけど……どうですか?
もうちょっと濃くても良いかなあって思ってるんですけど……




709: ギデオン・ノース [×]
2024-01-03 21:54:48




ああ、いや、すまない。別におまえのせいじゃ……

(献身的な恋人のしょげたような声を聞き、反射的に口を開く。相手の非など何ひとつない──寧ろこれだけで済んだのは、彼女とドクターのおかげだろう。しかしその訂正も、結局最後まで続かなかった。背後からそっと抱きしめられ、その柔らかい唇をあちこちに寄せられた途端。いつもの真面目顔がふわりとほどけ、まだ残っている犬耳までとろんと垂れて……素直に、“待て”に入ったのである。
キッチンに向かった相手の背中を、そのまま肩越しにじっと眺め。ソファーの上に乗せた尾の先をゆらゆら小ぶりに揺らすうちに、やがて彼女が戻ってきた。手元の椀からは白い湯気、おそらくスープの類いだろうか。てっきり隣に腰掛けるものと思っていたギデオンは、相手が堂々と膝に乗り上げ、寧ろ“もっと奥に動いて”と言わんばかりにぐりぐりしてくるものだから、可笑しそうに喉を震わせ。栗毛に唇を触れて、お気に召すよう体勢を変え、腕の中にすっぽりと収めると。ギルドの連中が見れば憤死しそうな距離感で、まずは夜食に歓声を上げる。──如何にも舌触りの良さそうなポタージュは、食材を丁寧に丁寧に裏漉しすることで辿りつける、目にも優しい若葉色。そのなかに浮かぶ大きな大きな肉団子を、相手の匙で差し出されれば。目元を綻ばせながら、鋭い犬歯の生えた口を、大きくぐぁりと開けてみせ。)

──ん……んん……ふ、これは……たまらないな。
軟骨の……触感が……ん、それに、これは……団子が痩せないように、粉をつけて焼いてあるのか。刻み玉ねぎは……ああ……今の俺がこんなだから、避けてくれたんだな。念のために。
このくらいの薄味も、素材の味が生きていて好きだが……多分まだまだ、濃くして平気だ。どうせなら一緒に美味しく食べられるくらいがいい……お前の腕に任せるよ。

(ポタージュの染みた挽肉を頬張り、柔らかく噛み砕くうちに。最初に思わず零れたそれは、幸せによる笑い声だった。
──ヴィヴィアンが己のために料理を作ってくれるのは、遡ればいつかの冬、まだ交際を始めてもいなかった(……と、当人たちだけが本気で思い込んでいた)ころに遡る。最初のそれは温かなポトフで、その目を瞠るような美味しさに、ギデオンはいたく衝撃を受けた。……自分で言うのも憚られるが、我ながら舌は鋭いほうだ。それは幼少期の母が、毎日のように良いものを食べさせてくれたことに始まり。独立後、例のあの事件で一時転落するまでの間、王都で生まれる様々な美食に親しんでいたからである。素人にしてはやけに肥え太った舌を、それこそプロの料理人である、知人のニックも頼るほどで。逆にその分、そこらの屋台飯に満足できないことも、表に出さないが珍しくもなかった。そんな己を、ヴィヴィアンは、ありあわせという食材だけで唸らせてみせたのだ。決め手に違いない隠し味を、思わず真剣に訊ねれば。『……あのね、世界で一番大好きな人に食べてもらえるから、たっっっぷり込めた愛情のおかげかも』。その答えを、数十年前の母とほとんど同じ台詞を聞いて以来、ギデオンはもう、ヴィヴィアンの料理が忘れられない体になった。この味を知らぬ頃には、もう二度と戻れなかった。──そして、今。その世界で唯一の味を、こうしてギデオンのためだけに調整し、味見と言って彼女手ずから食べさせてくれる。何なら肉団子にしてくれたのは、昼間に薬入りのそれを食べ、内心不服に思っていたのを──料理のようで料理でないのが正直むず痒かったのを──察していたからに違いない。口直しをさせてくれたわけだ。裏漉しという調理方法にしろ、今起こっている歯の変化を考慮してのことだろうし。そもそもこの時間は、普段ならば相手はとっくに寝入っている頃合いで、帰りの遅いギデオンのために待っていてくれたのだった。──そういった背後の諸々までわかっていれば、このポタージュを幸せに感じないわけがあるだろうか。ギデオンにとっては誇張抜きに、この世で最高の味だった。一刻も早く、たっぷりと味わわなくては。
──故に。「風呂上がりにこいつが待ってるのか、五分で済ませてこないとな」と。名残惜し気に頭を擦りつけてから、彼女を下ろして立ち上がると。シャワー室に向かったギデオンは、毛だらけの不慣れな体をしっかり洗い、バスタオルを掻き込んだ。それでも湿り気の取れない部分は、ヴィヴィアンの許可のもと、髪を乾かす魔導具の温風で、ふわふわに乾かして。──そうして今一度食卓につき、今度こそ夜食に浸る。餐の供はヴィヴィアンの話だ。本日のラタトスク狩りの面白おかしい大騒動、その顛末を、ふんだんな身振り手振りで聞き知り。ところどころ、相手を揶揄ったり、むくれられたり、褒めたり、手と手を絡め合ったり。そうするうちに職業柄、真面目な討伐案についても話を広げていっていると、あっという間に深夜帯だ。明日は二人とも少し遅い出勤だが、これ以上夜更かしするのは得策ではないだろう。くぁり、と牙を見せつけるような大あくびをひとつ。皿や調理器具の片づけを任せる間に(何せ今は手もおかしいので、いつもどおりとはいかないのだ)、身嗜みや明日の準備を済ませ、寝室のクローゼットから余分な上掛けを持ってくると。至極当たり前のような顔をして、相手の旋毛にキスを落とし。)

それじゃ……抜け毛が酷いかもわからないし、俺は今夜はここで寝るよ。おやすみ。






710: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-01-05 12:59:45




 ( ぐわり、と縦に開く大きな歯列。ビビが小さく割って食べる団子を軽く一呑みにする豪快な顎と、逞しい喉元。今日はそれに加え、鋭い牙も微かに覗く口元に、ビビは何度観ても心底惚れ惚れと見蕩れてしまう。その当人であるギデオンの、素人とは思えぬ的確なアドバイスに、先程よりも少し塩気とハーブを加えた黄緑のスープがみるみると減り、あっという間に鍋の底を尽く光景が心底幸せで。少しの眠気も相まって、その晩のビビはふにゃんと蕩けた笑みをずっと浮かべていた。しかし、牙が引っかかるのか、ギデオンの口に少しついたスープを拭ってやったり、申し訳なさそうに片付けを頼んでくる、ぺたんと垂れた耳を撫で回したり。相手にとっては不本意極まりないことだろうが、普段強情な相手が此方へと甘えてくれることが何より嬉しくて、この人のためなら何でもしてあげたいという気持ちに上気せあがっていた頭へと、いきなり冷水をぶっかけたのもまた愛しい愛しい恋人だった。──こんな寒い冬の日に、一人リビングで寝るなんて。相変わらず、自分を粗末に扱う相手に、それまでずっと眉尻を下げ、ぽやぽやと緩んでいた桃色の表情が、すっと悲しげな色に変わる。分厚い毛皮があるとはいえど、それだって早朝に治るかもしれないし、そもそもそういう問題じゃないのだ。ビビにはとことん甘い恋人に、自分がここでヤダヤダと駄々を捏ねれば、寝室に誘導することは決して難しくないだろうが。しかし、それではこの不器用な恋人は、自分を大切にする術を学べぬまま、ビビが居なくなればまた自分を粗末にするに違いない。そう旋毛に落とされた柔らかい感触に、まずはゆっくり頷いてから、特に無理強いするでもなく一歩下がれば。その選択は相手にして欲しくて、あえて強引な二択を迫る。それでも相手が誇示する様なら、寸前までハンドクリームをこねていた手元をゆったり広げ、ふわもことした寝巻きが飾る優美な曲線を相手の目の前に差し出すだろう、 )

……そっか、おやすみなさい。
でもギデオンさん、明日は久しぶりにとってもよく晴れるんですって……今晩はこんなに寒いのに。
ねえ、寒い中ひとりで寝るのと……それとも。明日の午前中いっしょに毛布を干して、明日もポカポカなベッドでいっしょに寝るの、どっちが良いと思います?
……ね、おいで。




711: ギデオン・ノース [×]
2024-01-06 04:32:50




……、

(ヴィヴィアンが示してきたふたつの選択肢を前に、ギデオンの瞳が揺れる。その物言いこそ恣意的であれど、最終的にはギデオン自身に委ねてくれているものだから。思考停止したように、ぎこちなく固まりながら。困惑したように目を細めたり、躊躇いがちに薄く口を開いたり。相手に一歩近づこうとしたか、或いは背を向けようとしたか……どちらともつかず身じろぎしては、再び根が生えたように立ち尽くす。その様子はまるで、迷子になった子どものようだ。
──別に、大した話ではない。ここにあるソファーで眠るか、上階のベッドで眠るか。ただそれだけの、ごく些細な、暮らしのなかにありふれた二択を迫られているだけのこと。仮に独り寝を選ぶとして、相手の言うほど寂しい話でもないと、ギデオンは今も本気で思う。今夜は冷えると言ったって、今はこうして上半身裸でいるように、毛皮のおかげで軽く凌げそうであるし。それにもし、抜け毛がデュベに絡みつけば、洗濯の手間が生じてしまうはずだ。単に面倒なだけではない、それだけふたりの時間が減ってしまう……のんびり寛ぐような時間が。なら、余計な家事を減らすに越したことはない。であるからして、単に合理的に考えただけ。状況に合う方法を選ぼうと思っただけだ。それを実際、躊躇いがちに口にする。自分に言い聞かせるように。
けれどそれでも、それを押し通すまではいかない──ヴィヴィアンの問いかけのせいで、何かがぐらついてしまっている。飼い主の元にすぐ駆け寄れない犬のように、ギデオンはまだしばらく、「……」と静かに硬直していた。耳も尾も、ぴくりとも動かない。酷く頼りなげに揺れ動くのは、アイスブルーの双眸だけ。……ソファーか、ベッドか。その二択の間に横たわる、目に見えない、小さいけれど深い溝。それを飛び越えるのが──欲を出すのが、怖かった。それに慣れていないから。否、この半年で素直に貪欲にやってきたつもりが、まだまだだと教えられて、大いに狼狽えてしまっているから。
……目の前の、ヴィヴィアンを見る。優しいエメラルド色の瞳。ギデオンの答えを待ち望んでいる瞳。──ふたりで過ごすほうが、より幸せになれるとしたら。貴方はどうするの。どちらのほうが、良い答えだと思うの。その問いをもう一度、胸の内で聞いたならば。)

…………。

(……やがて。ごくおずおずと、未だ躊躇するように、尾の先を脚の間に仕舞いながら。それでも一歩踏み出して、相手に身を寄せ、唇を近づけ。「聞き方が狡いんだ……」と、参ったような囁きを落とす。耳はすっかり垂れているし、けれどもそのふさふさのしっぽだけは、相手が優しく触れてきたなら、またゆらゆらと、本人の素直な感情をバラしてしまうことだろう。──ああ、くそ、と。至極決まり悪そうに、悔しそうに、ふたりにとって意味ある言葉で言い返しながらその白い手をそっと絡め取り、すべらかな肌を親指の腹で撫で。まろいおでこに、すり、と鼻梁を擦りつける。──誤魔化しようが、なさ過ぎた。)


俺がこんな風になってくのは、完全に……お前のせいだ。
……責任は、取ってもらうぞ。





712: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-01-07 19:37:10





 ( 躊躇いながらも、こちらの腕の中を選んでくれたくれた相棒に、うふふ、と酷く満足気喉を震わせると。いい子いい子とその広い背中を撫でさする仕草は、まるで勝利を確信していたかのように、余裕に満ち溢れて見えたかもしれないが。しかし、本当は心の底からほっと安堵に占められていて。相手の頬へと向けようとしていた掌を絡め取られたかと思うと、近づけられた美しい顔に、娘の首があどけなく縮こめられる。なんたって、ギデオンが漏らした言葉の意味は、誰よりビビが一番深く知っていて。その深い深い愛情に、嬉し恥ずかしといった様子で、ぽふりと豊かな白い毛の海に顔を埋めてしまえば。その柔らかな毛並みをくぐもった笑みで湿らせたかと思うと、すぐさま真っ直ぐに見つめ返して、「……もちろん、」光栄です──と続けようとした取り澄ました言葉も、「ギデオンさん、好き……大好きよ」「ずっっっと、いっしょにいてね」と、追いすがって来た強い感情に、かき消されてしまう。こうして、少しずつでもギデオンが、自分を大切にする術を覚えてくれるのが嬉しくて、星の散った大きなエメラルドを幸せいっぱい細めれば。再度、暖かな胸板に身体を寄せ、甘えきった様子で上目遣いにおねだりするも、相手がそれを叶えるべく合わさった掌を離そうとすれば、分かりやすく寂しそうに、その手を相手の頬へと伸ばすだろう。 )

……ね、ベッドまでギデオンさんが連れてって?





713: ギデオン・ノース [×]
2024-01-09 20:05:27




──……お姫様の、仰せのままに。

(一度そうすると決めたなら、後はわりと思いきりよく開き直るギデオンだ。毛並みの良い三角耳で、彼女の愛らしい要望を、ぴくんと確かに聞き取れば。片眉をぐいと上げ、如何にも意味ありげな目で相手を見下ろし、気障ったらしい返答を。もはやすっかりいつもの、おどけるときの澄まし顔──今しがた、別に俺は何ともありませんでしたよ、そう言いたげな面である。
それを相手にくすくすと笑われただろうか、或いは余裕たっぷりに慈しまれただろうか。とにかく、手に持ったブランケットで相手をくるみ、その長い脚をさらりと掬って、軽々と抱き上げれば。リビングを出る間際、燭台の灯りの傍に相手を寄せ、代わりにふうと吹き消して貰う。──これは、ふたりがこの形で寝室に向かうときの、お約束の流れだった。仕事柄、共に過ごせぬ夜もあるからこそ、ふたりならではのこういう些細な儀式すら、大事にしたくなるものである。途端に暗くなる室内、薄闇に紛れて相手の額にキスを落とせば。「階段を踏み外すと危ないから、そっちからは駄目だぞ」「こら」なんて、意地悪を言いながら、ゆっくり寝室に上がっていき。
──彼女が洗い物をする間、ヴィヴィアンはこっちで寝るからと、寝室の暖炉の火を先に小さく熾していた。その甲斐あって、室内は既に暖かく、僅かなオレンジ色の光にちらちらと照らされていて、実に心地よさそうだ。その中央に構えたベッドに、相手をそっと横たえると、自分も横に滑り込み。相手を抱き込もうとしたところで、微かな冷気にふと、大窓の方を振り返る。ガラス戸はちゃんと閉まっていたが、防寒仕様のカーテンが少しだけ間をあけていた。そこから、ちらほら、しんしんと──今年初めての雪が見える。ふ、と緩んだ呼吸を吐き、相手にも見えるように毛並み豊かな体をどけ、ふたりでのんびり眺めては。穏やかな声を落とし、相手のほうを振り向いて、その頭をまた大事そうに撫でることしばらく。不意にその手を止めたかと思うと、そんなわけでは有り得ないのは重々わかっているだろうに、揶揄うように唸ってみせて。)

……そういや、斧使いたちが言ってたな。山越えできずにとどまってた雲が、夜の間に雪を降らして行くかもしれないとかなんとか。おまえがこの寒い日に、噴水に飛び込んだなんて聞いたときには心配したが……明日じゃなくてまだ良かったよ。
……ああ、そうか、もしかすると。俺を湯たんぽ代わりにするために、こうしてここに引きずり込んだな?





714: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-01-11 02:13:03





 ( 舞い散る雪に輝いて、温かな肉球にうっとりと細められていたエメラルドが、ギデオンの冗談に一瞬大きく見開かれると。白い手に隠された桃色の唇が、くすりと楽しげに歪められる。
──湯たんぽ扱いではなく、自分自身が求められている、と。そう確信して疑わなくなった恋人が愛おしくて。うつ伏せでシーツに肘をつき、上半身を少し起こした体勢のまま、慈愛に満ちた視線をギデオンの方へと投げかければ。何となしに合った視線に、どちらからともなくリップ音が微かに響いた。そうして、深夜に2人、シーツの上で、まるでこちらが仔犬のように、ころりと腹を見せて転がれば。揺れる尻尾へと手を伸ばし、フサフサと触れる感触を楽しみながら、思わせぶりに視線を伏せると。気恥しそうに染まった頬を、雪明りに淡く浮かび上がらせて。 )

……湯たんぽ。とは、思ってなかったですけど、別の下心はちょっとだけ……あった、よ?

 ( 音を吸収する雪が、今年も静かな季節を連れてくる。暖かな部屋に、パチパチと火が爆ぜる小さな音と、布が擦れる音だけがやけに大きく耳につき。柔らかな腰を相手に重ね、どさくさに紛れて冷えきった足を相手のそれへと絡めれば、ちょうど顔のあたりにふわっふわの白毛が触れて。思わず同じ石鹸の香りが、その下の、確かに違う香りを引き立てるそれへと、うっとり顔を埋めてしまう。そうして、そこで深い呼吸を繰り返すこと暫く、相手の(己よりも幾許か細い気がしてならない)臀部へ、するりと指を這わせれば。尾の付け根で、ぴたりと両手を止めたかと思うと。豊かな胸毛の間から覗く大きな瞳は、とろりとすっかり蕩け切っている。──分かっているのに止められない。そんな、ピクシー達による悪戯による純粋な被害者であるギデオンに、こんなことをお願いすることへの罪悪感。寧ろそれ以上の邪な念は感じさせない、おずおずとしたおねだりのその通り。もし相手から許可が下りれば、普段とは変わってしまったその部分だけを、丹念にもふもふと堪能するのだろうことは、想像に難くないだろう。 )

その……大きな耳も、尻尾も。ギデオンさんに生えてると可愛いな、って思うの。
ごめんなさい、ずっと我慢してたんですけど……触って、みたくて…………おねがい……だめ、……?





715: ギデオン・ノース [×]
2024-01-11 14:33:58




(“別の下心はちょっとだけあった”。そう聞かされた瞬間にぴたりと固まってしまったが、果たしてこれは、男の愚かさだけが悪い話と言えるだうか。先ほどまで余裕ありげに緩んでいたギデオンの表情は、相手のあどけない口調と、それにそぐわぬ薫り高い色気にやられ、見事に宇宙色の混乱を描きだす始末である。……ヴィヴィアンの純真無垢と、無垢ゆえの貪欲さ、どちらも知っているからこそ、判断がつきかねた。そんなこちらに気づいているのか、いないのか。或いはこの薄闇のなかだから、こちらが上手く隠し通してしまえるのか。恋人はこちらにすり寄り、逃さぬように足を絡め、胸元の毛皮に深々と顔を埋めて、何やら堪能しはじめていた。酷く満足気に躰を弛緩させる様子が、人肌の温もりを通じて、こちらまでじかに伝わる。ああ、なるほど、これは……そうか。こう、なんだ、たぶん、どうやら、俺を愛玩したかっただけの話らしい。そう結論付けようとしたギデオンのなけなしの理性を、しかし彼女の天然が、無事でおかせる筈もなく。
白魚の指が、するり、と毛皮越しにそこを這う。その微かな、だが余計に敏感にならざるを得ない感触に、再びギデオンの息が止まる。……流石に思わず、背筋の辺りをそわつかせながら、相手を見下ろしてみればどうだ。相手はとろんと蕩けきった目つきで、甘いお菓子を乞う子どものようにねだってくる有り様だ。──どこまでも幼気な、穢れなき欲求。それを湛えたエメラルド色の瞳を前に、「……、」と押し黙らざるを得なくなったギデオンは、それ以上自分の馬鹿な狼狽えようを見られたくなくて、ただ相手の後頭部に手をやり、胸元に軽く抱き寄せる。何も言わないが、決して否定することもしない、つまりはそういうことだ。果たして、胸元の毛を吐息で湿らせた相手が、嬉しそうに尻尾の毛を愛ではじめれば、最初こそギデオンも、ただ好きなようにさせてやっていたものの。……そのじっとした横顔に、まずい、変な気分になってきたぞ、と、一抹の焦りが滲みだす。自分の愚かな勘違いが発端ではあるだろうが……本来あるはずのない神経をつうと撫でられると、こう、どうにも、無視のし難い感覚が立ち昇ってしまうのだ。ぐるる、と耐えかねたように唸りそうになるのを、胸を大きく上下させる深呼吸でどうにか打ち消しにかかるものの。体はいかんせん正直で、相手が妙なまさぐり方をするたびに、ふさふさした大きな尻尾が、びく、びくびく、と勝手に持ち上がってしまう。鳩尾辺りから湧く感触は、ギデオンの知らぬ回路を伝って、ふさふさしたしっぽの根元から先の方へ、波のような揺らぎを勝手に引き起こしてしまう。いや……いや、なんだ、何なのだこれは?
(一周回って腹が立ってきたぞ)と、相手から見えないように逸らしたギデオンの横顔が、不穏な境地に至りはじめた。今日は元々、何事もなければ、ヴィヴィアンをまた夜の楽しみに誘う予定だった。それがピクシーどものせいで大変な一日になり、流石にこの爪、この体では、いつも通りに及ぶのは危ういからと……密かに諦めていたのである。なのに現状はどうだ。いつもとは違う体を、こうして相手に存分に与え、わけのわからん責め苦に苛まれている。……なら自分だって、本格的にまではいかずとも、彼女の体を与えられてもいいではないか。耳を愛でられ始めたところで、きっぱりそう開き直ると、不意にその肉厚な上体を、衣擦れの音とともに起こし。相手がこちらを窺う間、しかしうんともすんとも言わずに、薄闇のどこかにじっと視線を定めたていたかと思えば。次の瞬間、斜め横から相手の上に首を屈め、その桃色の耳を甘噛みする。傷つけぬ程度の力加減、しかしいつもと違う歯は、相手の肌にどう働いたろうか。何度も何度も、唇と牙で小さな可愛い耳を食み、それだけでは物足りなくなれば、いつもよりざらついた舌を犬のように使いだす。仮に相手が藻掻いても、もふもふした腕や胴体で、ごく柔く──本気になれば逃げられる程度に──閉じ込めてしまう始末。ほんの少しだけ溜飲を下げたところで、欲の滲んだ掠れ声を、その耳元に吹き込んで。)

──ずっと、我慢してたんだ。……頼む、いいだろう……?





