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Petunia 〆/854


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自分のトピックを作る
485: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2023-07-09 11:25:18




──……ん、

 ( どちらが悪魔か、ヘレナの呟きに自嘲が漏れる。一体一での戦闘力は雲泥の差とはいえ、今自分の前にいるのが、たった一人の青年に恋をして藻掻く少女だと、悪魔として人を貶めることなど望んでいない、ただ幸せになりたいだけの少女だと知っていて、ビビは卑怯にも自分自身の願いのために、彼女の手ずから自分の命を奪わせようとしているのだ。その謗りは甘んじて受け入れるべきだろう。コルセットの革が、硬い床を打つ音がやけに高く響いた。相手の示した条件にはなんの問題もない。──寧ろ、ギデオンさんを殺さないで欲しい。なんて、相棒の命を狙った相手からすれば詐欺も良いところだろうに。こちらの条件も聞かず"契約してあげる"なんて、迂闊な人。目の前に現れ、ゆっくり歩み寄って来る影から視線を逸らさぬまま、露悪的なまでに態とらしく翳された手をとり、零れかけた謝罪の言葉をなんとか飲み込めば。その手をそっと首筋に招いて、自ら自分の首筋に傷をつける表情は、聖なるヒーラーと聞いて想像するそれとはかけ離れた、女らしい情と強い自己嫌悪に濡れていることだろう )

あの人を……ギデオンさんを、殺さずにここから追い出して、二度と彼の前に現れないで。
──……ね、それから。気が向いたら恋バナでもしてくれたら……きっと、長い付き合いになるでしょうから──




486: ヘレナ/ギデオン・ノース [×]
2023-07-10 13:50:27




そう……いいわ。これで契約成立ね。
──あなたの名前は?

(ヘレナが恐れた先程までの力強さは、一体どこに消え失せたのか。自ら進んで血を流すその有り様は紛れもなく、情の深すぎる女の顔だ。清く眩しく、まるで正反対だと思ったこの娘も、男のために身をやつすところは、自分とそう変わらぬらしい。それがヘレナに、初対面の時とはまるで違う心境へ至らせた。青白い手を微かに動かし、娘の頬を包むように添わせ。相手の瞳を覗き込みながら、最後にひとつ、大切な情報を引き出す。
──そうして、娘が答えるや否や。悪魔の瞳孔が不気味に光り、一閃した爪がヴィヴィアンの首を浅く切り裂くだろう。そしてその傷口に、すぐさま蛇が如く食らいつき、温かく塩気のある生き血を激しく吸い上げる。力が満ちる──強張った手の黒い爪が、ヴィヴィアンの新鮮な血の色に染まっていく。ようやく柔肌から唇を離せば、今度は彼女の左胸の上に爪で契約印を刻み。それが紫に光ったのを確認すれば、よろめくなり崩れるなりするヴィヴィアンに構うことなく、背後の大窓を振り返って。不気味に閃く稲光の中、血で汚れた唇を獰猛に釣り上げ、堂々と天を仰ぎ、いよいよ詠唱を始めるだろう。『我、月なき昏い夜のもの、夢の通い路にてまろうどをおびくもの。リリスの子孫、リリムの一族、夢魔ヘレナ・バット・アブラヘルの名に於いて。贄たる娘、ヴィヴィアン・パチオと、血盟を以て契約せり』……
──かくしてここに、悪魔ヘレナと乙女ヴィヴィアンの契約が成立してしまった。紫の紋様が全身に這いまわったヴィヴィアンの身体は、ひとりでに宙に浮かんだかと思えば、どす黒い邪悪な靄に引きずり込まれてしまうだろう。ギデオンを無力化し、アーロンを連れ出すまで、ふたりの契約は完了しない。それまでの間、ヘレナはヴィヴィアンをこの揺り籠に固く閉じ込め、常に魔力を啜るのだ。
現に、今も。ヴィヴィアンの肢体にねっとりと絡みついた黒い触手が、靄の塊から幾筋も伸び出てヘレナ自身に繋がり、ヴィヴィアンから吸い上げた魔素をドクドクと流し込んでいる。金色だったヘレナの目は、今やヴィヴィアンと同じ美しい翡翠色に塗り変わり。けれどもその白目は黒く、青白かった肌は毒々しいほど赤く染まる。頭部には二本の角がめきめきと長く芽生え、切っ先の尖った悪魔の尾もしゅるりと妖艶に伸びた姿は、まさに最高潮の能力を振るう狂暴な悪魔の姿だ。──ああ、だって、こんなにも力が漲る。これほど莫大な魔力があれば、きっと全てが思い通りだ。邪魔な男を追い払い、娘の魂を取り込んで、その器を乗っ取れば、望みはきっと果たされる。今度こそ彼と、アーロンと──ふたりで、永遠に幸せになれる。荒れ果てた館のホールで、ヘレナは我知らず、高い嬌笑を響かせた。)



……ヴィヴィアン?

(そこからはるか遠い、暗く沈んだ地下洞にて。斬れども斬れども襲い来るグールを、それでも眩い雷魔法で無理やり焼き払っていたギデオンは。ふと何か……虫の知らせのような感覚がして、元来た頭上を振り仰いだ。そこには何もない──否。ギデオンに力添えをするこの館の怨霊たちが、聞くだに恐ろしい呻き声を上げながら天井に渦巻いているだけで、それ以外は何も見当たらない。だというのに、何だろう。氷の刃を突き付けられたような、底知れぬ恐ろしさに心の臓が竦むような、そんな感覚に駆られたのだ。──ギルドに戻る道すがら、ヴィヴィアンの身に何かあったのだろうか。これ以上こんな場所に居させられなかったとはいえ、やはりあのままひとりで帰したのは危険過ぎたのかもしれないと、心配に顔が歪む。急がなければ……早くアーロンを見つけてここを脱出し、無事を確かめに行かなければ。眉間をしかめて思考を振り切り、再び先へ走り出す。──あとに残していった、その空間の岸壁が。不気味な赤い光をドクンと脈打たせたことに、ギデオンはついぞ気づかなかった。)



(──最下層。とうとう辿り着いたそこで、鎖に繋がれたアーロンの下に駆け付け。変わり果てた友人を幾歳月ぶりに抱きしめて、ずっと伝えたかった言葉を……「助けに来た」という台詞を告げる。弱りきった悪友は、馬鹿野郎、と力なく罵ってきたが、お互い血まみれの顔を見合せ、くしゃりと笑みかわせば、もうそれだけで、それぞれの想いを伝えるには充分だった。「さっきの子は?」「応援を頼んで先に逃がした。俺たちもここを出るぞ」「こういう頑固なところ、おっさんになっても変わってないのな」「おまえの向こう見ずさも相当だ」「出るにしたって、ここはあいつの体内だ。どうやって」「ここまでだってその筈だ。でも俺が、現におまえを見つけられた。勝算はそれで充分だろ」「…………」。そんな会話を交わしながら鎖を断ち切り、よろめく友に肩を貸して歩き出す。怨霊たちが先導する地上への階段を上る道すがら、これまでの身の上をぽつぽつと語り合い。今も眠っている子どもたちの話に差し掛かった……そのときだ。
不気味な地響きが轟いたと思うと、すぐ先の天井が突然激しく崩れ落ちた。そうして、もうもうと立ち込める白い土煙の中から、彼女が……ヘレナが、満を持して姿を現す。どういうわけか、女悪魔は異様に妖しい赤膚の姿に変わっており。横にいるアーロンが愕然としたその隙を狙って、長い爪をビッと差し向け──魔法の杭に磔にした。途端に、しかしギデオンを絶望させたのは、彼女の形態の変化や、アーロンを一瞬で拘束されたことだけではない。ヘレナの後ろに、黒い靄が。靄に抱かれた人間の娘が、ぐったりした様子で浮かび上がっていたのだ。──見違えようもなく、ヴィヴィアンだった。

その時ギデオンが突き落とされた恐怖は、どんな言葉を使っても言い表すことができないだろう。確かに無事逃がしたはずのヴィヴィアンが、悍ましい女悪魔の手中にがっちりと囚われて……しかも今も、刻一刻と、生命力のような何かを吸いだされて苦しんでいる。ヘレナが何事かを、おまえの命だけはどうだとか言っていたのを、ギデオンはほとんど聞かなかった。表情など消し飛んだ顔で瞬時にヘレナに肉薄し、その首を刎ね飛ばすべく、渾身の魔剣を大振りで薙ぐ。殺す──絶対に、今ここで倒す。──だが、覚醒形態のヘレナは、強いどころの話ではなかった。艶やかな笑い声を上げながら、次元の違う威力を真正面から叩きつけ、蹂躙し、ギデオンの体をすぐさま赤く染めていく。しかしどういうわけか、瞬時に殺せそうなものを、致命傷までは与えてこない。
やがて彼女が組み始めた紫色の魔法陣を見て、ギデオンははっとした。──あれは、アーロンが自分たちを転移させたものと同じだ。ギデオンを殺すつもりはないなどと言っていたが、その言葉のとおり、ここから強引に追い出すつもりらしい。──ふざけるのも大概にしろ。アーロンとヴィヴィアンをおめおめ置いていくわけがあるものか! だが、ギデオンの必死の回避と反撃にも、余裕のヘレナは艶然と微笑むだけだ。──この子の望みよ。この子が私にお願いしてきたの。あなたを無事に逃がしてって。そうしたら──私に身体をくれるって。

恐怖と怒りが極まると、何も見えなくなることを、ギデオンはこの時初めて知った。──だがそれでいて、身体は冷静に、的確に動く。自分のせいで、大事な人が、何の罪もない健やかな人が……犠牲になる。13年前のあの悲劇を、よりによってヴィヴィアンで繰り返す。そんなことを、死んでも許すはずがない。最早最後の理性を捨て、館の怨霊を己に直接取り憑かせる。ギデオン自身にも凄まじい苦痛が伴うが、この女悪魔を倒せるならなんだっていい。手段は択ばない、躊躇う暇はない。
ヘレナの表情もさすがに変わった。「あたしに魔力を使わせれば使わせるほど、この子が弱るのよ──わかってるの!?」と、余裕を失して叫び、悍ましいモンスターを幾十幾百と召喚するが、ギデオンはもはや会話に乗りもしなかった。洞窟中を照らし出す雷魔法を撃ち出し、それでも飛び掛かってくる怪物どもに埋め尽くされても、血みどろになって全てを肉塊へ変えていく。──ヴィヴィアンの身体が、魂が、笑顔が、未来が、こんな風に奪われていいはずがない、その一心で剣を振るう。ヴィヴィアンが死ぬ前に、ヘレナを倒す……それだけが、唯一の最適解だ。

