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46: 御鏡 [×]
2019-08-17 19:27:27

ん"っ……水面様の作品を久々に読みましたが、やはり至高……

[無名の指揮者と難聴ちゃん。盲目さんの騎士は忠告する]

「~♪……おや、■■さん…来ていたんですね」

何時ものように指揮棒を振るい、私は身体の中から音楽を響かせる。
手慣れた作業をするのに、視覚から得る刺激は必要ない。私は、目を閉じた。
しかし、小さな声で「指揮者さん」と私を呼ぶ声が聞こえれば、もう目を閉じる必要はない。
指揮をする必要も、ないのだから。

「指揮者さんの演奏は、きっととても素敵なものなんでしょうね。私も聴きたいなぁ」

彼女の笑顔が、私の変化するはずも無い表情を綻ばせる。しかし、同時に彼女の言葉は私を苦しめる。

「―――すみません、調子が優れなくて……■■さんが折角来てくれたのに申し訳ない。風邪かも知れませんから、今日は帰って戴けますか?」

勿論嘘だ。無機物である私は、体調を崩さない。身体が崩壊する事はあっても、体調を崩す事はない。
しかし、■■さんは何も知らないのだろう、疑う事なくそれを信じた。
少し名残惜しげな、残念そうな顔で「また来ますね」と言うと、手を振って帰って行った。

嗚呼、申し訳ない限りだ。彼女がいるのに、演奏をしてしまうなんて。

かつて聞いた事がある。あれは、■■さんと私が出会って間もない頃。
私がここに住むようになってすぐの頃。住人達に挨拶をして回っていた際に、
ファウスト医師から聞かされた事。

「ファウストさん、あのお人が返事をしてくれないのですが……」
「…■■さんは、殆ど耳が聞こえないンですヨ。無視している訳ではないンですけどネ。私の見解では、あれは過度なストレスから発症した若年性難聴と思われます……って言う訳で!彼女の事、よろしくお願いしますネ!!」

そう言って、逃げるようにその場を去ったファウスト医師。追いかけようにも、
脚の無い私は走る事が出来ない。否、出来なくはないが、その下準備に時間が掛かる。
仕方がないので彼女の隣に立ってみるが、当時の■■さんは私を横目でチラリと見ると、
読んでいた本に視線を落とした。

―――嗚呼、可哀想に。きっと、何年も前からこの状態なのでしょう。
―――あまり良く聞こえなくて、聴きたくて。しかし現実が非情で。
―――全てから目を背け、耳を塞ぎ、誰にも心を開かない。誰も、信用できない。

「……成程。壊れた心の修復ですか。私への挑戦とお受けしますよ、ファウスト医師…」

―――音楽は時に、人を狂わせる。しかし、逆に言えば人を癒す事もある。
―――今回は、癒す力を使って彼女の心を開かせれば良い。
―――ただ、それだけの事。

それだけの事、だったのに……何時からか、私は彼女に会いに行く事を楽しみにしていた。
急用で会いに行けず、申し訳ない事をしたと思っていた矢先、
彼女が私の元を訪れて、私の胸が高鳴った。
嗚呼、異常だ。私はただ、舞台芸術のために全てを注いだ異形の筈なのに……私は…
私は彼女に情を抱いてしまった。

少しは心を開いてくれたのか、■■さんは時々ではあるものの、私の元を訪ねるようになった。
嗚呼そうだ、ここで"呪具"としての本領を発揮しよう。二度とあなたの心が壊れないように、
呪いを掛けよう。あなたを守るための呪いを。
私が指揮棒を大きく振るうと、淡色の光が彼女の耳を包み込む。
そうして、私は■■さんを守る"騎士"となった。

「では気を取り直して……おや?」

私が目を閉じて指揮棒を振り上げるのと同時に、ガチャリと部屋の扉が開く音がした。

「どうしたんですか、■■さん。今日はもう帰ったんじゃ『随分と平和呆けしているようだな、シャーデンフロイデ』……何だ、あなたでしたか」

目を開くと、黒髪でスーツを着た男が立っていた。かつての私の同胞だ。

『何だ、ではないだろう。呪具としての使命も全うしないガラクタ如きが』
「失礼ですが、その言葉はそっくりお返ししますよ。マレディツィオーネさん…私より先に役目を放棄したツルハシ風情が、何を言うんですか」
『……所詮動けもしないマネキンが生意気な…脳髄かち砕いてくれようか………っと、違う違う。今日はそんな事は如何でも良い………シャーデンフロイデ。貴様に忠告だ。"騎士"としての私からの忠告だ。如何なる形であろうと我が主を傷付けた際には、問答無用でその心臓部を破壊する。覚えておけ』

主、と言う事は、あの盲目の女性だろう。一度相対したのを覚えている。

「では、私からも一言……どんな理由があろうと、■■さんを傷付けるようであれば私は放棄していた使命を全うする。その所為で私が壊れようと、全人類が滅びようと、構わない。何故なら私は黙示録のシャーデンフロイデ。呪具としての本来の力は、あなた以上である事をお忘れなく」

指揮棒を振るうと、魂魄の響きに乗ってゆっくりとした歌唱が響く。
途端に顔を顰め、マレディツィオーネさんは踵を返して部屋を出た。

沈黙交響詩第16番、第1楽章演奏開始。

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