716: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-01-13 18:50:03




我慢って……!

 ( 何を今更我慢など、普段からしたいようにしている癖にと。精一杯の渋面で、キッと恋人を睨んでやれば。ふうふうと上がった呼吸に、赤く染まった顔つきからも、先程までの無邪気な笑顔は消え失せ。体裁だけの顰め面の下、隠しきれない期待の色香が、艶やかに蕩けた翡翠を濡らしている。──ビビの耳など簡単に千切れるだろう鋭い牙に、日ごろ見蕩れて止まぬ頑丈な顎。しかしそれだけならば未だ良い。時折触れる柔らかな唇が、鋭い感触に構えた身体には酷く甘くて。思わず漏れそうになる吐息を必死で詰めれば、耳元で上がる水音に、本気で頭がおかしくなると思った。しかし、この恋人と来たら、こうしてビビの大好きな声で、低く切なく強請ってみせれば、全て許して、叶えてもらえると思っているのが──全くもってその通りなのだから、余計癪に触るというものだ。先程まで、溜まる痺れを逃がしてすら貰えなかった腰を重く上げ、こちらを見下ろす目元に吸い付けば、「……とくべつ、ですからね」と。明日もお仕事なんですから、いつもは駄目ですよ──と、いつも通り流されてやる振りをして、上半身を離すその間際。触れずとも明らかに敏感そう故に、逃がしてやっていた耳の中、その薄いピンク色の膜をぺろりと一舐めしてやれば、溜飲も少しは下がる気がした。
──本当に、本当に静かな夜だ。未だ綻びかけに在る蕾をゆっくり解す、その準備の音だけがやけに響いて。耳を塞いでしまいたいのに出来ないのは、その蕾を愛でるのが己の両手であるからだ。繊細な作業に向かない肉球の代わりに、これまで教えこまれた知識を追って、自分の良いように細い指を動かせば。成程、人が何かと消閑に耽る理由がわかってしまう。時折、こちらをじっと見下ろす相手の腕も使って、しかし、相手からは勝手に触れさせないのは、最初、いつも通りの触れ合いを持つ消極的なビビに、態とらしくその肉球を見せつけてきた意地悪への意趣返しだ。「駄目、見てて」「待て、」と繰り返しながら、次第に近づく感覚にぎゅっと強く瞼を閉じて。そこで初めてヒュオォ……と、遠くの風の音に気がつけば、不意に初雪の肌をくねらせ、高く掲げた腰がゆっくりと揺らめきシーツに落ちた。そうして、浮かんだ玉の雫を拭いながら、今度はギデオンの準備に取り掛かろうと。今度は、その意図をもって、触り心地の良い毛皮をつつ、と鎖骨からゆっくりとなぞっていけば。あるところでぴたりと引っかかった指先に、楽しげな吐息をくすりと漏らすと。長い腕をいっぱい広げて、抱きしめるようにして耳元で囁き返して、 )

──……! ……ちゃんと、いい子で待てたのね、
よくできました……どうぞ、
……いっっっぱい、めしあがれ、




717: ギデオン・ノース [×]
2024-01-14 00:12:18




……ッ、

(相手が嫌とは言わなかったこの時点で、ギデオンは既に、今宵の自重の腹積もりなど、すっかり彼方に追いやっていた。胸の内にあるのはただ、その気になってくれた恋人を、くたくたになるまで愛でて……その後ふたりでたっぷり眠り、翌朝目を覚ました彼女に、真っ赤な顔でぽこすかと怒られる、そんな慢心に満ちた妄想だけ。しかしその程度の浅はかもの、たちどころに吹き飛ばされて当然だろう。……この半年間、彼女をじっくり開花させてきたのは、他でもないギデオン自身であるからだ。
初めはそうと気づかずに、いつものように優位を巡って戯れていたはずだ。己の犬耳に仕返しをされ、思わずぞくりと身を震わせれば……まだ手ぬるいな、と虚勢を張るべく、今度はこちらが、“この手じゃあな”なんて、意地悪を返してみせて。けれどこの時には既に、張本人にその自覚があったかどうかは知らないが、彼女の術中に落ちていた。──なら、自分で、ちゃんとやるから。貴方はぜったい、手出ししないで……?
背面にあるナイトランプが、ギデオンの顔を照らしていたなら。その白々しいほど涼し気だった顔に、さっと後悔の色が差し……彼女を傍観しはじめてすぐ、こめかみに汗を浮かせたかと思えば、酷く苦しげに歪みだしたのが、いとも鮮やかに見てとれたことだろう。己の恋人が、うら若く美しい天上の女が、すぐにも覆い被される距離で……綺麗な眉尻を悩まし気に下げ、しっとりとした吐息を零し、己のためにくつろげている。だというのに、ギデオン自身は一切手出しがならないというのだ。この据え膳の御預けは、実に笑えるほど効果覿面だった。最初こそプライドの欠片で、固く口を引き結び、じっと黙り込むだけだったものの。ほどなくして堪えかねたように、「……なあ、ヴィヴィアン、」「ビビ……、」と、落ち着きなく、弱々しく、掠れた声で懇願しだす。前言を無様に翻すことになると重々承知していたが、相手がまだ初心者で、どうしても時間がかかるだけに、もうとんでもなく生殺しで、とても見ていられなくなったのだ。──しかし彼女は、許しさなかった。自分だって恥ずかしい癖に……そんな真っ赤な顔をして、自分の立てる物音にたまらなそうに身を捩るくせに。第一、今してみせていることは、ようやく羽化したばかりの女にとって、まだ随分とハードルが高い代物の筈だ。にもかかわらず、ギデオンが少しでも身を乗り出せば、潤んだエメラルドでさっと射すくめて、「待て、」と。はっはと息を乱しながら、それでも強い意志を込めて、「でも見てて、」なんて言うのだ。
いつもならこんな制約、無駄に良く回る頭と口で、どうにか反故にしてみせただろう(……たぶん、きっと、おそらくは)。しかし今のギデオンには、それは絶対できなかった。このくそったれの犬化魔法のせいなのか……“待て”というコマンドが、まるで呪文のように強力に働き、体が勝手に従ってしまうのだ。かといって、散々に煽り立てられる情欲はまったくそのままでおかれるのだから、相反する本能同士に、頭がぐちゃぐちゃになりそうだった。「っは……、」と荒い息を零す、物欲しげに薄く開いた口の奥、まるで砂漠でさ迷っているかのように、喉がからからに乾いて辛く。引き攣った呼吸を繰り返せば、それを見かねられたのか、あるいはたまたまのタイミングか、ようやく少しだけ近づくことを許されて、お望みのまま腕を貸すも。それでも肝心の触れ方はさせて貰えず、また下がるよう命じられ。──一度期してしまった分、それをあっさり打ち捨てられたものだから、強烈な切なさと、煮え滾るような苛立たしさが、血潮となって痛いほどに充ち充ちる。だがまだだ……まだ、主人の許しが下りていない。苛々と頭を振り、もう一度頼み込もうと顔を上げるも、それは無駄と知っているが故に、唸りながら取りやめるその横顔は、いっそ滑稽で。手元のシーツを手繰り寄せようとした手は、もっと手応えのある者を求め、ヘッドボードを八つ当たり気味に鷲掴みにする。相手が腰を浮かせるたび、ぎり、ぎりり、と、鈍い音。ギデオンもヴィヴィアンも、どちらも汗だくなくらい夢中であるため気づかないが、たまりかねた鋭い爪が、深い傷痕を刻みつけているのだ。それでも御命令通り、燃えるような眼をその媚態から逸らさない忠実ぶりを示していれば。……終わった彼女が身を起こし、もはや一切取り繕えないギデオンを確かめて、満足気な微笑みを浮かべる。そこでようやく、本当にようやくのことでお許しを出された瞬間、地獄の底から救われたような顔をして。もはや言葉も出ないのか、大きく動いて相手に身を寄せ、頭を摺り寄せるその様は、“……俺が悪かった、”と、代わりに雄弁に物語るだろう。そのまま相手を引き倒し、頸筋に顔を埋めながらも、片手は器用に、抜かりなく、いつもヘッドボードの引き出しに仕舞っているものを取り出す──これだけは、若い時分から自分に叩き込んでいる理性だ。そうして、何度も何度も鼻梁を摺り寄せ、悪かった、お前が欲しい、と再三相手に伝え直してから。ようやく相手に沈み込んで、本懐を遂げるだろう。)

(──しかし結論から言って、やはり今夜のギデオンは間違っていた。健康面の危険を冒した、という意味ではない……今回のこれは、中毒性が強すぎるというか。一度これを知ってしまったら、もう知らなかったころに戻れないような体験だったのだ。
たしか昔、エマだかヘルカだか、その辺りの女に猥談として仕掛けたような気もするが──生物にはそれぞれ、特徴というものがある。とあるシーサーペントは丸一日近く続ける一方で、ヤギのそれは一瞬で終わる。スフィンクスの雄は雌の首を噛んでおくが、これはそうやって大人しくさせておかねば、痛みのあまり襲われるからだ。そして、犬やワーウルフ、フェンリルといった食肉目にもまた、面白い特徴があった。とはいえそれは、傍目から見る分にはというだけのこと。……まさか人の身で当事者になるとは、夢にも思わない。
頭のどこかでは、理性が肝を冷やしていた。明らかにいつもと違う──何か引っかかって全く引き抜けないのも怖いが、こんなに長く続くのもおかしい。まさかそういった部分まで、あの悪戯なピクシーどもに作り変えられたんじゃあるまいな。……けれどもただでさえ、まっただなかにいる男というのは、世界でいちばん知能が下だ。本当に本当に、地の底を抜けるほど下だ。故に今のギデオンは、うっすらと懸念を感じはしながらも。相手を散々旺盛に求めた末、最後の心地良さにぼうっと身を委ねる誘惑に、全く、ちっとも、これっぽっちも、全然、さっぱり、抗えなかった。とはいえ、うつぶせになた相手をこのまま潰し続けてはいけない、という気遣いは働くらしく。背面から相手を抱きかかえ、体を横に寝かせて、蹴散らしていた毛布の山をかけ直すと。以前相手に流し込みつづけるまま、己の毛皮ですっぽり包み、濡れた首筋に唇を寄せ。酷くぼんやりした声音をもって、相手に尋ねることだろう。)

…………ぐあいは……、





718: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-01-16 13:52:17




……っ、

 ( めしあがれ、と。そう嘯いた時点で、今晩のビビはギデオンの全てを受け止めるつもりでいた。耳を垂れて、こちらに頭を擦り付けてくる幼気な恋人。自分も本当は相手と深く睦み合う夜が好きだと言うのに、日毎に可愛くない、相手に見られたくない姿を繕えなくなっていく様相に動揺し、呆れられたらと思うと恐ろしくて、最近はこの恋人の腕の中で朝を迎える度、素直じゃない、理不尽な八つ当たりをぶつけてばかりだ。それを先程のお預けで──求めているのは貴方だけじゃない、と。私も貴方と迎える夜が好きなのだ、と見せつけたかったのだが──果たして、勿論その報いを全て受け止める気でいた覚悟は、その後襲った嵐によって粉々に砕かれることとなったのだった。
──どれほど時間が経っただろう。あれからずっと酷使し続けた喉はとうに擦り切れ、分厚い胸板に押し潰された背中は、最早ぴくりとだって動かせない。それでも、いつもギデオンがそうしてくれるように。『ありがとうございます、気持ち良かったです』と、疲れた身体を抱きしめ返したい。その目標だけが、泣き出しそうになるビビの心を健気に支えて。ろくに呼吸も出来ていたのかどうか、相手と繋がりあったまま、シーツに埋められていた視界が、ぐるりと反転したその恐ろしい程の刺激からさえも、声にならない叫びをあげるだけで、辛うじて細い意識は繋ぎ止める。そうして、ぐったりとギデオンにされるがまま、いまだ襲い来る快感に、ひゅうひゅうと荒い吐息を漏らせば。可哀想なほど真っ赤になって、口や目元はとうにぐちゃぐちゃ、あれほど見せたくなかった顔を晒して、最早ギデオンの言葉も聞き取れぬ有様というのに。その相手もぼんやりとした面差しの奥、そこに潜んだギデオンの理性が、なにかに怯えていることに気がつけば。重い、重い腕を持ち上げ、抱擁というにはあまりにか弱い。腕にかかる重力に任せるまま、ほんの微かな力で可愛い恋人を抱き寄せていた。──大丈夫、大丈夫。無責任と言われればその通りだが、そう掠れきった無声音で、少し硬い金髪の頭をぽんぽんと、うわ言のように撫でさすると。閉じかけていた瞳をギデオンに向け、ぽやりと、しかし心配そうに愛しい相手の顔色を確かめて。 )

…………?




719: ギデオン・ノース [×]
2024-01-20 15:06:39



…………、

(ごく微かな抱擁の感触、そしてうわ言のような掠れきった囁き声。噛みあっていないと言えば噛みあっていないいらえのはずだが、しかし今はギデオン自身もぐったりしているものだから、いつもの過保護な心配性が頭をもたげることはなく。寧ろ、ただ撫でられるまま目を細め、薄闇のなかの相手を見つめて、心地よい痺れに身も心も委ねる始末だ。そのうち、相手がふと瞼を開けて、とろんとした、それでもこちらを案じるようなまなざしを覗かせてきた。──ふ、と小さな笑み交じりの吐息。可笑しさだとか、愛おしさだとか、おそらくその類いの何かが、思わず零れ出たのだろう。
目を閉じ、体を屈めるようにして。相手の額に鼻梁を寄せ、長い長い息を吐きだす。もはや何を言うのも気怠くて……きっとこうすれば、自分が安堵と満足に浸っているのがわかるはずだと、そう考えて懐き続ける。だがやはり、それでももう少し、安心を伝え直しておこうかと。繋がり合ったままのくせして、まるで幼子を寝かしつけるように、相手の背中に回した手を、ぽん、ぽん、と軽く動かす。先ほどの荒々しい盛りから一転、こうして穏やかな静けさにふたりして沈む時間が、ギデオンは好きだった。いつまでもこうしていたいところだが……しかし今は、夜半の2時か、3時か。とにかく、よく眠るたちである恋人にすれば、これ以上の夜更かしは身体に障ってしまうだろう。明日も仕事があるのだから、ギデオン自身も休まなければ。
そう感じたところで、不意に小さなさざ波が湧き起こり。ぶるり、と身を震わせたかと思うと、本能的に押し付けて、まだ続いていたらしい、最後のひと息を大きく吐き出す。引いていた筈がぶり返してくる、微熱にも似た恍惚の余韻。たまらず呻き声を漏らし、呼吸をごく微かに乱す。いつもの比にならないほどぬかるんでいることも、今のでようやく瘤が消えたことも、確かめずとも感じ取れた。故に、随分と慎重に、間違いのないよう引き抜くと、サイドテーブルに手を伸ばし、ほとんど無意識に後始末に入り。そうして、あらかた──のつもりが、きちんと綺麗に──片付ければ。ごみ箱にくず紙を放って、今度こそ相手を抱きしめ、思考を放棄しようとして。
「……ビビ、」と。何とはなしに、一度だけ名を呼んだ。それに相手が応えたにせよ、応えられなかったにせよ。その汗に濡れたこめかみに、唇を柔く押し当てる。これでデュベを引き上げていなければ、まだ残っている大きなしっぽが、ゆらゆら揺れていたことだろう。相手のあどけない顔を、優しい眼差しで見下ろすと。少し身じろぎし、落ち着ける場所を見つけては、ギデオンもすっかり横たわり、相手の栗毛に顔を埋める。──肉団子の効果が切れたのか、或いは散々求め合ったからか。恋人の香りがいつもより鮮明に感じられ、己の肺腑がたちまちのうちに満たされた。そうして何度も深呼吸を繰り返すうちに、いつしかギデオンも、睡魔の闇に落ちていき。眩しい朝陽が部屋をすっかり照らしきるまで、ほとんどぴくりともしなかった。
──このときのふたりは、まったく知る由もなかったが。実はこの睦みあいこそ、ギデオンにかけられた悪戯魔法を解く鍵だった。人体は元々、普段から微量の魔素を発しているが、ギデオンは濃厚なそれを……天文学的な確率で相性の神懸かっているそれを……ほとんどゼロ距離で、体中の至る場所から、数時間も取り込み続けていたわけだ。故に朝方、ふたりがすっきり目覚めた頃には、犬のような耳もしっぽも、綺麗さっぱり消えていた。歯も爪も元通り、抜け毛ひとつさえ残さずに、ひと晩で無事解決である。……しかし結局、ふたりの寝床は、随分と酷い有り様に成り果てていたものだから。ふたり笑って、シャワーを浴びて、そこでもちょっと戯れたのち。ようやくさっぱり切り替えると、爽やかな朝に向けて、元気に動きだしたのだった。)