無敵状態だったヘレナをたじろがせたのは、さらに。磔にされていたはずのアーロンによる反撃だった。ギデオンを撃ちかけたヘレナを、横から火魔法で殴り飛ばした友は、既にボロボロだった身体で、それでも再び立ち上がり。かつて地上でドラゴンを狩り明かしていたあのときのように、ギデオンの横に並んで、その爪を構えたのだ。
「どうして──どうして!」と、突然幼さを取り戻して泣き叫ぶヘレナに、アーロンは穏やかに言った。あの時と同じだよ。君がニーナの背骨を折った、二十年前のあの時と。僕は、君を止めなくちゃいけない。……君の望みは、邪悪だ。
ヘレナの狂気が再び爆発した。13年前と同じように、アーロンをきっかけに──嵐のように荒れ狂った。ヴィヴィアンを閉じ込めている靄はいよいよ激しくのたうって、中にいるヴィヴィアンの魔力を吸いだしていく。どうやらこの悪魔は、いずれヴィヴィアンの肉体を奪うはずであるというのに、人体から魔素を流し出す時に通り抜ける、目に見は見えない部分を壊してまで、徹底的に魔素を搾り取る暴挙に及ぼうとしているらしい。──そこが傷つくと、血小板の少ない人間が流血を止められないように、魔素の流出が止まらなくなる。いよいよヴィヴィアンが、本当に死に瀕してしまう。
その最悪を想定して──靄の中のヴィヴィアンの顔が今、激しく苦しんでいるのを見て。ギデオンの魔剣は、いよいよ凄味を増しはじめた。それにアーロンも、13年前は持っていなかった、悪魔の異能で加勢する。ここでヘレナの力にも、限界が見え始める。……元より、ヴィヴィアンの魔素の大部分を占める聖属性のマナだけは、悪魔の中に取り込めない。ヴィヴィアンの魔力量は膨大だが、ヘレナが搾り取れる量には、最初から限界があったのだ。さらに、自業自得なことに。ヴィヴィアンの身体の魔法機能を壊したことで、聖属性のマナがとめどなく溢れだして辺りに充満し、ヘレナ自身がそれに激しく苦悶していた。──やがて。最愛の、13年もそばにつかせたはずのアーロンに、幾度も幾度も反逆されて、彼女なりの一途な愛を邪悪だと否定されて。ヘレナはきっと、錯乱したのだろう。「そんなに──そんなにあたしが嫌いなら──もういっそ、一緒に──!」と、アーロンにとどめを刺しかけたそのとき。同じ惨劇を二度と許さぬギデオンが、猛然と割って入り──振り返ったヘレナが、反射的にその胸を魔法の刃で貫いた──その瞬間。ヘレナ自身の、断末魔じみた絶叫とともに……凄まじい魔素の爆発が起こった。)



(──ガラン、と魔剣の落ちる音がして、ようやく。ギデオンは、自分が頽れているのを知った。横向きのまま、視線をぼんやりと投げ出せば、そこにはヘレナが倒れていて……その奥の靄から、アーロンがヴィヴィアンを引きずり出したのが見える。視界が霞んで良く見えないが、数時間前にギデオンにしたように、ヴィヴィアンを介抱してくれているらしい。ヴィヴィアンが身動きし、意識を取り戻したらしいのを見て、思わず安堵した途端。胸からせり上がった血が、がふっと口から零れ出た。──心臓は無事だが、肺をやられたらしい。呼吸がうまくできない──胸がだんだん苦しくなっていく──視界が暗い、耳も何だか遠い。だが、今度こそ……今度こそ。巻き込まれた無辜の人の危機に、ぎりぎりで間に合っただろうか。肩を並べて戦った友を、見捨てずに済んだだろうか。この身を全力で賭けたことで……13年前のような悲劇を、食い止めることができただろうか。)





487: ヴィヴィアン・パチオ / ヘレナ [×]
2023-07-12 02:06:49




……ありがとう、

 ( その時、少し驚いた表情で目を見開いたのは、もっと渋られると思っていた条件を、あまりにもあっさりと相手が呑んだからだ。それだけ彼女にとって人間の体は喉から手が出る程欲する物なのか、一度殺そうとまで血迷った憎しみを、こうも簡単に切り替えられるものかと、改めて相手が人ならざる存在であることを強く確認しても、最早後悔の念などなく。温かい血潮が胸を濡らす感触にゆっくりと目を閉じれば──これで、ギデオンさんを助けられる。その深い安堵とともに、昏睡じみた微睡みへと身を委ねたのだった。 )


 ( 頭が割れるように痛い。目の奥も鼻の奥も詰まって何も見えず、まるで溺れた時のように呼吸がままならない。それだと言うのに胃袋はひっくり返ったようにのたうち回って、震える程寒いのに身体に熱が籠って冷や汗が滝のように流れ落ちる。──痛い、苦しい、怖い……そう藻掻くように振った腕を捉えられたかと思うと、気道を塞ぐ黒い霧から引きずり出されて。先程も感じた男の魔素が、再び身体の内部機関を修復していく感覚に瞼を薄く開いて。──……これは、一体どういうことだろう。自分は先程、悪魔ヘレナに相棒の無事と引き換えに、己の身を差し出したはずだ。契約の瞬間こそ、死への恐怖を紛らわすべく強がって見せたものの、もう二度と目覚めぬものと覚悟したにも関わらず、今こうして虚ろではあるが、ビビはしっかりと目覚めている。こんな事は、悪魔が契約を放棄したとしか──と、その可能性に気がついた途端、 )

……ギデオンさん!!

 ( 青白いさえ通り越して、生気の欠片も感じられないどす黒い顔色をしたヴィヴィアンが勢いよく起き上がったのは、今この瞬間治療に当たっていたアーロンにとって、信じられない光景だったらしい。「おい!」「まだ動いていい身体じゃ……」と目を見張る男の声は、瀕死の相棒を見つけ、悲痛な声で絶叫する女には届かない。それどころか、どこにそんな力があったのやら、動きを押さえ込もうとする相手を、物凄い剣幕で突き飛ばし、ぐったりと横たわる相棒に這いずり寄れば。錯乱したヒーラーの意図に気づいた男が、慌て止めようと手を伸ばすより、少し冷たくなってしまった相棒の身体を、ビビがかき抱くのがほんの一瞬早かった。──「君が死ぬんだぞ!」という怒鳴り声は、聞こえて聞こえぬ振りをした。その瞬間、目を焼くほどの光が空間を消し飛ばしたかと思うと、ギデオンの身体を優しく包みこんで、その傷を癒していく。そうして、魔力弁の壊れた状態で魔法を振るったヒーラーはついぞ暴走し、力尽きるまで自身の魔力を放出し続ける運命に従い、心底安堵した笑みでうっとりと相棒を見下ろせば、その直後最愛の相棒の上へ折り重なるようにして再び倒れ伏した。 )



 ( なんで、なんでアタシばっかり……どうして上手くいかないの!? あの小娘、魔力をくれるなんて言って、全然使えないじゃない! ああ違うあの男! そもそもアイツが強かったから!! 『魔力を捧げる代わりに、ギデオン・ノースを殺さない』ビビとの契約を、たっぷりとその魔力に手をつけてから破った悪魔の身体は、その膨大な対価にあちこち欠けて歪になり、その端は今にも耐えられずサラサラと灰になって崩れかけている。痛い、熱い、アタシはこんなに辛くて怖いのに、なんでアーロンさんはアタシじゃなくてあの娘を助けるの……? わああん、と薄暗い空間に響く子供のような鳴き声に、最早耳を貸すものは誰もいない。そうして孤独な夢魔が1人、ひっそりとこの世から消え去ろうとした時。それをいち早く感知できたのは、人ならざる夢魔だったからだろう。空気中の聖魔素濃度が急激に上がる予兆に、全身鳥肌が立ち、今すぐここから逃げ出したい気持ちでいっぱいになる。──しかし、全てを消し飛ばす光が、この空間を覆う瞬間。この出来損ない夢魔といったら、愛しの男をヒーラーから引き剥がして、あろうことか、己自身の影で、何度も何度も自分を裏切って、ここまで堕としたアーロンを庇っていた。 )

──アーロンさん、大、丈夫……?




488: ヴィヴィアン・パチオ / ヘレナ [×]
2023-07-12 02:07:36




……ありがとう、

 ( その時、少し驚いた表情で目を見開いたのは、もっと渋られると思っていた条件を、あまりにもあっさりと相手が呑んだからだ。それだけ彼女にとって人間の体は喉から手が出る程欲する物なのか、一度殺そうとまで血迷った憎しみを、こうも簡単に切り替えられるものかと、改めて相手が人ならざる存在であることを強く確認しても、最早後悔の念などなく。温かい血潮が胸を濡らす感触にゆっくりと目を閉じれば──これで、ギデオンさんを助けられる。その深い安堵とともに、昏睡じみた微睡みへと身を委ねたのだった。 )


 ( 頭が割れるように痛い。目の奥も鼻の奥も詰まって何も見えず、まるで溺れた時のように呼吸がままならない。それだと言うのに胃袋はひっくり返ったようにのたうち回って、震える程寒いのに身体に熱が籠って冷や汗が滝のように流れ落ちる。──痛い、苦しい、怖い……そう藻掻くように振った腕を捉えられたかと思うと、気道を塞ぐ黒い霧から引きずり出されて。先程も感じた男の魔素が、再び身体の内部機関を修復していく感覚に瞼を薄く開いて。──……これは、一体どういうことだろう。自分は先程、悪魔ヘレナに相棒の無事と引き換えに、己の身を差し出したはずだ。契約の瞬間こそ、死への恐怖を紛らわすべく強がって見せたものの、もう二度と目覚めぬものと覚悟したにも関わらず、今こうして虚ろではあるが、ビビはしっかりと目覚めている。こんな事は、悪魔が契約を放棄したとしか──と、その可能性に気がついた途端、 )

……ギデオンさん!!

 ( 青白いさえ通り越して、生気の欠片も感じられないどす黒い顔色をしたヴィヴィアンが勢いよく起き上がったのは、今この瞬間治療に当たっていたアーロンにとって、信じられない光景だったらしい。「おい!」「まだ動いていい身体じゃ……」と目を見張る男の声は、瀕死の相棒を見つけ、悲痛な声で絶叫する女には届かない。それどころか、どこにそんな力があったのやら、動きを押さえ込もうとする相手を、物凄い剣幕で突き飛ばし、ぐったりと横たわる相棒に這いずり寄れば。錯乱したヒーラーの意図に気づいた男が、慌て止めようと手を伸ばすより、少し冷たくなってしまった相棒の身体を、ビビがかき抱くのがほんの一瞬早かった。──「君が死ぬんだぞ!」という怒鳴り声は、聞こえて聞こえぬ振りをした。その瞬間、目を焼くほどの光が空間を消し飛ばしたかと思うと、ギデオンの身体を優しく包みこんで、その傷を癒していく。そうして、魔力弁の壊れた状態で魔法を振るったヒーラーはついぞ暴走し、力尽きるまで自身の魔力を放出し続ける運命に従い、心底安堵した笑みでうっとりと相棒を見下ろせば、その直後最愛の相棒の上へ折り重なるようにして再び倒れ伏した。 )



 ( なんで、なんでアタシばっかり……どうして上手くいかないの!? あの小娘、魔力をくれるなんて言って、全然使えないじゃない! ああ違うあの男! そもそもアイツが強かったから!! 『魔力を捧げる代わりに、ギデオン・ノースを殺さない』ビビとの契約を、たっぷりとその魔力に手をつけてから破った悪魔の身体は、その膨大な対価にあちこち欠けて歪になり、その端は今にも耐えられずサラサラと灰になって崩れかけている。痛い、熱い、アタシはこんなに辛くて怖いのに、なんでアーロンさんはアタシじゃなくてあの娘を助けるの……? わああん、と薄暗い空間に響く子供のような鳴き声に、最早耳を貸すものは誰もいない。そうして孤独な夢魔が1人、ひっそりとこの世から消え去ろうとした時。それをいち早く感知できたのは、人ならざる夢魔だったからだろう。空気中の聖魔素濃度が急激に上がる予兆に、全身鳥肌が立ち、今すぐここから逃げ出したい気持ちでいっぱいになる。──しかし、全てを消し飛ばす光が、この空間を覆う瞬間。この出来損ない夢魔といったら、愛しの男をヒーラーから引き剥がして、あろうことか、己自身の影で、何度も何度も自分を裏切って、ここまで堕としたアーロンを庇っていた。 )

