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Petunia 〆/953


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934: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2025-09-10 11:57:25




いえそんな……恐れ入ります。
先程は急にお願いしてしまって……あの、お孫さんにお名前を伺っても良いでしょうか?

 ( 穏やかそうな御祖父様と優しく可愛らしいお孫さん。そんな二人に対しせめてもの感謝の気持ちに、楽しい観光の思い出をより華やかなものに出来ればと、束の間の交流を楽しめば。それ自体にはなんの下心など微塵もあらねど、寛いだ様子の恋人へ──ギデオンさんも、私と同じ気持ちだったら良いな……なんて。最愛の恋人と夫婦に間違えられては満更でも無い胸のときめきを、密かに楽しんでいたものだから。その後の相手の言いぐさに、少しがっかりしたのもまた事実で。 )

でも、市長さんとってもお元気そうで良かったですね。
きっととてもお忙しいんでしょう?

 ( そもそもの話。こうして隣にいることを許され、付き合ってもらえているだけでも、これ以上なく幸せなのだ。ギデオンと二人、温かい紙袋を抱えて、イートインスペースに腰を下ろせば。ちょっと期待しすぎちゃったなと、案外深刻になりすぎることもなく、最近の浮かれようを反省しながら、辛いソースで口を汚して。──でも。同じ一つの屋根の下、結婚もしていない異性と生活を共にする決断だけでも、自分にとっては相当の覚悟が必要なものだったのだ。それが相手にとっては大したことでは無かったとしても、少しくらい、その気持ちを思い知らせてやりたいと思ったことは、そんなに悪いことだっただろうか。)

──……責任なんて、感じちゃダメですよ……、

 ( それは、一回目はワーウルフに悩まされた郊外の農村、二回目は明るく清潔な病室で、繰り返し確認した愛の言葉。ギデオンさんにとっては、しつこく言い寄られて少し情が移っただけの寄り道のつもりだったとしても、私はそうでは無いのだと。責任なんかとってもらう必要も無い、自分の意思でこれからも貴方の隣に居続けて、絶対に逃がしてあげないという強い意志。しかし、ビビもまたこのやり取りを、大きな誤解を産みかねないタイミングで切り上げざるを得なかったのは、座っているベンチのその背後、他の客がタイミング悪く飲み物をひっくり返してくれたせいで。 )




935: ギデオン・ノース [×]
2025-09-13 12:48:28




──…………、

(「あら、大変!」「いンやいやいやいやもぉーしわげね゙……!」と。どうやら北方から王都観光に来たらしい純朴そうな若者を、相手が助けに行く間。一方のこちらはと言えば、虚空に視線を投げかけたまま、瞬きすらしていなかった。“責任なんて、感じちゃダメよ”──その柔らかな一言に、凍りついていたせいだ。
それでもほとんど自動的に己の躰が動きだす。ヴィヴィアンの杖の魔法が、観光客の衣服の汚れを綺麗さっぱり拭う間に、彼の落とした荷物を集め、取り纏めて手渡してやり。ぺこぺこしながら去りゆく彼を、残りの祭りも楽しむように背中を押して見送れば、ようやく元のベンチへ戻って昼飯の続きといこう。最中からそこに至るまで、己の自覚する限りでは、いつも通りのギデオン・ノースを振る舞えていたはずだ──「ギデオンさん、大丈夫ですか?」と。怪訝そうな顔の相手に、すぐさま覗き込まれるまでは。
まっすぐな翡翠の瞳に、どこまでも純粋にこちらを案じるような表情。愛しい娘ヴィヴィアンのそれらをまじまじ見つめ返してから、「大丈夫だ」とかぶりを振る。──いや、本当だ、今日のシフトの調整についてちょっと考えていただけさ。暑気あたりなんかしちゃない……お前の持たせてくれた塩飴だって、ところどころで食べてるよ。ああそういや、ギルドロビーにも置いてたろう? ドニーたちが、「こいつは世紀の発明だ!」なんて大喜びしていたぞ。
無難にこなしていたはずだ。ぼそぼそしたピタパンや水っぽい細切れ肉を作業的に頬張りながら、相手を何やら揶揄って可愛らしい文句を誘い、衆目の許す範囲でじゃれあうふりに興じてみせて。そうして休憩テントに戻り、「また後で」と明るい声で言い交わしてそれぞれの持ち場に戻れば、あとは仕事に打ち込むことで何かを忘れようとした。……それがいったい何なのか、ギデオン自身もよくわからない。とはいえ結局その程度、おそらく大した問題ではないし、気に留める必要もない。そのはずだ。
──だがしかし、大抵の場合。よりによってこういう時に、間の悪いトラブルが降りかかるというもので。)

くそっ、アリス!
現場は今どうなってる!?

(平和だった建国祭に早くもトラブルが生じたのは、憲兵団陸軍によるマラクドラゴンのパレードが始まった時だった。並みいるドラゴン目の中でも、スコス属──翼のない四脚竜として地上を練り歩くこの生きものは、人類が完全なる家畜化に成功した数少ない魔獣であり、戦場に出る時以外は非常に温厚な性格をしている。王都育ちの人間ならば、赤子連れの母親ですらその鼻面に触れると言えば、市民の彼らへの信頼がどれほど厚いかわかるだろう。──しかしそのマラク竜が、王都の北通りの広場で暴れ出したとの急報だ。今年の建国際は警備が大幅増員とはいえ、それはあくまで、人間を取り締まる王都警察の人員であり、暴れ狂うドラゴンには対処が及ぶべくもない。故に、現場の魔法使いから魔法伝達を得た今年のコンビのアリスと共に、冒険者であるギデオンもまた、現場へ急行していたところで。
──しかし、その道中を阻むのが、そちらからどっと逃げてきた市民や観光客だった。恐慌するかれらは前後が見えていないようで、転ぶ子どもや老人が踏み潰されてしまわぬよう警察が声を張っているが、それでも統制が効いていない。王都暮らしの長い己は、この大群を避けられる抜け道を知っているし、アリスも自身の浮遊魔法で簡単に飛び越せよう。しかしどちらも、それを選ぶ考えはなかった。アリスの答えで、他の冒険者も次々に現場に来ていると知った今、混乱の酷いここを見捨てていくことはできない。故にそれぞれ最善を尽くし、ようやく警察に後を任せられる段階まで整えれば、今度こそ一目散に北通りへと駆け抜けて。──換装したさすまたに雷魔法を溜め込みながら、視界に見えた白いローブに思わずその名を大きく呼んで。)

──ヴィヴィアン!





