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29:
漣 [×]
2017-10-01 11:47:51
>>28
……ひたすら楽しかったので、クソ疲れるという感想は意外ですね。
同様に、答えのなさそうな疑問を宜しいでしょうか。神学・哲学に関係してくるものかもしれません。ただ、他の人の見解を聞いてみたいのです。
主様は、人間の「本性」とはどのようなものだと思いますか?
私は今まで実際に触れたり、人伝てに聞いてきたりして、どうにも「優れた人間性」とは生得的なものなのではないかという気がしてしまうのです。
あくまで疑惑であり、確信ではないのですが、真っ直ぐでカリスマ性のある立派な人というのは、幼い頃からどこか素質があるように思えてなりません。
所謂「真理」と呼ばれるもの。それを物心がついた時から身近に感じ、一緒に生きていける人と、どんなに手を伸ばしても、なかなか届かない人がいるような気がするのですよ。
努力や後天的な環境もないと、花は咲きませんが、どのような花を咲かせられるか、そこは「種の種類」によってあらかじめ、決まっているように思えます。
卑しい人間は、努力をしたり、他の素質を活かしたりしても、結局、卑しさの本質から抜け出せない…、
学校の勉強はできて、IQも高くても、人間性が残念だったり、生きるのが下手に見えたりする人はざらにいます。
その手の外付けのステータスは「真理」ではありませんので、外付けだけ立派な人はひょんなところで躓き、人生を不幸かつ不満足な形で終えるはめになったりする。
逆に「真理」と共にある人は、逆境に置かれても、心には満足がある。そういう疑惑を持っているのですが、他の方はどう思うだろう…。
はい、どーでもええわ!
とか、意味不明、面倒臭い、等と思われるようでしたら、スルーでも構いません(冷や汗)
無論、生得的に「真理に恵まれていない」人でも、ある程度は自覚と努力次第で「本性を磨く」こともできると思います。しかし、その「程度」について、生得的に恵まれている人より、スタートラインは遅まきに、限界となるゴールテープは近くに定まっているのではと思えます。
30:
漣 [×]
2017-10-01 12:06:16
>>29に付け加えて。
「真理を探究する」という言葉がありますが、この言葉は科学者が使う場合なら、多く「法則の発見」を意味します。
しかし、哲学や人生を思う人が使うのなら、実はずれた表現なのではないか、と思えます。世の中には、「真理と共にある人」「真理と一緒にいられず、それを考えることしかできない人」「強い真理は持たず、それを積極的に考えることもしないが、何となくでやっていけている人」がいそうな気がします。
真理についてぐだぐだ考えたがるのは、二番目の人。そもそも「真理に見放され、届かないものを追おうとしている人」なのではないか。…という猜疑心があるんですよね、私の中には。下らない妄想かもしれないのですが。
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