──アーロンさん、好き……




489: ギデオン・ノース [×]
2023-07-12 13:27:13




──……ヘレナ……

(目の前の、後頭部から膝裏までがほとんど焼け落ちた女悪魔を振り返り。アーロンはただ呆然と、思わず相手の名を呼んだ。思えばそれは、彼女の支配下にあった間は、決して自分からはしなかった行為で。さらさらと朽ちゆくヘレナの、金に戻った大きな瞳が、一瞬大きく見開かれた後、少女の容易に柔らかく潤む。彼女はただ一度、無事に残っていた片手を、アーロンに向けて弱々しく差し伸べた。彼がその手を静かにとれば、パチッ、と紫電が光るとともに、堅かった何かが解かれる。──眷属の繋がりだ。主たるヘレナが**ば、配下のアーロンもつられて消滅することになる。それを防ぐため、アーロンを介抱することにしたらしい。……今更、何を。荒れ狂っていた先ほどまでは、心中しようとしていた癖に。
最早ヘレナは目を閉じて、ほとんど意識を失っている状態だ。膝が砕け散るそのままに、荒れた地底へ崩れ落ち。もうほとんど、仮面のようになった顔面しか残っていない。しかしそれでも、今も尚譫言のように、好き、大好き……と唇を震わせている。──眷属化が解けた今、アーロンはこれを、何とも思わず踏みつぶすこともできた。それはそうだ、元々愛せもしない娘に、何年も何年も拷問されつづけてきたのだから。今だって、虐げられていた13年間の苦痛を思わないわけではない。……それでも。アーロンはヘレナのそばに屈みこみ、黒い爪で彼女の頬を撫でながら、何かの呪いを呟きはじめた。今や己はほとんど悪魔、人の身にはもう戻れない。その責任をとらせなければ。悪魔の呪いを幾度も受けたから、知っている──13年前の罪を贖うには、彼女の生存が必要だ。)



(──いわゆる“逆呪い”を、アーロンがヘレナにかける、その少し前。何者かに抱きしめられたギデオンは、思いがけない優しい温もりに、何かを思い出そうとしていた。この感覚、いつか……どこかで。朦朧とする意識の奥から、ふと潮騒の音が聞こえてきて、その答えが自然と定まる。……そうだ、あれは。いつぞやの孤島の浜辺でも、駆けつけてくれた誰かに、こうして命を救われたのだった。“彼女”だ……きっと、彼女だ。それなら、そうだ、今回も。──約1年前のその時同様に、ありったけの祝福を、貪るように取り込む。何度も何度も迎え入れた経験のある聖らかな魔素が、途端に全てを癒していく。指先まで血が通い、顔に生気が取り戻される。引いていく眩さのなか、ギデオンはようやくその瞼を震わせた。しかし、薄青い目が間近に見たのは、ヒーラー娘、ヴィヴィアンの……うっとりと安堵した、けれども死相の滲む顔で。暗く翳っていくエメラルドの瞳を、一瞬唖然と見つめると。彼女ががくり、と倒れ伏すのと反対に、思わずその身を置きあがらせ、凍りついた顔で見下ろす。有り得ないほどどす黒い肌だ……そして魔法に疎い自分でもわかる、何か致命的な状態に陥っている。──反対に、己の有り様は何だ。胸の出血が止まっている、呼吸も問題ない。何故こんなに早く癒えた、決まっている……ヴィヴィアンの治癒魔法だ! こんな重体で、それでもその力のありったけを、己に注いでくれたのだ。それが意味するところに、ぞっと凍りつきながら。彼女の薄い肩を小さく揺さぶり、必死な声で呼びかけて。)

……ッ──ヴィヴィアン、ヴィヴィアン……!





490: アーロン・ガードナー/ギデオン・ノース [×]
2023-07-12 13:33:14




──……ヘレナ……

(目の前の、後頭部から膝裏までがほとんど焼け落ちた女悪魔を振り返り。アーロンはただ呆然と、思わず相手の名を呼んだ。思えばそれは、彼女の支配下にあった間は、決して自分の意志ではしなかった行為で。さらさらと朽ちゆくヘレナの、金に戻った大きな瞳が、一瞬大きく見開かれた後、少女のように柔らかく潤む。彼女はただ一度、無事に残っていた片手を、アーロンに向けて弱々しく差し伸べた。彼がその手を静かにとれば、パチッ、と紫電が光るとともに、堅かった何かが解かれる。──眷属の繋がりだ。主たるヘレナが現世から欠け落ちれば、配下のアーロンもつられて消滅することになる。それを防ぐため、アーロンを解放することにしたらしい。……今更、何を。荒れ狂っていた先ほどまでは、心中しようとしていた癖に。
最早ヘレナは目を閉じて、ほとんど意識を失っている状態だ。膝が砕け散るそのままに、荒れた地底へ崩れ落ち。今となっては、仮面のようになった顔面しか残っていない。しかしそれでも、今も尚。譫言のように、初めて聞くような優しい声で、好き、大好き……と唇を震わせている。
──眷属化が解けた今、アーロンはこれを、何とも思わず踏みつぶすこともできた。それはそうだ、元々愛せもしない娘に、何年も何年も拷問されつづけてきたのだから。今だって、虐げられていた13年間の苦痛を思い返さないわけではない。……それでも。アーロンはヘレナのそばに屈みこみ、黒い爪で彼女の頬を撫でながら、何かの呪いを呟きはじめた。今や己はほとんど悪魔、人の身にはもう戻れない。その責任をとらせなければ。悪魔の呪いを幾度も受け、それに詳しい身となったからこそ知っている。──13年前の罪を贖うには、彼女の生存が必要だ。)



(──いわゆる“逆呪い”を、アーロンがヘレナにかける、その少し前。何者かに抱きしめられたギデオンは、思いがけない優しい温もりに、何かを思い出そうとしていた。この感覚、いつか……どこかで。朦朧とする意識の奥から、ふと潮騒の音が聞こえてきて、その答えが自然と定まる。……そうだ、あれは。いつぞやの孤島の浜辺でも、駆けつけてくれた誰かに、こうして命を救われた。“彼女”だ……きっと、彼女だ。それなら、そうだ、今回も。──約1年前のその時同様に、ありったけの祝福を、貪るように取り込む。何度も何度も迎え入れた経験のある聖らかな魔素が、途端に全てを癒していく。指先まで血が通い、顔に生気が取り戻される。──再び、ヴィヴィアンの手で蘇る。
引いていく眩さのなか、ギデオンはようやくその瞼を震わせた。しかし、薄青い目が間近に見たのは、ヒーラー娘、ヴィヴィアンの……うっとりと安堵した、けれども死相の滲む顔で。暗く翳っていくエメラルドの瞳を、一瞬唖然と見つめると。彼女ががくり、と倒れ伏すのと反対に、思わずその身を置きあがらせ、凍りついた顔で見下ろす。有り得ないほどどす黒い肌だ……そして魔法に疎い自分でもわかる、何か致命的な状態に陥っている。──反対に、己の有り様は何だ。胸の出血が止まっている、呼吸も問題ない。何故こんなに早く癒えた、決まっている……ヴィヴィアンの治癒魔法だ! こんな重体で、それでもその力のありったけを、己に注いでくれたのだ。それが意味するところに、ぞっと凍りつきながら。彼女の薄い肩を小さく揺さぶり、思わず喉を詰まらせながら、必死な声で呼びかけて。)

……ッ──ヴィヴィアン、ヴィヴィアン……!





491: ヘレナ [×]
2023-07-13 00:01:16




 ( 地中深い館の最下層を照らした光が収まり、徐々に視界が取り戻されると、陰湿な空間に二人の男のシルエットだけが浮かび上がる。その片方──ギデオン・ノースの必死な呼び掛けに、揺さぶられるまま。どす黒い顔色でぐったりと目を閉じたビビから、いつもの元気な返事が返ってくることはとうとうなかった。そうして、ギデオンとビビの二人が訪れるまで、ずっと静かだった地下に再び絶望の沈黙が取り戻さようとした瞬間。この場に似合わない、それはそれは明るく嬉しそうな笑い声が高らかに響き渡った、 )

──アーロンさんがアタシの名前を呼んでくれた!
あの娘じゃなくてアタシを助けてくれた!
嬉しい、嬉しい! やっぱりアタシの愛が通じたのね!

 ( キャハハハハッ! と暗闇を切り裂いたその甲高い笑い声は、依然、剥き出しの地面に張り付くように落ちた仮面ヘレナから上がった。アーロンの逆呪いが完遂したのだ。まもなく、聖の魔素に燃え尽き、顔だけだった肢体は次第に再生し始め、美しい黒髪が地面に広がる。再生した手は真っ先に、二十年ぶりに自分の頬を優しく撫でてくれた手を取り、百合色の顏に無垢な微笑みを浮かべると、己への愛しさで染まっているに違いない相手の顔を覗き込もうとして──勿論、そんなことは無かった表情に、きょとんと首を傾げる。その様はまるで幼い少女のように純粋で、しかし、それは矢張り彼女が人間になどなり得なかったことを如実に証明し、その救えなさを際立てている始末。そうして、未だ上半身だけの肢体を器用に持ち上げ、得心いったように微笑んだ悪魔は、この場で取れる限り最悪の手段を取ろうとして……しかし、その振り上げた腕を一旦降ろした。──あれ、なんでだろうね? ギデオンとビビを殺す想像をした瞬間、何故か少し心が痛むような気がした。これも二十年ぶりに……いや、偽りの物を除けば初めて触れた"優しさ"をくれた娘を殺したくない。その感情の名前をヘレナは知らないが、よくも白々しい言葉と共に、その金色の瞳を気分良さそうに細めたかと思うと、ギデオンとビビの下には例の転移魔法陣が再び浮かび上がる瞬間も、その目が愛しの男から外れることはなく )

アーロンさん?
ねえ、どうしたの? あ、わかったわ、人前だから照れてるんでしょ?
安心して、邪魔者は今すぐ殺して──ううん、ヒトゴロシは良くない、よね?
あのね、二人きりになったら、えへ、アタシのこともビビがしてもらってるみたいにギュッしてね?