(──さて、澄んだ寒さが肌を刺すとある日。ギデオンとヴィヴィアンは、いつもどおりに出勤するなり、エリザベスに声をかけられた。最上階の執務室がお呼び出しとのことである。
はて、いったい何事だろう。ふたりが以前の関係であれば、十中八九、クローズドクエストの拝命に違いないのだが。交際関係にあることを──今はそれにとどまることを──きちんと公表済みであるから。経費周りで問題視されないよう、ふたりきりでの重要任務は迂闊に回されないはずなのだ。「戒告か何かじゃないといいんだが……」なんて言い交わしながら、扉をノックし、押し開けると。そこに待ち受けていた御方は、しかしギルドマスターではなかった。そう言えばかの方は今、王国議会からの招集を受け、中央に登城中である。彼か彼女か、詳しいところは幹部の数人しか知らないのだが、とにかくあの御人が数日ギルドを離れる間、諸々の指揮と判断は、臨時代理に託されている。つまりふたりを呼び出したのは、高級な椅子ににこにこしながら座っている、如何にものんびり屋な──この髭もじゃの、傷だらけの大男である。
向かいのソファーに腰を下ろし、要件を窺ってみるに。どうも代理は、ギデオンとヴィヴィアンに、合同クエストのメンバーとして出張してほしいらしい。来週から約2週間、場所は国内中部のヴァランガ地方。旅費や食費、消耗品費などの類は、きちんと持ってもらえるという。「……いいんですか、」と、ギデオンが困惑気味に訊ねてみれば、「いいのいいの」と、代理は至極のほほんと、(いかつい体躯に全く似合わぬ)温厚な声で答えた。
「君たちが仲睦まじいのは知ってるよ。だけど僕ら幹部にとっては、君たちふたりの冗談みたいな相乗効果のほうが、よっぽど重要なんだよね。トリアイナの不祥事解決、夢魔騒動の捜査、ライヒェレンチの増援、トロイト退治、ドラゴン狩り……他にもいろいろあったろう? とにかく、今までのああいったのと同じような活躍を、またふたりにしてほしいんだ。ビビちゃんだって、もうお医者さんから太鼓判は捺されてるんだって? それなら久々に、少し骨のあるお仕事を担当してみてくれないか」。
どうやら諸々の懸念については、既にギルマスと話し合い、対処方針を固めているらしい。それなら、と頷いて、子細の記されている手元の資料に目を通した。──今回の合同クエストの主催者は、“西の王剣、東の聖剣”……などと双璧扱いされることでお馴染みの、国内東部の大型ギルド・デュランダル。そこが受注したクローズドクエストが、どうやら特殊な内容らしく。せっかくなら周辺の公認ギルドも一緒にやってみませんか、と、カレトヴルッフも誘われたらしい。他にもアラドヴァル、アルマツィア、クラウ・ソラス……この辺りの中型ギルドも、参加が決まっているという。要は、中部地方にある公認ギルドから少しずつ冒険者を募り、皆でひとつのパーティーを築き、デュランダルの受注した遠征に赴くのだ。
その少し面倒な経緯を聞いて、不思議そうな顔をする顔のヴィヴィアンに、ギデオンの方から解説することにした。──今回のような合同クエストは、ライヒェレンチでの掃討作戦とはまた別で、人員の増強よりも、冒険者同士の交流会を意図している。国内の冒険者ギルドは、無論定期的に会合を行っているけれども、同じ現場で汗を流すのはまた違う。知識や技術、人脈が行き交い、よその冒険者同士の横の結束を強められるからだ。主催はだいたい大型ギルドが請け負うもので、うちも頻繁にやっている……カーティスやバルガスが暫く帰ってきていないが、実はあれも、まさに別の合同クエストに駆り出されているところである。こういうのは、通常のクエストとは趣が異なるし、自分たちは呼ばれる側だから、遠征より出張と呼ぶ。東のあちらさんが音頭を取ってくれるのだから、気楽に行って大丈夫ではあるだろう。必要な指示はデュランダルが出してくれる。だから俺たちは、交流に気を割きつつも、ただいつもどおり仕事をこなしに行けばいい。
「そう、そのいつもどおりの活躍というのが、大事なところでね」──臨時代理がここで初めて、目をきらりと光らせた。「ギデオン、お前は言わなくてもわかるだろ。今までどおり、上手に見聞きして、嗅ぎまわって、尋ねて聞いて……そうやって、必要な顔と顔をしっかり繋いできてほしい。根回しの下拵え、お前の得意分野だろ? それで、ビビちゃん。君を選んだのは、君の出身が魔導学院研究部だからだ。今回の仕事には、そのキャリアが役に立つ。行けばわかるから、そこで最大限のことをしてきてくれ。それに、今回の成果次第では──昇格の推薦を取り付けられるかもしれない」。
“昇格”とは言わずもがな、冒険者ランクのことだ。これが上がると、ギルドから安定して支払われる固定給が変わってくるというものである。生活をしていく上で、この安定感の向上というのは、かなり重大なポイントだった。それに、実際はこれ以外にも幾つか必要になるだろうにせよ、幹部からの推薦をしっかり貰えるのであれば。通常の昇格に比べ、必要な諸般の手続きがかなりスムーズになるはずだ。
思わずヴィヴィアンと顔を見合わせ、ふたり同時に頷いた。既に今も、世帯収入は充分にある。しかし所得にかかる税金を加味しても、余裕を持って困るということはない。それに今は、ヴィヴィアンより引退が早いかもしれないギデオンが、これからの働き方を試しつつあるところでもあるのだ。ふたりとも現役でいるうちに、できることはしておくべきだった。
「引き受けます」と、ふたりで答えた。──ヴァランガ出張の決まりである。)




720: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-01-25 21:41:17




 ( 荒い呼吸を繰り返すビビの額に、暖かな吐息が吹きかけられる。──嗚呼、よかった、ギデオンさんがわらってる。うれしい、すき、だいすき、と。小さくふにゃりと微笑んで、働かない頭を小さく擦り付ければ。未だ終わらぬ長い責め苦に、身体を捩って逃げ出す体力も、不満の声を漏らす声帯も、余計な全てはついえてしまって。優しく触れる大好きな手に、ひどく満足げな長い呼吸だけが、この状況をまたビビも心より愛しているのだと伝えられているだろうか。ぴったりと深く重なり合って、二人静かに鼓動を合わせる。その幸せに慣れてしまったからだろうか。全てが終わって、部屋の空気が濡れた体をひんやりと撫でれば、たまらない喪失感に白い指先をゆらめかせ、先程まで一つになっていた片割れ、愛しい男を探し求めてしまう。大人の鎧を羞恥と共に剥ぎ取られ、今夜すっかり無防備になってしまった娘の心が、たまらぬ寂しさにぐずぐずと泣き出すその寸前。やっと“ビビの体温”が返され、強張っていた身体を緩ませたところへ呼びかけられれば。既に懇ろとなっていた上瞼と下瞼を大儀そうに引き裂くと、ぐったりと重い首を持ち上げて──場所が違う、とばかりに相手の唇へ、本当に、本当に触れるだけの口づけを。そうして、柔らかい質感を伝えることすらなかったその催促が、果たして叶えられたかどうか。今度こそ瞼と瞼を強く引き閉じれば、深い眠りへと堕ちていったのだった。 )
?
?
また、ギデオンさんとお仕事できるなんて嬉しいです!
?
 ( 大好きな恋人と迎えるけだるい朝も、爽やかな流水の中たわむる時も。ヴィヴィアンにとって、ギデオンと過ごす日々はこれ以上なく幸せで、恋人として満たされていないといえば嘘になる。しかし、何故だろう。もうずっとビビにとって、なにかが満たされていない気持ちがするのは。そんな違和感の正体に気が付いたのは、それから遠くない日のことだった。
付き合い始めた冒険者同士は、同じ仕事を受けさせない。無論、些細な呼吸の合わせ方の差が生死の差になるこの仕事で、此度の様な例外はあるものの。開拓時代とは違うこの現代で、仕方のない不文律はビビとて承知していたはずだ。しかし、仕事の場面においてでも、ギデオンの隣が己ではないこと。それに耐えられる程、己は無欲でも理性的でもなかったらしく。故に件の依頼を打診された際の喜びようといったら、いつか初めてシルクタウンの魔物討伐に繰り出した時もかくやといった勢いで。それからの一週間というもの、暇さえあればヴァランガ一帯の動植物、魔物の分布等、部屋中の書物をひっくり返し、いつにも増して上機嫌な笑顔で、魔物を屠るヒーラーは、少なくともヴァランガへと向かう出発以前から。早速、日々 魔物に脅かされる市民を力づけるという余剰効果を生んだとか、そうでもないとか。
ともかく迎えた出発当日、事前に別の野暮用を済ませて、先に行っててもらったギデオンと東広場で落ち合うと、しれっと腕を絡ませて、今回の主催ギルドであるデュランダルの馬車が通るという街外れの街道へと歩き出す。シルクタウンの時とは違い、今回の依頼は、『ヴァランガにおける空気中に含有する魔素の異常発生及び、それにおける魔物や、有毒・有用植物、及び人類に及ぼす影響の調査。及び博士を含む非戦闘職員の護衛』──とまあ、要は明確な被害者がいない調査の仕事である。それによって、るんるんと鼻歌でも歌いだしそうな──否、実際に人の少ない道では、その何とも言えない歌唱力を披露していた──ヴィヴィアンの上機嫌は留まるところを見せず。その癖、背負った準備の数々は一切手を抜くどころか、一週間でこれ以上なく厳選され切ったそれなのだから始末が悪い。
それからしばらくして約束の時間、約束の場所で待つこと十数分。一本のロングソードを中心とする意匠が入った大型の馬車に、大きく手を振り近寄ると。日焼けた肌が勇ましい三十代前半と思しき大男が、止まった馬車の後ろから、ぬうっとビビの顔より大きな掌を差し出して。「やあお待たせしてしまってすみません。行きしで泥濘にはまってしまって」とガリニア本国のそれを感じさせる、東部らしいはんなりとしたイントネーションで謝罪した男は、その糸目を更に細めて明るい笑顔を浮かべたかと思うと、「はじめまして、私セントグイドで研究者してます、レクターと申します」いやぁ都会の方ってなんというか……皆そうなんです? お二人ともシュッとしていらっしゃるというか、はあもう僕見惚れてしまいます──と、矢継ぎ早にペラペラやり始めたところを、馬車の中から助手らしき青年に咎められ、やっと馬車の荷台へと腰を落ち着けられる。そうしてぐるりと周囲を見渡せば、どうやら泥濘にはまったのは本当らしく、調査地につく前から泥に汚れているデュランダルの冒険者達といえば、なにやら既にぐったりと疲労を顔に滲ませていて。はて、泥濘からの脱出程度でこうもなるとは──……と、首をひねるまでもなく。馬車が動き出してかれこれ十数分、冒険者より余程壮健なレクター博士が一秒たりとも黙らないのである。
さて、改めて。聞くまでもなく自分の身の上から、今回の依頼をするに至った経緯まで全て勢いよく話してくださった氏曰く。もともとヴァランガは今回の様な仰々しい調査を入れるまでもない、ごく普通の、少し魔獣の発生報告の多いトランフォードらしい土地柄だったという。平地が少ない故、大都市の発展には恵まれなかったが、トランフォードの冒険心溢れる先祖のおかげで、小規模ながら狩猟を生業にする小さな集落も存在し、数世代前まではキングストンにも革製品を卸していた記録のあるという。しかし、それがある厳しい冬の年を境に、他の周辺都市から消息を絶って久しく。最近、また商魂たくましい連中が足を踏み入れたところ、近辺でも稀に見ない魔法植物や薬草、鉱石等を見つけたは良いが、狂暴な魔獣のせいで満足に野営もできないといった有様らしい。先月ごろには冬越えに失敗したかと思われていた地域住民の目撃情報も挙げられていて──……僕ァ金銭に興味があるわけじゃないんです! 神話の時代の話と違うんですよ! 有史以降に現れた秘境の民族だなんてこんな浪漫がありますか!? と、人の思考を遮って、元々高い声を更に張り上げたレクター博士は、長年デュランダルのあるトランフォード第二の都市・セントグイドの魔導学院で長年民俗学の研究をしているらしい。耳の真横で高い声を張り上げられて、にこやかだった表情を引き攣らせたヴィヴィアンは、しかし後に、この躁狂な教授と思わず意気投合することになる。自分以外誰も一言も発さない馬車内で、一切気にした様子もなく語り続けて、なまじ魔導学院出身と知られてしまっているヴィヴィアンや、その他ぐったりと寝たふりさえ始めた周辺ギルドの冒険者、果てには今まさに馬車を運転している運転手にさえ、度々たっぷりと自論を語っては、君はどう思います!?等と自由奔放に絡みまくっていた博士だったが。何故か頑なにギデオンにだけは話を振らないどころか、そのチワワの様なむき出しの視線をも合わせようとしないのである。当初は相棒に矢が当たらないことに安堵していたヴィヴィアンでさえ、流石に感じの悪さを感じ始めたその途端。悪路だというのに興奮のあまり立ち上がり、案の定がくんと馬車が揺れたとはずみにふらついて、ビビの相棒の隣に腕をついたかと思うと。シュバッとアルマツィアの弓使いが片眉をあげるほどの素早さで飛びのいて、「あ、あ、ああ……申し訳ない、本当に」と、言葉を失ったかのように座りなおし、それ以降貝のように口を閉じてしまったレクター氏が、冒険者ギデオン・ノースの熱狂的な大ファンであると知ることになるのは、まだしばらく後のお話。
ともかく今は、そうして突如生まれた静かな時間に、やっとギデオンと同年代らしき、デュランダル側の責任者である女剣士が、態とらしく咳ばらいをしたかと思うと、「じゃ、じゃあ……現地でのスケジュールと注意事項を……」と話し始めるという、なんとも締まらない形でヴァランガ合同クエストは始まったのだった。 )





721: ギデオン・ノース [×]
2024-01-26 19:28:32



(──トランフォード中部の雄大な山々に囲まれた、白銀の峡谷・ヴァランガ。その入口は、キングストンから馬車で数日、そこから更に山道を徒歩で数日……つまり、王都から実に1週間ほどかけて行軍した先にある。距離にしてみれば案外近いかもしれないが、しかし周辺の山岳の、まるで人類を拒むような険しすぎる地形のせいで、これまで冒険者が立ち入った例は、最古の開拓時代以外にほとんどないと言ってよかった。カレトヴルッフの資料室でも、過去の記録を一応調べてみたものの。それらしい記述ときたら、隣の地方にまつわる文献に一、二行ほど走り書きされていただけだ。
通常、よほどの大隊でも組まない限り、そんな辺鄙な山奥にわざわざ踏み込むことはしない。冒険者は有限の資源だ──どんなに情熱的であろうと、国内全土を松明で照らすことはできない。王都の近辺にさえ日々魔獣が湧く以上、人口密集地の防衛を優先するのは当然のなりゆきで。故にヴァランガのような奥地は、開拓時代に一度踏破したが最後、これまで後回しにされてきたのが実情だった。……しかし今回、それがようやく、破られることになるわけだ。
「200年前の集落の再発見、か……」と。幾日目かの野営の夜、焚火の傍でヴィヴィアンと共に、デュランダルから配られた資料を今一度熟読する。──そこでだれかが暮らしているなら、たしかに実地調査のついでに、確認しなければならないだろう。人口や生活実態、人道的支援の要不要など……本来は憲兵団など、国家に直属している組織が動くべき事案だろうが。如何せんヴァランガ一帯は、長年人が立ち入らなかったせいで、魔獣の凶暴度が大コスタ並みだという報告も上がっている。であればまさに、その道のプロである冒険者たちの出番だろう。周辺の魔獣や魔法植物の生態をつぶさに調べ、危険や対策を検討し。最終的に、いずれ必要な国勢調査も立ち入れるように道を敷く……そのための、いわばプレ調査。それこそが、今回のギデオンたちに課せられた使命であるに違いない。……そのついでに、みょうちきりんな学者どもの護衛も背負わなければならないようだが。小さくため息をついたまさにその瞬間、また遠くから賑やかな声が聞こえてきて、ギデオンは振り返った。向こうのほうの焚火の周りで、今回のクエストのきっかけとなった依頼者──セントグイド魔導学院のレクターが、相も変わらず周りを巻き込んで騒いでいる。何故かギデオンのことだけは直視したがらないあの男は、声も存在感もいやに過剰な人物で、別段嫌うほどではないが、胸の内では警戒していた。魔獣よりも恐ろしいのは、守られる立場にあることをわかっていない民間人。万が一が起こらぬよう、しっかりと目を光らせておかないと、大変なことになるかもしれない。ヴィヴィアンともその辺りをこっそり話し合ってから、腰を上げてテントに戻り。寝ずの番の交代に備えるべく……二分と経たずに眠り込んだ。)

(──それからの道程も、同じような日々が続いた。馬車と別れて山に分け入り、幾つもの峠を越えて、日が落ちる前には必ず野営を構えて休む。幸い天候に恵まれて、旅程は至極順調だ。魔獣の襲撃は一日に数回ほどあったが、この合同パーティーは各ギルドの粒揃いということもあり、スムーズな連携戦を最初から難なくできた。……久々にギデオンと肩を並べて杖を振るったヴィヴィアンが、太陽のように明るい笑顔を生き生き振りまくものだから、それに見惚れる男どもが出ていたことだけ悩ましかったが。ああ、それと。魔剣を振るうギデオンを見たレクターの様子が、やけにおかしくなっていたが……あれはいったい何だったのだろう。よくわからない男である。
──……キングストンを出発してから、九日目。ギデオンたちはついに、その鋭い峡谷の切れ端へと辿り着いた。一行の頭上に広がるは、真っ白な雲との対比が見事な、風の吹きすさぶ青天井。その下、遥か眼下には、雪と岩肌でまだらになったV字型の斜面の底に……なるほど、蟻のようにぽつぽつと、集落らしきものが見える。ここから最低でも2週間、現地調査をするにあたり、まずは村人たちに挨拶と、拠点を構える許可取りをしに行かねばなるまい。パーティーメンバーで事前に話し合った通り、まずはギデオンと、デュランダルの女剣士、ほか数名が行くことになった。このパーティーのリーダーは彼女、エデルミラに違いないのだが、200年間外界と交流しなかった土地となると、女と口を利くことさえ嫌がるかもしれない。そこで立場上、王都のギルドの男性冒険者であるギデオンが、場合によっては代わりを務めるわけである。それにあたり、まずは見てくれをきちんと整え、持参した酒や煙草などの土産品を手荷物として携えれば、いよいよ先方への挨拶に……向かった、つもりだったのだが。
──いなかった。いるはずなのに、いなかった。
この集落を築いたはずの村人たちは、影も形も、人っ子ひとりも……まるで見つからなかったのだ。
全ての家、全ての建物、全ての小屋に声をかけた。だが、返事はこなかった。谷の上からギデオンたちが見つけたのは、どうやら廃墟だったらしい。家々の竈は吹き込んだ枯れ葉に埋もれ、ボロボロのベッドには蜘蛛の巣が張っている。この滅びよう……どうやらこの村の人々がここで生活をしていたのは、どんなに新しくても数十年前のように思える。すっかり崩れた家屋がいくつかあるのも、その証左だろう。だが、暮らしの跡や生活用品、革製品を作る道具はあちこちに大量に残っていて、ある日突然この集落を捨てたようにも思えなかった。……それに、そこそこしっかりと根を張った集落のように見えるのに、墓場がひとつも見当たらないのはどういうことか。風葬や鳥葬をするような村だったのか……? 全員で合流し、村の亡骸を一緒に見て回ったが、詳しいことは一向に分からぬままだ。否、レクター博士は助手とともにあちこち調べて回っているが、生粋の学者であるが故に、結論を急ぐような真似はしたくないご様子である。
……とりあえず、ヒーラーであるヴィヴィアンの確認をもって、この村に病原菌や悪性魔素の類いは蔓延っていないとわかった。であれば次は、比較的綺麗な状態で残っている建物の清掃作業だ。村に残っていた箒で枯れ葉や土埃を掃きだし、入り込んだ草の根を抜くと、冷たい風を凌ぐのに充分な場所となった。しばらくはこの屋内にテントを張り、寝泊まりすることになるだろう。綺麗な沢や可食魔獣は幾つも確認できているから、生活資源も問題ない……この谷を拠点として、周辺の魔素・生態調査に乗り出していくわけだ。
問題はふたつ。この村の人々は、はたしてどこに消えたのか。そしてデュランダルに寄せられた、「地域住民の目撃情報」とは、いったい何だったのか……? 来た道があの険しさだ、周辺には他の集落など存在しない。だが報告書によれば、幻のヴァルンガの民としか思えないような人々を、信頼できる筋の人々が、近くで見かけたはずなのだ。冒険者のように野営慣れした様子でもなく、どこかに帰っていくような様子だったという、それなのに……。何もわからないまま、ヴァルンガ初日の夕陽が落ちた。今夜は各自しっかり休み、明日から調査開始である。この村の薄気味悪さを少しでも払おうとしてか、何人かの冒険者たちが、向こうの大きな焚火の傍で、元気に酒盛りをしていたが。一方のギデオンは、日が暮れてからも建物内の安全確認に奔走していたヴィヴィアンを労うべく、まずは谷の斜面で見つけた甘い木の実をフライパンで煮潰した。そうしてペースト状になったそれを、余っていた山鳥のローストにたっぷり塗り、探し出した相手の前にさりげなく差し出すと。“皆には秘密だぞ”というように片眉を上げながら、その隣にゆったりと腰を下ろして。)

なんというか……つくづく、拍子抜けの開幕になったな。
どうだ、疲れはたまってないか?




722: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-01-30 10:25:37




わあ、あったかい……ありがとうございます!

