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自分のトピックを作る
21:
ゴースト [×]
2015-12-20 20:19:40
8月になると、9人で一緒に遊ぶことが多くなった。
ソニアの家が遠いから、殆どソニアの家かその付近で遊んでいたけれどね。
ソニアの家から少し歩いた所にある山に、秘密基地のような場所を作って遊んでいたよ。
カミーユが持ってきた立派な双眼鏡みたいなのを使って、街を見たり、遠くを眺めたりしてよく遊んだなー。
この双眼鏡のせいで、後であんな事になるとは思いもしなかったよ。
あー、そうそう。
山と言えどもこの地域は木が少なくて、動物もあんまりいなかったな。
今はどうか知らないが。
確かドラガンだったと思う。
ドラガンが敵の攻撃に備えるといって、
草を結んで罠を作ったりしていたんだ。
そしたらサニャがそれに引っかかってしまって転んでさ。
そこにカミーユがすっ飛んできて、
「サニャが怪我したらどうするんだー!」ってすごい怒っていたよ。
それでサニャを慰めていたんだけど、それを見た僕以外の男子は
皆で「カミーユはサニャが好きでーす!みなさーん!カミーユはry」
ってからかったりしてたな。
22:
ゴースト [×]
2015-12-20 20:24:25
カミーユはそんな事ない!って怒って否定してたけどさ。
当時の僕達にはそういった行為は格好のからかいのネタだった。
見かねたメルヴィナが「やめないよ!」って怒ったから、収まったけどね。
オロオロしていたソニアは、後でこっそり僕の所に近づいてきて、
「内緒だよ。内緒。」と言ってきた。
僕は理由がよくわからなかったけれど、「うん。」と答えた気がする。
メルヴィナも僕達と同い年なわけだけれど、かなり精神が大人だったな。
仲良くても、子どもだからほんのささいな事でどうしても喧嘩をしてしまう。
そんな時は、いつもメルヴィナが間に入って、「喧嘩しちゃだめ!」って言うんだ。
どっちも悪いって言ってね。
ドラガンやミルコ達がイタズラをしても、危ないから駄目って叱ったりして、俺達のお姉さんみたいな存在だったな。
ソニアは大体オロオロしてて、小動物みたいだった。
男だから母性本能みたいのはないはずなんだけどさ、守ってあげなきゃって自然と思ったりしたな。
23:
ゴースト [×]
2015-12-20 20:27:25
ああ。ごめん。
何で戦争が起きたかとか、そういうのを説明しなきゃ駄目だよな。
後で説明しようと思っていたけれど、先に簡単に書くね。
この国一体はさ、昔はキリスト教圏だったのだけれど、15世紀くらいにオスマントルコの支配下に
入ってさ、非キリスト教徒であった人とか、現地のスラブ人がムスリムに改宗したりして、ムスリムの比率が高まったんだ。
その後、セルビア王国だったかな。
当然、スルツキ(セルビア人)を優越して、他のフルヴァツキ(クロアチア人)やらボシュニャチ(ボスニア人)は長年不満を抱いていたんだ。
特に、フルヴァツキの人々は民族意識が高くてね。
そして各民族の民族意識の高さが、第一次世界大戦へと繋がっていくんだ。
この事は、皆知っていると思うので書かないけどね。
24:
ゴースト [×]
2015-12-20 20:29:56
そして第二次世界大戦期、この地域の大半がナチスドイツの傀儡国家としてのクロアチアの支配下に組み込まれたんだ。
この支配下ではさ、フルヴァツキの民族主義組織、確かウスタシャだ。
ウスタシャによってスルツキの人々は激しい迫害を受けて、数十万人(30~100万?)の人々が殺害されたんだ。
また、これに対してスルツキの民族主義者チェトニクによって、フルヴァツキやボシュニャチの人々が殺された。
つまり、この時期、フォーチャをはじめとする各地で、ウスタシャとチェトニクによる凄惨な民族浄化の応報が繰り広げられたんだ。
チェトニクはさ、フルヴァツキやボシュニャチの人々を徹底的に虐殺して、犠牲者はフルヴァツキ20万人、ボシュニャチ9万人ぐらいって、チェトニク側から公表されてる。
この民族浄化っていうのはさ…つまりは市民を襲うんだ。
村を。女や子どもは乱暴したり殺したりして、男は喉を切って殺したりして。
25:
ゴースト [×]
2015-12-20 20:32:35
何でここまで殺しあうんだ?って思うかもしれない。