492: ギデオン・ノース/アーロン・ガードナー [×]
2023-07-13 01:44:14




……貴、様……

(ヴィヴィアンが、目を……開けてくれない。ほんの少しも、身じろぎをしない。細い手首に触れてみれば、微かな脈を読み取れはするが……これでは時間の問題だ。そのあまりにも重すぎる現実に、ギデオンは一瞬、息もできずに打ちのめされていた。しかし背後から迸った、場違いなほど明るい声に、肩を僅かにこわばらせ、そちらをゆっくりと振り返る。──倒したと思ったはずの、女悪魔が……笑っている。その表情にも、高らかに謳う愛にも、先ほど消滅しかけたときの弱々しさなど微塵も伺えない。邪悪が再び甦ったのだ──ヴィヴィアンは目も覚まさないというのに。そう考えた途端、ギデオンの固く強張った顔に、蒼白な激情が煮えた。数歩先で楽しそうにいかれているあの悪魔を、原形をとどめなくなるまで細切れにしたい衝動に駆られた。そうして復讐心の促すまま、足元の魔剣をがちゃりと手に取った……そのときだ。)



──ギデオン、間違うな。

(自分でもやや驚くほど、冷静な声が出た。どす黒い殺気を放っていた親友が、ぴた、と動作を止めたので、今度はその目にしっかりと視線を合わせ、もう一度落ちついた声音で呼びかける。──その子はまだ、ちゃんと生きてるんだろう。例の子どもたちだって、おまえがすぐに病院に連れて行ったから、今も心臓が動いてるんじゃないか。こんな女のために、その子をみすみす死なせるのか。冗談だろ?
こんな女、とは他の誰でもなくヘレナのことだ。己の手で復活させた彼女が、嬉しそうに──何ら変わらぬ狂気を湛えて──ころころ笑いながら、指を絡めて話しかけてきても、アーロンは頑として、完全に無視を決め込んでいた。己が唯一心を寄せる旧友と再会できたことで、精神的な呪縛から目が覚め、生来の冷徹さが急速に戻りつつあったのだ。一方的にしなだれかかってくる女をまるで相手にしないなんて、そう、かつても散々やっていたことだ。
ぱちん、と唐突に指を鳴らす。瞬間、ヘレナの補足青白い首に、黒い小花のあしらわれたチョーカーがぴったち巻き付く。ヘレナが不思議そうにすれば、アーロンはもう一度指を鳴らし、そこから電流じみた魔素をびりびりと流し込むことだろう。──さっきと今とで、13年間続いた主従関係はまるきり逆転している。今はこちらが主人だ──躾のなっていない雌犬には、待てを覚えさせねばならない。
そうして、ヘレナを一旦放置する形で、魔法陣の上にいるギデオンとヴィヴィアンのそばにやってきて屈みこむと。ギデオンの肩に手を置いて、その目を覗き込みながら、諭すように言い聞かせる。──僕がさっき、その子を診た。魔力弁を壊されて弱ってるだけだ、医者に診せれば絶対に間に合う。地上のどこかで、祓魔師の連中がこっちに近づいてる気配がするから、お前はそこで応援を待つべきだ。わかるよな? その子は今、おまえだけが頼りだ。おまえが自分に負けなければ、13年前の二の舞を防げる。その子を無事に目覚めさせてやれる。
昏く淀んでいたギデオンの瞳に、澄んだ青さが戻り始めた。その目を伏せて、ギデオンがぽつりと。「俺の弁も、ひとつ壊してくれないか」と呟く。意味するところが分かったので、ギデオンの右手に左手を翳し、ぱちりと音を立てて目に見えぬそれを破った。途端に、ギデオンが娘を抱きかかえ、自分の右手でしっかりと、彼女の片手を握り込む。互いに開ききった魔力弁を、そこで重ね合わせているのだ。
最後に一度、ギデオンがこちらを見上げた。言葉にせずとも、親友の考えは手に取るように読み取れた。──あの時と同じだ。俺は重傷者を連れ出して、お前をあいつと置き去りにする。あの時を繰り返している……。その恐れと後悔を、しかしアーロンは、笑いながらかぶりを振って否定した。──大丈夫だ、あの時とは違う。お前がその子と来てくれたことで、状況が変わったんだ。本当に、近いうちにまた会えるさ。だから今は、僕を信じて、行ってくれ。嘘じゃない。……あの日おまえと一緒に飲んだ、ブレニヴィンに懸けて誓うよ。
ギデオンが最終的に頷いたのを見届けると、ヘレナが敷いた魔法陣に指を触れ、一時停止させていたそれを再発動させる。友は今一度、ヒーラー娘をしっかりと抱きかかえ──白い光に呑まれて、今度こそふわりと消えた。地上に感覚を向けてみれば、無事に外へ出た気配が確かに感じ取れる。今しばらくは、彼女に己の魔素を分け与えながら、そこで救援を待つことになるだろう。数十分後か、数時間後か……いずれにせよ、病院に駆け込むまでは間に合うはずだ。
はあ、とため息が零れ出た。らしくない──全くらしくない。ギデオンが絡むと、自分はどうも、気持ち悪いほど人間的になるようだ。それを心地よく感じてしまうのも、自分の唯一ままならないところだった。それでもそれを、13年ぶりに思い出せた──こんなに幸運なことはない。ギデオンはまだわかっていないが、自分は今夜確実に、あの男に救われたのだ。ならば、自分もやることをやらねば。黒髪を掻き上げ、ふうと息を吐いてから、元来た方へ踵を返す。そうしてそこにしゃがみ込み、軽く数分も放置していた、上体だけの女悪魔を見るそのまなざしは。──先ほどギデオンに向けたそれとは似ても似つかない、冷淡な……ある意味、何ら飾り立てやしない、アーロンの素の表情を宿していることだろう。)

……人前で照れてるだの、邪魔は今すぐ殺すだの。
僕がおまえを疎んでる理由くらい、いい加減わかるようになれよ。クソ女……





493: ギデオン・ノース/アーロン・ガードナー [×]
2023-07-13 01:47:16




……貴、様……

(ヴィヴィアンが、目を……開けてくれない。ほんの少しも、身じろぎをしない。細い手首に触れてみれば、微かな脈を読み取れはするが……これでは時間の問題だ。そのあまりにも重すぎる現実に、ギデオンは一瞬、息もできずに打ちのめされていた。しかし背後から迸った、場違いなほど明るい声に、肩を僅かにこわばらせ、そちらをゆっくりと振り返る。──倒したと思ったはずの、女悪魔が……笑っている。その表情にも、高らかに謳う愛にも、先ほど消滅しかけたときの弱々しさなど微塵も伺えない。邪悪が再び甦ったのだ──ヴィヴィアンは目も覚まさないというのに。そう考えた途端、ギデオンの固く強張った顔に、蒼白な激情が煮えた。数歩先で楽しそうにいかれているあの悪魔を、原形をとどめなくなるまで細切れにしたい衝動に駆られた。そうして復讐心の促すまま、足元の魔剣をがちゃりと手に取った……そのときだ。)



──ギデオン、間違うな。

(自分でもやや驚くほど、冷静な声が出た。どす黒い殺気を放っていた親友が、ぴた、と動作を止めたので、今度はその目にしっかりと視線を合わせ、もう一度落ちついた声音で呼びかける。──その子はまだ、ちゃんと生きてるんだろう。例の子どもたちだって、おまえがすぐに病院に連れて行ったから、今も心臓が動いてるんじゃないか。こんな女のために、その子をみすみす死なせるのか。冗談だろ?
こんな女、とは他の誰でもなくヘレナのことだ。己の手で復活させた彼女が、嬉しそうに──何ら変わらぬ狂気を湛えて──ころころ笑いながら、指を絡めて話しかけてきても、アーロンは頑として、完全に無視を決め込んでいた。己が唯一心を寄せる旧友と再会できたことで、精神的な呪縛から目が覚め、生来の冷徹さが急速に戻りつつあったのだ。一方的にしなだれかかってくる女をまるで相手にしないなんて、そう、かつても散々やっていたことだ。
ぱちん、と唐突に指を鳴らす。瞬間、ヘレナの細く青白い首に、黒い小花のあしらわれたチョーカーがぴったりと巻き付く。彼女が不思議そうにすれば、アーロンはもう一度指を鳴らし、そこから電流じみた魔素をびりびりと流し込むことだろう。──さっきと今とで、13年間続いた主従関係はまるきり逆転している。今はこちらが主人だ──躾のなっていない雌犬には、待てを覚えさせねばならない。何より今のは、ギデオンたちに懲りずに手を上げようとしたことへの罰だ。
そうして、ヘレナを一旦放置する形で、魔法陣の上にいるギデオンとヴィヴィアンのそばにやってきて屈みこむと。ギデオンの肩に手を置いて、その目を覗き込みながら、諭すように言い聞かせる。──僕はさっき、その子を診た。魔力弁を壊されて弱ってるだけだ、医者に診せれば絶対に間に合う。地上のどこかで、祓魔師の連中がこっちに近づいてる気配がするから、お前はそこで応援を待つべきだ。わかるよな? その子は今、おまえだけが頼りなんだ。おまえが自分に負けなければ、13年前の二の舞を防げる。その子を無事に、目覚めさせてやれる。
昏く淀んでいたギデオンの瞳に、澄んだ青さが戻り始めた。その目を伏せて、ギデオンがぽつりと。「俺の弁も、ひとつ壊してくれないか」と呟く。意味するところが分かったので、ギデオンの右手に左手を翳し、ぱちりと音を立てて目に見えぬそれを破った。途端に、ギデオンが娘を抱きかかえ、自分の右手でしっかりと、彼女の片手を握り込む。互いに開ききった魔力弁を、そこで重ね合わせているのだ。
最後に一度、ギデオンがこちらを見上げた。言葉にせずとも、親友の考えは手に取るように読み取れた。──あの時と同じだ。俺は重傷者を連れ出して、お前をあいつと置き去りにする。あの時を繰り返している……。その恐れと後悔を、しかしアーロンは、笑いながらかぶりを振って否定した。──大丈夫だ、あの時とは違う。お前がその子と来てくれたことで、状況が変わったんだ。本当に、近いうちにまた会えるさ。だから今は、僕を信じて、行ってくれ。嘘じゃない。……あの日おまえと一緒に飲んだ、ブレニヴィンに懸けて誓うよ。
ギデオンが最終的に頷いたのを見届けると、ヘレナが敷いた魔法陣に指を触れ、一時停止させていたそれを再発動させる。友は今一度、ヒーラー娘をしっかりと抱きかかえ──白い光に呑まれて、今度こそふわりと消えた。地上に感覚を向けてみれば、無事に外へ出た気配が確かに感じ取れる。今しばらくは、彼女に己の魔素を分け与えながら、そこで救援を待つことになるだろう。数十分後か、数時間後か……いずれにせよ、病院に駆け込むまでは間に合うはずだ。
はあ、とため息が零れ出た。らしくない──全くらしくない。ギデオンが絡むと、自分はどうも、気持ち悪いほど人間的になるようだ。それを心地よく感じてしまうのも、自分の唯一ままならないところだった。それでもそれを、13年ぶりに思い出せた──こんなに幸運なことはない。ギデオンはまだわかっていないが、自分は今夜確実に、あの男に救われたのだ。ならば、自分もやることをやらねば。黒髪を掻き上げ、ふうと息を吐いてから、元来た方へ踵を返す。そうしてそこにしゃがみ込み、軽く数分も放置していた、上体だけの女悪魔を見るそのまなざしは。──先ほどギデオンに向けたそれとは似ても似つかない、冷淡な……ある意味、何ら飾り立てやしない、アーロンの素の表情を宿していることだろう。)

……人前で照れてるだの、邪魔は今すぐ殺すだの。
僕がおまえを疎んでる理由くらい、いい加減わかるようになれよ。クソ女……





494: ヘレナ [×]
2023-07-13 09:06:37




──ギャッ!