 ( それは最後の廃屋を確認し終わり、壁の補強、防水……これは雪対策のそれだろうか、長い間放置され、溶けかけている魔法をかけ直しながら、朽ちてしまった玄関を潜り抜けた時だった。聞きなれた声に嬉しそうに振り返った娘は、差し出された包みに頬ずりすると、微かに頬を上気させながらその場で小さく飛び跳ね。強く吹いた冷たい風に、絡ませた腕を屋内の方へ引き込むと、少し高くなった床の基礎に並んで腰掛け、秘密の時間を楽しむだろう。相手の問いかけに、「ううん、エデルミラさんってすごい人ね。誰の顔色も見逃さないもの」と、ふいに甘い山鳥に被りつき、大きな瞳をキラキラとこぼれ落ちんばかりに見開くと。相手にも一口食べてみろと差し出しながら、「皆さんすごい人達ばかりで、とっても楽しいです!」と無邪気に足をパタパタとやり。相手の唇へ残った微かなソースをペロリとやると、「それにね──」と口を抑えてクスクスと楽しげに思い出すのは、あの声も存在感も過剰な教授のことだ。
24時間365日──は言い過ぎか。少なくともこの9日間、24時間休まることなく騒がしかった彼曰く、この村の様相は非常に珍妙であるらしい。いや確かに素人目でも首を傾げる部分は多いのだが、村のあちこちで倒壊しかかっている建物や、残る魔法の年代が、新旧様々ちぐはぐであるというのが彼の言で。しかし、ボリューム調節機能が破壊されているとしか思えない癖して、悔しいことに。彼が拾ってきた瓦礫を片手に始めた、考古学における編年概念の授業などは非常に興味深く。斧使いが予報した今夜の吹雪のその前に、割り振られた使えそうな建物の物理的・魔法的な安全の確認に従事する間、重要ながら非常に単調な作業の繰り返しも、見慣れぬ道具の数々に彼の授業を思い出して、お陰で退屈することが一切無かった。ギラギラと剥き出しの瞳を輝かせ、あちこちでガラクタを拾って来ては、学者にとって財産であるはずの知識を、勿体ぶらずに振りまいて、最後には必ず──ありがとう、ありがとう。こんな素晴らしいものに出会えるのも全て皆さんのお陰です! と、度々感動してみせる大男に。その生い立ち上、変人学者には慣れきっている贔屓目を除いても──悪い人じゃない、と絆されつつあるヴィヴィアンだ。ほら、慣れてしまえば、あの村の端から響く歓声も気にならなく──と。そういえば、しばらくレクターの声が聞こえない。あの変人がたまに黙り込む原因の相棒も、今は隣に腰掛けていて。この嫌な予感を伴う違和感に気が付いたようで、無言でふたり視線を合わせて立ち上がると──その手の予感は当たるものだ。すぐさま、「おーい! カレトヴルッフの……なあ! あの学者サン見てないか!?」と、今日のレクター同行班だったはずの槍使いの慌てて駆けてくる様子に、ピリリとその場の空気が凍りつく。意外と広い渓谷だ、闇雲に探しても駄目だろうと、無言で相棒と頷きあうと、まずはテントのある本陣へ駆け出そうとして。 )




723: ギデオン・ノース [×]
2024-02-02 02:00:42




っくく、そうか……馬が合うのは良いことだ。

(この九日間、ギデオンたちはいつも以上に真面目に仕事に勤しんだ。このペアでの出動を上が後押ししてくれたのは、それだけ厚い信頼を寄せられているということ……それをふたりとも、よくよく承知していたからだ。
故に、これまでの旅路において。ギデオンもヴィヴィアンも、相手より自分より、周囲の仲間を優先していた。親しいはずの相棒とはきりっと一線を引くどころか、なりゆき上ひと言も会話せずに夜を迎えたことさえある。仕事中なのだから、これがあるべき姿だろうと、大人の顔できちんと弁えていたけれど。さりとて心のどこかでは、旅の疲れも、何だかんだで常に気を抜けないストレスも、同じ場にいる恋人を意識しない努力のために返って生じる恋しさも、我知らず積もりゆくもの。だからこうして、ようやくまともな拠点を構え、ゆっくりと腰を落ち着けたタイミングで。いよいよ始まる本命の調査仕事を前に、まずは少しだけここまでのお互いを労おうとしていたのも。そう罰当たりな話でもない……はず、だったのだ。そのときまでは。
相手の蠱惑的な悪戯に笑い、尚もくすくすと楽しそうなその横顔を、酷く満足そうなアイスブルーの双眸で眺め。顔をぱあっと輝かせながらあれこれ楽し気に語る相手に、後方に手をついてゆったりと寛ぎながら、穏やかに相槌を討つ。そうして過ごしていたギデオンの表情が、しかし相手と全く同じタイミングで、石のように強張った。──立ち上がり、話を聞いて、思わず槍使いを睨みつける。彼を含めたメンバーには、自分やヴィヴィアンやエデルミラがようやく休みを取る前に、充分な休憩を先んじて与えたはずだ。それなのに、用でも足していたのか、或いは何かに気を取られたのか──護衛対象から目を離し、あっさり見失っただと? 未だ調査も始まらぬこの初日から?
心得の足りない仲間に言いつけたいことはいろいろあったが、今そうしても時間の浪費にしかならない。立ち竦む槍使いは一旦無視して──ギデオンの怒りようをわかっているなら、ちゃんとついてくるだろう──ヴィヴィアンとふたり、エデルミラの元に向かおうとした、その瞬間。夜気を切り裂く嫌な唸りが、その場にいる全員の耳をおどろおどろしく震わせた。……言わずもがな、悪霊ウェンディゴの呼び声だ。あの邪悪なものは、ひとりで冬山をさ迷う人間に危害を及ぼす習性を持つ。恐ろしいのはそれだけじゃない……ウェンディゴが鳴いたということは、斧使いたちの言うとおり、今夜は確実にひと吹雪くるということである。姿を消した同行者、これから始まる長い夜、迫る大雪。じわじわと立ち昇り始めた最悪の事態に、ギデオンの頭が目まぐるしく回り始めた。──同行する一般人に被害を出すような事態など、冒険者には許されない。はぐれた学者を見つけ出すには、初動が何よりも肝心だ。ヴィヴィアンをくるりと振り返り、明瞭に指示を出すその声には、最速で行動を起こすべく、相手への信頼が滲んでいた。相手がそれを了解したなら、一目散にリーダーの元へ向かい、捜索隊を編成し。そうして、ヒーラーである相棒もやむを得ず同行させて、博士を捜しに繰り出すだろう。)

──ヴィヴィアン。俺はエデルミラの元にこいつを連れていって、捜索範囲を検討してくる。
おまえは捜索の元気がありそうなやつらを見繕って、すぐに装備を身につけるよう言ってくれ。おまえの判断で今夜は休ませる奴らにも、俺たちの戻りに支障が生じる場合に備えて、ここで相応の準備をさせたい。指示する内容は……この前一緒に確認したあのマニュアルの、あの項目だ。だいたいわかるな?





724: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-02-04 21:00:18




──はいっ、任せてください!

 ( 尊敬してやまぬ相棒に、久方ぶりに仕事を任せてもらえて、娘の横顔が酷く誇らしげに光り出す。それでも、この一刻を争う事態の中で、力なく項垂れる槍使いを目の前にして、「大丈夫、皆で探せば絶対見つかりますよ!」と、走りながらも穏やかな笑みを向けずにいられないのは性分だろう。折角、不慮の失敗の原因を追求するという嫌われ役を、ギデオンさんが引き受けててくれたのだ。それぞれ二方向へと向かう別れ際、両拳を顔の横でぎゅっと元気に引き結び、にこりと相手に微笑みかければ、丸まっていた男の背中が微かに伸びたような気がした。──大丈夫、彼とて今回のクエストに選ばれた優秀な冒険者のはずだ。少なくとも、その人の良さは道中でとっくに知っている。きっと、誰より熱心に誠心誠意、己のミスを挽回するだろう。そんな別れ際の数秒で、仲間を鼓舞するヒーラーとして、最大限の力を発揮すれば。その数秒後には、ひらりと赤いマフラーを翻し、石垣を飛び降り遥か下へと消えて行き。それから数分後、エデルミラを連れたギデオンが戻る頃には、前衛後衛バランスよく、今後の交代シフトまでをも考えた完璧な布陣で、捜索開始の指示を迎えただろう。
 しかし、そうして始まった捜索は、とても順調とは言い難かった。槍使いの誠実な証言を元にして、エデルミラとギデオンが割り出してくれた捜索範囲は、目を見張るほどの精度だったが。そもそもの面積が大きい上に、これはレクターが動けなくなっていた場合の想定だ。彼自身が興味深いものを前にして、突飛な動きをするのは周知の事実で、そうでなくとも魔獣に追われていれば分からない。もうずっと大きな手がかりを得られないまま、刻々と捜索範囲は広がって行き、ふと睫毛に落ちた白い氷に、うっそりと疲れた視線を夜空に向ければ。最早、魔獣避けや目印に、出立前に焚き付けてきた聖火は随分遠く、目の前に広がる巨大な岸壁と一緒になって、冒険者の心を苛むようで。兎にも角にも、物理的な行き止まりに──ごく一部の冒険者にとっては、踏破可能かもしれないがレクターには無理だろう──焦燥の滲んだ顔でギデオンを見遣れば、高山にして豊かな下生えを踏み、来た道の方へと引き返そうとしたのも詮無いことで。 )

ここを、登る……のは、難しいですよね




725: ギデオン・ノース [×]
2024-02-07 23:27:14




……あの図体を上まで引きずり上げるには、相応の装備が要る。
そんなものは持っていなかったはずだ。

(相棒が最速で導き出した、あくまで理性的な諦めに対し。ベテランであるギデオンもまた、決して否とは返さなかった。その薄青いまなざしは、地上から今一度、舐めるように登っていき──優に数百メートルも上で、非常に険しく縫い留められる。……一応、ちょっとした足場になりそうな岩が、ところどころ確認できないわけじゃない。それでも、ここからその地点までは、完全なる断崖絶壁だ。まるで巨人が、自慢の剣のひとつでも大きく振り下ろしたかのように。
そんな地形を、フィールドワークに慣れているとはいえ、民俗学者の一般人がよじ登れるものだろうか。魔法の心得がある人間でさえ、ハーケンが欠かせないはずだ。しかし楔のようなものなど、崖の表面にひとつとて見当たらなかった。仮にレクターが、己独りで登攀に挑んだとしても、打ち込んだそれらを自主回収するのは不可能だろう。──つまり教授は、この上には行けない。いるとしたら、ここから後ろ。ギデオンたちは、どこかで彼を見落としてきたか、まったくの徒労に時間を費やしてしまってきたことになる。
落胆と苛立ちが湧く。横顔を苦々しく歪めずにいられないその脳裏を、いくつもの悲惨なデータがよぎっていく。──公認ギルド教会が、国内の各公認ギルドに定期的に送る季刊誌。そこには様々な統計資料が載っており、時に人命救助も担う冒険者には欠かせない。キングストンを発つ前にも、ヴィヴィアンと寝室でふたり、真剣に読み込んできたそれら曰く。遭難というのは基本、72時間以内に助けられるかどうかが肝要だ。その刻限を過ぎてしまうと、生きていられる確率ががくんと落ち込むからである。──そしてたとえば、冬の野山で雪庇を踏み抜くなどして、雪の中に埋まった場合。命のタイムリミットは、その72時間どころか、僅か20分弱にまで縮まる、というデータが出ている。そこから更に15分経てば、生存率はもはや4割以下。……今回の場合、レクターを見失ったという報告を受けてから、既に2時間が経過していた。もしも彼が、自分たちの見立てた捜索範囲からほど遠い地点での滑落なり生き埋めなりで、この厳しい寒さのなか、身動きが取れなくなっていたら。──捜索隊の呼びかけに応えないのは、既に……“応えられない状態“に、陥っているせいだとしたら。
……間違ってもそんなことにならないよう、護衛対象である教授自身にも、事前に口酸っぱく言い聞かせていたはずだ。絶対に俺たちから離れるな、と。それがいったい何故──と。そこでふと、あの大柄で陽気な男の、とめどなく溢れて止まらない知的好奇心を思い出した。目を大きく見開くなり、背後のヴィヴィアンを咄嗟に振り返る。「──教授は、何と言っていた?」緊迫した声で尋ねる意味が、相棒にもわかるだろうか。「村に残ってる建物や魔法について、編年学的におかしい、だからこそ面白い、って……大興奮だったって話だよな?」
──愚かにも、見落としていた。直前までレクターと共にいたのが、例の若い槍使いであること、それにとらわれ過ぎていた。彼はあくまで、本格的な学問に携わったことのない冒険者。ならば、レクターはきっと──自分と同じく魔導学院出身であるヴィヴィアンにこそ、より剥きだしの本心をぶちまけていたはずだ。己の飽くなき探究心、あれやこれやと枚挙にいとまがない仮説。そのなかに、レクターの行動を予測できるヒントが隠れている可能性がある。──彼はそこらの凡人とは違う、だからこそ、行動を読める希望がある。いよいよ降雪が増してきた中、やむを得ず切り上げてしまう前にと、相手に力強く問いかけ。)

──祠、禁足地、何でもいい。教授は何か言ってなかったか。『この村がこういうことなら、ここにはあれがあるかもしれない、逆にないかもしれない』なんて……推測を立てていなかったか。





726: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-02-10 00:11:48



そんな……そんな、大したものじゃないんですけど……採石場がみたい、って……

 ( ──集団移住、ですか? なにか確信を得たかのようなギデオンに、ビビの脳内を過ぎったのは、いつか大興奮でビビの問いかけに頷いていた、例の大声教授の満面の笑み。元は細い目元をこれでもかと見開き、ぶんぶんと嬉しそうに拳を振り上げたレクター曰く──この村がせいぜいひと冬で滅んだ筈無いと。それにしては、村に残る品々の年代がちぐはぐすぎる、ここの村民はもっと長い、長い時間をかけて。徐々に人口減少したか──もしくは計画的に、どこか違う場所に移住したんじゃないか。「もしそれにお目にかかれるならば、僕は今後の糧が全てそら豆になろうと構わ……やっぱり嫌ァ!」と、勝手にうるさい名物教授は、続けてこうも言っていた。それに、集団移住説だって分の悪い話じゃないはずだと。この村の道具たちは新旧さまざまではあるものの、皮革産業だけでなく、「高い石切りの技術を持つ人達だと思いますよ。それこそ必要に駆られて、居住区を変えるのは訳ないでしょうね」と──採石場跡でも見つけられれば、村に残る石の数と照らし合わせて、彼らが外に出たのか、大きな手がかりになるでしょうな。と、非常にワクワクしているところを申し訳なかったが、その日は既に日が沈みかけていたので、丁重にキャンプにお戻りいただいた次第である。それから、レクターの見張り……もとい、護衛班が交代となり、例の槍使いの所属する班が引き継いだ訳だが、成程。本日辿ったルートは確かに、高い高い崖に沿い、採石場を探すような動きに違いない。
──その会話をしたのは、他でもない自分だったはずなのに。ギデオンの鋭い指摘に目を見張り、キラキラとした尊敬をその瞳に滲ませれば。元々赤い頬をさらに元気に紅潮させたのも束の間。採石場を探して幾許も進まぬうちに、天上から降る白い氷の塊が、みるみるうちに大振りに、横殴りに吹き付け初め。最早これ以上はこちらが遭難する悪天候に、これまでか、と。誰もが思って口にしたくないそれを、一番責任感の強い者が口にしようとしたその寸前だった。雪でけぶった悪い視界に、ずっと右手に捉えてきた険しい岩肌、手前の大きな岩に遮られ、見づらくなった亀裂の奥に、何かゆらりと光ったかと思うと。「レクター様とご同行の方ですね?」「ようこそいらっしゃいました」と、この9日間で聞きなれぬ、どこか幼気な声が吹雪の向こうにりんと響いた。双子だろうか、揃いの皮革のコートを身にまとい、とてもよく似た面立ちの10代半ばと思われる男女は、「今晩はこの猛吹雪です、私たちの村にお越しください」と声を揃えると、人形のように穏やかな笑みを冒険者たちに差し向けるだろう。 )




727: ギデオン・ノース [×]
2024-02-14 07:40:20




(突然姿を見せたかと思えば、この吹雪のなか、ゆらりと穏やかに微笑む双子。その声も、見てくれも、まだ年若い子どものはずだが……異人を見つけての振る舞いは、完全に村の年寄りのそれだ。どこか歪なその雰囲気、常人に比べ浮世離れした口ぶりに。ギデオンは一瞬、何かぴりりとざわついて──いつかの豪雨の日を思い出して──無言でかれらを見つめずにいられなかったが。代わりに、隣にいるエデルミラが、「彼、無事なのね」と口を開いた。名前を知っているということはそうだろう、そちらの口ぶりからして酷い状態にはないらしい、と。横殴りの雪をものともせず、ギデオンと一瞬交わしたその視線からは、(今はレクターの保護を優先しましょう)という熟慮が見て取れる。それでギデオンも、この場は一旦、数歩下がっておくことにした。直接顔は見ないものの、ざくざくと雪を踏みしめながら、無意識にヴィヴィアンの傍へ。……相棒には、ギデオンがなんとなく慎重になってしまうのが、吹雪越しでもわかるだろうか。
エデルミラと双子の間で、いくらかやり取りが為された後、すぐに彼女が戻ってきた。やはり先方は、いなくなったと思われていた、この谷の住人らしい。崖の内部にトンネルがあり、そこを抜けた先の場所に、今の村を構えていて……レクターもそこにいるという。そこでエデルミラは、この捜索隊をふたつに分けると言いだした。リーダーである彼女と、ヒーラーのヴィヴィアンは必須。経験の長いギデオンのほかに、数人の中堅や、体力のある若手も欠かせない。そこにあの槍使いが、自分の引率下で起きてしまったことなので、と志願したため、彼も加わることになった。──以上、9名。それ以外の大勢は、アラドヴァルの大ベテランの指揮のもと、谷底の調査本部に帰還である。そこで待っているほかの仲間に、この状況を共有しに行ってもらう必要があるからだ。
帰還組が元来た道を戻るのを、一行は黙って見送った。といっても、彼らはすぐに、白い幕の向こうへと見えなくなってしまったが。ふと振り返れば、例の双子も、物言わずじっと眺めていた。しかしギデオンの視線に気づけば、またにこりと、今度はやけに歳相応に愛らしく見える笑顔を浮かべ。「それでは、ご案内いたします」と、いよいよ踵を返して、崖のほうへと歩きはじめた。)

(──トンネル内部は、きりりと冷え込んでいた。それに静かで、靴音がやけに響く。ランタンを掲げている先頭の双子は、迷いなく、だがゆっくりと進んでいくので、魔法使いの灯す杖明かりを元に、周囲に目を配る余裕があった。頭上に高く高く広がっているだけで、隧道自体は、狭く細い一本道だ。剥き出しの岩肌を見るに、掘削ではなく天然らしい。しかしなるほど、これはレクターの興味を引きそうだなと、傍を歩くヴィヴィアンとふたり、ちらりと視線を見交わす。あの好奇心旺盛な教授のことだ、何か可能性を見出したら、確かめずにいられなかったのだろう。ほんの少し覗くつもりが、奥の奥まで行ってしまったのだ。
やがて不意に出口が見えた。それと同時に、はっきりと違和感を覚えた。──気温が、違う。前方から流れこむ空気が、妙に寒さを欠いている。双子に続いて崖の外に出た一行は、そのわけをすぐに突きつけられ、思わず呆然と立ち尽くした。……トンネルは、それほど長くはなかった筈だ。だというのにこちら側では、あれほどの吹雪が止んでいた。それどころか、真っ黒な夜空が、酷く美しく晴れ渡っている。……満天の星と、やや細い半月。そしてはるか遠くの、真っ白な頂をたたえた雄大な三角の山が、くっきりと見て取れるほどだ。
双子の案内に連れられて、さらに進んだ一行は、また立ち止まることになった。崖沿いの斜面の上から、こちら側の谷底を見下ろすことができるのだが……そこには、冒険者たちの無意識の予想を覆す光景が広がっていたのだ。──暖かな明かりの灯る家々、そしてこの季節だというのに、緑豊かな畑の数々。それが谷底いっぱいに、当たり前のように広がっていた。せいぜい百やそこらとおもっていた村の人口は、どうやら以上あるらしい。……これが本当に、二百年も外界と隔たれてやって来た村なのだろうか。感嘆を隠せぬ冒険者たちに、先頭の双子が再び振り返り、にこりと穏やかに微笑んだ。「ようこそ、私たちの里へ」──それぞれ片手を広げ、迎え入れるような仕草を披露する──「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」。)