これはWW1以前の因縁もあるけれど、やはりWW1後に誕生したユーゴスラビア王国による政策に問題があったと思う。
建国当初からさ、スルツキによって国は占められていてさ、民族意識の強いフルヴァツキの反発が絶えなかったんだ。
そこにウスタシャがつけこんで、反セルビア、打倒セルビアへと支持を拡大しながら突き進んでいったんだ。
これは、ユーゴ崩壊につながるフルヴァツカ紛争(クロアチア紛争)やボスニアの紛争にも繋がっていくんだ。
一方で、チェトニクは大セルビア主義という、西部バルカンの大半はセルビア人の土地っていう認識を持っていたんだ。
皆、殺したくて殺してるんじゃなくて、殺さなければ殺されるって意識の下で戦ってたんだ。
だからこそ、単純に誰が悪いとは言えなくて、そして未だにバルカン半島が火薬庫である理由なんだ。
26:
ゴースト [×]
2015-12-20 20:36:10
この主義は、セルビア人とセルビア人の土地をひとつの国家に統一するという第一の目標があり、中にはセルビア人が少数であっても、セルビアの土地という認識があるものもあった。
セルビア国家にとって、大セルビアは必要不可欠であり、セルビアの歴史的格言「統合のみがセルビア人を救う」との事で、正当性・必要性を訴えていた。
第一次世界大戦ではこの主義が原因となり、国境外各方面でセルビア人たちが統一セルビアの建設の為に戦い、1990年代の紛争では統一されたセルビア維持のために戦った。
また、ユーゴスラビアはWW2以降もセルビア人以外を軽視しており、それが各民族を刺激してしまった。
現在においても、セルビアのセルビア急進党という右翼政党では、ボスニア・ヘルツェゴビナとクロアチアの大部分のみならず、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリーの一部をも含めた大セルビアを建設すべきという綱領を掲げている。
この方針によって、クロアチアではユーゴ紛争時にクライナ・セルビア人共和国、
ボスニア・ヘルツェゴビナではスルプスカ共和国が建国された。
(スルプスカ共和国は現在もボスニア・ヘルツェゴビナとの連邦制を採用し残っている)
セルビア人からすれば、歴史的仇敵であるクロアチア人などの、敵対勢力の支配下を避けることで、
これらの地域におけるセルビア人の権利を守る必要があったんだ。
27:
ゴースト [×]
2015-12-20 20:38:40
楽しい夏休みはあっという間に過ぎ去ってしまい、気づけば9月になっていた。
学校が始まると、それまで毎日のように会っていたソニアとも会えなくなり、とても寂しかった。
それでも、一つ変化があったんだ。
今までは、平日は学校の8人で遊び、休みの日にはソニアの家に俺一人で行っていたのだけれど、
夏休み明けには、土曜日には皆でソニアの家に行くようになってた。
僕の場合は、次の日の日曜日にも一人で遊びに行っていたけれど。
今考えると行き過ぎだったと思う。
でもソニアと会いたくて、遊びたくて仕方が無かったんだ。
ソニアやソニアのパパ・ママもまた来週って帰り際に言ってくれてさ。
出会って数ヶ月だというのに、まるで小さい頃から一緒だった幼馴染のようだったな。
28:
ゴースト [×]
2015-12-20 20:42:47
9人で遊ぶ時は秘密基地で、ソニアと二人で遊ぶ日曜日はソニアの家で過ごしていた。
たまに学校の別の子と遊んだりもしたけどね。
今と違って携帯電話とかがなかったから、遊んだ日に大体次の約束をして、どうしても行けない時はソニアに電話して伝えてた。
12月に入るとスルツキやフルヴァツキの人々が慌しくクリスマスの準備をして、小さい街ではあるけれど、少し華やかになったのを覚えている。
ボシュニャチの人たちは基本的にムスリムだから、普段と変わらない生活だったんだけどね。
僕と父さんは久しぶりに休日を一緒に過ごした。
休みの日は殆ど家に居なかったからね。
父さんは色んな料理を作ってくれたよ。
どれもやっぱり美味しくなかったけれど、それでも嬉しかった。
「外国で生活させてしまってごめんな。」
といった事を言われたけれど、僕にとっては、既にこの国が故郷のように感じていたし、何より僕に
居場所があるというのが嬉しかった。
だからこの国で一生暮らしたいって言ったよ。
29:
ゴースト [×]