 ( 淡い期待に白い頬を薔薇色に染めていた悪魔は、一見可愛らしいチョーカーから流れた電流に、短い悲鳴を漏らして固い床に倒れ込む。……どうして、アーロンさん。そう口にしたかった疑問は、唇が痺れて音にならず。もし仮に発音できたとして、それを聞くものなど誰もいなかっただろう。冷たい床の上、唯一動かせる金の瞳をギラギラと光らせ、アーロンを睨めつけ続けるのが精一杯。それからたっぷりヘレナを待たせてから、やっと億劫そうに帰ってきた男を睨みつけると、その瞳からはまるで被害者のように美しい真珠の涙がせり上がり、地面の茶色を色濃く染めて。 )

……ひどい、酷い!
折角助けてあげたのに! 痛かったのに! 熱かったのに!!
アーロンさんがアタシのこと好きって言ってくれたから、アタシお腹がすいても、辛くても我慢したのに!!

 ( わああ、と上がった泣き声はやはり何処までも自分勝手で救いようがない。自分の身を犠牲にして相手を守る、自分だってあの娘と同じことをしたのに、好きになってくれないのなら──やっぱり殺しておかなくちゃ。そう判断するが早いか、その瞳からピタリと涙が止まり。反対の腕で華奢な半身をはね上げると、その鋭い爪で、なんの躊躇いもなく相手の筋張った首筋を狙って。 )




495: アーロン・ガードナー [×]
2023-07-13 11:33:20




(およそ人間にはあり得ない速さで涙を引っ込めた女悪魔が、最早暗器じみた速さでその黒い爪を繰り出す。反射的に避けたものの躱しきれず、ブシャッと派手な血しぶきが迸り──しかしアーロンは平然と、冷ややかな目でヘレナを見下した。──ギデオンが来た、自分を忘れずにいてくれた。それだけで己には、据わる覚悟というのがあるのだ。
びゅっ、びゅっ、と血を噴く傷口に、怠そうに……しかし妙に画になる角度で片手を当てながら。もう片方の手で再びぱちん、と指を鳴らし、“躾”の魔素を流し込む。──傍目には、泣き濡れる愛らしい少女を眉一つ動かさず虐待する、残酷極まりない光景だろう。無論アーロン自身には、ヘレナをまたも裏切っている、などという感覚は微塵もない。故に、瓦礫のひとつに腰掛けて、うんざりしたように天井を仰ぎながら。赤く濡れた首元の傷を、みるみるブクブクと──人に非ざる肉の蠢きを見せながら癒していって。)

おまえが好きなのは、結局は自分自身だろ? ……僕自身もそうだけどさ。





496: ヘレナ [×]
2023-07-15 00:53:27




──ッ、違う! ……馬鹿にし、て馬鹿にして馬鹿にしてッ!!
アンタみたいな嘘つきと一緒にしないでよ!

 ( 愛しの男を掠った手から流れる温かい血潮が身体を濡らす。──ああ気分が良い、心地よい。その膨れ上がった生肉を穿って、痛みに震える"中身"を堪能したい。そう振り切った腕を素早く差し戻し、二撃目、三撃目を繰り出そうとする恍惚とした表情が、再び流された魔素によって再度苦痛に歪む。無様に目を剥き、生唾を垂らしてなんとかチョーカーを外そうと、己の首にガリガリと鋭い爪を滑らせのたうち回れば──思わず耳を疑った相手の一言に、首輪がもたらす痛みに顔を歪めたまま、詰め寄るように上半身を擡げる様は最早執念としか言いようがなく。──この人は、都合の良いことを言ってヒトの心を弄んだ挙句、その気持ちさえ都合よく否定しようと言うのか。この気持ちのせいでどれだけ苦しかったか、辛かったか、捨てられるものなら捨ててしまいたかった気持ちが、言うに事欠いてニセモノだと、欺いて良い物だと言って嗤うのか。そんなあまりの言い草に目を剥いたヘレナがヒステリックな金切り声をあげた途端、空間の魔素濃度が爆撃に上昇し、館の壁という壁、天井という天井が物凄い音をたて震えた思うと。実際、ヘレナ達から遠いエントランスの方から、主が弱って維持が難しくなった館が轟音をたて崩れ始める。空気中のあちこちで飽和した魔力が弾けて、カーテンや絨毯、壁紙に燃え移ってメラメラと燃え始める。次の振動で先程ギデオンが通ってきた出口も崩れ落ち、密室となった空間に煙が充満。その中でそれはそれは美しくにっこりと笑った女悪魔は、その力の大半を失ってもなお諦め悪く、その長い髪を愛しい男へ伸ばしたかと思うと、万力のような力で締め上げようとして。 )

──アーロンさん、好き、大好きよ
だから、一緒に死んでちょうだい




497: アーロン・ガードナー [×]
2023-07-15 16:50:44




(激変していく周囲の光景、びりびり高まる魔素の圧。それらに一瞬気を取られたアーロンが、はっと振り向いたときには遅く。火の粉と土煙をぎゅんと切って、一筋の黒髪がアーロンの喉元に迫る。咄嗟に仰け反るも──間に合わない。触手のようにびったり巻き付かれ、ぎりぎりと捩じ上げられれば、藻掻くアーロンの爪先は、宙に虚しく浮くばかり。ヘレナの首輪を発動させようにも、とっくに見越されていたようで、横から伸びた第二第三の髪束に、両手をがっちりと絡めとられた。──小指一本も動かせない。
雁字搦めにされてしまったアーロンは、ヘレナが陶然と愛を囁く目の前で、がっ、アッ……と、血泡を吹いて痙攣する。同じ悪魔同士だからこそ、物理干渉がまともに働くのだ。いっそ首を捩じ切ってくれれば、すぐに身動きが取れずとも、まだ勝機があろうものを。反撃の手を封じ、全身の魔素の流れを絶つ──最も効果的な追い込み方を、この女もわかっている。今ここで、威しではなく本気で、アーロンを殺すつもりだ。
……しかし、ここまで直接追い込まれて尚。意識が遠のくアーロンの、昏くなる目に浮かぶのは、目の前で妖艶に笑う、いかれた女悪魔ではなく。いつも気怠げにすかして、そのくせ自分といる時はくしゃくしゃに笑ってくれる、あの友人の横顔だった。13年ぶりに拝んだつらは、随分枯れて、草臥れてはいたけれど……あの目元の笑い方が、全く変わらないままで。それだけでアーロンは救われた──本当に救われていたのだ、けれど。締め上げられた首をだらりと垂れて、動かなくなったアーロンの脳裏に。ふと、ひとつの情景が浮かぶ。すべてが終わって、森の焼け跡に戻ってくるギデオン。周囲を探すその顔に、次第に不安、そして恐れが浮かんでは、やがてどんよりと暗い諦めに呑まれていく。──ところ変わって、病院で。肝心のあの娘、憎からず思い合っているのだろうあのヒーラーが、ようやく目を覚まし。見舞いに来たギデオンを、迎え入れてくれたというのに。……ギデオンの顔は、最初だけ喜んだかと思えば、あとはずっと暗いまま。ベッド横の椅子に力なく座り、うなだれた状態でぽつぽつと、あの娘に報告をしているようだ。目を瞠ったあの娘が、やがてギデオンの頭を抱き寄せて慰めるのに。奴の目はいつまでも、後悔と罪悪感に沈んだまま、そこから浮かび上がれない。再び場面が変わり、ギデオンとあの娘が、眠る子どもたちの病室を訪れる光景が見える。やがてそう時を経ずに、ギデオンがあの娘と話して……泣いて拒む彼女を、そこにひとりで置いていく。ひとりで……どこかへ消えていく。
それが再起の瞬間だった。ほとんど死んでいた筈のアーロンの身体が、突然ビクンと激しくのたうち。俯いていたその顔が、がっと奇怪に持ち上がって──先ほどまでとは違う、複眼や複口すら生じた異形のそれを、ヘレナの眼前に曝け出す。突然、左肩を突き破るようにして第三の腕を生えたかと思えば、その指がばちん、とトリガーを鳴らし、ヘレナの首輪の懲罰魔法を強く発動させるだろう。そうして、黒髪の拘束を緩めさせることに成功できたなら。激しく逆巻く炎を背に、ゆらりとヘレナに向き直り。拒絶の言葉を吐きながら、首を刈るべく一足で距離を詰め。)

安心しろよ。そこまでしなくたって、手の内で大事に飼い殺しにしてやる。
おまえはそこから、僕やギデオンやあの子の未来を──何もできずに見ていればいい!





498: ヘレナ [×]
2023-07-16 11:58:21




 ( アーロンの目から光が消え失せ、漲っていた魔力が徐々に抜けていく。ヘレナに愛を囁いた口から血を吐いて、優しく触れた手もがくりと落ちて動かない。もうこの人が軽薄に微笑む表情も、冷たくヘレナを追い払う表情でさえも、もう見られないと思うと強く胸が痛んで──これでもうアーロンさんは、あの男に笑いかけない。そうゾクゾクと湧き上がる歓喜にうっとりと表情を綻ばせる。そうして、伸ばしていた髪をしゅるしゅると縮ませながら、動かなくなった男に手を伸ばすと、ヘレナを拒絶しない、ヘレナ以外の誰にも微笑みかけない"理想の男"を抱き止めようとした瞬間。ぐったりと項垂れ、あとは消えゆくだけだと思っていたアーロンの生命力がぶわりと溢れて。そのおぞましく変貌した面を視界に捉えれば、さらに恍惚と目を見開いて。 )

アーロンさん……その、お顔も、とっても素敵……ぐうッ!!