728: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-02-16 13:16:04




 ( エデルミラの呟きに、「レクター様はご無事です」「"非常に"精力的に過ごされておりますよ」と。その厳かな頷きの中に、不穏なそれだけでは無い、どこか遠い目をした含みを感じ取れば、この場の誰もが覚えのあるだろう疲労感に親近感さえ覚えて。その可愛らしい見た目も相まり、うっかり気を許しかけていたヴィヴィアンだったが。──200年前の大寒波、時を同じくして凶暴な魔獣が村を襲って以降、このトンネルの向こうに住まいを移したのだと。小さなランプひとつで進む道中、「最近はやっと村も落ち着きまして、また交易も再会出来ればなんて考えていたところだったんですよ」などと、気さくな様子で微笑む少年の一方で。先程までずっと先方を行っていたはずの相棒が、それとなくこちらへと近づいてくる動きに気がつけば。──……? 魔獣、落盤……それともこの子達に何か……? と、そのギデオン自身も明文化しきれていない真意こそ読み切れぬまでも、さりげなく"非力なヒーラー"がぐったり疲れた振りをして、その大きな影にもたれると、歩きやすさ優先で収納していた杖を腰に下げ直しておくだろう。
そうして開けた視界の先で、その鮮やかな緑と白い建物のコントラストに目を瞬かせていれば。「驚きましたかな、この街は火山の地熱を利用しているのですよ」と、草の地面を踏みしめながら近づいてきたのは、これまた立派な皮革を纏った男……とも、女とも取れない年寄りで。「「おじいさま!!」」と、それまでの大人らしい態度を一変させ、人懐こく飛びついていく双子を──こらこら、と優しく撫でながら、ゆっくりとこちらを見回した彼は──決して悪気は無いのだろうが、同年代でも男である相手の方を責任者と判断したか、ゆっくりとギデオンの方へと向き直り。「"むらおさ"のクルトと申します。ちょうど祭りの日に貴方達を迎えられて──」と、にこやかに挨拶を仕掛けた時だった。「なんて素晴らしいんだ!!!」と遠く離れた民家から、冬の夜の空気を揺らす最早聞きなれた大音声。その主であるいつの間にかこの村らしい装いを身につけた某学者が、まさにスキップせんという勢いで飛び出てきたかと思うと。ギデオンの後ろにヴィヴィアンを見つけたその途端、それはそれは嬉しそうな表情でこちらへと駆けて来ようとして──しかし。その「ビビ君! ビビ君! 聞いてくれ──……」と、その出処不明の勢いが段々と削がれて行ったのは、少なくともエデルミラ、若しくはギデオンも近い表情はしていたのだろうか。百戦錬磨の冒険者から放たれる鋭い怒気kあれられたらしい。一行の前に歩みでる頃には、どこぞの電気ネズミの如くシワシワに成り果てたレクターは、聞いたこともないような小さな声で、「ごめんなさい」と子供のように囁くと。それはそれは不安そうな表情で「……あの、僕が悪いんだ、彼は罰せられるのかな、」と申し訳なさそうに俯いて、胸の前で所在なさげに指をいじり始める様子は、誰が見てもごくごく健康と言って差し支えないだろう。 )




729: ギデオン・ノース [×]
2024-02-17 01:37:32



※些事なのですが、前回のロルに書いた「やや細い半月」は、「やや膨らんだ半月」と読み替えていただければ幸いです(時系列修正や世界観関連の意図によります)。



(ギデオンたち捜索隊が、必死に探し回っていたというのに。人騒がせな学者殿は、どうやら全くの無事だったらしい──現にご覧の恰好である。がくりと項垂れたギデオンが、それはそれはわかりやすく、疲れきった溜息を洩らせば。その意図をしっかり汲んでくれたのだろう、ずん、ずん、ずずん、と三人の強面戦士が進み出て。「おんどれなにしとったんじゃゴラァ!」「カタ悪いことしてんとちゃうぞゴラア!」「落とし前つけんかいィ!」等々、しおしお縮こまる大男を、雛を虐める海鳥宜しく取り囲みながら、大げさに怒鳴る有り様だ。傍目にはまあまあ手荒だが──例の槍使いなど、慌てて止めに入ろうとしていた──一応これはこれで、本人の無事を盛大に祝う冒険者なりの所作である。……ガス抜き? 何のことだろう。
とにかく、レクター本人にはそうして反省してもらう間。ギデオンとエデルミラは、改めて村長クルトに向き直り、再三の礼と挨拶を述べた。──我々は、国内中部の各ギルドから寄り集まった、有志の冒険者パーティーです。長らく調査の行われなかったこの地方の魔獣、植物、鉱石について調べるため……及び、風の噂で無事に暮らしていると聞いた谷の人々の近況を尋ねるため、遥かな山々を踏み越えてまいりました。あの男は、あなたがたのご無事を誰より祈っていた学者です。ご迷惑をおかけしたようで大変に申し訳ない、助けてくださってありがとうございました。手土産を持参しているのですが、そちらは現在、キャンプに残してきた仲間たちの手元にあります。ですので、此度のお礼と正式なご挨拶は、また後ほど改めて。その手前、非常に心苦しいのですが、今夜のところはこちらにひと晩泊めさせていただいても宜しいでしょうか。あちら側は酷い吹雪で、皆帰れそうにないのです。
「どうぞどうぞ、遠慮なくゆっくりしていってくだされ」と。クルトはやはり朗らかに、しかし依然としてギデオンのほうだけを見ながら、家々のほうを指し示してみせた。「村はこれから、6日間続く祭りを催すところなのですよ。第一夜はもう終わってしまいましたが……よそからお客様がお見えになったと知れ渡れば、明日から皆、貴方たちを歓迎しきりになることでしょう。お食事はお済みですかな? ああ、そうですか。よかったら、自慢の蜜菓子をお夜食におつまみくだされ。ええ、ええ、この谷の特産品は、この皮衣だけではないのです。我々の飼うミツバチは、非常に働き者でして……」
かくしてギデオンたち一行は、このヴァランガ峡谷の隠れ里──フィオラに泊まることになった。村の手前に空き家が二軒ほどあるらしく、そこに毛布や薪を運び込んでくれるようだ。先ほどの双子のほか、中年の村人たち数人と顔を合わせた。皆にこやかだったものの、明日からも控えている祝祭の準備で忙しいとのことで、挨拶もそこそこにすぐ引き上げていったのが、なんだか拍子抜けである。しかし元より冒険者たちも、数日続いた緊張状態の野営の末に、吹雪のなかでのレクター捜しと来て、流石に疲れ果てていた。今宵はゆっくり休むべきだろう……ちなみに、余談ながら。既に村人と親しくなったレクターに限っては、先ほどの民家から既に招かれていたらしく、申し訳なさそうに冒険者たちと別れていた。しかしそれを威勢良い声で送り出してやったのは、先ほどのいかついトリオである。無事さえわかれば別に良いのだ。
──ヴィヴィアンとエデルミラの女性陣だけで泊まれるような建物は、特に手配されなかった。しかし流石に、いきなり押しかけてしまった身で贅沢を言うわけにはいくまい。彼女らの許可を得て、アマルツィアの弓使いとギデオンのふたりが、用心も兼ねて相部屋を受け持った。……このとき、エデルミラとは少しだけ、今後の懸念を話し合おうと思っていたところなのだが。顔色があまり良くないのでそっと尋ねてみたところ、どうやら月の障りが突然きてしまったらしい。「レクターを見つけたら、なんか……ほっとしちゃったみたいで……」……今回のクエストは長いから、ちゃんと薬も飲んでたのに、と。責任感からか、こんな時にという苛立ちからか、あるいは純粋に余程体調がすぐれないのか。酷く顔を歪める彼女を、休ませないわけがない。ヴィヴィアンに事情を打ち明け、男にはどうしようもない手助けを彼女に託し。ギデオンたちもまた、ふたりには悪いようだが、梁に布をかけただけの仕切りの向こうで、すぐ寝入ることにした。もっとも、ほんの少しでも物音がすれば、すぐにすうっと目を覚まし。傍に置いている魔剣の柄に手を寄せながら、じっと耳を澄ましてみたが……今夜のところは杞憂のようで。──フィオラでの最初の夜は、何事もなく更けていった。)

(さて、翌朝。冒険者たちが朝食のご相伴にあずかろうとしていたところで、昨夜キャンプ地に帰還した、或いは残してきた仲間たちが、トンネルを通ってこちら側に合流した。これで総勢数十名ものよそ者たちが、谷あいの小さな村にいきなり溢れたわけである。
しかしそれでも、フィオラ村の人々は温かく歓待してくれた。私たちの里にようこそ──心からお待ちしておりました! その純真できらきらとしたまなざし、谷の外から来た人間に興味津々な様子ときたら、元々浮かれやすい冒険者たちを擽るのもわけないことだ。特に若い連中ほど、あっという間に村人たちと打ち解けたようで、「ぼうけんしゃ?」「ほんもののぼうけんしゃ!?」と、子どもたちに群がられていた。レクターなどは言わずもがな、あの陽気なお喋りが朝っぱらから止まりそうにない。その勢いにはフィオラ村の人々さえ若干引き気味であったものの……自分たちの何てことのない話から、谷の周辺の植生などを正確に言い当てるのを見て、酷く興味をそそられたようだ。子どもよりも大人のほうが、レクターによく聞き入っていた。
仲間たちとフィオラの人々が活発に親しみ合うのを見て、エデルミラやアラドヴァルのベテランと共に、暫くこの村に滞在したいと打診した。村人たちの許可を得て、きちんと労働を手伝いながら、ここらのことを聞きだせれば。その方が余程効率よく、ヴァランガ一帯の調査を進めていけるに違いない。村長クルトも、ふたつ返事でそれを了承してくれた。村のおなごたちも喜ぶでしょう──こんなに面構えの良い男たちがやってきて、浮つかぬわけがありますまい。
そんなわけで、まずは手始めに、村人との交流である。仲間たちがすっかり元気に動きだした後、逆に深めの二度寝に及んでいたギデオンは、遅れて参加しようとして……しかしいきなり面食らった。若い冒険者の連中ときたら、見てくれは皆いかつい大男であるくせに、花冠なんぞ乗っけていたのだ。どうしたんだと尋ねてみたら、どうもこの村には年中咲く花畑があるようで、そこの花を摘んだ子どもたちや村娘が、プレゼントにとくれたらしい。「カレトヴルッフのお堅いの! あんたもひとつ被っちゃどうです?」──朗らかなそのお誘いを、しかし丁重にお断りして、まずは相棒の姿を探す。相手は今ごろどうしているだろう。人好きされやすい彼女のことだ……あいつらと同じように、フィオラ村の子どもらに懐かれているところだろうか。)





730: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-02-19 16:14:42




 ( ──はなをなふみそ、はなをなふみそ、あかきもちづきたくよさり──
フィオラ村の中心地から少し離れた丘の上。下の村からは見えないが、少し高くなったこちらからはよく村を見渡せる花畑に、村の子供たちの歌声が無邪気に響いている。高い高い冬の空に、不似合いなほどの鮮やかな緑、色とりどりの花々の間でくるくるとはしゃぎまわる子供たちの着物が真っ白に太陽を反射して。時刻はちょうど昼下がり、真上に上った太陽に影らしい影が鳴りを潜める光景にその名を呼べば、自身もまた真っ白なローブを纏った娘がギデオンを振り返るだろう。──それは、ギデオンとエデルミラを休ませて、自分も村民との交流を図るべく、夜の祝祭に向けた準備の輪に加わろうとした時のこと。「思わぬルールがあることもある」と、現代人の不用意なふるまいに対するレクターの忠言を思い出して、己が触れていい物を確認しようとするビビに、しかし村民の男たちの様子は好ましいとは言い難かった。決して悪意を自覚しているわけではない、しかしお手伝いをしたがる子供に向けるような、仕方なさそうな生ぬるい視線。年若いとはいえ、立派な成人であるヴィヴィアンに対して、有益な何かができるとは一切信じていない。その癖、彼女の持つ容姿に好感を隠さぬ不可解な──否。これが少なくともエデルミラら上の世代の女達なら、ごくごく見慣れたそれだということを、個人主義である現代の魔法使い社会で育ったビビが慣れていないだけなのだが──兎も角、うっすらと不快な対応に困惑し立ち尽くすビビの腕を引いたのは、彼らもまた忙しい“大人”とは切り離された存在である、皆よく似通って愛らしい村の“子供”たちだった。その無邪気に振舞うことを義務付けられた存在たちは、大人たちの気の引き方をよくよく心得ているようで。ビビの手を引き美しい花畑の存在を教えてくれると、器用に編み出した花冠を腕にかけて、先程ビビ達を冷たく振り払った大人たちの頭にかけていく。そうすると、先程まであれほど冷たかった大人は皆一様に仕方なさそうに微笑んで、皆一様に微笑ましがる。そうして子供たちはまた次々と冠を増産し始め、いつの間にかビビのように年若い女性たちも花輪作りに加わり始めていた。せっせと冠を作ろうさぼろうと咎められない、なんの責任感もない空間は大人になってまだ浅いビビにはよく覚えのあるそれで。この村における若い女の立ち位置に気が付き始めたヴィヴィアンの不安に、そのよく聞きなれた低い呼び声はとても落ち着くものだった。
ギデオンを一目見て柔らかい笑みを浮かべるビビの頭上で、大ぶりな花輪がふわりと揺れる。ゆっくりと立ち上がろうとした瞬間、それまでビビの膝を占拠していた少女に飛びつかれ、「危ないよ」と苦笑しながら膝をつけば。閉鎖的なコミュニティ故だろうか、ビビに限らぬ互いもよくよくくっつき合ってじゃれ廻っている距離感の近しい子供たちにもみくちゃにされ、仕方なく自ら腕を伸ばして相棒を近寄らせれば。今後の相談をしようとするビビの肩越しに、噂の“冒険者”に興味津々といった子供たちの青い目がキラキラとギデオンを貫くだろう。 )

おはようございます、ギデオンさん。
もう少し休まれてなくて大丈夫ですか?




731: ギデオン・ノース [×]
2024-02-20 15:46:06




ああ、もうすっかり大丈夫だ。

(相棒の手に引かれるがまま、彼女の横にしゃがみ込み。話をするよりまず先に、村の子どもたちにごく軽く笑みを向ける。挨拶代わりのつもりだったが──しかしかれらときたら、はわあと大きく息をのんだかと思えば、ヴィヴィアンの肩や背中にますますしがみつくばかり。未だ肩越しにぴょこぴょこと覗いてくるものもいるが、ギデオンと目が合えばはっとしたように固まって、はにかみながら隠れてしまう。ヴィヴィアンにはこのもちもちした団子っぷりだというのに、どうやらギデオン相手には、気軽に懐いてくれないようだ。
苦笑しながらすっかり腰を下ろしたところで、そのきらきらしたまなざしが、どれもギデオンの腰元に注がれるのに気がつけば。鞘に収めた魔剣を見下ろし、次いで再びかれらを見上げ。実にそれっぽく片眉を上げながら──「悪いな。大事な仕事の道具だから、気軽に触らせてはやれないんだ」なんて、如何にも気障ったらしい台詞を。すぐ隣の、ギデオンの上辺も素も知り尽くした相棒には、果たしてどう映っただろう。ともあれ子どもたち相手には、無事に“かっこいい冒険者”を演じることができたらしく。「ほんものだ……!」と興奮したひそひそ声で囁きあい、何かうんうん頷き合ったかと思えば。ぱっとヴィヴィアンから身を離し、今度は野兎よろしく、花畑のなかへ元気いっぱいに駆けだしていった。「あったあ!」と、遠くですぐに掲げたそれは、如何にも手頃な長さの木の枝。おそらく皆で“冒険者ごっこ”でもおっ始めるつもりだろう。王都でも地方でも、おそらくこの国ならどこでも見られるわんぱくな景色──健やかで良いことだ。
さて。大人には分の悪い純真無垢なギャラリーは、こうしてあらかた追い払えただろう。遠くできゃっきゃと上がる笑い声を浴びながら、隣の相手をようやく振り向いたギデオンの表情は、故に酷く満足気なもので。「……流石にあいつらの前で、こんな風にするわけにはいかないからな」なんて、口元を緩めながら、片手を緩く相手に伸ばし。栗毛のいただく花冠を、戯れに優しくいじっては──ほんの一瞬、子どもたちの目を盗んで、薄い唇を重ね合わせる。本当はもっと……先ほどギデオンを振り返る彼女を目にしたあの瞬間、とても言葉では言い表せない感情が湧いたあの瞬間から、もっと深くしてやりたくてたまらない気分だったが。うっかり夢中になったらまずい状況には変わりないし……第一今は、残念なことに、一応仕事中である。それゆえ、名残惜しそうに顔も身体も引き離し。それでも共犯ならではの、悪戯っぽい微笑みを浮かべ。)

──……本当に、よく似合ってる。
ここの花は不思議だな……まるで、ここだけ春みたいだ。





732: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-02-21 02:04:52




まあ! んっ、ふふ……ええ、ずっと見ていられるくらい……

 ( きゃははははっ! と楽しそうに駆け出していく子供たちに手を振り、自らもまたギデオンの方へと振り返れば。果たしてそのうっとりとした眼差しは花畑に向けられたものだか、愛しい恋人に向けられているのだかどうだか。つい先程子供たちに向けられた清廉な笑顔と、今自分に向けられている悪戯なそれとのギャップに、満点のファンサービスをもらった子供たちへ、内心ほんのりと嫉妬していたことさえ忘れてしまって。「これね、私が作ったんです」とおもむろに頭上へと手を伸ばすと、その陰に隠れてもう一度。そっと柔らかな唇を触れてそのまま、キラキラと太陽を反射する美しい金色に戴せてやる。そうして吹いた暖かな風に栗色の毛を靡かせ、ゆっくりと草の上に腰を下ろせば。向こうの子供たちは全員分の獲物を手に入れて、いよいよ遊戯にも熱が入ってきた頃合らしい。きゃっきゃと響く聞きなれた宣誓のまじないに、フィオラにも伝わっていたのかと微かに目元を見開けば、視界の端にその小さな青い星型の花が映った途端、何気なく身体が動いていた。ぷつりと茎を摘み取って、自分の指に巻いて輪っかを作ると、むいむいと相手の分厚い左手を我が物顔で引き寄せる。それからその青いリングを薬指にかけようとして、しかし、娘の指に合わせたリングが太い関節に引っかかってしまえば。寸前までにこにこと満足気な笑みを浮かべていた娘のふくれっ面と言ったら。わぁん、とギデオンを前にして気の抜けた声を上げ、もう一度同じ花を探して腰を上げれば。ギデオン越しに見つけたそれに、相手の隣に手をついてぐっと大きく手を伸ばして。 )

だめ、だめ、まって、作り直しますから!




733: ギデオン・ノース [×]
2024-02-23 10:44:49




(──ああ、そういえば。子どもの頃の……十かそこらの頃の俺も、他の見習い仲間と一緒に、あんな風に長い長い宣誓式をしたっけな。しかしフィオラの子どもたちは、谷の外を知らぬだろうに、よくあんなのを知ってたもんだ……と。ふわふわした花冠を何ら抵抗なく被ったまま、意識を遠くに飛ばしていたギデオンは、しかしふと、自分の片手が構われているのに気がついた。
なんだ? とそちらを見てみれば、隣に座っているヴィヴィアンが、どうやら花の指輪を嵌めさせようとしているようではないか。しかし見守っているうちに、実ににこにこと楽し気だった娘の顔は、目算を誤ったと気づいたのだろう、三つ四つの幼女のように、わかりやすくふてくされて。それだけでも内心可笑しかったというのに──あどけない嘆きの声まで、素直にあげられてしまうのだ。もうこらえきれるわけがなかろう。
くっくっ……と、喉仏と肩を小刻みに震わせながら、相手の意識が新しい花に向かったのを良いことに、第二関節で引っかかった指輪をいじろうと試みる。上手く緩めれば、きっとこのまま使えるに違いないのだ。しかしそこに、だめ、まって! と。最初こそ声だけで制止していた恋人が、慌てたように振り返って飛びついてくるものだから。「こら、なんでだ──」「別にいいだろ──」と、ギデオンもギデオンで、奪われそうになる左手を遠くに逃がし。ぱっぱっ、ぱっと、戯れの攻防に興じる。この花冠も指輪も、四十の男にがとても似合わぬ可愛らしさだ──本来の自分なら絶対好んでつけやしない。それでもどちらも、ヴィヴィアンがくれたものだから途端に気に入るのではないか。相手の細い手首を奪い、そこから届かぬ遠い先に左手を掲げてみせれば。これ見よがしに指輪を見せて、「これはもう俺のものだろ、」と。上手く嵌まらなかろうが、既にこれを気に入っていて、取り替えたくはないのだと主張を。その念押しを欠かさぬよう、「……いいだろう?」ともう一度、相手に顔を寄せ……今度は鼻先を触れ合わせて甘える。真冬にしては暖かい太陽の下、自分の下にいるヴィヴィアンの顔は青みがかった陰になって、まるで自分がそのなかに囚えたような錯覚さえおぼえる。途端に攻防のことなど忘れ、小花を絡めた左手までゆるやかに戻してくると。骨ばった両掌で、相手の栗毛を包み込むように撫でながら……そのまろい額、つんと高い鼻頭、綺麗な丘を描く瞼に、宥めを込めた唇を触れ。)

──……まだ数日は、ここで真面目に仕事をする必要があるんだ。
慰めに……秘密で持たせてくれ。





734: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-02-23 12:43:26




……だったら余計に、もっと完璧なのを持ってて欲しかったの!