2015-12-20 20:47:00
父さんは笑いながら、ここしか仕事ないし、永住するかみたいな事を言ってた気がする。
新年が過ぎ、冬の季節になった。
日本と比べてそこまで寒いわけではないと思っていたけれど、実際には急に冷え込んだりするから常に厚着をして、厚い時は脱いで手に持ったり、リュックに入れたりしていた。
皆で雪だるまを作ったり、丘から雪だるまを落としたりして遊んでいた。
周りは広い平原というか高原、そして山々に囲まれた盆地だったから、本当に一面が真っ白で、ソニアの家から見る景色は綺麗だった。
確かこの時雪合戦をしたんだ。
皆で雪の壁で陣地を作って、4・5に別れてさ。
ドラガンの奴が雪をかなり硬く固めてさ、痛かった。
あぶないなぁーなんて思ってたら、それが丁度サニャの目に当たっちゃったんだ。
サニャは涙ぼろぼろ流しながら大丈夫、大丈夫って言ってたんだけど、それを見たカミーユがぶち切れてしまって、ドラガンにつかみ掛かってた。
止めなきゃって思ったんだけど、この時はメルヴィナが好きにさせときなって言ってさ。
「男の子なんだから、たまにはああやって喧嘩しないと分かり合えない。」
みたいな事を言っていたよ。
やべーメルヴィナやべー。って皆で口々に言ってた。
30:
ゴースト [×]
2015-12-20 20:49:15
少し経つとさ、二人とも青タン作りながら喧嘩をやめて、ドラガンがサニャに謝った。
「怪我をさせるつもりじゃなかった。ごめんね。」みたいな事言ってたな。
メルヴィナが俺の後ろでぼそっと言ったんだ。
「悪いと思えば、悪いと思うほど、素直に謝れない時があるよね。
あそこで二人が喧嘩をすれば、ドラガンは素直に謝れる。良かった。」
ってね。
サニャは大丈夫って言ってたけど、結局雪合戦は近くで座って見てることになってさ。
カミーユも雪合戦をやめて、サニャと一緒に座ってたな。
今思えば、子どもって素直で正直だったよなぁ。
31:
ゴースト [×]
2015-12-20 20:52:47
この時期は、ソニアママの言いつけで、危ないから秘密基地には行かないって皆約束させられてたな。
そして気づけば5月。
この国で過ごして1年が経過していた。
毎日が充実して、予定が一杯あって、忙しい日々だったと思う。
それでも、当時の僕にとっては、この一年がとても長く感じた。
充実した一年ではあったけれど。
僕の家に8人を招待して、皆でお祝いパーティーみたいのをしたんだ。
父さんは料理が下手だっていうのに、気合を入れて日本料理を作ったりしてさ、でも皆の口には合わなかったらしく、全員引きつった顔をしていたよ。
僕も不味くて引きつった表情してしまったけれどね。
それでも、父さんは僕が友達を作って、そして毎日仲良く過ごしている事に喜んでくれているようだった。
この時は、ずっとこの幸せな期間が永遠と続くと思っていたよ。
32:
ゴースト [×]
2015-12-20 20:58:43
6月末頃だったと思う。
隣のフルヴァツカで戦争が始まったんだ。
隣国だけれど、自分達には特に関係がないものだと思っていた。
しかし、実際にはそう簡単な問題ではなかったんだ。
街だけでなく、学校のクラスにおいても、スルツキ・フルヴァツキ、そしてボシュニャチの間で
気まずい状況になり、ついにはクラスの席が民族ごとに別れる様な状態になってきた。
言うまでも無く、今までのように放課後一緒に遊ぶ事は出来なくなったんだ。
ただ、それでもまだ大きな紛争にはなっていなかった。
まだフルヴァツカだけの話で済んでいたんだ。
だから、民族間の陰での対立が始まる兆候が見えてからも、僕達は大人に隠れてこっそりと秘密基地に集まっては、9人で遊んでいた。
自分達には関係ない話だったんだ。
僕達にとって大切なのは、民族や宗教じゃなくて、目の前にいる友達だった。
だから、何があっても僕達は仲間だ。
一緒に助け合っていこう。
ずっと一緒だ。
そういった約束を交わしたんだ。
33:
ゴースト [×]
2015-12-20 21:07:59
言い忘れてたけど、僕は日本人で、
ソニア、サニャ、メルヴィナ、カミーユ、メフメット、カマルはボシュニャチで ムスリム
ミルコはフルヴァツキで ローマ・カトリック
ドラガンはスルツキで スルプスカ・プラボスラニナ
あ。スルプスカ・プラボスラニナっていうのは、セルビア正教ね。