 ( そうして愛しい男の新たな一面にうっとりと見蕩れていた隙をつかれて、拘束具に魔力を流されれば、首元を抑えてその場に崩れ落ちる。──嫌、嫌よ。何も出来ずに、一人ぽっちで見ているだけなんて。アタシの中で動けなくなるのは、アーロンさんじゃなきゃ……。そう首をはね飛ばされても、執念でその腕にかぶりつき、新たな身体を生やして切り裂きにかかったところで、チョーカーに魔力を流され思うように身動きが取れない。せめてもっと上を切ってくれれば、チョーカーごと切り離せたものを。ならばと再び髪を伸ばしても、相手もそれを警戒していて、自慢の髪が……アーロンが綺麗だと褒めてくれた髪が、そのアーロンの手に寄って切り刻まれて舞い散るだけ。──早く、早くしなくちゃ。そうヘレナが焦るのは、朝が近いからだ。夜が悪魔や魑魅魍魎の時間なら、昼間は人間の時間だ。往年の自分ならいざ知らず、今朝日に照らされればヘレナとて無事ではいられない。しかし、良くも悪くもお互いを知り尽くしている同士、お互い致命傷は避けられても、同様致命傷を与えられぬまま刻々と時間が過ぎる。そうして燃え尽き、ぽっかりと空いた天井の穴から、朝日が差し込む寸前、再度強く足場を蹴って、アーロンの首に強く爪を突き立てようとしたのは、一か八かの賭けだった。 )

──アーロンさんはアタシと此処で、ずっとずっと素敵な夢を見るのよ




499: アーロン・ガードナー/ギデオン・ノース [×]
2023-07-16 23:12:36




(アーロンの黒い爪が、一瞬の躊躇もなくヘレナの首を刎ね飛ばす。当然その後は、赤黒い弧を描きながら飛んでいく──と見せかけて。虎の眼をした女の生首は、物理法則を完全に無視した動きで、再びアーロンの下に舞い戻るのだ。もはやただの夢魔とは言えぬ、執念の怪物だった。だがそれは、ただの人間を逸脱したこちらも同じこと。ヘレナががぶりと食らいつけば、アーロンはその腕に力を込め。牙を動かせないように固めて、再び苦痛の魔法を繰りだす。女の苦悶の絶叫を聞いて、ざまあみろ、と冷酷にせせら笑う。だがその酷薄な表情も、死に物狂いのヘレナによって、虚を突かれることになる。
──そうして何度も、何度も何度も。愛憎に狂った女と、厭いあぐむ男の殺し合いが、いつまでも繰り広げられた。だがしかし、どれほど血みどろになろうとも、双方ともに決定打には至らない。──体力魔力ともに余力はあるが、所詮は眷属上がりの似非悪魔に過ぎないアーロン。生粋の悪魔として幾度もリミッターを解除するが、ギデオンとの戦いで一度完全に消耗しており、復活後も枷を嵌められてハンデを負った状態のヘレナ。そしてふたりは、ともに悪魔の身であるからこそ、相手を確実に死に至らしめる聖なる魔法が使えない。そんな戦いに終止符を打つのは、結局はどちらの味方でもない第三者。……つまり、過ぎ行く時間だけだ。
白み始めた空の下、いよいよ迫る朝日の気配に双方胃の腑をひりつかせながら。互いにグロテスクな異形を見せつけるアーロンとヘレナが、殺意の煮える眼を今一度交わした瞬間。──ヘレナが斬りかかったのと、アーロンがすかさず“それ”を取り出してヘレナの腹に突き刺したのは、ほとんど同時のことだった。)

……いいや。
もう目を覚ます時間だよ、ヘレナ。

(その頸椎に、愛憎の爪を深々と突き立てられながら。それでもアーロンは、血を零す口元に勝利の笑みを浮かべて、別れの言葉を穏やかに告げた。
ヘレナが自分の脇腹を見下せば、そこにはきっと、清く煌めくヴァヴェルの鱗が食い込んでいることだろう。──アーロンがずっと隠し持っていたこれは、他でもないあの親友が、別れ際にそっと託してくれたものだ。あのとき、“絶対にまた会いに行く”と約束したアーロンに、ギデオンはふと表情を変え、掌に乗るほどの小さな袋を渡してきた。あちこちがほつれ、煤や土で薄汚れている割に、可愛らしい小花なんぞがあしらわれてあるそれは……ギデオンの腕の中にいる娘がくれた、カイロというお守りだという。奴曰く、本来ならば、冬の寒さを和らげてくれるくらいの、優しい魔道具でしかないのだが。ギデオンが地下に潜り、何度も視線を潜り抜けてこちらを助けに来る間、聖なる光を幾度も発し、ヘレナの使いを焼き殺したそうだ。おそらく、娘本人も知らぬうちに、ギデオンへの加護の魔法を織り込んであったのだろう。あまりに強大な闇が迫れば、聖なる力が発動するようにと。そしてこの、今アーロンとヘレナがいる戦場は、作り手本人の聖魔法が激しく爆ぜた後だった。つまり、このお守りは。──純度の高い聖なる魔素を、再びたっぷりと吸っているのだ。
これを取り出したアーロンも、もちろん無事では済んでいない。聖なる鱗に直接触れた手は焼け爛れ、回復もままならずにぼたぼたと解け落ちている。──それでも、このくらいなら喜んでくれてやれる。似非悪魔の自分より……生粋の悪魔たるヘレナの方にこそ、“これ”がよっぽど効くはずだ。
ヘレナが最期、どんな表情を浮かべていたのか。アーロンは見ていなかったし、何を言ったかも聞こえちゃいない──否、聞こうともしなかった。とにかく、このときの彼はただ。突き刺さっているヘレナの手ごと、自分を守る魔素の障壁を展開し。彼女に刺さったヴァヴェルの鱗に……ありったけの悪魔の火を、渾身の勢いでぶちこんでやったのだ。
その途端起きた爆発の、凄まじいことといったら。この時遠くにいたカレトヴルッフの冒険者曰く、森じゅうの大地が激しく揺れて轟いたという。そして、その数時間後。戻ってきた小鳥たちの酷く呑気なさえずりが響く、魔狼の森のど真ん中……一体がまっさらに焼き払われた、やけに聖らかな爆心地にて。──頸に黒爪の刺さった悪魔が、妙に晴れ晴れとした面持ちで、横たわっていたそうだ。……)
















……ヴィヴィアン、頑張れ。
がんばれ、がんばれ……

(──その爆発の、少し前。昨日の土砂降りの名残であろう、ぬるく優しい霧雨が、まだしとしと降っていた頃。
ぼろぼろの風体で森の外れに出たギデオンは、その両腕に、ぐったりと動かないヴィヴィアンを抱きかかえていた。雨に濡れて冷えぬよう、己の上着をかけているが、それでも相棒の身体は、こちらの心の臓のほうが凍りそうなほど冷たくて。──いいや、まだ大丈夫だ、かすかだが息をしているはずだ。何度もそう言い聞かせながら、応援が来るであろう方角に歩いていくと、やがてその農道の脇の木の根元によろよろと身体を預け。ずるずるとしゃがみ込むと、もう一度ヴィヴィアンを抱きかかえ直して……力のないその掌を、己の大きな掌でしっかりと握り込み、彼女の頭に顔を擦り寄せる。そうして、愛しい栗色の頭に、時折たまりかねたように弱々しく口づけしながら。何度も何度も手を握り直し、壊れた魔力弁同士をしっかりとすり合わせ。魔素がみるみる抜け落ちていく彼女の身体に、己の魔素を懸命に吹き込んでは、何度も何度も……何度も、何度も。腕の中の娘に、優しい声で呼びかけるのだ。)

ヴィヴィアン、もうすぐだ。
もうすぐ助けが来る……俺たちは、絶対に助かる。
だから、頼む。頼む……頼む。あと少しだけ、頑張ってくれ。
一緒に……飯を食いに行くんだろ。
約束した我儘だって、まだ叶えてやれてないだろ……
だから、絶対……ふたりで一緒に、無事にギルドへ帰るんだ。
そうだろ、ヴィヴィアン。
……なあ、ヴィヴィアン。
ああ、頼む、お願いだ……

(夜明けの風がざわざわと起こり、大木の梢から大粒の露が滴る。そうして、すぐ下にいるギデオンの頬を、熱いものが伝い落ちていく。──視界がどんなにぼやけようと、重く沈みそうになる視線を、縋るような思いで上げ。薄ぼんやりと明るくなりはじめた空の下、道の向こうに未だ人影が見えないことを確かめれば、悲痛な表情を押し殺し、きつく目を閉じて再びヴィヴィアンに顔を寄せる。そうして、痛いほど詰まる喉で、掠れた声を震わせて……何度も何度も、呼びかける。
ギデオンは生まれてこのかた、神を信じたことがない。この世というのは、ただ淡々と事実が連続していくだけで。それを受け入れ、適応していってこそ人生なのだと、齢七つの幼い頃からそう信じて生きてきた。だが、ああ、どうか今だけは。神がいるなら祈らせてほしい、この願いを聞き届けてほしい。──彼女を助けてくれ。ヴィヴィアンの目を覚まさせてくれ。彼女の笑顔を、無事に健やかに過ごす姿を、もう一度見せてくれ。それが叶うならなんだっていい、死ぬまで鞭打たれようが、生きたまま焼かれようがいい。だからどうか、俺たちを見つけてくれ。ヴィヴィアンを助けてくれ。──ヴィヴィアンを失う道など、絶対に受け入れられない……他の何より、耐えられない。
その心からの祈りも、心の底からの恐怖も。やがてほとんど、朦朧とする泥濘のような意識の中に呑み込まれていってしまった。魔力が尽きていくヴィヴィアンの身体が、ギデオンからの供給を弱々しくも貪ったからだ。“己のありったけの魔力を他人に分け与える”……ヒーラーであるヴィヴィアンが当たり前のようにしてきた行為が、こんなにも激しい自己犠牲であったなどと、戦士のギデオンは知らなかった。頭ではわかっていても、自分が経験してみれば、それが如何ほど無償の愛かを思い知る。何かがどろりと垂れたと思えば、それは自然と流れた鼻血で。ヴィヴィアンを汚さぬよう顔の向きを変えただけで、視界が激しく明滅し、頭の奥が割れそうに痛み、吐き気や嘔吐きが込み上げる。それを必死に飲み下せば、今度は身体の芯から起こる、霧雨のせいだけではなかろう凄まじい悪寒。二度ほど目の当たりにしたことがあるこの症状、間違いない──魔力切れだ。ちくしょう、と心の中で悪態づく。沸き起こる無力感に、ヴィヴィアンの身体をますます強くかき抱く。……己の魔力の乏しさのせいで、弱り切っているヴィヴィアンへの輸素さえままならないというのか。本当に、俺はどこまで。13年も経った今すら、何ひとつ──いいや、いいや! 汗と雨滴の流れ落ちる横顔を持ち上げ、その目をかっと見開いて。折れそうになる心を必死に掻き集めると、ヴィヴィアンの額にもう一度キスを落とし、もはや己のそれすら冷たくなった指先を、今一度絡め直す。魔力切れが近いなら、もはや空になればいい。数秒の時間稼ぎでもいい、自分の全てをヴィヴィアンに捧げるのだ。そうして意識を必死に保ち、力なくずれる魔力弁を何回も探し直しては、反応してくれと願いながら押し当てて。ヴィヴィアンのそれが微かに、無意識に応えてくれることだけを頼りに、決死の想いで魔素を送り込みながら。胸の内で、また何度も何度も、誓いのように繰り返す。──助かる。俺たちは助かる。おまえは、絶対に助けてみせる。

その悲願を、天はようやく聞き届けてくれたのかもしれない。ギデオンがふと、疲弊しきった顔を上げたときには。いつの間にか来ていた二台の馬車から飛び降りた男たちが、一目散にこちらに駆け寄り、「大丈夫か!」「しっかりしろ!」と、聞き覚えのある声を投げかけてくるところだった。ギデオンの目はほとんど見えず、近くに来たはずの男たちの顔の判別さえ、ろくにつかない有り様だったが。「……ヴィヴィアンを、」「……魔力、弁が、」と、呂律の回らない舌でどうにか伝えようとすれば、男たちに交じっていた熟練のヒーラーが、全てを汲み取ってくれたらしい。「任せな!」という声が聞こえるほうへ立ち上がり、よろめきながらヴィヴィアンを託すと。すぐさま彼女が運び込まれた馬車に、自分も乗り込もうとして──そこで、ぶつんと意識が途絶えた。)








500: ヘレナ / ヴィヴィアン・パチオ [×]
2023-07-19 00:43:17




────ッ!!!!