936: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2025-09-17 01:54:25




 ( 終戦六十周年の節目の年を祝う特別な建国祭。恒例の警察や冒険者に次ぎ、今年は国軍の兵士たちまで。キングストン、及びトランフォードの名だたる治安維持組織が総力をあげた警備体制下。それでも起こってしまった騒動の瞬間、ヴィヴィアンとカーティスの二人組は、北通りから一本曲がった通りでパレードの進行ルート封鎖に当たっていた。最初は何か巨大なものが倒れる衝撃音、次いで上がった群衆の悲鳴に騒動の現場へと駆けつければ。もくもくと上がる土煙の奥に、寸前まで屋台だった残骸の上に立つ一体のマラクドラゴンを見咎めて。
 「ッ、カーティス!!」「わぁってる!! 仕方ねぇだろ!!」と、この時。珍しく口調を荒らげたのは、単体でマラクドラゴンへ斬りかかった美貌の剣士。ビビの援護すら待たずに広場に入るなり、その巨体へと踊りかかったその無謀はしかし、逃げ遅れた市民を守る為のものだったことに気づかなかった訳では無いが。見渡す限り、戦力になりそうな味方がカーティスとビビしかいない状態で、前線での殺戮に特化したドラゴンの逆鱗に触れることが如何に危険なことか。不幸中の幸いは、カーティスが守った一人を最後にして、守るべき市民達の避難は完了していること。いち早く到着した対魔獣の専門家である冒険者達の存在に、市民の避難と広場の封鎖に専念した警察達の動きは、表彰されこそすれ、決して責められるべきことでは無い。とはいえ、フッフッと荒い息を吐くドラゴン相手に二人では──と、改めてそのドラゴンに視線を向けかけた瞬間。ドォン!! バキッ、メリメリメリメリ!!! と、耳の横すれすれを掠めた瓦礫が、背後の屋台を一撃で破壊する衝撃音に、取り急ぎ完全無策で駆け出すと。相手は対人特価の殺戮兵器。竜騎兵の操るマラクドラゴンの相手は、こちらも同種のドラゴンか、もしくは熟練の連隊が作戦をもって対峙するもの。まかり間違っても、カーティスとビビの二人で相手取れるパワーバランスなどではなく、かといってそんな暴れ竜を広場から逃がすなどもっと有り得ない。この万全の警備体制下、この騒動はすぐさま他の冒険者たちの耳にも入り、すぐさま応援に駆けつけてくれるだろうが、果たしてそれまでどうもたせるか──と、その時。必死に見開いたエメラルドに、その文字列が映ったのは完全なる偶然だった。
 類稀なる高い知能を持ち、前線では鋭い爪を振るう一方で、平時では市民とも触れ合う温厚なマラクドラゴン。その理知的な視線は、見る者の浅ましい欲を宥めさえする美しい竜だが、そんな彼らには一つ共有する欠点がある。それは──酷く、それはもう救いようがないレベルで食い意地が張っているのである。どんなに十分に餌を用意しようと、彼らのバディである竜騎兵の注意も虚しく、道端の花壇や店の商品を貪り食む姿は最早日常。最近は彼らが通ったあとは雑草一本残らぬことから、農村での導入も研究されているらしい。とはいえ、建国祭の花形である竜騎兵のパレード。誘惑の多い祭日の中を練り歩く事情上、屋台の食事に手を出さずに我慢出来る優秀な(?)個体が選別されていたはずだが──ビビの視界に映ったのは、バターと……マラクドラゴンの好物である蜂蜜がたっぷりとかかったイラストが描かれた屋台の看板。そして、その蜂蜜の種類が、"ハオマハニー"と。最近、市井で健康に良いと流行っている健康食品である高級蜂蜜なのだが。人間には様々な良い効能をもたらすガオケレナの近縁種の花から作られる蜂蜜も、確か一部の魔獣や動物には良くなかったはずと、太い尾の鋭い一撃を交わしながらその様子を観察すれば。ダラダラと溢れるヨダレに、虚ろな視線、時折腹を庇うように屈んではギュウゥ……とうなる姿は、腹痛に苦しんでいるようにしか見えず。
 そうと分かれば話は早い。「顔の前まで飛ぶわ、援護して!」と共有したカーティスからの、「正気か!?」という快い承諾を背に、遥か高い位置にもたげられた首の先へと飛びついて、解毒の呪文と共に大きな動きで杖を振れば十数分後、結果から述べるにビビの推測はたしかに当たっていたようで。酷い腹痛から解放され、キュゥ……と自分の起こした惨状に申し訳なさそうに縮こまるドラゴンの隣。数刻ぶりに顔を合わせた恋人の呼ぶ声を、カーティスの腕の中で聞くことになったのは、着地に失敗して足を挫いたからで。 )

──ギデオンさん!
ね、もう下ろしてちょうだい、大袈裟なんだから……

 ( 普段膝上までしっかりと防備しているブーツを脱いで片手に持ち、もう片方の足で駆け寄ってくるギデオンとカーティスの間に立てば。「暴れていたドラゴンはあちらです。もう危険性はないと思うんですけど……」と、ことの顛末の説明を。「つまみ食いしたか、見物人に与えられたか……ハオマハニーによる錯乱かと思われます」と口にしたところで、よく気づいたなと驚いたのは男性陣のどちらだったか。しかし、カーティスの方はといえばすぐに「……『アナバシス』だな?」と得心の言った表情で頷いたかと思うと、「蜜をとる植物によっては、蜂蜜が毒になるなんて本当だったんだな……」と、今回の閃きがビビの実力ではなく、古代の歴史書からの引用だと、ギデオンへとバラしてくれようとするのを黙らせようとしてバランスを崩すと。──ギデオンさんに褒められたいのに!! と、その浅黒い腕に掴まってぽこぽこと頬を膨らませ。 )

──まって! しーっ、シーッ!!
なんで、バラしちゃうのよう……!




937: ギデオン・ノース [×]
2025-09-22 03:07:48




──……無事、なのか。

(後輩剣士が抱えているのは己のヴィヴィアンだと気づき、まさか重傷でも負ったかと一目散に駆け寄るも。当の彼女がひょっこり振り向き元気に返事をするものだから、がくんと拍子抜けしつつ、再び見上げたその双眸にほっと安堵の色を浮かべて。
──結局、周囲を確かめてから状況報告を聞き取るに。事故現場に到着したのは、ヴィヴィアンとカーティスの僅か2名にもかかわらず、暴れ狂うドラゴンをたちまち鎮めてみせたらしい。制圧ではなく治療によってすっかり萎れたマラク竜、その首に縋る竜騎兵がおいおいと泣いているのは、今後の相棒を案じてだろう。しかし幸い怪我人もなく、教養豊かな若手たちが原因まで掴んだ以上、殺処分という結末は遂げずに済むに違いない。この見事なお手柄に感嘆するのは自分たちのみでなく、まずは遅れて駆けつけた同業者たちと王都警察、それから逃げ惑っていたはずの大衆までもがわいわい集い。「このふたりが?」「ヒーローだ!」「さっきの的当てのお姉さんだ!」と口々に讃えはじめて──すっかり荒れた北広場、しかし今はその楽しげなこと。
直前までカーティスとじゃれ合っていたからか、あるいは片方のブーツを脱いだ格好でいるからか。一気に注目された相手がもし落ちつかない様子を見せれば、笑ってその背中を支え、辺りの瓦礫を浮遊魔法で片付けていたアリスのことを呼び寄せよう。……あら? と一瞬、ギデオンのその顔を怪訝そうに見た魔法使いは、しかしヴィヴィアンの足に気づいて、後回しにしてごめんなさいねとその水晶玉を光らせ。相手のような本職のそれほどではないにせよ、ベテラン魔法使いの呪文でその足首を癒やせたならば、これでしっかりその場に立つのに不自由はしないだろうと。「行っておいで」、そう穏やかに促しながら、大衆の前へ送り出し。)

こういう時のパフォーマンスも、冒険者の仕事のうちだ。
……ついでにあそこのやつらのためにも、ひとつ啓蒙してやってくれ。

(──かくして、大衆の眩しい視線をすっかり集めた若手コンビが、「兵隊さんのドラゴンに勝手に餌を与えないこと!」と即興の野外講話を始める、その賑やかな舞台裏。ベテランであるギデオンたちは、警察との実況見分、そして王軍や建国祭委員会との警備体制の見直しに多忙を極めることとなった。現着が想像以上にままならなかった問題は、ここでしっかりクリアにせねば次の大事故を招きかねない。ギルド内だけでの会議も連日連夜必要だろう。
……故に、これからの数日間。同棲しているヴィヴィアンとほとんど顔を合わせないようなシフトに切り替わることになったのも、ギルドのベテラン冒険者として当然の責務なわけで。)


(──一日が慌ただしく過ぎ、どうにか新たなトラブルはなく迎えられたその日の深夜。巡回に繰り出していくデレクたちを見送りながら、ひとり静かなロビーを横切り、いつもの柱の陰のベンチに重い腰をどかりと下ろす。片手で栓を抜いたのは、魔法のおかげでまだ冷えている祭土産の瓶ビールだ。それをぐいっと一気に呷り、胃の腑に染み込ませながら深々と息を吐き。そうしてようやく、ベテラン戦士としての顔を脱ぎ捨てたそのままに、前方へ投げかける目を物静かに迷わせていて。)





938: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2025-09-25 10:18:27




……!
ありがとうございます……ね、すく戻ってくるから待っててね?