僕達は友達であり、お互いに信頼し合う仲間だったけれど、同じ言葉を話しているとはいえ、違う民族、そして違う宗教を信ずる集まりだったんだ。
夏休みに入っても、去年のように一緒に表立って遊ぶという事は出来なくなっていた。
少しずつではあるけれど、着実のこの国でも民族間の対立、宗教の対立、そして過去の負の因縁の対立が次第に高まってきていた。
大人たちは違う民族間で極力話さないようになっていたし、話してはいけない雰囲気になっていたんだ。
父さんは、もしかしたら戦争になるかもしれない。
お父さんは仕事をやめる事が出来ないが、祐希は日本へ帰りなさい。って何度も言われた。
でも、僕は友達を残して自分だけ日本に帰るなんて出来なかった。
それに戦争というものを理解していなかったんだ。
戦争にならないようにすればいいでしょ。そんな風に思っていた。
基本的に同じ民族、殆ど同じ宗教の人々が暮らす日本で育ったから、理解できなかったんだ。
民族間の対立というものを。子どもだったしね。
34:
ゴースト [×]
2015-12-20 21:11:26
そして9月になった。
今まではフルヴァツキの軍とフルヴァツカ在住のスルツキの人々との衝突だった紛争が、9月末頃にはフルヴァツカ軍とスルツキを主体としたユーゴ連邦軍の戦争へと発展したんだ。
この国では、ボシュニャチが人口の過半数を占めていて、僕の住んでいたカリノヴィクも例外じゃなかった。
日が経つに連れて、街の中ではフルヴァツキとスルツキの人々の関係が悪化して、時々通りで大人同士が喧嘩をするようになってきていたんだ。
そして10月に入ると、ボシュニャチが大半を占めるこの国では、連邦から脱退しようという声が広がって、
ついに政府が主権宣言みたいのをしたんだ。
つまり、連邦内の国家じゃなくて、一つの独立した主権を有する国家となるという宣言なんだ。
父さんから説明されても、当時は理解できなかったけれどね。
その宣言によって、街の中はさらに緊迫した状況になった。
学校の中でも、子どもであるにも関わらず、民族どうして一緒に行動して、そして喧嘩が起きたりしていたんだ。
つい最近までは一緒に遊んでいたのに。
35:
ゴースト [×]
2015-12-20 21:12:54
街や学校、恐らく国内全域で、フルヴァツキ(クロアチア人)・ボシュニャチ(ボスニア人)とスルツキ(セルビア人)の間で緊迫した状況になっていたんだと思う。
親には外で遊ぶのは辞めなさいと言われるようになっていたし、一緒に遊んでいた8人も親から同様の事を言われていた。
大人は、例え子どもであったとしても、他民族の子には冷たくするようになってきていた。
今の東京の比じゃないくらい、寂しく悲しい街へと変わっていたんだ。
36:
ゴースト [×]
2015-12-20 21:17:42
年が明けて1992年になっても、状況は好転せず、ますます混迷を極めてきていた。
民族ごとに武装の準備を始めたり、時には街中で銃を持ってあるく市民も出始めていたんだ。
初めて目にする銃は、とても怖かった。
でも非現実的な光景に見えて仕方が無かったんだ。
まさか、そんなのを使うわけ無いでしょってね。
そして2月に入って、ついに独立の国民投票が始まった。
ドラガン達のようなスルツキ(セルビア人)の人々は、この投票に怒りをあらわして、投票を棄権したんだ。
それと同時に、俺達が住んでいた地域はスルツキ(セルビア人)や連邦軍によって、ボスニア・ヘルツェゴビナからの離脱が表明されたんだ。
つまり、連邦からの独立に反対する人々と、独立を推し進める人々によって、俺達が居た国は三つの勢力にわかれた。
言うまでも無く、ボシュニャチ・フルヴァツキ・スルツキの民族ごとの三勢力にね。
僕達が住んでいた国、即ちボシュナは連邦から独立を宣言したんだ。
それと同時に、このボシュナは三つの国にわかれた。
一つはボシュニャチの人々のボシュナ。
もう一つはフルヴァツキの人々のヘルツェグ=ボシュナ。
そしてスルツキを中心とするスルプスカに。
僕達の居たカリノヴィクはこのスルプスカの領内だったんだ。
37:
ゴースト [×]
2015-12-20 21:20:25
この時点で、もうこの国において、民族同士の衝突、戦争は避けられない状況になっていた。
僕達の街からも、首都サラエヴォに向けて脱出する人がちらほらと出てくるようになった。