 ( いい大人がふたり取っ組み合いの攻防戦の末、硬い膝の上に肘をつき、そうまん丸に膨れて見せたところで、楽しげな男は聞こえているのかいないのか。いよいよ此方を本気で宥めにかかってきた相手に、心底嬉しそうな可愛らしい様に免じて、渋々誤魔化されてやることにすれば。先程から可愛らしい声が紡いでいた宣誓は、第二節と第三節がこんがらがって、いつまでも抜け出せないループに陥ったらしい。「ねえもうきいたー」「うるさい、わすれちゃうじゃんか!」とあちらもじゃれつき始めた気配に、くすりと小さく口元を抑えて、乱れた髪をしゅるりと解けば。どちらが先に戯れ始めたかなど、都合の悪いことはさっさと忘れたらしい。──ギデオンさんがそう来るなら、私も甘えていいよね、とばかりに。上半身をぐうと伸ばして、相手の膝の上をぽかぽかと占拠すると。居心地良いように脚を広げさせ、逞しい腕の檻の中から、キラキラと輝く大きな瞳でギデオンを見上げる。そうして、「ねえ、私もギデオンさんに選んで欲しい」と唇を尖らせると。胸元に手を当てながら、欲深く笑って見せて。 )

……一輪じゃいやよ、指輪はもう持ってるから、冠にして?




735: ギデオン・ノース [×]
2024-02-25 12:56:38




俺が編むのか? 俺が?
……しょうがないな……

(当然ながら、花冠だなんて可愛らしい代物なんぞ、少年時代に一度とて作ったことのないギデオンだ。そんな人間のお手製で本当に構わないのか、知らないぞ? なんて問う声は、しかしさほど本気でもなかった。たった今伝えたように、自分自身、ヴィヴィアンの作ったものなら何でも喜んでしまえるからだ。──ついでに言えば、髪を解いたときのあのふわりとした香りに、ギデオンはてきめんに弱い。わかってやっているのだとしたら、相手はとんでもない策士である。
故にやれやれと、呆れるふりをして受け入れてみせれば。膝の間で堂々甘えきるヴィヴィアンの髪を、大きな左手で撫で下ろしてやりながら、右手は自分の花冠を取り外し、目の前であちらこちらに傾け。まずはあらゆる角度から、その構造を注意深く観察する。こういうところに、生来の生真面目さと職人肌が思わず出てしまうのだろう。やがてああ、なるほどな、と片眉を上げれば。(少し持っていてくれ)というように、一旦冠を相手に預け。周囲の草花に目を走らせ、手頃なのを見つけるなり、少しだけ腕を伸ばして、ひとつひとつ摘み取っていく。──作業に集中してはいるが。どうやら、腕のなかにいる相手のことは、片時も離すつもりがないらしい。
そうして材料をある程度揃えれば、少し腰を浮かせて、ゆったりと座り直し。相手を軽く手で押して、自分の胸板にすっかりもたれかかるようにする。無論これは、自分の手元の作業がよく見えるよう協力してもらうだけのこと──別に決して、それにかこつけて相手を堪能する意図はないのだ。だからあくまでも、作業だけは真剣に。まずは土台にする若いトクサを柔らかくほぐし、相手の小さな頭に合わせた円形を形づくる。そうしてお次に、葉っぱの大きさが大きく異なる二種類の下草を、グランドカバー代わりに編み込み。その上から、大小も色も様々な愛らしい花を、しっかり結びこんでいく。その指先に迷いはない──ただ、繊細な作業なので、どうしても時間がかかる。故に、ある程度作業が軌道に乗ったところで。「そういや、」と、これまでののどかな沈黙を、こちらの方から緩やかに破り。)

ここに来る前に、他の連中を見てきたが……皆上手くやってるようだ。クラウ・ソラスの連中は村の男と狩りに行ったらしい。レクターは次々に何か発見しているようでな……報告書が楽しみだ。
おまえのほうでも、子どもたちから何か聞けたか。この辺りの気候だとか……魔獣関連の話だとか。





736: ギデオン・ノース [×]
2024-02-25 12:58:44




(当然ながら、花冠だなんて可愛らしい代物なんぞ、少年時代に一度とて作ったことのないギデオンだ。そんな人間のお手製で本当に構わないのか、知らないぞ? なんて問う声は、しかしさほど本気でもなかった。たった今伝えたように、自分自身、ヴィヴィアンの作ったものなら何でも喜んでしまえるからだ。──ついでに言えば、髪を解いたときのあのふわりとした香りに、ギデオンはてきめんに弱い。わかってやっているのだとしたら、相手はとんでもない策士である。
故にやれやれと、呆れるふりをして受け入れてみせれば。膝の間で堂々甘えきるヴィヴィアンの髪を、大きな左手で撫で下ろしてやりながら、右手は自分の花冠を取り外し、目の前であちらこちらに傾け。まずはあらゆる角度から、その構造を注意深く観察する。こういうところに、生来の生真面目さと職人肌が思わず出てしまうのだろう。やがてああ、なるほどな、と片眉を上げれば。(少し持っていてくれ)というように、一旦冠を相手に預け。周囲の草花に目を走らせ、手頃なのを見つけるなり、少しだけ腕を伸ばして、ひとつひとつ摘み取っていく。──作業に集中してはいるが。どうやら、腕のなかにいる相手のことは、片時も離すつもりがないらしい。
そうして材料をある程度揃えれば、少し腰を浮かせて、ゆったりと座り直し。相手を軽く手で押して、自分の胸板にすっかりもたれかかるようにする。無論これは、自分の手元の作業がよく見えるよう協力してもらうだけのこと──別に決して、それにかこつけて相手を堪能する意図はないのだ。だからあくまでも、作業だけは真剣に。まずは土台にする若いトクサを柔らかくほぐし、相手の小さな頭に合わせた円形を形づくる。そうしてお次に、葉っぱの大きさが大きく異なる二種類の下草を、グランドカバー代わりに編み込み。その上から、大小も色も様々な愛らしい花を、しっかり結びこんでいく。その指先に迷いはない──ただ、繊細な作業なので、どうしても時間がかかる。故に、ある程度作業が軌道に乗ったところで。「そういや、」と、これまでののどかな沈黙を、こちらの方から緩やかに破り。)

ここに来る前に、他の連中を見てきたが……皆上手くやってるようだ。クラウ・ソラスの連中は村の男と狩りに行ったらしい。レクターは次々に何か発見しているようでな……報告書が楽しみだ。
おまえのほうでも、子どもたちから何か聞けたか。この辺りの気候だとか……魔獣関連の話だとか。





737: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-02-26 17:38:03




 ( しゅるり、しゅるり、と髪に触れる手が心地よくて、そっと花の香りに目を伏せる。花冠なんぞしたことないぞ、と言いながら。甘くビビのおねだりに応えてくれるギデオンに、こうして甘え切ってしまったのは、我ながら自分の常識が伝わらない村に疲れていたのだろう。きゃっきゃと上がる歓声に、時折子供たちのことを見守りながらも、束の間の休息を戯れていたその時。──そうだ、何を弱気になっているのか、と。背後からかかった穏やかな声に、他の冒険者達とは違い、ただ子供たちと遊んでいただけにも見えるヴィヴィアンもまた、情報収集していたに違いないと信じてくれているギデオンに、少し弱気になっていた頭を小さく上げれば。長い脚の間で座りなおして、できうる限りの報告を。 )

魔獣のことは……確かに出るには出るらしいんですが、あの子達には危険だから外に出るなとしか。“英雄”が守ってくれる……みたいなことも言ってましたが、こっちは大人に聞いた方がいいでしょうね。
──でも、気候についてはバッチリですよ! ……なんて、むらおささんの仰っていた通りで、火山の地熱を利用しているんですが、古代魔法をそのまま守り続けているみたいです。
一度解除してしまうと、かけ直しができないので──……ねえ、君たち、本当はあんまり魔核の場所とか知らない人に話しちゃ駄目よ。悪い人もいるんだから。

 ( そう最後に語り掛けたのは、大の男が自分たちと同じ遊びをしているのが物珍しかったのか、いつの間に二人の周りに戻ってきていた子供たちだ。年中枯れない花畑を調べていたビビの気を引きたかったのか、先程、その仕組みをようようと語ってくれたお調子者と。その隣で「ナイショなのよ」と、村の魔術師が定期的に通う場所まで教えてくれた妹の方は、ビビの膝の上を奪い合い。彼女も彼女で純粋に、年少組の暴露に慌てふためき、「ああっ、ダメダメ! ……忘れてね、ビビ?」とダメ押ししてくれた姉の方は、熟練の職人の顔をして、今やギデオンの手つきにアドバイスをくれている。(どうやらすっかり仲間認定されたらしい)ギデオンとビビがこの村のことを調べに来たということを知れば、未だ冒険者見習いにもなれないような小さな子達だ、あまり要領を得ない点は多々あれど、必死に村での生活のことを教えてくれ。少しずつ日が傾き始めた時分、村を見下ろせるこの丘からだからこそ見えたのだろう。この遅い時間から、村から対角線上にのびる獣道に上っていく村民を見かけて、何があるのかと問いかけたヴィヴィアンに、「あっちにもお花畑があるのよ、こっちよりもずっとキレイなの……」と、教えてくれようとした瞬間だった。下の村から、そろそろ帰って来なさいと声をかけてきたのは姉妹の母親らしい。ビビと同年代か、ひょっとするともっと年若く見える妊婦は、ギデオンに遊んでくれていたことへのお礼を告げると。「本日は広場で御馳走が出ますので、冒険者様たちも宜しければどうぞ」と小さく微笑むだろう。 )

──わあ、それは皆さん喜ばれますね。エデルミラさんも呼んでこなくちゃ。




738: ギデオン・ノース [×]
2024-02-27 15:11:35




(少し元気のなかったように思える相棒が、そのいずまいを緩やかに正し、情報共有を始めれば。手を止めたギデオンもまた、真剣に耳を傾け、ひとつひとつをしっかりと頭に刻み込んでいく。たったそれだけの、思えばなんてことないやりとり。けれどもこれは、ふたりが相棒になって以来、幾度となくやってきでいることでもある。故に、ただこうしてなぞるだけでも、互いへの信頼を実感し合う儀式になるのだ──そして毎度のクエスト中、それがどれほどよすがになるか。
彼女は案の定、様々な情報を手に入れてくれていた。村を魔獣から守る“英雄”に……この里ならではの、周辺の吹雪さえ寄せつけない特殊な気候を生み出している、地熱を利用した古代魔法。その魔核の眠っている場所と、管理しに行く魔術師の存在。この丘を登ってくる前、村人たちと交流している他の冒険者の報告も受けたが、そのどれにも、こんな話は含まれていなかった。理由は単純──大人たちは、利害という社会的な都合から、微笑みをもって口を噤む。しかし純真な子どもたちは、全くその限りではないという……ただそれだけのことだ。大人たちが侮って、ヴィヴィアンとともに追いやってしまった存在は、しかしその幼さでは到底信じられぬほど、案外物事をよく見ている。ヴィヴィアンもそれをわかった上で、かれらとの関係を築き上げてくれたのだろう。
ギデオンがヴィヴィアンと戯れ、花遊びにまで興じたのは、これに乗じるためでもあった。フィオラ村のあの独特な雰囲気は、丘の下でも既に見ている。子守と炊事洗濯以外は一切許されぬ女たちに、おそらく中年女性であるからという理由で、まるでいないものかのように扱われているエデルミラ。そんなことが許される環境で育ってきた子どもたちからすれば、若い女性と当たり前話し、親しみ、あまつさえ花遊びに加わりさえするギデオンは、非常に特異な“大人の男”に映ったに違いない。その狙いは案の定大成功で、最初こそ遠巻きになっていた少女たちも、今は楽しそうにギデオンに喋り倒している。
それをよくよく聞き込んでいれば、あっという間に夕暮れ時だ。皆を呼びに来た若い妊婦は、ギデオンたちと挨拶すると、自分の娘たちと手を繋ぎ、ゆっくりと丘を下りはじめた。その背中をじっと見てから、どちらからともなく、ヴィヴィアンと視線を交わす。──これは、調査仕事の範疇じゃないが。このフィオラ村は、やたら妊婦が多いというのは、地味に気になるところだった。おそらくこのフィオラ村で、あのくらいの若い女性は、皆が皆、妊婦であるか、出産したばかりである。田舎はどこも、都市部より遥かに出生率が高いものといったって……あれは流石に異常な数だ。しかしその割に、村全体の人口はそれほどでもないと思えた。村に来る前の予想に比べれば遥かに多かったものの、それでも二百には届かない。──そういえば、あまり老人を見ない。“むらおさ”をはじめとしたごく少数を見かけるのみで、人口の比率に合わない。かれらはどこにいるのだろう? ……)

……ご馳走に御呼ばれする前に、一度あいつとゆっくり話そう。
どんなことでも、できるだけ……共有しておいた方がいい。

(──そうして。相棒に耳打ちしたその通りに、小屋で休みつつ記録をとっているエデルミラの元へ行き。今日の収穫を共有すると、こちらも面白い話を聞けた。──彼女に先に報告しに来て、今はまた外に出ているという、我らのレクター博士曰く。フィオラ村の人々の独特な訛りには、西の大国・ガリニアの影響が直接的にあるそうだ。レクターが話すような、トランフォード国内の地方訛りのそれではない……発音だけでなく、語彙の端々に、大陸西側ならではのものがはっきり残っているという。もしかしたら、あの国に祖を持つ民族なのかもしれない──無論、トランフォード人は遡れば皆そうだが、それにしたってフィオラはどうも、独自のルーツがあるようだ、と。あの教授ったら、また身振り手振り大興奮で、ほんとに大変だったのよ……と苦笑するエデルミラは、どうやら祝祭を欠席するつもりらしかった。ごめんね、体調がまだ良くなくて……どのみちリーダー役は、アラドヴァルのあの人が代役をしてくれているし。ううん、夕飯のことは手配してるから気にしないで。あなたたちも今日はお疲れさま、ゆっくり楽しんできて頂戴。)

(──そんなわけで、あとはすっかり頭を切り替え、フィオラ村の祝祭の第二夜にご招待である。その主催地は、村の中央にある芝生の広場。どこまでも広い緑一色のフィールドを、大小の松明が明々と照らしだし。真っ白な布をかけられたテーブルは、どれも六角形に組まれて……その上には所狭しと、色とりどりのあらゆる馳走が並んでいた。真冬のこの時季だというのに、数十人の冒険者を参加させてくれるのは、随分な太っ腹だと恐縮に思ったが。「この村は、古代魔法のおかげで年中食べ物がありますのよ。だからどうか、ご遠慮なさらないで」と珍しく話しかけてきたのは、黒いフードを被っている、妙齢の美しい女だ。真っ赤な唇を蛭のように蠢かせ、ヴィヴィアンの目を盗むようにして、女はギデオンの手を取った。「出し物もいたしますの。この村に二百年伝わる英雄譚と、それに……」と。そこでギデオンが、さりげなく手を振り払い、ヴィヴィアンに呼びかけて場を辞したにもかかわらず。女はその、長い睫毛に縁どられた目で、ギデオンの項辺りに、そのじりじりとした熱い視線をいつまでも投げかけていた。
──そんな一幕はあったものの。祝祭全体は至って平和に、ごく明るく始まった。冒険者も併せて二百近い人々が、皆一堂に会し、祝杯を挙げたわけである。村の女たちの半数は給仕に忙しくしていたが、流石に客であるヴィヴィアンは、卓に座っていて良いらしい。王都組、ということで隣り合うことのできたふたりは、純粋に食事を楽しみ、周囲の冒険者仲間たちとあれこれ楽しく盛り上がった。──この肉、おそらくヘイズルーンだ。──ヘイズルーン? ──山から山へ渡り歩く、とてつもなく巨きい図体をしたヤギ型の魔獣だよ。あらゆる毒草を食べることができるらしい。──でも、あいつらたしか、並の魔獣じゃ狩れないくらいに強いはずだ。村の人らは、どうやってあれを倒したんだろう? ──そいじゃあ、ちょっと訊いてみようか……
満天の星空の下、宴もたけなわになってくると、酒が入った人々は、村人も冒険者も関係なく寛ぎはじめた。これからは広場の各地で催し物があるらしく、めいめい好きなところに遊びに行く流れらしい。ギデオンも最初こそ、この祭りの雰囲気に乗じて、他所の冒険者たちや村人たちと交流するのに気を割いていたが。──会が自由になったらなったで、また例の、よそから来た若い女性であるヴィヴィアンを避けるような雰囲気が、ちらほらと窺え始めた。そこで、アラドヴァルの代理リーダーにひとこと断りを入れ(もっとも、寧ろ勧められたが)。相棒であるギデオンが、彼女の傍に堂々とつくことにした。職権乱用? 公私混同? なんのことだかさっぱりである。
悲しいかな、男が傍につきさえすれば、フィオラ村の人々も、ヴィヴィアンへの接し方を多少改めるようだ。そのことに顔を顰めつつ、郷に入ったら郷に従え、なんて言葉もあるし、俺たちはいきなりやって来たよそ者の立場だからな……と。「家に帰ったら、ふたりで存分にゆっくりしよう」と、そっと優しく囁いておく。さて、こうして心置きなく、更けていく夜を一緒に過ごすことになったが。この後まもなく、広場の中央にある六角形のステージで、この村ならではの歴史劇が始まるという話らしい(……そういえば、この村はどうも、村のあちこちに六角形があしらわているようだ。家々の形ですらそうだった)。どんな劇なのかと尋ねても、村人たちは皆微笑んで、観てからのお楽しみだよ、と──そう言われては仕方がない。周囲に出されたベンチを見渡し、後方の左隅、程良く中木に隠された空席を見つけると、相棒をそこに連れていき。ふたり並んで腰かけて、ゆったりと椅子の背にもたれれば、なんだか覚えのある状況に、可笑しそうに片眉を上げて。)

……なんだか、いつかを思い出すな。ケバブでもあれば完璧なんだが。





739: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-03-01 00:14:45




ギデオンさんったら、さっきまで食べてたのに……ケバブは家に帰ったら作ってあげますから、今はハムで我慢してください。
──それとも、なにか賭けますか?
今回も私が勝ちますけど、ッ…………。

 ( 相変わらず隙のない様子で人をエスコートし、ゆったりと屋外の舞台を観察したかと思えば、次の瞬間。無駄に様になる表情で囁く内容がそれなのだから、思わず吹き出さずにはいられなかった。当時であれば、その整った容姿に誤魔化されていたろう雑談も、ギデオンが素でぼやいていることを知っていれば、今や食べ盛りの相棒がひたすら愛しいだけで。この半年ちょっとで、ねだれば何かしらの食べ物が出てくるようになったポケットから、お手製の燻製ハムを取り出し差し出しかければ。その可愛らしい意地悪の間合いは、明らかに目の前の相手からうつされたそれだ。ニマリと笑ってハムを引っ込め、態とらしくすました表情を浮かべかけたビビの顔にしかし、ぴく、と小さな苦痛が走る。二の腕の柔らかいところを拗られたような小さな、けれど確かな鈍い痛み。──2人の関係も知らずして、生意気な小娘に灸を据えてでもやったつもりだろうか。誰かの蛮行を隣の者も見えただろうに、低い背もたれから振り返ったところで、しらーっと視線を逸らす村民達に──余所者は自分たちの方だ、と。大したことじゃない、自分が我慢すればことが済むと、もし相棒に問いかけられたところで「なんでもない、大丈夫です」と首を振ったのが全て悪夢の始まりだった。
とはいえ、それ以外の雰囲気は和やかなままその劇は始まった。自然の帳を利用して、時折主人公らにあたる魔法の光は、ビビ達が知る一般魔法体系と同じ単純な構造のそれだ。内容も特にこのトランフォードでは珍しくない、昔この村で起こったという英雄による魔獣の討伐譚。討伐される獣が元々村の嫌われ者だったという点については少しグロテスクなものも感じたが、英雄が"良い獣"になって戦ったという話については、神話時代まで遡ればよくある話。成程、英雄が"良い獣"になるための薬が花ならば、この村が花を大切に育てる由来も分かると言うもので。舞台の幕が降りると、最前列で目を輝かせていたレクターが、早速隣の村長の1人を質問攻めにし始めている。他の村民達はのんびりとその場で談笑する者、祝祭の食事に戻る者、そのめいめい穏やかに過ごす雰囲気からは、この催しがそこまで格式高くない、素朴な物なのだと感じ取れるだろう。さて、そんな村民達とは違って、あくまで仕事中であるビビ達はこれからどうしようか。折角ならその美しい花もぜひ見てみたいところだが──と、劇前の囁かな事件などすっかり忘れて周囲を見渡し、ギデオンの腕を引いた娘がぴたりと固まったのは、その視界の先に先程宴に誘ってくれた女性を見つけたからだ。隣にいるのは夫だろうか、先程の娘たちとよく似た金髪の──中年、否。既に初老に近い男が女の腰を抱くと、当然のようにその顔を長く、激しく引き寄せたのを目の当たりにすれば。ギデオンの方へとぱっと逸らした顔は、恥ずかしそうに赤らみ、形の良い眉を困ったように八の字に歪めていて。 )