 ( 一時はどうなる事かと思ったが、一件落着の雰囲気に祭りの賑わいを取り戻しつつある北通り広場。しかし、やはり何か言語化できる程ではないのだが──この頃には、恋人の様子への違和感は、既に疑念から確信へと変わっていた。とはいえ、何かあったかという問は先程本人から否定されたばかり。やっぱりお疲れが溜まっていることにご自分でも気づいてないのかしらと、市民たちへの講話が終わったら今度は相手を診るべく、ちゅっと軽い頬への祝福と共にかけた言い含めを、果たしてギデオンが守ってくれたかどうか。とにかく今日はゆっくり休んでもらおうと考えていた計画はしかし、建国祭の警備体制について大々的な見直しが始まってしまえば、こちらの心配も虚しく、益々ベテラン剣士は忙しくなるばかりで。 )

──……ギデオンさん!
お会いできてよかった……!

 ( これ、替えの服がそろそろ無くなる頃かと思って──そう数日ぶりに捉えた恋人の姿は、少しくたびれていても、それがかえって名画のように美しい。たった数日ぶりだと云うのに、運命の再会でもしたかのように相好を崩し、虫の声が響くロビーを跳ねるように駆け寄ると。相手のために伸ばし始めた巻き毛を払いながら、手に持っている包みを掲げて見せて。
 本当はこんな言い訳など用意せずに、どれだけ会いに来たかったことか。相手の仕事を邪魔してはいけないと思っていても、数日前の相手の様子が気にかかってならず。いつギデオンがふらっと帰って来ても良いように、ここ数日の夕食のメニューが全て相手の好物だったことは秘密だ。せめて自分に出来ることをと、ギデオンのシャツに疲労回復の祝福をかけ、相手の私書箱にでも届けておこうと思っていたのだが。タイミング良く休憩中らしい相手の隣に、あえて掛けなかったのも、忙しい相手に気を使わせては悪いと長居はしないというポーズのつもりで。 )

お疲れ様です……お仕事、如何ですか……?
ご無理なさらないでくださいね。





939: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2025-10-01 14:58:49




……!
ありがとうございます、すぐ戻って来ますから、待っててくださいね。

 ( 確か、以前にもこんなことがあった。昨年の秋、当時キングストンに蔓延していた"幸福のおまじない"騒動の調査中だったか。一件落着の賑わいの中、それでも必ずビビの調子に気がついてくれるギデオンにきゅんと胸を鳴らし、楽しげな市民達に駆け寄る寸前、溢れ出る愛おしさを大好きな相手の頬に落とすと。そうして相手に触れたことで──やっぱり少しお疲れだわ、と。疑念から確信へ変わった違和感をこの場で指摘しなかったのは、紛れもなく相手の体面のためだった。しかし、この一連の騒動の後、警備体制の見直しのため、家に寝に帰ることすら難しい多忙が相手を襲うことを知っていれば、担当治療官、恋人、そして唯一の大切な相棒として、このままギデオンを送り出すことを決して許しはしなかっただろう。 )

──……ギデオンさん?

 ( それから数日たった日の夜更け。素朴ながら格式高く整えられたギルドロビーに特徴的な、途中から木材の色が変わるその柱の陰で、休憩中の恋人に遭遇したのは完全なる偶然だった。毎夜帰ってこられるか分からない相手を待ち、彼の好物が並ぶ夕食を、一人翌朝の寝ぼけた胃に無理やり押し込み続けること数日。そんなことや個人的な寂しさなどは構わないのだが、ただ調子のおかしかった相棒の体調が心配で。仕事のお邪魔にならぬよう、他のベテラン勢達の分も一緒に、祭りで調達してきた軽食をそっと差し入れたり、あまり使われた形跡のない仮眠室のリネンを整えたりと、警備のシフトが終わってからずっと一人でこなしていたものだから。そろそろギデオンの着替えがなくなる頃だと気がついて、一度家へと帰ってから、もう一度ギルドへ戻ってくる頃には随分と遅い時分となっていて。
そうして閑散としたロビーを眺め──こんな遅い時間まで、ギデオンは頑張っているのに、私は何もしてあげられない。そう、ここ数日、いつ玄関の扉が開く音が響くやもと、深く眠れていなかった疲労の蓄積が、思考を良くない方向へと引っ張ろうとするのを頭を振って振り払い。さっと届け物をして早く帰ろうと、冒険者の私書箱が並ぶ方へと、広いロビーをショートカットしようとしたところだった。ただでさえ薄暗いロビーの柱の陰、もう殆ど真っ暗といって差し支えない、視覚の利かない闇でさえ、その気配、その息遣いだけで愛おしい、他でもない、大好きな相手だとわかるのだから心底不思議だ。──疲れては……いるだろう。眠れているか、十分な食事はとれているか、何か辛いことはないか、そうどんどんと口から溢れそうになる質問をぐっと堪えて、確かな足取りで最愛の人に近づけば。ただでさえ大変な仕事に追われているギデオンにこれ以上負担を感じさせないよう、意図してぱっと明るい声を出し。 )

お疲れ、様です……ちょうど良かった、コレ──替えの服がそろそろ無くなる頃かと思いまして……それだけ!
……なので、今日はもうすぐ帰るんですけど、何か他に欲しいものとかあったりしませんか?
私書箱に入るものだったら入れておきますけど……





940: ギデオン・ノース [×]
2025-10-13 20:48:06




──……ああ、おまえか。

(一歩一歩こちらに近づく、くっきりとした軽い靴音。その耳に馴染んだリズムに揺れていた意識を戻し、視線をそちらへと向ける。そこに立っていたのはやはり、公私共に相棒である後輩ヒーラー、ヴィヴィアンだった。──何故だろう、たかが数日やそこらのはずが、もう長いこと会っていなかったような気がする。
だというのに、呟きながらふわりと和んだ己の瞳は、すぐに相手のそれから外れた。ベンチから重い腰を上げ、「大丈夫だ」と笑いながら相手のすぐ傍まで行って、持ってきてくれた包みを手元に受け取るその際中も、表情こそいつも通りでも、終始目を合わせない。その自覚もない──無意識だ。それでいて、穏やかにかける声だけは、上辺ばかりがいつも通りで。)

悪いな……おまえも長時間のシフトだったろうに。そっちは大事ないか?
──ああ、フリーダたちから聞いてる。今年も例のひったくり犯を捕まえたってな、よくやった。

(そこでようやく相手に目を向け、労うような微笑みを。だがしかし、相手の顔に少しでも違和の色が浮かべば、その気配が立ち昇る前にまたすぐ逸らしてしまうだろう。──これが一年前であれば、たった今の声掛けだって、別に大しておかしくはない。ギルドの先輩冒険者として、かつては相手にこんな風に口を利いていたはずだ。
しかし今……この一年、本当に様々なことを共に経験してきた今、どこか肌寒い空白をわざと置いていることは、ここまで来れば流石に多少、きまり悪く自覚して。それを有耶無耶にするように、「……すまない、少し疲れてるんだ」──この言い訳なら相手が強く踏み込めないのを知っていて使うのだから、奥底で疼く自己嫌悪で額の眉間に皴が寄る。それをぐ、ともみほぐしてから、一瞬躊躇うような沈黙。視線は足元の宙で揺れ、しかしすぐにごくかすかにかぶりを振って、思考を切り替えた様子を見せる。実際、疲労はたまっているのかもしれない──思考力が落ちていた。日中浴びた真夏の熱が、頭の奥に鈍い痛みを残し続けるせいだろう。それでも本当に大事なことは腐っても間違うまいと、相手の持ってきてくれた包みをロビーの椅子に置いてから、促すように歩きはじめて。)

──……昨日の晩も、祭で悪酔いしたやつらが未遂事件を起こしたばかりだ。
この時間の夜道は危ない……送ってく。





941: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2025-10-19 23:55:09




いえ、ギデオンさんの方がもっと大変ですもの──……そう、ですよね。本当に、お疲れ様です。

 ( 久々に会えた喜びで、内心すっかり浮き足立ってしまったが──そうだった、と。数日前から改善するどころか、ますます悪化しているよそよそしい態度、合わない視線、そんなギデオンの対応に、ほころんでいた表情をみるみるうちに俯かせると。踏み込んでくれるなとばかりに付け加えられた発言に、思わず言葉を詰まらせて。それは決して相手の言葉を疑った故ではなく、寧ろ気丈なギデオンがここまで疲れ果てているにも関わらず、無力な己を呪ってのことだったが。果たして葛藤する年上男の目には、どう写ったことだろう。 )