あ、脱出したのはボシュニャチの人々ね。
ただ、まだ血で血を洗う戦争には発展していなかった。
スルプスカ共和国(セルビア人共和国)となったとはいえ、 実際にそれを世界に向けて宣言したわけでもないし、まだ平和的に解決出来るかもしれないという希望があった。
僕はまだ小さくて理解しきれていなかったのだけれど、こんな状況でも9人でこっそり会い、秘密基地で遊んだり出来ていた。
以前のように堂々と遊ぶことが出来なくなっても、僕達の友情というか結束みたいのは少しも崩れて無かったんだ。
むしろ、大人たちや周りから、もう遊ぶなって言われれば言われるほど、強くなっていったように思う。
38:
ゴースト [×]
2015-12-20 21:25:20
そして3月後半になってくると、首都サラエヴォの方でスルツキの民兵達が何かをするらしいという噂が、街で耐えなくなった。
とはいっても、この時はまだ民兵という言葉自体を理解していなかったから、何かあるんだーといったような感じで、気にも留めていなかったんだ。
4月に入って、どうやらボシュナが国連に加盟するといった情報が流れてきた。
その意味が理解できなくても、周りの大人たちが深刻そうに、そして民族ごとに緊迫した空気を出している事から、僕達子どもも、かなり不安になってきていた。
僕達子どもは、昔この地域でおきた民族同士の争いや悲惨な歴史を殆ど知らなかったんだ。
特に、親からそういった事を聞かされる機会があるはずもない日本人の僕には、こうした状況を理解できるはずもなかった。
だけど、僕以外の8人は、ある程度理解しているみたいだった。
ドラガンが「何か起きたら、一旦皆で秘密基地に集まろう。俺達はずっと仲間だ。」みたいな事を
言っていた。
皆も「うん。そうしよう。」って相槌を打って、約束したんだ。
約束したんだよ。
39:
ゴースト [×]
2015-12-20 21:42:43
父さんは、この緊迫した状況を考えて、僕だけでも日本に帰国させようとしていた。
当然、僕はそれを断固拒否するだろうと考えたらしく、僕には内緒で、仕事でサラエヴォに行くと言って、僕をソニアの家に預けたんだ。
今思えば、あれは僕を一人残して、航空券を買いにいったんだと思う。
一人だったのは、サラエヴォが危険だったからなんだろうな…。
「明日になったら、帰ってくるから、いい子にしていなさい。」と言ってた。
翌日の4月5日だったな。
僕は父さんが帰ってくるまで遊んでいようと思って、秘密基地でいつものように遊んでたんだ。
ただ、この日に限ってドラガンだけは来なかった。
用事があるとか言って。
夕方近くになった頃だった。
街の方から大きな音がしたんだ。
皆びっくりして、急いで丘を駆け上がったんだよ。
そしたら、街から黒い煙が上がっていて、時々小さな乾いた甲高い音が聞こえてきてた。
僕は何の音かわからなかったんだけど、ミルコが「銃の音だ!」って叫んだんだよ。
40:
ゴースト [×]
2015-12-20 21:45:28
血の気が引いたのを覚えてる。
ソニアやサニャ達はおろおろして泣き出しちゃってさ。
ミルコやメフメット、カマルは家に帰らなきゃって叫んで、街に向かって走っていった。
止めればいいものを、状況が理解できていなかった僕はぼーっと立ち尽くしていたと思う。
多分、30分位そこでぼーっとしていたかな。
もっと長くそこで立ち尽くしていたかもしれない。
大きな音を出しながら、何台かの車がソニアの家の方向に向かって来てた。
あれって何だろうって思っていたんだけど、カミーユが
「スルツキの奴らだ…。」って呟いたんだ。
ソニアは家に帰ろうとしたんだけど、カミーユや僕で必死に止めた。
それで、様子を見ようってことで、カミーユが何時も持ってきていた双眼鏡でソニアの家を覗いてたんだ。
最初は、「スルツキの兵士が家の中に入ってる、外にも何人かいる。」って感じで説明してたんだけど、途中で「あっ。」って言った後、カミーユは何も言わなくなっちゃったんだ。
メルヴィナと一緒に、どうしたの?って何度聞いてたんだけど、何も言わなくてさ。
おかしいな?って思って、少し身をを乗り出して見たんだ。
そしたら、さっきの車二台が僕達の方向に向かってきてるんだよ。
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