 ( 夜明けの森にまるで女のものとは思えない、悍ましい断末魔が響き渡る。鱗の刺さった脇腹が燃えるように熱く痛んで、およそ人らしい言葉をあげることが叶わない。──これは、あの娘の……!! 脇腹に刺さったそれを、アーロンに突き刺した爪とは反対の手で取ろうとして、その突如ヘレナの腕が消し飛んだ。否、厳密には聖なる魔素の、邪悪な物を焼き払う性質が発動しただけなのだが、あまりに濃度の高いそれが、ヘレナの腕を焼くより早く、一気に溶かし昇華させたのだ。……痛い、熱い、苦しい、一刻も早くこの鱗を取り除かなければ。そうどこか冷静な理性はガンガンと警鐘を鳴らして来ると言うのに、何故かアーロンに突き立てた……再び触れることの叶った、その手を離す気になれずに。とうとう腰が溶け落ち、立っていることもままならなくなったのを良いことに、爪に力を込めてアーロンに撓垂れ掛かる。そうしてアーロンの体内で火の魔素が高鳴るのを感じとり、腕の力だけで這い上がって迎えた最後の瞬間。じっとりと赤い唇が、アーロンのそれに届いたかどうかは、最早二人だけしか知りえない。  )

──それでも、また夜は来るもの、







 ( ビビが目を覚ましたのは、よく見知ったギルドの医務室だった。どれくらい寝ていたのだろう。窓の外を見る限り、まだ時間は夜らしいが、起こした身体が少しだるくて──そっか、私、また魔力切れを起こして……。軽く痛むこめかみを抑え、気絶する前のことを思い出した瞬間。いてもたっても居られずに、勢いよくベッドから飛び降りる。──ギデオンさんは……!? そう大怪我をしていたはずの相棒を探して、脇にかかったカーテンを引き開けるも、隣のベッドは空っぽで、そこに使われた形跡は見受けられない。その隣も、それまた隣も同様に確認するが、相棒どころか──ギルドから貰える予算より多く、無愛想な魔法医が、こっそり自腹を切って設備を増やしていることを知っているこの医務室には、どうやら今その魔法医も含め、ビビ以外の誰もいないようだ。とはいえ、幾らビビが治療したとはいえあの怪我だ、ギデオンも何かしらの手当を受けないわけにはいかないだろう。なのに姿が見当たらないということは、病院でないと対応出来ないほど、状態が良くなかったのではなかろうか。そう思い当たった不安に、ざっと顔色を変えると、「ギデオンさん!」と、裸足のまま廊下に飛び出して。  )

……はっ、……はぁ、

 ( ドクドクと心臓を掻き鳴らす嫌な予感に、息が上がる。静かな廊下にペタペタと、自分の足音だけがやけに耳について煩わしい。──おかしい。普段、夜中でもギルドの廊下は冒険者たちで賑わっているにも関わらず、誰の姿も見つけられない。──こんなに誰もいないのは、誰かのお葬式の時とかしか……。ふいに顎につたって滴る汗を拭おうと、顔を上げた瞬間。物凄い轟音をたて、近くに落ちたらしい雷の光に見知った影を見つけ、そのギルドの魔法医である男に駆け寄ると。──おじさま! ねえ、どうして誰もいないの……ううん。それより、ギデオンさんは……? そういつも綺麗な白衣に縋りつき、不安そうな表情で見上げてくる娘に、魔法医は気の毒そうに顔を歪める。そうして、幼い頃からよく知る娘を支えるように、その手を娘の肩に回したかと思うと「……ビビ。いいか、自棄になるなよ」と、前置きしてから、「ギデオンは……間に合わなかったんだ。ありったけの、魔力をお前に残して……」と、苦しそうに項垂れてしまった。
──……嘘、嘘よ。そうビビが訴えても、魔法医は無言で首を振るだけで顔を上げてはくれない。深い絶望に力が抜けてへたりこんだ絨毯は、懐かしい実家のものだ。小さなビビの目の前で、魔法医同様項垂れた父が「シェリー……」と、苦しそうに酒を煽る。その光景を見た途端、とうとうビビの中で何かが壊れて、その目から涙がこぼれ落ちる。──ああ、嫌、イヤ、人殺し……自分が生き伸びるためだけに、浅ましく人の命を吸い取って。汚らしい、穢らわしい……こんな私は、生きていちゃ……駄目だ。そう悟った手の中には、手頃なナイフが握られている──そっか、最初から、こうすれば良かったんだ。その確信に幸せそうに微笑むと、天を仰ぎ己の首筋にナイフを突き立てようとした寸前──ピシャァン!! と、今度こそ己の上に直撃した雷に目を見張る。間違いなく雷がこの身を貫いた筈だと云うのに、怪我どころか甘く痺れる魔素が心地良くて、胸の中を取り巻いていたどす黒い靄が晴れていく。その瞬間、ビビの中に思い浮かんだのは、眩しいほど煌めいて、誰より真っ直ぐな雷そのもののようなその人。──行かなくちゃ、ギデオンさんが、待ってる。眩しい光の中で、そっと両方の瞼を伏せる。今度その閉じられた目の縁から零れたのは、温かい安堵の雫だった。
そうして、次に開いたビビの瞳に写ったのは、ギルドの医務室ではなく、見知らぬ白い天井。勿論、起きてすぐ走り回るなんてことは出来るはずもなく、酷く重い身体にはあちこち魔素を運ぶ管に繋がれていて、自ら上半身を起こすことすらままならない。それでも、確かに生存し、はっきりと目を覚ましたビビが、掠れた声で、まず真っ先に探し出すものは、何一つ変わることはなく、  )

──……ギデ、オン、さ……




501: ギデオン・ノース [×]
2023-07-19 14:33:32




(※今回の大部分を占める、「目覚めた後のギデオンの状況把握」の部分について。あまりにも長いため別途補足のSSに仕立て上げようかと思ったのですが、時間の都合上それが厳しく……読みづらくて申し訳ありませんが、当初書きだしたそのままでお送りさせていただきます。実質的なロル部分は「*」以降です。/蹴り可)



(ふと目覚めたギデオンが、病院の白い天井にぼんやりと視線を投げてから、僅かに頭を傾けて横を向いたとき。そこで付き添ってくれていたのは、見慣れた栗毛の可憐な娘……ではなく。見慣れた禿げ頭の、書類を睨んで気難しい顔をしている、中年の小男だった。
まだ意識が混濁しているギデオンが、何とも言えずに見ているうちに。ドニーの方も、その気配でようやくこちらに気がついたらしい。書類を仕舞いながら、おどけたようなしかめっ面を寄越して。「悪いな、嬢ちゃんじゃなくってよぉ」──それを聞いた途端、ギデオンの顔色がおもむろに変わった。
「……ヴィヴィアン、は?」「心配すんな、別の病室で眠ってるよ。おまえだって何回も見に行こうとしてだろうが。……はあ? 覚えちゃいないって?」
どうやら、ドニー曰く。ギデオンはこれまでに何度か目を覚まし、そのたびに体じゅうの管を乱暴に引きちぎりながら、ヴィヴィアンの元へ向かおうとしていたらしい。意識がはっきりしているのかいないのか、制止する看護師たちの言うことをあまりに頑として聞かないので、最後は業を煮やした看護婦長に眠りの魔法をぶっ放され、今の今まで無理やり寝かされていたそうだ。「……覚えて、ない」と掠れ声で言い訳するギデオンに、ドニーもやれやれとかぶりを振る。「ほんと、おまえらお似合いだよな。看護婦さんの話じゃ、嬢ちゃんのほうも、うわごとでお前の名前を呼んでるって話だぜ」
……ドニーのこの様子からして、おそらくはヴィヴィアンも無事に助かり、容態が安定しているのだろう。思わずほっと溜息をつくと、一気に体が重くなり、再び微睡みかけたのだが。それを待たずに、ドニーの呼んだ魔法医たちがぞろぞろやってきて、やれ具合はどうだだの、どんな攻撃を受けたのかだの、あれこれ質問を押し寄せ始めた。しかし検診がひととおり終われば、今度はしっかり目を覚ましたギデオンの方が、ドニーに説明を求める番で。
──あの後、自分たちはどうなったのか。
──森を出てから、何が起きたのか。
あの時駆けつけてくれた救助隊は、ギデオンとヴィヴィアンを保護してすぐ、馬車の上で手当てをしながら、できる限り最寄りにある病院へと爆走してくれたらしい。ただし行き先はキングストンではなく、街道をまっすぐ東に突っ切った先の……聖バジリオ記念病院。なんでも昨夕、王都のほうの中央病院は、ヴァナルガンド教の連中によって病院ジャックされるという大事件が起きたそうだ。とてもじゃないが担ぎ込むわけにいかなかったため、移動時間ではさほど差のない聖バジリオに向かった、という経緯らしい。確かにギデオンが今いるここは、魔法障害の治療を専門とする療養院だ──何せこの13年、“黒い館”でヘレナに呪われた子どもたちが、長期入院しているのもここ、聖バジリオである。「……因果だな」とギデオンが呟くと、ドニーは肩をすくめた。「どうせ来る予定だったんだろ。手間が省けて良かったじゃねぇか?」
あの森から聖バジリオまでは、普通の馬車なら3時間はかかる道のりだ。救助隊はそれを1時間半にまで縮め、ギデオンとヴィヴィアンを担ぎこんでくれたらしい。ヴィヴィアンは重篤な魔力切れと深刻な魔法弁損傷。ギデオンもやはり、魔力切れに負傷多数。そんな状態のふたりを、聖バジリオの医師たちは迅速に手当てしてくれた。だが体力の消耗が激しく、ギデオンはあれから丸一日以上眠り続けていたという。「じゃあ、今日は……27日か」と、少しの罪悪感を含めて呟くギデオンに。それがな、とドニーは声色を変えた。「おまえが見舞いそびれたと思ってる子どもたちのことで、ちょっとしたニュースがあるんだ。──まず、あの森で……あいつを。おまえの相棒を見つけてな?」
思わず身を起こしたギデオンが、詳しく尋ねてみるに。カレトヴルッフから事後確認のため派遣された後続部隊が、森でアーロンと合流したらしい。ドニーが状況を知ったのもこの時で、死んだと思っていたアーロンが悪魔の姿で出てきたのだから、腰が抜けるほど驚いたそうだ。だが当のアーロンはといえば、祓魔師に取り囲まれながらも飄々と、「久しぶりだなドニー! ……少し禿げたか?」なんて抜かす始末。奴は一切抵抗せずに拘束を受け入れたものの、妙なことを口走ったという。──なあドニー、僕を協会に引っ立てる前に、大事な頼みがあるんだ。聖バジリオに連れて行ってくれないか? あそこで眠ってる子どもたちを、今の僕なら目覚めさせられるんだ。あんたは知ってるだろ。僕とギデオンが捜しに行って女悪魔に呪われた、あの子たちのことだよ。
祓魔師たちは揉めに揉めたそうだ。何せキングストンの方で、カルト集団による病院ジャック、なんて物騒な事件が起きたばかりなのである。病人や怪我人のいる神聖な病院に、悪魔を連れ込んで良いわけがない。聖バジリオだってみすみす受け入れたくはないだろう。──それでも最終的には、ドニーが強引に押し通した。もしアーロンが約束をたがえれば、自分とギデオンが責任をもって絞首台にのぼる、と言って。
「巻き込んで悪かったな。でもま、それで説得できて、結果的には大正解だったみたいだ」と。ドニーは穏やかな顔で微笑んだ。聖バジリオの医師たち、祓魔師たち、近隣の教会から駆り出した聖職者たち。その三者が厳重に監視し、いつでも処刑できるという状況下で、アーロンは。五つの黒い爪のような、禍々しい触媒を用いて、子どもたちに焼き付いている複雑怪奇な魔法陣を、ほんの数時間かけただけで完全に解き明かしたらしい。子どもたちはまだ眠ってはいるが、それは呪いが残っているからではなく、13年ぶりの起床に備えて身体が準備してのことだそうだ。
──あの子たちは、目覚めるんだよ、ギデオン。
──おまえのしてきたことは、今日に繋がってたんだ。
その言葉を聞いたときの情動は、とでもじゃないが声にならなかった。顔を背けて激しく肩を震わせるギデオンに、ドニーも窓の外を眺めながら、「良い日だよな」なんてほざいて、放っておいてくれる有り様で。暫くして落ち着き、顔を拭ったギデオンが、「……ヴィヴィアンは?」ともう一度尋ねれば。ドニーは顔をこちらに戻し、少し気づかわしげに告げてきた。「一応、ほんとに、ちゃんと安定してるそうだ。呪いが残ってるなんてこともないそらしい。ただ──ずっと、目覚めなくてなあ……」