──……待って!!
ありがとうございます、でも大通りを通って帰りますから、一人で大丈夫です。

 ( そうして、歩き出した広い背中に、慌てて太い腕に抱きつくようにして引き止めれば。これ以上、疲労の恋人を煩わせてはいけないと、つい真剣になってしまった表情を誤魔化すように、ぱっと笑いながら万歳の要領で手を離し。しかし、貴重な相手の休憩時間を邪魔したくない気持ちと同時に、久しぶりに会えた相手との時間が惜しい気持ちもまた事実で。相手を促すようにギルド側へと下がりながらも、良いことを思いついたとばかりに、静かに掌を合わせれば。殆どは相手を休ませてあげたい純粋な善意と、あとは無意識に自分の有益性を誇示したい、褒められたい気持ちがちょっぴり。先程まだ誰も使用していないことは確認したし、これくらいの公私混同なら許されるだろうと。他でもないギデオン本人から拒否される可能性など微塵も考えていない様子で、ほこほこと楽しげに微笑んで。 )

……そうだ!
そしたら代わりに仮眠室まで、私におくらせてくださらない?
さっきシーツ干したばかりなの、短時間でも横になると違いますよ。





942: ギデオン・ノース [×]
2025-10-25 07:00:02




(これがいつものギデオンならば、ヴィヴィアンの声に満ちあふれている温かな気遣いや、その明るい笑顔が隠すほんのかすかな不安のひずみに、きちんと気がつけたのだろう。しかし人間──特に、己の全盛期に優れた体力を誇った者ほど──心の弱りに忍び寄る、古い魔物を知らないものだ。
故にこの時のギデオンは、全てに奇妙に……ある意味素直に、様々に反応した。相手に縋りつかれた瞬間、真顔のままに目だけを瞠り、そこにかすかな光を浮かべ。しかし彼女の細腕があっさり離れていった瞬間、その輝きは脆くかき消え、代わりに古戸が軋むようにぎこちなく振り返る。──狼狽、恐れ、猜疑、強情。そんな暗色の表情ばかりが入れ代わり立ち代わり、鈍く浮かんだその面差しは、やがてふいと横に逸らされ。数秒の沈黙によってくっきりと浮かび上がってしまった、深夜のロビーの静けさの中。やにわにぶつけたその声は、それまでの胸中を碌に語らなかった癖して、今度ははっきりと硬質な響きを持つように加工していた。)

──いい。必要ない……そこまで酷く参っちゃいない。
第一、ヒーラーのお前が取れる休みを取らなかったら、明日の他の奴らの支援に影響が出かねないだろう。

(言葉の喉越しに苦味を感じないわけではなかった──しかし一度鎧いだすと、そこから先はもう止まれない。短く鋭いため息を吐き、椅子に置いた包みを拾って、相手に構う素振りも見せずにロビーの一角を横切っていく。先ほど飲み乾したビール瓶、それを片隅の回収箱へ突っ込むだけの野暮用をしたかった。そうしてすっかり距離を取り、広い背中を向けたまま、ふとエントランスの外に固い視線を走らせたのは、巡回から帰ってきた女子冒険者らに気がついたから。人数にして三、四人……どれも新人ばかりだから、これから上階で私服に着替えて、年長者が予め呼んでいたギルド直雇の乗合馬車で各々の家に帰るのだろう。相手もあれに乗っていくなら、或いは己が送らなくとも、“それぞれ休めるかもしれない”。
そんな考えを言外に滲ませるように、間もなくこちらに来るだろう彼女らの方向を軽く手ぶりで示しつつ。依然用いる声色に、ますます“ベテラン冒険者”らしい、理性を繕った響きを乗せて。)

……もしも、私生活のせいで……そこまでしないと落ちつかないって言うんなら。
この祭りの期間中は、普段のことは忘れてくれ。──お互い、仕事に専念すべきだ。





943: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2025-10-28 00:44:11




──……、…………。

 ( ガラン、と。ガラス製の瓶が木箱を叩く無機質な音、大好きな相手の突き放すような冷たい声音。気持ちが通じ合った春のあの日から初めて、二人の間に空いたその距離に──一切、そのまっすぐなエメラルドが揺らぐことはなかった。それどころか、一歩そのまま歩み寄り、「……“忘れてくれ”?」と投げ放たれた暴言を今一度呟くように反芻すれば。もしかすると、投げかけられたヴィヴィアンより余程動揺している男の表情を見て、小さく微笑みかけすらするだろう。 )

……"すべき"、だなんて。
少なくとも、私が"すべき"かどうかは自分で決めたい、かな。

 ( どれだけギデオンのことだけを見つめてきたと思っているのか。その頑なな表情が、言動が、文字通りの拒絶や嫌悪ではなく、彼が一人追い詰められている時のものだと云うことを、もし見抜けないと思われているなら心外だ。とはいえ、まさか本人がその正体を理解出来ていないとは流石に見抜けず、素直に信頼されていない、相談すらして貰えないほど頼りにされていないのだと誤解すれば。その口調や表情こそ穏やかに装えど、その大きな瞳を覗けば、恋人として、そして相棒として、その内心怒りに満ちていることは明らかで。しかし、今目の前で困窮しているギデオンを更に困らせるような真似がしたい訳では無い。故に、久しぶりに触れる頬へと手を伸ばし、体力回復の祝福だけを無言でかけると。到着した馬車の方へと向き直りながら、冷静に双方の冷却期間を提案したつもりで、ギデオンの表情を確認しそびれた程度には、頭に血が上っていたらしい。 )

しばらく家には帰りません。
どうせお力にはなれませんもの……私より"大切なお仕事"が終わったら、迎えに来てくださる?

 ( とはいえ、それから幾日たっただろう。駄々を捏ねて転がりこんだ先は、ギルドからほど近いリズの部屋。つまり、バルガスからいち早く居場所の特定はできるに違いない上、祭日の警備シフトにも毎日予定通り出勤している以上、必要以上の心配はかけていないだろうと云うのがビビの算段だったが果たして。ひとつ誤算があるとすれば、一見クールなようでいて、情に厚い友人の口の硬さを見誤っていた事で。 )





944: ギデオン・ノース [×]
2025-11-01 12:54:46




(すっかり静まり返った中で篝火だけが時折爆ぜる、真夜中のギルドロビー。そこに立ち尽くす愚かな男は、娘が毅然と消えていった闇の向こうを眺めたまま、未だ青い目を惑わせていた。……結果的には、ほとんど望んだとおりのはずだ。これからしばらく構わなくていい、冷静に距離を置かせてくれ。自分は確かにそう主張して、彼女もそれを聞き入れた。ただし予想外だったのは、彼女のあの揺るぎなさ、静かに放っていた怒り──そしてサリーチェを去ったこと。何をいったいどうしたら、彼女まで“家に帰らない”などと言い出す羽目に繋がるのか。……それがわかる男であれば、こんな事態にはならないわけで。
足元に視線を落とし、やがて彼女が残していった着替えの包みを回収すると、エントランスに背を向けて上への階段を昇り。熱いシャワーで汗を流して、ひとまず替えの衣服に着替え、また別の階へと移ると。ベテラン用の仮眠室でも未だ替えられるとこのない、五十年モノのぼろの寝台……しかし誰の気遣いだろうか、いつにも増して清潔なリネンが敷かれたその上に、連日残業続きの躰をようやくのことで横たえて。だがしかし、隣にある若手用の大部屋から元気ないびきが聞こえなくとも、こうして目が冴えたことだろう。
何度も瞼を閉じては開けて、闇の天井に蘇るのは、強い光を跳ね返すあの大きなエメラルド。『少なくとも、私が"すべき"かどうかは自分で決めたい』──何を今更、言うまでもないだろう。彼女は元から自分とこちらを切り離しているではないか。だからこちらも、相応に構える必要が出たというのに──歪んだ顔を片手で覆い、重苦しいため息を吐く。苛立ちが胸に渦巻く、だがどこか決まりの悪いむかつきまで込み上げてくるのは何故。
寝返りを打ちながら、うつらうつらと眠りに落ちる。夢を見たような気もするが、ごちゃごちゃと乱雑なばかりで、起きた後には覚えちゃいない。だがしかし、夜明け前には覚醒してまたすぐ動きだしたとき、ふと明確な違和感を覚えた。ごく短時間、何なら気分の悪さに苛まれながら横になっただけなのに、驚くほど体が軽い。まるで昨夜からたっぷりと熟睡したかのような──良質な支援魔法を、絶えず受けているかのような。
気づけば頬に伸びていた手を、しかしすぐに、どこへともなく目を逸らしながらぎこちなく引き下げる。──得られると思ってはいけない。くだらない夢は忘れて、ただ現実に、仕事に打ち込め。これまでだってそうやって、上手く乗り越えてきたはずだ──それで正常になるはずだ。)