──っ、あ、うう~っ……この村の人達って、距離感が……ごめんなさい、慣れなくって……




740: ギデオン・ノース [×]
2024-03-03 15:30:49




(相手に促されるままそちらを見たギデオンも、一瞬言葉を失った。しかしその原因は、人目を憚らぬ派手な接吻でも、老人と若い娘という怪訝な組み合わせでもない(……あれほど離れてはいないにせよ、己とて、ヴィヴィアンとの歳の差を思えばとやかく言えない立場だろう)。それよりも──自分の記憶違いでなければ。今朝がた、あそこにいる初老の男は……一緒にいる妊婦のことを、三番目の“孫娘”だと紹介していたはずなのだ。
『もうすぐ曾孫が生まれる予定なんだ。それが楽しみで仕方なくてね』と。確かにあのふたりは、目元がとてもよく似ている、と感じたのを覚えている。そのはずの……間違いなく血が繋がっているはずの、祖父と孫が。あんな、まるで……盛りのついたけだもののように。今さら人の営みにそう驚かないギデオンでも、あれは流石に、なんだか異様だと思わずにはいられなかった。常識や風習というものは、ところによってさまざまで、よそから来た人間がそう簡単に否定していいものではない。それでもなんだか。見てはいけないものを見てしまったような、落ちつかない気分に陥ってしまう。
周囲はどうなんだ、と見渡してみても。篝火に照らされた村人たちのなかに、かれらの様子を見咎める者は見当たらない。やはり……どうやら……この村では、当たり前の光景のらしい。それどころか、まるで欲情を移されでもしたかのように、ひと組、またひと組と。妙な戯れに勤しみはじめる男女の姿が、そこここに見えはじめた。そのすべては知らないが、やはり何組かは、実の兄妹や母子のはずだ。客席にいたほとんどがこれでは……開演前の相棒に何かを働いた犯人を、それとなく探ることなどできようか。
仕方なく、ため息をひとつ。相手の肩を軽く抱き、この場からの離脱を促す。レクター博士には今度こそあのしっかりした助手がついているから、今夜のところは大丈夫だろう……そう願いたいところだ。)

……あれは、誰でも驚くさ。
とはいえ、どうにも気まずいな。……あっちへ戻ることにしよう。

(──しかし、その道すがらもまた。よくよく見れば、この村はどこか、ほかの片田舎にあるそれとはわけが違っているらしい、と突きつけられることになった。観光客など取り入れることのない、閉ざされた里だろうに……寧ろ、それだからこそなのか。宴の後に出はじめたあちこちの簡素な露店に、当然の如く並んでいるのだ。──露骨に男のそれを模した彫り物や、男女の営みを表紙に描いたそれ用の指南書、そういった品々が。
こういった不埒な小物は、別にキングストンでも見かけないわけではない。謝肉祭の時期になると、西部の花街のいかがわしいエリアなら、当たり前のように売っている。だがそれですら、一応はちゃんと、風営法に則ったゾーニングを施しているはずだ。青年のギデオンが女を連れて冷やかしに行くことはできても、子どもはそもそも、検問所を通れないようになっている、それは倫理上当たり前のことである。──それが、このフィオラではどうか。今は祝祭の期間だから、と遅起きしている子どもたちにも、そのいかがわしい出店はあっさりと曝け出されていた。それどころか、時折大人が呼び寄せて、指南書を開いて見せてすらいるようだ。都会で暮らす冒険者には、これはなかなか衝撃で。「……なあ」とヴィヴィアンに囁いたのは、おそらく彼女も同じような気分だろうと、そう思ってのことだった。)

……今夜はもう遅い。宴の片づけは、アルマツィアの連中が引き受けることになってるし……俺たちも、これ以上ここに用はないだろう。エデルミラのところに行って、調査書を手伝わないか。ここにいるのは、なんというか……わかるだろ。





741: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-03-15 14:39:22




……、……ッ!!

( いよいよ乱れ始めた会場を後にして、ほっと息を付けたのも束の間。通りに転び出た二人の視界に飛び込んできたのは、これまた不道徳で信じがたい光景の連続で。労働力としての子宝が、貧しい農村で都市部よりずっと有難がられることは知っている。その結果、直視しがたい“それら”に素朴な信仰が集まることがあるのも──知識としては、持ち得ている。しかし、目の当たりにした衝撃に、思わずギデオンの腕に縋りつけば。こんな通りで密着する男女に向けられる視線は生ぬるく。首都育ちのヴィヴィアンにとって、耳を疑うような声掛けの数々に、じゅわりと緩む涙腺と、優しい恋人の辛抱の甲斐あって、最近は随分なりを潜めていた潔癖がゾワゾワと立ち上がる感覚に。ちょうど相手も気まずそうな相棒の囁きへ、一も二もなくコクコクと勢いよく頷けば。ようやく昨晩の空き家に戻ったところで、エデルミラの姿が見えなかろうと、“少し出てくる”という書置きまで見つければ、再度あの村民達の中を探しに戻る気力など枯れ果てていた。 )

 ( ──ギシリ、と。乾いた床を踏む音が、暗い天井に微かに響く。慣れない光景の連続に、ぐったりと深い眠りについていたビビがその気配に気が付いたのは、既にその気配へ部屋の侵入を許してしまった後の事だった。あれからギデオンと別れて寝台に潜り、どれ程の時間がたっただろうか。身体の具合からして、日付はとうに変わっているように思えるが、視線を窓の外へと移したところで、未だ黒い宵闇が周囲を満たすだけで窺い知れず。一瞬、エデルミラが帰ってきたのだろうかと甘い希望が思考をよぎるも、それにしては気配の潜め方があまりにお粗末過ぎる。ならば──物取り、だろうか。それにしたって素人同然の身のこなしに、少しの油断もあっただろうか。……ギシリ……ギシリ、と静かに、しかしゆっくりと此方へ近づいてくる気配に、此方は無音で魔杖へと手を伸ばし、此方の荷物へと手を伸ばした途端に、現行犯でひっ捕らえてやるつもりでいたというのに。──……あ、いけない、駄目だ。あろうことか、その人影は、貴重な魔法薬を広げたテーブルを無視したかと思うと、一直線に此方へと向かって来るのだった。
──それからのことは一瞬だった。否、男は尚もゆっくりとビビの横たわるベッドへ忍び寄って来ようとしたのだが、ビビの思考がその目的に気が付いた途端、全てを放棄してフリーズしたのだ。そのうち大きく濡れた眼球に肥え太った月が反射して、男はビビが起きて、自分に視線を向けていることに気付いたらしい。それでも静かに身じろぎもせず、声も上げない娘をどう解釈したのやら。最早足音さえ潜めずに寝台に乗り上げると、「こんばんは、良い夜ですね」と、穏やかな挨拶が余計にビビを混乱させる。月明りに照らされた姿も、美しい金髪に甘くまとまった顔立ちと、言葉を選ばなければ──こんなことをせずとも、異性には困らなそうな容姿をしてはいるのだが、そんなことは問題外で。──こわい、いやだ……逃げなければ、声を出さねばと思うのに。ゆっくりと腹に体重をかけられ、此方を見下ろしてくる大きな影に身体が震えて、はっはっと呼吸さえもがままならず。そんなビビに眉を上げ、「おや、少し寒いでしょうか」と、頬へ触れてくる掌にさえ怖気が走り、はくはくと喉が強張り声も出せない。「大丈夫、すぐに暖まりますから」と胸元へ入れられた手にやっと微かに身を捩って、ひどく震えて掠れ切ったその声も、すぐ近くに肉薄した男にも届かなかったそのように、ぼろりと零れた涙と共に寝具に吸い込まれて掻き消えるはずで。 )

──……ひっ、たすけて……ギデオンさ、





742: ギデオン・ノース [×]
2024-03-16 13:00:13




(──ヴィヴィアンの、か細く助けを求める声から……遡ること、数時間前。
「おやすみ」と、彼女の額に軽く唇を触れ、しばらく傍に寄り添ってから、ギデオンはそこを離れた。なかなか戻らぬエデルミラを、探しに行こうと思ったのだ。否、彼女は一度だけ、確かにこの家に帰ってきた。しかしながら、ギデオンとヴィヴィアンにろくに声をかけぬまま、荷物から何かをごそごそ取り出して、すぐにまた出かけて行ってしまったのである。妙にこわばった、あまり余裕のなさそうなあの横顔……。一体何事だろう、と調査書を作りながら相棒と話し合ったが、夜がどんなに更けていっても、彼女は一向に戻ってこないままだった。広場のどこかで仲間と合流しているだけならいい。だが念のため、確かめに行くに越したことはないかもしれない。そう思っていたギデオンの顔を的確に読んでか、「私も様子を見に行きますよ」と、相手が申し出てくれたものの。普段は生き生きと元気なはずの彼女の顔には、しかし拭い去れない疲労が、ぐったりと滲んでいた。──無理もない話だ。相棒はこの十日間、パーティー内の唯一のヒーラーという立場で、仲間の健康管理にただでさえ気を張り続けていた。その矢先に、この村の正面切っては行われない排斥や、あの異様な様子に思い切り中てられる経験……。ヴィヴィアンは酸いも甘いもある程度噛み分けられる大人の女性に違いないが、それでも本質的には、稀有なほど清純である。そんな彼女に──はっきり言ってどこか濁っているこの村の水は、当然合わないはずだろう。故にギデオンは、相手をそっと押しとどめた。「探すだけなら、俺でもできる。ついでにほかにもいろいろ、若い連中や、レクターの様子も確かめておきたいんだ。ここは俺に任せて、おまえは先に休んでおくといい。特にここ数日は、あまり眠り足りていないだろう……?」
──そうして、ほっとした彼女が寝入るのを、しばらくかけて見届けた今。ギデオンはひとり、夜のフィオラ村を淡々と歩いている。中央のほうの家々のあちこちからは、生々しいほどの喘ぎ声がもはやはっきりと聞こえていた。ヴィヴィアンを残してきたのは、やはり正解だったということだ。あちこちに目を走らせるうちに、アラドヴァルのベテラン戦士や、アルマツィアの斧使いを見つけた。互いに歩み寄り、情報共有を開始する。若い連中の所在は、すべて確認済みらしい。何人か……否、十何人もが……ふらふらと村娘の誘いに乗りかけたものの。斧使いがすかさずわざと仕事を振り、本分を思い出させてくれたそうだ。「いやさァ、普通の村なら多少目を瞑るんだが」──古傷のある顔を、ギデオンに向けて顰める──「なんだかよ、ここじゃァよ、そいじゃァ危ねえ気がしてよ」。
それを鼻で嗤ったのは、アラドヴァルのベテラン剣士だった。出向先の女をひとりふたり抱くくらい、別に取り立てて咎められることでもなかろうに。今の時代は、随分とお行儀良くなったもんだなあ? と、異論ありげである。……この十日間、所属ギルドの異なるベテラン組は、それでもそれなりに上手くやってきたつもりだが。なるほど、個々人の感覚の違いから、やはりどうしても一枚岩になれぬ部分もあるようだ。斧使いと顔を見合わせ、「孕ませたら事だからな。若いと暴発しがちだろ」と、あくまでも軽く受け流す。──それより、エデルミラを見てないか? ──エデルミラ? あの女、晩餐にも顔を出さなかったくせに、どこかほっつき歩いてんのか。──……用事がある様子だったんだ。とにかく、おまえたちは見てないんだな。──ああ、いや、あそこじゃねえか。ほら、あの教会みてえなとこ……。
斧使いの視線を辿ると、なるほど、村じゅうにある六角形の建物のなかでも、少し大きな……ステンドグラスが嵌められている建物に、彼女が入っていくところだった。……何故何も、ギデオンたちに共有していないまま、行動を起こしているのだろう。ベテラン仲間たちに軽く手を掲げて別れを示し、「あとはレクターのことだけ頼む」と言い残してから、ギデオンもそこへ向かった。月明かりの下、間近に見上げるその三階建ての建物は、どこかよそ者を受け付けない雰囲気を窺わせる。どうしてここに、村人とあまり交流できていない筈の彼女が、すんなり入っていけたのだろう。少し状況を訝しみながら……ギデオンも扉を押し開け、中へ静かに踏み込んだ。)

(──建物のなかは、異様だった。数歩先はすぐ壁で、左手の方にずっと、細い通路が続いているのだ。どうやら、中央に向かって螺旋状に渦巻いていく造りらしい。そしてその壁には、大小さまざまなタペストリーが、美術品のように飾られていて……これがどうにも、不気味なのだ。冒険者ゆえ暗順応が早いギデオンは、慎重に歩みを進めながら、その刺繍絵をひとつひとつ確かめた。──花を植えている人々の姿、これらはまだ平和でいい。目がぐるぐるとしているところが個人的には薄気味悪いが。しかし、その先に……蛮族か何かがが押し寄せてきて、一斉に虐殺が起こり、人々が逃げ惑った……とでもいうような、凄惨な光景が突如として現れる。そしてその先、嘆き悲しむ顔をした人々が、一輪の花を抱えながら、巨大な骸骨の背中を踏み越えていく様子。途中で落伍者も出た様子からして……これはもしや、数百年前の国全体の史実である、カダヴェル山脈踏破だろうか。やがてその先、ごく普通の……それでも、依然として目がぐるぐるした不気味な人々が、少しずつ暮らしを営んでいく様子の先に。──唐突に。若い女を山中の井戸に閉じ込め、やがてやせ衰えた彼女を引き上げて皮を?ぐ、不気味な男の刺繍が出てきた。どうやらその女の皮で服を縫い、それを纏って喜ぶような、異常な人間であるようだ。惨劇を知った村人たちが嘆き怒る様子、男が追放される様子。だが人々のところにはすぐ、空飛ぶ黒い骸骨のような、不気味な姿の怪物が、吹雪を連れて戻ってきた。再び凄惨な血まみれの光景、噛み砕かれていく老若男女。──だが、そこに。唐突に、花と、蜂と、そして魔獣が、ロウェバ教の聖三位一体宜しく、如何にも神聖そうに登場した。清い光の筋に追いやられる骸骨の怪物。人々が魔獣を崇め、タペストリーは再び、花でいっぱいの平和で美しいものに戻る。しかしやはり人々の目は、ぐるぐると不穏なままだ。それに……至極当たり前のように、男女が性交する様子も、執拗に縫い込まれていた。……なんだか……まるで……今のこの村、そのものじゃなかろうか。このタペストリー群は、もしかせずとも、フィオラ村の歴史を記している品物のだろうか。──そういえば。数時間前、ヴィヴィアンと観たあの舞台劇は。魔獣に成り果てた村いちばんの嫌われ者が、同じく魔獣となった英雄に、討伐される話だった……。
「──面白いでしょう?」しっとりとしたその声は、ギデオンが思わず硬直するほど傍から聴こえた。振り返らずともぞわぞわとわかる、あの蛭のような唇をしたフィオラ村の女が、ギデオンのすぐそばに立っていた。「先祖代々伝わる、大切な刺繍ですの。私たちフィオラの者は、自分たちの物語を編むのが好き。歴史を紡いでいくのが好き……。あなたがた冒険者の武勇伝も、是非知りたいわ。私たちがちゃんと編んで、取り込んで、素晴らしく伝えていくから……」。女の指が、ギデオンの脇腹を撫で、つうと下に降りていく。しなだれかかる疎ましい体温、耳元に湿った吐息。「──……もう。冒険者の皆さまったら、お堅いのね。若い娘たちがとっても期待してたのに、皆引っ込んでしまって……とっても可哀想だったわ。今夜は祝祭の第二夜……“愛の夜”なのよ。こうして出会えた喜びを、溶かし合うはずの夜でしょう? だれもが皆、明日のために、ややこを作るべきでしょう? ──女は、そのための鉢植えなのよ」。
──瞬間。考えるより先に、ギデオンは女を突き飛ばした。転ぶ彼女を微塵も構わず、元来た迷路の道を、数々のぐるぐる目に不気味にみられる通路を、一目散に駆ける、駆ける。建物の外に飛び出てすぐ、ぎょっと振り返るさっきのベテラン仲間たちにも目を繰れずに、まっすぐに駆け戻ったのは……泊まっていた。あの村の端の家。頼む、無事でいてくれ。まさか──何にも巻き込まれてくれるな。)

(ギデオンのその恐れは、しかし扉を開け放てば、現実になろうとしていた。村の男に跨られて動けないヴィヴィアン、そのか細いか細い悲鳴。──ゴッ、と鈍い音がして、彼女から引き剥がされた男が、部屋の端に吹っ飛ばされる。それに構わず、固まっているヴィヴィアンを寝台から抱き起し、「俺だ!」「俺だヴィヴィアン、大丈夫か、無事か!」と、守るように抱きしめる。答えを得たかったわけじゃない──未遂ではあったようだが、それでも無事なわけがない。だが今はもう、これ以上脅かされることはないのだと、己の腕で伝えるつもりが……ギデオン自身もまた、怒りでぶるぶると震えていた。ゆっくり振り返った先、殴り飛ばした村の男は、鼻の頭が折れたのだろう、血を噴きながら「うう」「ううう」と呻いている。……顔全体を陥没させなかっただけ、これでも理性を利かせたほうだ、聞き苦しい文句の声を垂れ流さないでもらいたい。荒い息を吐きながらそうして睨みつけていると、アラドヴァルのベテランと、アルマツィアの斧使い、そしてあのフィオラの女が、息を切らして駆けつけた。冒険者側のふたりは、酷くショックを受けた顔だ。「何があった?」と問う声に、ギデオンは低い声で返した。──俺の相棒に、危害を働いた。それ以上に、わけを説明する必要があるか。……)

(──遠くで、口論の声が聞こえる。アルマツィアの斧使いとアラドヴァルのベテラン剣士、それに駆け付けたほか数名が、この村を離れるかどうかで延々と揉めているのだ。そこに村人たちもやってきて、村人に暴行を働いたギデオンを咎めているような様子だが、そもそもヴィヴィアンに何をしようとしていたのか、と冒険者側の怒りを買い、ますます話がややこしくなった。今ではむらおさのクルトも出てきて、どうにか事態を収束させようとしているらしい。……だが今更、もはや知ったことではない。仲間たちにははっきりと、俺はもうヴィヴィアンの傍を離れない、異論はないな、と、有無を言わさず伝えてある。彼女との個人的な関係はエデルミラ以外の連中にも薄々知られていたものの、これはもう、私情がどうとか、仕事の場だからと弁えるとか、そういう次元ではなくなっているのだ。……そもそも、同じ目に遭ったのが例えばアリアだとしても、決して許してはいけないことである。それが相棒かつ恋人のヴィヴィアンなら、ますますもって許せない、それだけの話なのだ。
──?燭の明かりをつけた、仄暗い部屋の隅。寝台の上に乗り上げ、ヴィヴィアンを抱きしめながら、宥めるように髪を撫でる。外の喧騒が少しでも聞こえてくれば、周囲の毛布を包み込むようにかけ直し……労わりを込めてまた撫でる。これで少しは、あの忌まわしい連中から気分を遠ざけてやれるだろうか。周囲を思い遣る彼女のことだ、自分のせいでクエストがこんなことになってしまった、と自責してしまうかもしれない。その必要はないのだと、きちんと伝えてやるために……旋毛に唇を寄せながら、そっと小声で呟いて。)

……遅くなって、すまなかった。
俺はもう、ここにいる。おまえの傍に、ちゃんといる……明日からも、ずっとそうだ。





743: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-03-18 13:52:55




……ごめ、ごめんなさい……め、なさい……

 ( ギデオンが懸念したその通り。やっとひどい緊張状態から抜け出したヴィヴィアンが最初に発したのは、酷く痛々しい自責の念だった。優しい腕と暖かな毛布に、何重に覆い隠して貰って尚、未だ外界から響いてくる男たちの言い争う声に、ぎゅうっと固く身体を縮こませると──もっとうまくできたはず。こんなに大ごとにする必要はなかった、私が我慢できていれば、と。レクターがこれ以上なく楽しみにしていたであろう、そうでなくとも、複数のギルドが関わる大事なクエストを、己が台無しにしてしまった申し訳なさに、心が押しつぶされていき。瞳を閉じれば、今も脳裏によぎる男の影に身体が震えているにも関わらず。深く傷つけられてしまった自尊心が、ギデオンさんを煩わせてはいけないと。分厚い胸板にうずめられた頭を、くしゅ……と小さく横に振らせて。 )

ありがとう、ございます……でも、ギデオンさんは調査に戻ってください。

 ( いつかシャバネで見せたそれと変わらぬ、己の不調を覆い隠さんとする強情な笑顔。真っ青な顔色、真っ白な唇、もうそれらをギデオンが見逃してくれないことは分かっていても、その中心でギラギラと輝くエメラルドは、自ら己の存在価値を失わせまいとする強迫じみたヒーラーの矜持で。押し倒されるほど肉薄したからこそ感じ取れた、微かな発汗に瞳孔の開き。性的興奮故と片付けるには、些か慢性的に感じ取られたそれに、その手の薬物の存在を懸念できねば──今この場で、己の存在価値はない。そう本気で信じ込む真剣な目の色、情けない震えを押し殺した低い声。このまま抱きしめられていれば負けてしまう。甘い言葉に縋りつきたくなってしまう。強くて、公正で、もっと多くの人を救える“人”を、私一人が独占して良いわけがない。それは意志なんて上等なものじゃない、ぶるぶると震える腕で身体を支えようとする風体が、強いトラウマに晒されたストレスから目を逸らさんとしていることは誰が見ても明白で。 )

……ああそうだ、もし、この村に蛇涎香が蔓延しているとしたら、トランフォードの法律で取り締まることになるんでしょうか?