──数時間後。医師の許可を得て病床を降りたギデオンは、廊下の手すりに凭れながら、ヴィヴィアンのいる高度治療室へ向かった。辺りを忙しなく行き交っていた看護婦からは、「ご親族の方ですか」と問われ、違うと答えれば立ち入りを拒まれてしまったが。遠目からなら、と中に入っていった彼女が、病床のぐるりを覆っていたカーテンをそっと開ければ。そこには、無数の管に繋がれ、酸素マスクを宛がわれた、痛々しい姿のヴィヴィアンが、ぐったりと横たわっていて。──ふらり、とよろめいたギデオンは、そこで再び、心の底から沸き起こる恐ろしさを思い出したのだ。
それからというものの。医師に見咎められて連れ戻される以外の時間、ギデオンはずっと、ヴィヴィアンの病室の外の椅子に座り通して過ごした。別に何をできるわけでないし、親族でもない自分では、面会謝絶の彼女のそばに近寄っていい許可も出ない。それでも、何だっていいから、ヴィヴィアンのそばに……何かあれば駆けつけられる距離にいたかったのだ。
一度、冒険者特有のシステムである保証人契約書……通称“相棒届”の契約内容について、医師に尋ねられたことがあった。ギデオンが彼女と相棒関係にある年って、本人の代理で特定の手術に同意する権限があるか、確かめたかったのだろう。が、去年契約したばかりで、代理の許可を出す条件はまだ満たせていない立場だというと、それ以上構われることはなかった。──医師は単純に、そこからまた別の手立てを考え始めるだけだったが。ギデオンにとっては、ますます歯痒く、気分が落ち込む出来事だった。自分にその権限があれば、ヴィヴィアンのためになることは、何だってしてやりたいのに。事実上の関係はともかくとして、今の自分は──仕事上の相棒でしかないのだ。
あれ以来、アーロンの拘束のため近所の教会に詰めているドニー曰く。ヴィヴィアンが運び込まれてすぐ、カレトヴルッフもそれを把握し、彼女の唯一の肉親であるギルバートに伝書鳩を飛ばしたらしい。だが、フィールドワークに勤しむ魔法学者の彼は、今は海外に滞在中で、すぐには連絡が取れそうにないという。第二の緊急連絡先であるヴィヴィアンの乳母アルヤも、ちょうど国内旅行をしていたところで、手紙のやりとりは問題ないが、やはり今すぐには駆けつけられない状況らしい。先日の病院ジャックの事件で、国内のあちこちの主要街道が封鎖されているせいだ。
──ヴィヴィアンのために、何かしらの重要な決断を下せる立場にある人が、すぐにはここに来られない。そして自分は、今ここに、ヴィヴィアンのすぐそばにいるのに、何ひとつできる立場にない。これほど苦しいことも、これほど無力感に苛まれることもなかった。椅子の上で項垂れるギデオンを見かねたドニーが、言葉もなく肩に手を置いてきたが、何の反応も返せないままだ。
やがてとうとう、ヴィヴィアンの主治医が、諦めたような顔でギデオンの前にやって来た。「お尋ねします。患者様とのご関係は?」……おそらく、医者としての体面上、尋ねねばならないのだろう。ギデオンは隈のついた顔を上げ、静かな掠れ声で答えた。──自分は、彼女の恋人だと。
それでようやく、面会の許可が出た。ギデオンがヴィヴィアンのそばに留まり続けて、三日目のことだった。)







(病室の窓の外が暗い。いつの間にか、夜もとうに更けていたようだ。
ギデオンが顔を上げると、ヴィヴィアンと管で繋がれた水晶が、一定の間隔で淡い光を明滅させていた。これはどうやら、患者の脈拍の状況を映し出す魔導具らしい。素人のギデオンが見る限り……未だに、ゆっくりと弱々しいままのように見えている。医師たちやドニーの様子からして、これでも危篤は免れているようなのだが──いったい全体、どうして安心できるだろうかz。
あちこちから魔素を流し込まれているヴィヴィアンを見ていられず、管を動かさないように気を付けながらそっと握った手のそばに、再び項垂れた頭を寄せる。もうずっと、こうして祈り続けていた。今までろくに唱えたこともない加護の願いの祈りを、今更聖ロウェバが聞き入れてくれるはずもないが……それでも、何かはしたかったのだ。数時間ほど前、入院以来初めてヴィヴィアンの手を取った時。ヴィヴィアンの目元から涙が一筋流れたのを、ギデオンはたしかに見た。こうして手を重ねていれば、自分が傍にいるのだと、彼女も感じられるのではないか。そう祈るような気持ちで、もうずっとこうしている。
そこからさらに、二、三時間か……四時間ほど、過ぎただろうか。窓際のカーテンが微かな夜明けの風に揺れ、ごく仄かな光が病室を浸し始めた頃。二十分ほど椅子の上で眠っていたギデオンは、微かな呼び声に目を開けて、顔をゆらりとそちらに向けた。そして、そこにいるヴィヴィアンが、目を開けているのを見た瞬間──それまでの疲れなど一気に吹き飛んで。ヴィヴィアンの顔のそばに身を屈め、自分はここにいると伝えながら、こちらも彼女の名を呼んで。)

──! ヴィヴィ、アン……ヴィヴィアン、ヴィヴィアン!






502: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2023-07-20 14:59:55




………はい、ギデオンさん、

 ( 愛しい声が己の名を呼ぶ。そのあまりに真剣な声に、自分から呼びかけたことも忘れて、小さく掠れた声で返事をすれば、手に感じる優しい温もりを柔らかく握り返して。透き通った青い瞳、微かに皺の寄る優しい目元、此方の名前を呼んでくれる薄い唇──……少し疲れて見えるが、見間違う筈もない。今目の前で、大好きな相棒が生きている。その紛れもない事実に鼻の奥がツンと痛んで、ギデオンが握っていない方の手で目元を拭おうとするも、その腕にさえ太い管が繋がって動かせず。血の気の感じられない顔を心底嬉しそうに歪め、安堵の雫が溢れるままに頬とシーツを濡らしていく。──この不器用な相棒が一人、悪魔の館に立ち向かった時、どれだけ肝が冷えたか。血塗れた胸を見て、どれだけの衝撃が襲ったか。再びその時の恐怖を思い出し、小さく震え、その手を握ったまま、相手の頬に伸ばそうとして。やはり上がらなかった腕に力なく微笑む。そうして、「ギデオンさん、お怪我は……?」と、普段元気よく揺れる頭を重そうにずらして、もう一度その優しい青と目を合わせた瞬間。やはり変わらずそこにいる相手に、とうとう耐えきれなくなって、気丈に浮かべていた笑みをクシャクシャに歪めると、おそらく病院であろう空間に気を使い、押し殺した嗚咽に肩を震わせて )

良かった……、本当に、ギデオンさんが死んじゃわなくて……本当に……




503: ギデオン・ノース [×]
2023-07-20 16:53:20




…………っ、

(目覚めたヴィヴィアンが、ぐったりとしてはいながらも変わりない様子であるのを目の当たりにして。ギデオンはその表情を安堵に歪め、息を激しく震わせながら、“こちらは大丈夫だ”と、ようやくの思いで首を振った。医者を呼ばなければ……理性ではそうわかっていても、今はまだ、無事に目覚めたままヴィヴィアンを前に、自分を無理やり落ち着かせるのが精いっぱいという有り様で。しかし、感情を堪えきれなかったのは彼女も同じらしく、懸命に声を抑えながらしゃくりあげる要素を見れば、困ったような笑みを浮かべ。)

こっちの台詞だ……無事に目が覚めて、本当に……本当に、良かった……

(そうして、視線を落としながらふと片手を伸ばせば。少しかさついた指先で、涙にぬれた相手の目元をそっと、労わるように拭う。その手を引っ込める際、裏返した甲の辺りで相手の頬を優しく撫でたのは、起きたばかりなのに呼吸の落ちつかない彼女に、自分が先に取り戻した落ち着きを、少しでも分け与えたかったからだろう。しかし、相手の息が和らぐと、今度は表情を曇らせて。目にかかった前髪を優しく避けながら、低い掠れ声で尋ね。)

……どうしてあの時、戻ってきた……ヘレナと、何があった?





504: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2023-07-21 00:48:55





 ( 優しい手に触れられると、余計気持ちが高ぶるようで。うぅー、と子供のような泣き声を漏らせば、ポロポロと温かな雫で相手を指を濡らして。離れていこうとする手にイヤイヤと首を振り、やっと触れられた大好きな手に、色の無い唇をそっと寄せる。そうして、その端正な顔立ちにべったりと疲れの色を張り付けた相棒に、それだけ心配をかけたことを──ごめんなさい、と。小さく唇の形だけで謝罪すれば、満足したように大きな手を離し、ゆっくりと首の角度を元に戻して。 )

……どうして、って。
そうだ……私 怒ってたんですよ──

 ( ──また一人で無茶をして、あんなところで一人逃がされたって嬉しくなんかない。そんなに自分は頼りにならないのか。ギデオンの質問に大きく目を見開いて、あの時、再開したら言ってやらねばと心に決めていた言葉達は、しかし、相手の辛そうな表情を見れば言葉にならなかった。相手がどれだけ頼りになって、心から信頼していたとしても、相手が喜ばないと分かっていて、その身を投げ打ってでも助けたいと願う心は、ビビもまた痛いほど良く分かっている。それ故、無機質な天井にぼんやりと視線を投げかけて、観念したように瞼を閉じれば。あの晩ヘレナと自ら対峙し、何を契約したのか──その全容を、何一つ包み隠さず語り切る。そうして、数日ぶりの覚醒に疲れきり、再び深い昏睡に引き戻されそうな顔を、もう一度愛しい相棒の方へさし向けて、その眠そうな表情の割にはっきりと漏らした一言は──次またギデオンが同じことをすれば、自分もまた同じことをする──という、自分を大切に思ってくれる相手への脅しに相違ないもので。 )

ねえ、ギデオンさん……私、反省も後悔もしないですよ




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