(……何やら、他方のジャスパーが不機嫌だったという噂を聞くが。ギデオンと同じ班だった若手冒険者や見習いたちは、地道な役に徹しながら着実に仕事をこなすギデオンの背中から、この夏実に多くのことを学んでくれていたらしい。ギデオン自身にしてみても、後輩たちが裏方を厭わず奮起してくれるのは、見ていて気分の良いもので、いつにも増して育成に精が出る日々を送った。だがそれは、結局のところただの現実逃避に過ぎず。己以上に各所で大活躍を誇ったヒーラー娘の評判に無関心を気取ったツケは、すぐ回ってくることとなる。
祭も終盤となった夜。班の出番はほぼ終わり、明日はシフト調整により時短勤務となる段で、ギデオンはようやく一度ラメット通りに帰還した。ベテラン用の仮眠室が諸事情で満員となり、近場に自宅のある者が帰らぬ道理がなくなったのだ。本当はどこか、近場の宿にでも泊まりに行こうと考えたのだが、何せ今年の建国祭は来場者数が桁外れ、王都東部の宿泊施設はどこも当然満杯で。それならば仕方ない、ほんの数時間戻るだけ、最低限寝に帰るだけだ。そう自らに言い聞かせながら玄関扉を開けた時、しかしギデオンを圧倒したのは。
──明かりひとつ灯らぬ我が家の、しんとした……静けさだった。)

(……何も、動じることはない。明日の準備をするだけだ。
壁の燭台に灯をつけて、玄関脇に荷物を下ろす。そこから取り出したこの数日分の衣類を魔洗槽に突っ込んで、買ってきた安上がりの夜食を広いダイニングテーブルに置く。辺りを見回す、ソファーにも勝手口にも人の気配はまるでない──空き巣を警戒しただけだ。ざっとシャワーを浴びてから、魔導コンロを軽く熾して夜食のひとつを火にかけた。だがすぐに止め、温いそれを胃の中に詰め込んで、匙が進まず残った分を明日に回すことにする。ぴかぴかの食器棚からガラスの器を取りだし、次いで食料棚へと移る。扉を空けるとほとんど空だ、保存のきく食材以外は一度処分してあるらしい。顔を逸らして扉を閉ざし、浴室へ行って歯を磨き、その間鏡を見ないまま、洗い終わった衣類を干して、一度玄関の方へと戻る。鞄から引き抜いたのは明日に向けての仕事の書類で、ソファーにどっかり腰を下ろすと、四、五枚ほどに過ぎないそれに時間をかけて目を通す。二周、三周──疲れているのか、頭にあまり入ってこない。何とはなしに玄関を見て、すぐに書類へ目を戻す。これを書いて寄越したのは、いかつい見てくれに不似合いな達筆の主フィリベールだが、どうも調子が悪いのか、今日の奴の筆記体は目が滑ってかなわない。書類を諦めて脇に置き、沈み込むように頭を覆う。首に手をやり、ため息を吐く。そこで初めて気がついた、どうにも気分が落ち着かないのは、耳鳴りがうるさいせいだ。サンソヴィーノの大窓を見る──越してきたときは気づかなかったが、嵌め込み式の魔導回路の悪影響でもあるのだろうか。フェニングに問い詰めなければ。
とはいえ、今夜は何もできない。横を向き、また息を吐き、意を決して腰を上げる。階段を昇っていくが、寝室で休むつもりはなかった。明日は数日ぶりに朝から素振りをする気でいるから、どうせ三、四時間の睡眠をベッドで寝るのも馬鹿馬鹿しい。ブランケットだけ回収したらソファーでしばらく横になろう、そう考えて部屋に踏み込み、辺りにあまり視線を向けず目当てのものだけ回収する。そうして足早に階段を降り、壁の灯りを吹き消して、寝入ろうとした……その、はずが。
ソファーに横になる前に、ばさり、と布をを広げた瞬間。ふわりと鼻に届いた香りに、がつん、と頭を殴られた。思わず後ろに軽くよろけて、思考を振り払おうと必死にかぶりを振るものの。感覚にじかに働くそれが──この家に一緒に住んで早二ヵ月、すっかり手に入れていたはずのヴィヴィアンの髪の香りが──しかしこの数日で、古く薄れつつあるそれが──思考を、たちまち呑み込んでいく。

──彼女はどこだ、今どこにいる。今はだれと、どうしている。
──……別に失踪したわけじゃない、ちゃんとギルドに来てるじゃないか。大げさに案じなくていい、以前と変わりないだろう。
──違う、今の、彼女は、どういう。いったい何のつもりで……今は、何を考えて。
──……わかりきっているだろう。彼女自らこの家を出た。お前がまともになれるまで、お前とといるのを望んじゃいない。
──……約束を守れないのか? 仕事を終わってからにしろ、お前の“責任”なんか要らない、そう言われていたはずだ。

ここ数日の内なる声が寸断なく口を挟むが、以前よりも必死なそれは、リビングを歩き回る落ち着きのない足音に、暴れ回る胸の鼓動に、たちまちのうちに掻き消されていく。──彼女が行方をくらませた先が、おそらくいちばんの親友だろうエリザベスの家でないことは、昨日受付で本人にかぶりを振られて知っている。スヴェトラーナも違うというし、アリアは今不在の身。マリアは幼い息子がいるから、良識のあるヴィヴィアンが闇雲に頼るはずもない。ならばどこだ、どこにいる──ひとりで宿でも取っているのか? 浮かれる王都に漬け込むような物騒な事件があったと、この前話したばかりだろうのに。こんなに簡単に出ていけるのか──二度と戻ってこないつもりか──こんな、こんな……呆気なく、消えてなくなるものなのか。
実際に凍り付いていたのは、恐らく数秒のことだろう。しかし目まぐるしい思考、噴き出すような感情に、この数日の平静を無理に守っていた意固地の箍が、とうとう派手に撥ね飛んだ。──玄関脇のキーフックから家の鍵だけ引っ掴み、トレーニングにも使っているいつもの夜着の格好のまま、夏の夜道に飛び出していく。見当がつくわけでもなければ、彼女と何を話そうと考えていたわけでもない。ただの短絡的な衝動、どこをどう見ても繕うべくもない愚行──そうとわかっていながらも、それでもラメット通りを駆け抜け。道行く乗合馬車の御者に気をつけろと怒鳴られながら、いつの間にやら駆け込んだのは、ギルドからそう遠くない住宅街の路地裏で。)





945: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2025-11-16 00:43:58





 ( 冷静を欠いた勢いのまま、サリーチェの家を飛び出て早数日。あの晩はあれが正当な怒りだと、建前ではなく、本当にもっと頼って貰えた方が嬉しいのだと示したつもりでの行動だったが。──果たして、あれは本当に正しい振る舞いだったか、頼って貰えないのはビビの実力不足で、愛しい人をさらに追い詰めただけではなかったか。度々、『忘れてくれ』と。あの冷たく鋭い声を思い出しては、嫌な動悸に酷く心臓を痛めつけられ。──もし、ギデオンさんが迎えに来てくださらなかったら。素晴らしい彼には、もっと相応しい人がいると気づかれてしまったらと。自ら帰らないと宣言しておいて、自分でも一体何をどうしたいのやら。そうして、心の内は嵐のようにぐちゃぐちゃに荒んでいようとも、忙しい仕事に友人にと、目の前のことに集中していれば、時間は無情に過ぎ行くもので。)