744: ギデオン・ノース [×]
2024-03-19 02:18:49




……これからについては、そうだ。
ただ……あれの取締条約ができたのは、せいぜい100年前やそこらだろ。ここはたしか、200年も外との出入りがなかった、なんて話だから……調査の後に、まずは布告や啓蒙から始めることなるだろうな。

(壊れそうな声で明後日の問いを投げかけてくる、明らかに様子のおかしい相棒を前に。しかしギデオンは、すぐにはその異常を照らしだそうとはしなかった。その代わりに選んだのは、いつもどおりの、低く穏やかな、落ちついた声を落とすこと。──カレトヴルッフのギルドロビー、受注クエストの滞在先、或いはサリーチェの我が家の寝室……そういった場所で、彼女と議論するときの己になってみせることだ。
相棒が今、酷いショック状態に晒されていることは、本人以上に理解しているつもりだった。だからこそ、この痛々しい現実逃避を、一度はすんなり受け入れる。彼女がこの抱擁を少し解きたいと、今はあくまで職業人として振る舞いたいというのであれば、そうさせよう。両腕を大人しく緩め、相手が体を起こせるだけの僅かな距離を空けて、気丈なプライドがそのまま立ち上がれるようにしよう。法や保安の話に目を向けたいというのであれば、喜んでそれに付き合おう。──けれども決して、今寄り添うこと、それ自体まで諦めて譲るつもりはなかった。その証拠に、ギデオンの片手は今も、未だ震えている彼女の後頭部、そのほどかれている柔らかな栗毛を、そっと優しく撫でている。それは宥めるというよりも、習慣めいた手つき。自分が撫でたいから撫でるのだと言わんばかりの、ある意味我儘なそれである。そうやって、こちらがのんびり甘えているような雰囲気さえ醸し出しながら……“あなたは調査に戻って”などという痛々しい願いだけは、さりげなく押し流しておく。──そして、それに、気づかれてしまわぬよう。いつもの彼女がふと持ち出した話題を、いつもの流れに持ち込むそぶりで、やや遠くにまで広げていく。幸か不幸か、こういった方面の知識は、無駄によく蓄えてあるのだ。)

……だが、なあ、そういえば。法を直接知らなくても、介入時点で有罪になった例があったよな。
前にふたりで、ヴァイスミュラーの本を読んだろう? ほら……濁り酒を造ってた村が、調査しに来た税務官と揉めごとになって……あれは、何が適用されたんだったか。告訴不可分の原則か、それとも……

(……別段、こんな風に曖昧に言わずとも。ヴィヴィアンとこれまで楽しく交わしてきた数多の議論、その詳細を、ギデオンはどれも鮮明に記憶している。まさか、忘れるわけがない。──それでも今は、敢えてそれを押し隠す。もう喉まで出かかっているのに、なのに上手く思い出せない……そんな、如何にも自信のない顔で。まるで答えを強請るかのように、ヴィヴィアンの蒼白な顔に、ごく無邪気に問いかけるような面差しを向ける真似を。)





745: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-03-21 09:38:27




あれは確か、最初は税務官への公務執行妨害で抑留したんですよ。
ただ後の調査でメタノールが検出されて過失致傷に……、…………。

 ( ビビの頓珍漢もいいところな、なんの脈絡もない発言を、しかしギデオンは真摯に受け止め、咎めることなく返してくれる。あまりの出来事に動揺しているのだと、守り慈しむべきだけの悲鳴として、封殺することも出来ただろうに。──己の声は届いている、聞こえなくなんかない。 この村で過ごした短期間で分からなくなっていた。そんな至極当然のことを、思い出させてくれるギデオンの、ともすれば、あまりにも色気に欠ける返答に心底安心して、今にも泣き出しそうに表情を崩せば。優しい掌に小さく頭を擦りつけ、ゆっくりと顔を上げかけたその瞬間。疲れきって尚、気丈に振舞っていた娘が、ぴたと静かに固まったのは、ギデオンが口にさせてくれたその返答の意味に、少し遅れて気が付き始めたそのためで。──昔からの習慣である濁酒製造が罪に問われると知らずとも、結果的に人を害せば罪になる。それなら今、この状況はどうだろう。彼らにとってこの晩が、誰彼構わず混じり合うのが当然のことだったとして、巻き込まれた己が今、こんなに苦しい思いをしているのは。しっかり拒絶出来なかった自分が悪い、余所者である私が我慢しなければ、そう凝り固まっていた思考が溶けだして初めて。今夜の事件だけでなく、今まであった尊厳が揺らぐような経験の数々に、ようやく自分が深く傷ついていたことに気が付いて、突然にその痛み、恐怖に真っ向から対面することになってしまえば。急に仕事の話をしてみたり、そうかと思えば酷く脅えて泣き出したりと、支離滅裂としか思えない有様をもはや気にする余裕など全くなく。それでも許してくれるに違いない、信頼して止まぬ相棒に、ひいひいと情けない嗚咽を漏らし、顔を真っ赤にしてボロボロと泣き崩れ始めれば、早く──早く抱きしめて、とばかりに、自ら離した腕を広げて強請り。)

私、怒って、いいんですか……? 私は悪く、ない……?





746: ギデオン・ノース [×]
2024-03-23 03:45:42




……、ああ、もちろん。

(しゃくりあげながらの問いを聞き取り、気遣わしげに相手を見遣る。普段の明るく溌溂とした彼女からはほど遠い、見るだに痛ましい泣き顔、砕け散りそうな涙声。しかし、それでもヴィヴィアンが、その細腕をおずおずと広げるならば。……震えながらも、咽びながらも、気丈な構えを自らほどき、こちらを求めてくれるのならば。
僅かに見開いた双眸を、ふ、と和らげ。──大きく抱き寄せ、包み込む。ぎゅうぎゅうと強く、優しく絞めつけるのは、ギデオンなりの表現だ……まだぐらついていい、すぐに落ちつけなくていい。俺がこうして、外側から支えてやるから、と。)

……ヴィヴィアン、おまえは悪くない。何ひとつ悪くない。
だから、怒るのも、悲しむのも、ごく当たり前のことなんだ。
絶対さ……俺が保証するとも。

(──惨いことだ、と切に思う。暴行された、という事実だけで充分辛い仕打ちだろうに……自分の尊厳を傷つけられた、それに対する怒りというのは、決してただでは抱けない。深い悲しみ、身を切るような屈辱、こんな目に遭わなければならなかった理不尽へのやるせなさ。そういったものの上に、震えながら立って初めて……自分を傷つけた経験や相手に、ようやっと立ち向かえるのだ。その心細さと言ったら。
ヴィヴィアンがこうして竦んでしまうのも、無理からぬ話だろう。聡明な彼女は、真理に辿りつくまでが早く……それに気持ちが追いつかないのも、その隔たりに狼狽えるのも、当然の現象である。──だが、そういったときのために、こうして近しくなったのだ。「役に立たせてくれ」と、冗談めかして囁きながら、愛しい栗毛をひと房すくい、そっと唇を押し当てる。それで少しは宥めてやれただろうか、或いはいつかの晩のように、場所が違うと云われただろうか。いずれにせよ、穏やかなまなざしを相手に向けていたかと思えば。その濡れた頬に軽く手を添えた流れで、小さな顎を促すように上向かせ。──冬の夜気に冷えた唇を、ごく軽く触れ合わせる。二度、三度……四度、或いはそれ以上。ようやく口先で戯れるのをやめた頃には、もう外の喧騒など、ほとんど耳に入らない。ギデオンの全てを向けるのは、ただただ目の前のヴィヴィアンひとり。こつんと額を合わせれば、そっと相手に尋ねてみせて。)

…………。
気分は、どうだ……少し、落ちついたか。





747: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2024-03-27 00:56:52




 ( ──あたたかい、いたくない、こわくない。肺の空気が抜けるほど長く、力強い抱擁に瞳を伏せると。まるで、身体の震えを力づくで止めるかの如く抱きすくめられ、このうっすらとした酸欠が、自分を襲った男のこと、仲間のこと、依頼のこと、村のこと、レクターのこと……考えても今更どうしようも出来ない、しかし考えずにはいられない散らかった思考を諌めて、暖かな腕の中、強ばっていた身体を素直に厚い胸へと甘えさせてくれる。他でもないギデオンが一言、泣いても良いのだ、傷ついても良いのだと認めてくれたそれだけで、これまでずっと直視するのを避け続けてきた心の傷がすっと軽くなり。泣いて、泣いて、その溢れる涙も枯れ果てた頃。明日をも気にせず泣きじゃくったヴィヴィアンの顔は、あちこち真っ赤に腫れ上がり、まったく見られたものじゃないだろうに。弱っている娘を負担に思うどころか、濡れた頤をなぞるギデオンの瞳が、心底愛おしいものを見るように、優しく細められるものだから。 )

……こんなにされたら、落ち着けない

 ( そう耳元や首筋など、涙で擦っていない場所まで赤く染め上げると、恥ずかしそうに未だ甘い感触の残る唇へと触れると。ぎゅっと再度腕をまわして、「落ち着いたって言っても、今晩は……明日も、ずっと一緒にいてくれるんですよね」 と。──先程の声は聞こえていたと、ちゃんと届きましたと伝えるように。心底安心しきった様子で、小さくはにかむ表情からは、今晩植え付けられた恐怖は薄れ、疲れきったエメラルドには眠気が滲んでいた。しかし、そうしてしばしの微睡みに落ちていったかと思えば、息も荒く飛び起きて。その度に、声もなく啜り泣きながらギデオンに縋り付き、再度浅い眠りにつくこと複数回。質の悪い睡眠に顔色を悪くしたヴィヴィアンの眠りを──ギシリ、と再び妨げたのは、扉の方から響いた人の気配だ。いつの間にか夜が明けていたらしく。とはいえ、ビビが消さないでと強請った燭台の他、堅牢な雨戸から差し込む光の角度から見るに、時刻は未だ早朝と言い表して構わない時分。そんな非常識な時間の訪問者に、浮腫んだ顔をギデオンと見合わせれば。しかし、必要よりそれ以上に警戒心を表さなかったのは、その気配からは、昨晩の男のように己のそれを消そうという意図が見られずに。どちらかと言えば、此方へと声をかけようかどうか迷っているような、扉の前でうろうろと、優柔不断な往復を繰り返しているだけに感じられるそのためで。結局、こちらから動かねば変わりそうもない状況に──……流石に、ビビは未だ扉を開ける勇気はなかったが。結果的に、内側からその扉が開け放たれれば、その向こうにいたのは浅黒い肌をした黒髪の少年。後ろ手に花束を抱えているらしい彼は、自分の倍も背丈のありそうなギデオンを見るなり、逃げようかどうしようかと言った様子で赤い花弁を見え隠れさせると。意を決したように息を飲み、「あの、俺、お見舞いに……姉ちゃんが"病気"だって聞いて……!!」と、どうやらフィオラ村は昨晩の事件をそう片付けたらしい。「姉ちゃん昨日妹たちと遊んでくれてたろ……」ともじもじ俯く少年は、素直にその話を信じたのだろう。「本当はいけないんだけど、"花"を見たら元気になるだろ……?」と気丈に言い募ると、その中心の"がく"まで赤い花をぷるぷると差し出して来て。 )




748: ギデオン・ノース [×]
2024-03-29 00:24:30




(──フィオラ村での第二夜は、浅く断続的だった。ヴィヴィアンが悪夢に囚われて飛び起るたび、隣にいるギデオンもまた、つられて自然と目を覚ます。しかし、苦に思うことなどなかった。まっすぐこちらを頼る彼女に、己の体温を貸し与える……それは、ギデオン自身が何より望んだことだからだ。
少しのあいだ宥めれば、ヴィヴィアンはまた、ほんの少しだけ安心したような様子を見せる。そうして、目元を濡らしたまま、再びしばらくの眠りに落ちる。そんな姿が、酷く痛ましくも愛おしく。彼女が寝息を立てはじめてからも、そのまろい額に唇を触れたまま、しばらく背中をとん、とん……と、幼子にするようにあやしてやった。そして時には、薄闇のなかで青い瞳を光らせたまま、ギデオン自身は寝つかないことも多かった。少し考えたかったのだ……この、異様な村に来てからのことを。
フィオラ村は、およそ200年ものあいだ、陸の孤島だった場所だ。当然、王都暮らしをしているギデオンたちにしてみれば、大きな隔たりはあるだろう。大昔の田舎の村の感覚のまま、若い娘に夜這いをするような風習が、残らないでもないのだろう。──だが、それにしては妙だ。生活実態が釣り合っていない。全てが自給自足であるなら、あんなに多くのタペストリーや、夜市での春画本、それにあれだけの料理など、こさえる余力があるだろうか。記録にあるフィオラ村は、狩猟をなりわいにしていたはずだが……農耕、石工、紡績、養蜂と、多岐に亘る産業が随分豊かであることを確認している。だが、大して人口のない村で、いったいどうやって技術を肥やしてきたというのだ? これではまるで、他の田舎の村とそう変わらぬどころか、それより豊かではないか。
そしてその割に、あの時代遅れな感覚だ。生活は富んでいるくせに、倫理観だけは孤島のそれそのままで、外部の影響が流れ込んだ様子がない。ギデオンが殴り飛ばしたあの男は、むらおさクルトに治療されながら、何度も声高に言い募っていた。──「“愛の夜”のはずだろう!」と。祝祭の第二夜は、成人した男女が皆豊かに交わる夜。なのにそれを阻むとは、あの男は正気なのかと、ギデオンに対し、怒りだけでなく……本気の当惑を顕わにしていた。……ギデオンはエデルミラを捜す間、ヴィヴィアンの眠っている家に、防衛魔法をかけていたが。それを強引にこじ開けたのに(彼はこの村の魔核を管理する魔術師のひとりだったらしい)、罪の意識などないらしい。それどころか、あれすらもまた、「なんであんなことをした!?」と、寧ろこちらを咎める始末だ。
クルトとあの蛭女だけは、男の言い分に反応を見せなかったものの。寄り集まっていた他の村人たちは、彼に全くの同感だったようだ。幾つか囁き声が聞こえた──ほら、やっぱり。“御加護”がないよそ者は、“愛”を忘れてしまうんだわ。皆で分かち合うことをしない、なんて冷たい業突く張り。きっと“病気”が進んでいるのよ……。
どうやらフィオラにおいては、食べ物も、男女の肉体も、“分かち合う”のが至上らしい。よそ者の冒険者たちに気持ちよく晩餐を振る舞ってやったように、冒険者たちが“持っている”若い女の体もまた、村に還元されるべきと考えているようである。そしてその考えにないもの、あろうことか反発する者は、真っ向から異常者扱いされる。──しかしなあ、悪いが、俺たちの故郷じゃそれが常識になってるんだ、と。あの斧使いがどうにかとりなしてくれたおかげで、あの場はどうにか治まった。ヴィヴィアンを襲った男と、彼に暴力を振るったギデオン、どちらの罪も手打ちにする、そういう方向にするらしい。
そう取り決められたところで、エデルミラがやっと帰ってきた。見るからにおかしな様子だ、やけに目を見開いて、息も激しく荒げている。すわ何事か、まさかおまえまで──と、周囲の冒険者が尋ねるも。彼女はただ周囲を見るばかりで、何ごとも答えない。かと思えば、不意にクルトをまっすぐ見つめて、「聞きたいことがあるの、」と言いだした。何か別件の、気がかりなことがあるのだが、それはクルトに個人的に確かめたいのだそうだ。──ここでもまた、強烈な違和感が働いた。大型ギルド・デュランダルの女剣士エデルミラは、仮にも総隊長である。複数のギルドの冒険者たちを束ねる、責任ある立場に抜擢された才媛であり……いくらこの村ではそう看做されないからと言って、職務放棄をするような人物ではないはずなのだ。しかし、明らかに言い争いがあったとわかるこの異様な現場に飛び込んで尚、彼女にはそれが見えていないようだった。今は背後の家で休ませているため、この場に本人がいないのもあるが、ヴィヴィアンのことを思いだすそぶりすらない。エデルミラもまた、この村に来てから、だんだんおかしくなっている……その場にいる冒険者たちは、誰もがそう感じていた。
しかしギデオン自身は、今はその件に取り合わないことにした。隊のなかでは自分もベテランの部類であり、責任を受け持つ立場にある。しかし今夜ばかりは、それよりも優先すべきものがあるのだ。──王都から出向したヒーラーがクエスト先で被害に遭って、今後の活動に支障をきたす恐れがある。ならばそれをフォローするのは、彼女の相棒であり、仕事上は上官ともなる、ギデオンの役目だった。私情だけの判断というわけでもない……それを、あの斧使いも汲んでくれたのだろう。目配せをすると、さりげなくも力強く頷いてくれた。今は俺たちがこっちをやる。おまえはそっちを、嬢ちゃんを頼むぜ。俺たちを治してくれるヒーラーが弱っちまったら──パーティーは、全滅もんだ。)

(──そうして、それから数刻後。ヴィヴィアンを宥めながら浅く眠っていたギデオンは、しかしふと覚醒した。今回は、すぐそばの彼女が悪夢に魘されたせいではない。この気配は、部屋の外からするものだ。
軽く身じろぎして隣を見ると、夜明けの薄明りのなか、大きく目を開けているヴィヴィアンと目が合った。この気配の主は、そう悪意のある輩ではなさそうだ……と、彼女もまた、冷静に察知している様子である。しかし流石に、すぐ身動きをとることはできないらしかった。大丈夫だ、と安心させるように肩をさすってから、大きく身を起こし、扉のほうへゆっくりと歩む。魔剣は持たなかった──持たなくていいと考えた。音の軽さからして、この不意の訪問者に見当がついていたからだ。
はたして、ギデオンが出迎えたのは……やはり、フィオラの子どもだった。年の頃は十一、二くらいだろうか。そう射竦めたつもりはなかったが、ギデオン相手に、一瞬怯えたような顔をしたものの。しかしそれでも、部屋の奥をちらと見れば、その顔つきがまっすぐな、覚悟の決まったものに変わった。そうして──お見舞いをしに来たんだ、と。それでこわごわ差し出すのが一輪の花と来たものだから、そのあまりに無垢な思いやりに、思わず毒気を抜かれたような顔を晒す。実際、抜かれはしたのだろう──真夜中に目の当たりにした村の大人どもと、まるきり違うではないか。
直接見舞わせてやりたいところだが、ヴィヴィアンはまだ本調子ではないだろう。「おまえの言葉と一緒に、ちゃんと渡しておく。ありがとうな」と、花の茎を受け取りながら、その黒髪をくしゃりと撫でる。途端、少年はほっとしたように歯の抜けた笑みを浮かべ。「あの! 匂い、花の匂いを吸うと、“病気”が良くなるんだ。姉ちゃんにそう教えてやって!」……などなど、懸命に言い残してから帰っていった。外に出てからは足音を立てないようにしていた辺り、きっと本当に、内緒の善意でここにやって来てくれたのだろう。
扉を閉め、部屋の奥に戻り、ヴィヴィアンのベッドの傍らに腰を落ち着ける。そうして彼女に、「あの子からのお見舞いだとさ」と、その目が醒めるほど真っ赤な花を手渡した。華奢な肩をゆったり撫でさすってやるのは、“俺以外にもおまえの味方がいたな”“この村にも、おまえを想いやってくれる奴はいるんだ”、そう伝えたくてのことだ。
しかし、やがて少しずつ増していく光量のなか。昨日の昼下がり、あんなにも花畑にいたのに、この花に見覚えがないこと……そしてそれどころか、何か妙な気配がすることに気がつくと、ふと軽く眉を顰めて。)

あの子の話じゃ、病気を癒す花らしい。祝祭の最終日の儀式にも使うとか……
…………。………………?





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