 ( その晩も、ここ数日の恒例通り。居候させてもらっている家主と、お互いのシフトが終わるのを待ち合わせれば、祭りの出店で本日の夕飯を見繕う。そうして、長くない家路をぺちゃくちゃと、実の無い話に花を咲かせていたものだから、同時刻、大通りで起こっていた喧騒とは縁遠く。「……っ、ビビさ、」「大丈夫、気づかない振りして」と。深夜の路地裏に二人、やっと自分たち以外の不審な気配を認めたのは、目的の借家も目の前の、人通り少ない路地に入ってからで。──別に何も無ければ、ただの酔っぱらいであればそれでいい。しかし、この遅い時間に目的地へと急ぐでもなく、ふらふらとどこか頼りない足音に、普段はリズが一人で暮らす住所を知られてしまうのが一番まずいと。彼女だけを先に彼女のアパルトマンへ急がせれば、腰の獲物へと静かに利き手を滑らせる。そうして、ギデオンと高級住宅街で暮らし始めてからは無くなっていた、女にとって避けがたい久かたぶりの緊張に息を飲めば──最初は見間違いを、その次は、会いたい気持ち強さにとうとう幻覚でも見だしたかと、自身の正気を疑った。 )

──……ッ、ギデオンさん!?

 ( 約束通り自分のことを迎えに来てくれたのだ、とは思わなかった。着の身着のまま飛び出してきたと言わんばかりの格好に、普段の規律正しさなど見る影もないやつれた足取り。兎にも角にも、彼の全身から溢れ出す緊迫感に、市井で何か事件や事故でも起きたのやもと思えば、ここ数日の蟠りなど二の次で。一切の私情や甘えの滲まない、真剣な顔で駆け寄って。 )

何か……何があったんですか!?
被害状況は! ギデオンさんもお怪我は……





946: ギデオン・ノース [×]
2025-11-18 01:55:22




(──もしもあの時、横から迫り来る馬車を飛び退って避けた直後に、乱れた息を整える数拍を置いていなければ。もしもあの時、飲み屋の煩い騒ぎを嫌い、客引きの立つ通りを疎んで、こちらの地区に駆け込まなければ。もしもあの時、ヴィヴィアンとエリザベスが別の出店にしようと決め手、屋台料理が出来上がる数分を待つことなく帰っていれば……。思えばきっと、この広大なキングストン、その数地区に限ったところで、全く別々に過ごしていた自分たちたったふたりがばったり行き会う確率なんぞ、皆無に等しかったろう。それでも運命のいたずらか、はたまた女神の微笑みか。我を忘れて駆け回った末ふらついていたギデオンが、それでもはっと振り向いたのは──耳に馴染んだ呼び声が、闇を駆け抜けて届いたからで。
荒れ果てていた呼吸すら止め、そこに佇む女性の姿を穴が開くほど凝視する。幻覚か、と疑ったのはギデオンもまた同じ──あまねく知覚を総動員するのに必死だ。しかしその間を待たずして街灯の下に現れたのは、見間違えようもない、探し求めていた娘の姿。──いた……いた、見つかった、ここにいた。その単純な事実をじわじわと実感するまでに数秒ほども要する間、彼女が必死に確かめてくる声は、分厚い幕の向こう側をぼんやりとすり抜けていくようで。
だがしかしようやく、ようやくのことで頭が状況に追いつくと。今度は突然、まるで怖気のそれにも似た激しい震えが体の底から走り上がった。信じがたい、と言う表情──愕然と揺れる双眸。相手が何かちらりとでも不可解な色を浮かべれば、がっ、とその両肩を強く掴んで。ほとんど鼻を突き合わせるほど間近に顔を寄せながら、一帯の夜気を震わせるほど苛烈な声で怒鳴りつけ。)

──何を──してる──こんな、ところで!!!!

(こんな深夜にこの声量で、近所迷惑がどうだとか。この二ヵ月、相手の信頼を勝ち取るために細心の注意を払い続けてきた努力を自らぶち壊しているだとか。そんなことは、もはやかなぐり捨ている自覚すらしていなかった。
「正気なのか!?」──「こんな夜中に、たったひとりで!」──「何が被害状況だ!」──「おまえみたいな若い女が恐ろしい目に遭わされる事件が、そこらじゅうで、どれだけ──どれだけ起こっていると思うんだ!!」。今の自分も人のことを言えぬようななりのくせして、がくがくがくと、これまで決してなかったほど乱暴に相手を揺さぶり、怒鳴る、怒鳴る、尚怒鳴る。そうして激しい息を吐き、相手の翡翠を激しく睨みつけながら。その青い双眸に、しかし怒りだけでなく、まるで傷が疼いたような、何かの痛みに怯んだような、鈍い翳りをずくんと走らせ。)





947: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2025-11-19 19:12:31




 ( いかなるときも冷静沈着な相棒が、こんなにもやつれて立ち尽くすなんて、一体どれ程の被害が出たのだろうか。それとも驚異の正体が未だ近くにいるのだろうか。それなら一人で行かせてしまったリズが危ない──いや、義理深く優秀な彼女のことだ。此方に何かがあればすぐ通報できるよう、安全な場所からきっと此方の様子を伺っているに違いない。ならばとっくに寝静まったここらの住人を避難させる方が優先か、などと。恋人の恐慌した内心を慮らず、明後日の方向へと思考を巡らせていたものだから。 )

……!? な、なにって……

 ( 耳が破れんばかりの鋭い怒声に、肩へ食い込む強い指先。突如浴びせかけられた激情に、思わず──なんだ、と。キングストンの市民たちに何の被害もないことへと、ほっと浮かんでしまった場違いな安堵は、優しく大好きな恋人より初めて向けられた剣幕から、心を守るための無自覚な逃避で。しかし、──どうして、貴方がそんな顔をするの、と。やっと激震が収まり焦点のあった表情から、今こうしてビビを叱りつけているのもまた、いつもの優しく繊細な恋人その人なのだと実感すれば。その憔悴しきった表情に、どうしようもなく胸が締め付けられるのは、愛しているのだから当然のことで。そもそも、なにか事件があった訳でもなければ相手こそ、どうしてこんな時間にそんな格好でここにいるのか。いや、彼の様子がおかしかったのはもうずっと前のことからだったか。愛しい人に健やかにいて欲しいだけなのに、一体全体どうしたものか。あくまでどこまでも静謐に、その憤懣遣る方ないといった怒りの中に、蹲るような怯えが潜むアイスブルーを見つめ返すと。最早怪我をした野生動物のような恋人自ら拒まれなければ、やつれてもなお美しいその薄い頬をそっと指先で撫でるだろう。 )

……ご心配おかけしてごめんなさい。
でも、……いいえ。ねえ、ギデオンさん。私はどうすれば良いのかしら?
こんなに大好きで仕方ないのに……最近は、全く伝わってないみたい。




948: ギデオン・ノース [×]
2025-11-26 05:04:20




────……!?

(切実な祈りを込めてのなりふり構わぬ威迫のほどは、無謀がちな恋人にどれほど届いたことだろう。それをしかと確かめるべく、相手の顔に目を凝らし──だからこそ、反応が遅れた。その暖かな指先が、己の頬を労わるように慰撫することを許すまで。……こちらを見つめる翡翠の瞳が、怯えでも、反発でもなく、深い深い慈愛の光を湛えていると気付くまで。
根が生えたような硬直は、実に数秒間ほども晒していたに違いない。いきりたっていたはずの呼吸すら完全に静止して、その不自然さに自覚のないまま見つめ返していた矢先。突然まじないが解けたように反射的に顔を逸らすと、掴んでいた両手を力の抜けるように下ろして、我に返ろうとするかの如く浅い息を繰り返す。何故そんな顔をしている──もしや伝わっていないのか、いやちがう、彼女はきちんと理解している、だがしかし今見据えているのは、全く別の……ならばどういう、なぜ俺を見てそれを、第一どういうわけなのだ、どうすれば良いのかなんて、俺の方こそ──ずっと、毎晩。大好きで仕方ない、最近まったく伝わってないだなんて、伝わるも何も、こちらから言うまでもなく、相手のほうこそ家を出て遠ざかっていたはずだ。愛想を尽かしていたはずだ、遂に現実に立ち戻らせてしまったはずだ。愛想を──そうだ、俺は──目を大きく瞠る──約束を、また、守らなかった。)

──……ちがう。
ちが、うんだ……

(思わず口から零れ出たのは、情けないほどの震え声。この瞬間、魔剣使いのギデオン・ノースは、その見る影もないほどに弱々しく成り果てた。──かろうじて触れていた手をとうとう離し、軽く半歩ほど後ずさりながら、魔素切れで揺れる街灯を背に、昏い翳りに逃げる顔。そのくせ尚も口走るのだ、「おまえがどこにいるのか、無事なのかを確かめたかった、それだけで……」「お前の言うことを──違う、約束を破るつもりは」と。どこを見るでもないはずなのに激しく揺れる目の動き、どんどん凍り付くように強張っていく己の躰。脳裏ではこの決定的な醜態を自覚出来ているはずで、故にけたたましい警鐘がガンガン鳴り響いていながらも、異常を来たす思考回路は恐ろしいほどの無音となって、意識をどんどん巻き込んでいく。──柔らかな愛情で包まれれば包まれるほど、それに己に見合わぬことが浮き彫りにされていくようで、恐ろしくなっていく。
蘇るあの日の記憶、あんなに愛してくれたはずが二度と会えなくなった母。渇望した罰として齢七つの骨身を鞭打つ、真冬の原野のあの寒さ。大事なひととの約束は、それがどんなものであっても、決して、二度と破るまいと胸に誓っていたはずだ──忘れていたわけじゃない。だがどうして、ずっとずっと後に出会った相手の愛情に溺れるうちにだらしなく緩んでいたのか。ならばどうか、今度は決して緩まぬように己を律してみせるから。だからほんの一縷だけでも、それすら烏滸がましかったとしても。
それまで、きっと長いこと相手の働きかけがわからず迷走していた双眸が、ようやく再び相手をみとめる。そしてその瞬間、相手の瞳を見つめた瞬間、一歩その場から踏み出したのは、ほとんど捨て身にも近い、ギデオンなりの決死の勇気。己よりずっと年下の恋人に、こちらを見上げるそのかんばせに、再び上から近づくと。ほんのかすか、去年の今よりもまだずっと浅い距離感で、おずおずと屈みこんでは、絞り出すような、小さな、小さな掠れ声で、相手の慈悲に嘆願し。)

……頼む。一度、だけで、いい……やり直しをさせてくれ。
今度は、ちゃんと……うまく……やるから……





949: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2025-12-02 05:55:23




──……!?

 ( 数日前のヴィヴィアンは、「迎えに来て」と、確かにそう伝えたつもりでいたのだが。肝心のギデオンへ伝わるまでに、一体何が拗れてしまったのか。相棒が苦難に面している時に、役に立たなかったビビが愛想を尽かされるのであればまだしも。その逆はといえば、あまりに晴天の霹靂でしかない大きな誤解に、心外で堪らないといった表情で、大きな瞳を瞬かせて。
それでも、必死な瞳に捉えられれば、不謹慎にも。根本的に強がりで、すぐに独りになりたがる相手が、一歩踏み出してくれたことが愛おしくて。まずは一刻も早く、この人の不安を取り払おうと、その薄い頬を撫でていた指を翻すと、改めて両掌で柔らかく包み直して。 )

……もちろん。
ギデオンさんは約束通り、迎えに来てくださったじゃないですか。
ありがとうございます、大好きよ。

 ( 本来であれば、すっかり熱の冷めた恋人関係を、再び同意の元で構築し直す。そういった意味では"やり直す"必要も──なんなら、"うまくやる"必要でさえ、一切必要ない。普段は冷静沈着にも関わらず、時々どうしようもなく不器用で、愛情を求める子供のようにいたいけなひと。それもまたギデオンの一面なのだから、彼は一生このままで良い。それについてや、今回の誤解の原因、そしてそもそもの不調についても、改めて話し合う必要もあるだろうが。それでも今は、大好きな相手の心からの笑顔を見たい一心で、そっと顔を近づけて。 )

……それにね、一度だけなんて、言わないでください。
一生隣にいるんですから、何度だって迎えに来て貰わなくちゃ。

950: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2025-12-02 06:04:56




(末尾の口調の修正です。内容は全く変わりません。)


──……!?

 ( 数日前のヴィヴィアンは、「迎えに来て」と、確かにそう伝えたつもりでいたのだが。肝心のギデオンへ伝わるまでに、一体何が拗れてしまったのか。相棒が苦難に面している時に、役に立たなかったビビが愛想を尽かされるのであればまだしも。その逆はといえば、あまりに晴天の霹靂でしかない大きな誤解に、心外で堪らないといった表情で、大きな瞳を瞬かせて。
それでも、必死な瞳に捉えられれば、不謹慎にも。根本的に強がりで、すぐに独りになりたがる相手が、一歩踏み出してくれたことが愛おしくて。まずは一刻も早く、この人の不安を取り払おうと、その薄い頬を撫でていた指を翻すと、改めて両掌で柔らかく包み直して。 )

……もちろん。
ギデオンさんは約束通り、迎えに来てくださったじゃないですか。
ありがとうございます、大好きよ。

 ( 本来であれば、すっかり熱の冷めた恋人関係を、再び同意の元で構築し直す。そういった意味では"やり直す"必要も──なんなら、"うまくやる"必要でさえ、一切必要ない。普段は冷静沈着にも関わらず、時々どうしようもなく不器用で、愛情を求める子供のようにいたいけなひと。それもまたギデオンの一面なのだから、彼は一生このままで良い。それについてや、今回の誤解の原因、そしてそもそもの不調についても、改めて話し合う必要もあるだろうが。それでも今は、大好きな相手の心からの笑顔を見たい一心で、そっと顔を近づけて。 )

……それにね、一度だけなんて、言わないでください。
一生隣にいるんですから、何度だって迎えに来ていただかなくちゃ。




951: ギデオン・ノース [×]
2025-12-03 04:20:05




────……

(“一生隣にいるんですから”。何てことのないように娘が告げたその一言は、思い返せばほんの数日、しかし本当に長いこと狂っていたギデオンの目に、理性の光を取り戻させる。無論、その恐れの波はすぐには退き切らないものの、それでも気づきの兆した顔で相手を見つめ返してみれば……はたして、そこにあるのは何だ。
花火の夜、雪深い晩、サリーチェの我が家の鍵を初めて渡したあの昼下がり。この一年の日々のなかで幾度となく目にしてきた、温かな慈愛に満ちたヴィヴィアンの表情は、どこも、何にも、何ひとつ、己の記憶に刻んだそれから変わってなどいなかった。……そうだ、彼女は変わらない。こうして何かに竦む自分を、彼女はいつも、ほんの一歩踏み出せば届くような近さから、優しく待ってくれている。己がこうして傍に行くこと、彼女を欲してやまないことを──彼女も、望んでくれている。
は、と熱い吐息が零れた。普段は重い魔剣を振るう幅広の双肩からは、情けないほど力が抜け落ち──その安堵の脱力のまま、そっと、こつんと額を寄せて。わずかに擦りつけてみれば、相手も同じようなしぐさで応えてくるのがたまらない。今度はこちらもおずおずと相手の頬を両手で掴み、そのすべらかな小さな顔を指の腹で撫でながら。今度こそ、きちんと素直に、己の本音を伝えてみせて。)


……わる、かった。遅くなった。
一緒に、帰ろう……帰って、きてくれ。






(──それからの帰り道。数日ぶりに並んで歩く懐かしさを味わいながら、まずは取り戻していくように、何てことのない会話を交わした。
ここしばらくのヴィヴィアンがその身を密かに寄せていたのは、やはりエリザベスの家で間違いがなかったらしい。アパルトマンの窓越しに見守っていたという彼女に、あの後きちんと詫びに行き。ヴィヴィアンが世話になったと頭を下げたその時ですら、人形のように美しいカレトヴルッフの受付嬢は、その淡々とした表情を一ミリたりとも動かさずにいた。──昨日あいつに訊いたんだ、ヴィヴィアンが来てないかって。その時もあの顔で、知らないなんてきっぱり言うから……だからてっきり別のところに、エリザベスを頼らないなんてよっぽどのことと思ったと。少しばかりの気恥ずかしさに笑いながら打ち明けて、相手のくすくす笑う声に、また心が軽くなる。相手のいつもどおりの反応、何も変わらぬその様子に、胸に巣食っていた影がどんどん薄れていくのを感じる。
──だから、そう、必然なのだ。サリーチェの我が家に帰り、リビングの明かりを灯し、夕食がまだだったという相手のそれを温め直して、まずは相手の腹ごしらえを優先させる……そのはずが。相手が屋台の紙パックを行儀よく膝に抱えて食べているのを良いことに、広々としたソファーの上でその体ごとすっかり抱き上げ、腹の辺りに腕を回して、後ろから密に抱きしめる。これは別におかしくはない、こちらも今まで通りの仕草を取り戻しているだけなのだ。食べにくい、と相手が笑えば、こちらも笑って理解を示すふりこそすれど、ますます両腕の輪を狭めて逃しはすまいとするだろう。そうして時折、相手がこちらに取り分けてくれていた分を、そもそも元が足りないだろうと固辞していたはずの癖して、その殊勝な口許に匙を運ばれればまあどうだ。これはクミンだ、カルダモンが、このナッツは鉄鍋での乾煎りの甲斐が云々。相変わらずの煩さを遺憾なく発揮するのは、だがしかし、こうしてどんどん夜が更けるにつれ、きちんと相手と話す時機が迫っているのを感じるから。──ある程度腹がくちくなり、弱めの酒も入れたところで、やっときちんと相手と向き合う。しかしそこには、最早いたずらな不安は混じらず。代わりに、己なりの誠意として相手に事情を共有するべく、ゆっくりと言葉を探す慎重な動きの視線で。)

…………。……ここ数日、いろいろと……すまなかった。おまえに、あんな風に振る舞っていい道理はなかった。
上手く言えないが……そうだな。
“責任”を果たす力がないと、思われるんじゃないかってのを……俺は、いちばん恐れて……いいや。恐れすぎてた、ように思う。





952: ヴィヴィアン・パチオ [×]
2025-12-08 11:27:05




──ええ。
ただいま、ギデオンさん。

 ( 最初に違和感を覚えたのは、祭りの灯りが賑やかな通りを急ぐサリーチェへの家路、途中、大の大人が二人並んで歩くには少々辛い未舗装の狭路。そのたった数メートルを通り抜ければすぐまた道幅も開けるというのに、いつも完璧なエスコートをしてくれるギデオンには珍しく。此方をがっちりと握り込んで離さない拳のせいで随分歩き辛い思いを。
それから、これは慣れ親しんだ我が家に帰って来た後。流石に繋いでいた手は離したものの、こちらの食事を急かしてついて回る恋人に、「ご飯もですけど……まずは汗を流してきても?」と──それは決して変な意味ではなく。後の話し合いに向け、済ませられることは済ませておきたいと。要は言外に、一旦離れていただけますかと伝えた要望だったのだが。そんな此方を尻目にして、いつの間にか手中にしていた紙パックを、目の前でホカホカに温め直して差し出してきた恋人は、果たしてビビのお願いが純粋に聞こえていなかっただけなのか、それともさり気なく黙殺にかかったのか。
極めつけに、「ひゃあっ……!?」と、食事中のところを出し抜けに持ち上げられて。何とか零さずにすんだ包みをぎゅっと抱きしめながら、背後の犯人を振り返れば。どうして返り見られているのかなんて、全く見当もつきませんとでも言いたげな、白々しい確信犯を前に(後ろに)して。──ああもう、本当に仕方のない人……! と。ギデオンを神格化するにかけては右に出る者はいないヴィヴィアンも、流石に声を上げて笑うしか無かったのだった。)

……責任?

 ( そうして形無しになった恋人へ、「あーん」と楽しげに給餌したかと思えば、膨らんだ頬を愛でまくり。ギデオン手ずから膝の上へと引き上げられたのを良いことに、視線の下になったつむじをなぞって可愛がること暫く。やおらに正気を取り戻し、真面目な話し合いに移った様子の相手を認めれば、こちらもまや真剣な表情で相手の顔を覗き込むも、その言葉選びがあまりに慎重すぎる故に、真意を理解するには一歩及ばず。──"責任"という言葉に思い当たる節がない訳では無い。しかし、いずれの場合でも、自分はその"責任"をとる必要はない、という文脈で使ったのではなかったか。ギデオンの負担を減らしこそすれ、こうして悩ませるための言葉では一切なかった筈なのだが……。もしかして、男性としての沽券に関わるとかそう云う類のものだろうか。そう一瞬あれこれと考え込みかけて──いけない、と。こうして双方勝手に考え込んだ結果が今回の不安ではなかったかと思い直せば。その叫びの一切を取りこぼさないように、けれども心の柔らかい部分を決して踏み荒らさないよう、じっと静謐な瞳で相手を見つめて。 )

最近のことは……いいの。私も、急に出て行ったりしてごめんなさい。
でも……何が、恐いのか……、
ギデオンさんの仰る、"責任"って……なぁに?





953: ギデオン・ノース [×]
2025-12-09 02:23:38




(相手の美しく澄んだ瞳が、こちらをじっと、注意深く窺っている──自分をよく見てくれている。たったそれだけの小さなことで、“ようやく取り戻した実感がまだ足りぬ”と謂わんばかりにきつく狭めていた腕がごく自然に緩むのだから、つくづく己は単純だ。
その愚かしさを誤魔化すように、「そうだな……」と微かに笑むふりをしながら、青い目を伏せ、数秒ほど沈黙を。言葉を取り繕う真似を冒さなくなっているのは、必要なだけ待ってくれると、相手を信じているからで。「……、」「…………」と、幾度か口を開きかけては、これは違う、そうじゃない、と視線を左右にさ迷わせていた──その果てに。)

……おまえの望みに、応えること。
だから、そのために必要な……ありとあらゆる努力や義務を、毎日、欠かさず行うことだ。

(ぽつりぽつりと呟きながら──脳裏に、声が蘇る。『ギデオンさん……好き、大好きになっちゃったんです! 責任とってください!!』……『責任取って、ちゃんと……私とじゃなくてもいいから、幸せになってください』……『……責任は、取らせてあげない。だからちゃんと……ちゃんと、貴方の気持ちを聞かせてください』。
思い返せばその言葉は、自分たちの関係の幕開けからその節々の変化まで、様々に象りながらも、おそらくはいつだって、ひとつの意味を貫いていた。──私は貴方と一緒になりたい、どうかその望みに応えて。──私は貴方に幸せになってほしい、どうかその願いを叶えて。──私に求められるからそうするなんて許さない、どうか他でもないあなた自身で私のことを欲しがって。そう、ギデオンにとっての“責任”はいつだって、“ヴィヴィアンの望みを叶える”……この一点を意味してきた。
だがしかし、それは決して枷ではないし、重石などにはなり得ない。なぜなら他ならぬ己自身が、彼女の願いを叶えることを自分の望みとしているからで──そうすることによってようやく、彼女の傍にいていいのだと心の底から思えるから。)

……だから、少し……混乱、していたんだろうな。数日前のあのとき、“責任を取るな”と言われて、俺は……てっきり。
お前の傍にいようとする俺が、あれこれを足掻いている様が……見苦しくなってきたのかと。

(──温かなランプの灯を受けたはずのその顔は、他方へ逸れたその一瞬、暗い影へと隠れて見えない。しかし、微かに腕が動いて、再び相手をごく緩く抱き締め直せば、それは何よりも雄弁だろうか。わかっている──わかっている、お前が本来些細なことを気にしないことくらい。それでも俺は違うんだ。十六もの歳の差や、普段目に見えにくいとはいえ生まれついての階級差、そのほかいろいろを踏まえれば──相手の傍にいるために、自分は常に何かしらを果たしつづけていなければいけないだろうと、堅く信じる男の構えで。)





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